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いまは緑色の芝生  作者: 三号


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オペラシティ・エモーション

 他人に自分の意思を伝えようとすれば、言葉や文字、仕草などといった何らかのアクションが必要になるだろう。

 吉祥寺亮介はそういった相手になんらかの意思を伝えようとする行為を得意としていない。自分にテレパシーのような所謂、非科学的な能力が備わっていれば楽なのに、と常に慨嘆している。

 無論、言葉を使って相手に何を伝えたくても前提として伝えようとする意思、というものがなければならない。さらに意思を持ったとしても伝えるべき相手がいなければ伝達を志す意思も単なる曖昧模糊とした思念の塊に過ぎない。

 五十四階建ての複合文化施設である東京オペラシティは京王新線の初台駅から直結している。東京オペラシティ低層階のフロアを利用している美術館の角にあるガラス張りの休憩室のシートに腰を降ろした吉祥寺は、外を見遣りながら肺の中の空気を吐き出す。

 窓ガラスには先ほどから蛇口を目一杯に捻ったシャワーのような雨粒が、室内にいる吉祥寺にも聞こえるような音を立てて、降り続いている。

 上空の雲は具を入れすぎたオムレツみたいに分厚くて雨に煙る風景には、新宿都心のビル郡と、その前を上下に渡っている玩具みたいな高速道路と、それから工事中の巨大な、吉祥寺には名前もわからないような機械が道路の中に吸い込まれるようにして屹立しているのが見渡せる。

「どうも、朝から、胃が重たくて」

「胃が? 重いの? 何キロくらいあるのですか?」

「わからないよ」

「ふうん、じゃあ、昨日の体重と今朝の体重を比べてみて、増えた重さの分だけ、胃が重たくなってるんですよ」

 五反田時計は吉祥寺の横に音もなく座って一緒に外を眺めながら言った。

 五反田の場合、眺めるというよりも、刻々と変化しそうで、その実、本質的には変わることもない街の風景というものを、一枚絵として記憶している、ように観察出来る。彼女はそうして記憶した風景を絵に描く。五反田が描く絵を吉祥寺は好きだった。五反田は絵画の専門的な職業についているわけでもなく、それらに関連した学業を修めてきたわけでもない。いわば素人である。しかし、と吉祥寺は彼女の描いた絵を観るたびに考えてしまう。こうしたエモーショナルな分野というものには、教育といった型に嵌めるべきシステムはそぐわないのではないだろうかと。

「ああ、お腹が空いた。お腹が空いたよ。吉祥寺くん」

「それはどれくらい空いたの?」

 吉祥寺はシートから立ち上がった五反田を見上げる姿勢になった。

「今朝と今の体重の差分を聞いているわけですね? それは誘導質問?」

「うん、まあ、答えたくないなら別にいいけど」

「じゃあ金輪際未来永劫不朽不滅に教えてあげません。ちなみに、軽度のセクハラに類すると思うのです、いまの質問は」

「セクハラ?」

「うん、セクシーなハラスメント」

 面白くもないしつまらなすぎるわけではないので、吉祥寺はとくにリアクションをしなかった。もしかしたら真剣に間違えている可能性もあるが、わざわざここで訂正する必要もないだろうと考える。それから急に、いま窓外に降り続いている雨が全て雪になったとしたら、今ごろ東京中が真っ白な世界に変わっているはずだと想像した。

 ――雪、は不思議なものだと吉祥寺はいつも感心する。人工的な鋭角を持った構造物を円く滑らかに覆ってしまうために雪は存在しているのではないかと、疑ったことがある。一年に何度か、冬の時期に、世界のあらゆる鋭角的なものを円くしてしまい、人間に世界はもっと滑らかであるべきだと訴えているのだ。

 訴えている、誰が?

 それを知るには自分は頭が悪すぎる。

 五反田は一言「出る」とだけ告げて、美術館を出て行った。

 吉祥寺は一分だけ座り続けて、それから立ち上がり、見えなくなった五反田を追いかけるようにして美術館を出た。天気の所為だろうか、入場している客は少なく、というよりも五反田と吉祥寺のほかには誰一人として見受けられず、目に付くのは暇そうな係員が、椅子に座って欠伸をこらえていたり館内のパンフレットなどを揃えたりしている光景だけだった。

 巨大な木戸を開けたような出口のすぐ右手にエスカレータがある。吉祥寺がエスカレータに足をかけたところで、下の階の踊り場で五反田がこちらを見上げていることに気が付いた。エスカレータに任せて降りていくと五反田の姿が大きくなっていく。

 天井に飾られた照明を乱反射させているオブジェからの光を受けて、肩までぎりぎり届く五反田の黒髪が動くグラデーションのようにして目まぐるしく変わる。

 踊り場に着いた吉祥寺を待ちかねたように、五反田はさらに下へ降りるエスカレータに乗る。ちょうど吉祥寺が立っている場所からだと五反田の足からだんだんと姿が消えていくように見える。

 五反田はこちらを向いていた。

 腰あたりまで吉祥寺の視界から消えようとしたとき、両腕を肘から上に曲げて手の平を顔の左右にそれぞれ持ってきて、それから掌を広げたり閉じたりしていた。五反田の表情は読み取れなかった。表層的には微笑んでいたけど、多くの場合、五反田は自分の気持ちを巧妙に隠している。むしろ自分の感情を表情に現さない訓練を日々、続けているといっても良い。やがて吉祥寺の視界から五反田の全身が消えてしまった。

 このとき吉祥寺は慄然とする。

 もし本当に、視界から消えてしまっただけではなくて、この自分が存在する世界から五反田が消えてしまったら、どうしようかと。

 五反田の存在を確認するためには、自分は歩を進めて、エスカレータの手前まで行き、そして五反田が存在することを、無事に下の階へと降りたことを確かめなくてはならない。

 確かめることが、怖い。

 存在している事実を確認することよりも、もし、確認して、全てが消えてしまっていることを、確認してしまったときが怖い。

 だとしたら自分はここから動いてはいけないのではないかと自問する。

 吉祥寺は、立っている場所から動けなくなった。足を動かすことは勿論だが身体ごと固まってしまったような感覚だった。

 自分が、石になってしまったようだった。

 こうして、固まってしまえば、何も考えない、動かない、意識も意思も無くして、そうして伝えるべきことも伝わるかどうかの心配もせず、拒絶して世界から切り離されて、それでいて厳然と存在するような石になってしまったようだった。しかし、吉祥寺の気分は、決して悪いとは言えない。それどころか、吉祥寺はここにひとつの安寧を見出した。

 そうか、と吉祥寺は得心する。

 自分が自分であることの証明を放棄して、尚且つ存在することが出来たのならば、それ以上に心安らかなことは無いだろう。純粋な存在、存在自体は世界に「ある」というだけのことで、周囲との関連性は無く社会性から切り離され、ネットワークから疎外されているのに「ある」のだ。当然の如く意思は必要ない。生存することの必要性さえも求められない。完結して「ある」のだから、それ以上の何物も求めずとも良いのだし求める必要も無い。自分以外から何物も求められることもない。これは、自分が辿り着きたいと願っていた境地ではないだろうか。

「吉祥寺くんは、馬鹿だねえ。そんなところに突っ立ってないで、さっさと歩く歩く、歩けってば」

 いつの間にか背後にいた五反田が、吉祥寺の背中を両手で押す。吉祥寺は肩越しに背後の五反田へ詰問するような口調で問う。

「降りたんじゃないの?」

「降りたよ、降りました。降りて降りて、降りまくりました。でも、二十分も吉祥寺くんが降りてこないものだから、心配しました。それでまた上がってきました」

 背中を押す五反田の力に反抗するみたいにして吉祥寺は両足に力を込める。なかなか動こうとしない吉祥寺に業を煮やしたか、吉祥寺と背中合わせになった五反田は、身体ごと吉祥寺の背中に預けて全身の重さで吉祥寺を押しはじめた。そうして、やっと、吉祥寺は、いまにも転ぶような恰好で、右足で一歩踏み出す。

「ふう、なんだ、吉祥寺くんがお地蔵さんになったかと勘違いしそうになりました、わたし」

「そうそう六地蔵って知ってる?」

「知らないよ」

「あ、そう。僕の実家の近くにね、六地蔵っていう地名がある。バス停もあって、六地蔵を経由する系統が幾つもある。実際に、坂を下りてちょっとだけ奥まった場所に、小さい、そうだな、五十センチくらいの地蔵が六体、道端にあって、僕が小学生のころとかは怖かったな。でも、これが、以外と他の地域にも似たような地名があるってことを最近知ってさ」

「なんで六つなんでしょうか」

「さあね、語呂がいいのか、地蔵が六体もあれば縁起がいいとか考えたんじゃないの? その、昔の人とかがさ」

 相変わらず吉祥寺の背中に身体を預けたままの五反田は小刻みに揺れている。

「どうしたの?」

「泣いてます」

「それはまた、ストレートな告白だと思う。普通は隠そうとするもんじゃないかな」

「隠しても、意味がありません」

「なんで泣いてるわけ」

「教えません」

 そこは隠すのか、ならば泣いてることも隠せばいいのに、そうか表面的な涙は隠しようがないからそれをあえて強調することで、内心をカムフラージュしているのかもしれない、吉祥寺は五反田の心情を推理する。しかし、どうだろうか、人間の心情などは、他人に伝えようとするものもなく、そこに意思があるわけでもない。人の心情にあるのは意思ではなく感情だ。他人の感情は読み解くことが出来ないと吉祥寺は諦めている。なので五反田の行動から彼女の心理状態を推理しようとするだけ無駄だろうと、吉祥寺はそれ以上の思惟を放擲した。

 そして、改めて、背中にかかる五反田の重さを実感する。

 お腹が空いていてこれだけの重さがあるなら、きっと五反田には様々なものが詰まっているのだろう。自分は五反田の中から溢れそうな何かを受け止めることが出来ずに、足を踏み出してしまった。

 否、踏み出すべきだったのだろうか。

 彼女の重さは自分に足を踏み出させてくれた、と考えるべきだろうか。

 ただ「ある」ものになることを許さずに。

 五反田の重さは吉祥寺が放棄しようとした様々なものからの逃避を許さなかったように。

 人の重さというのは、きっとその場所から個人が動かないようにするためにあるんじゃなくて、他人に寄りかかって他人を動かすためにあるのだろう。そうやって、ひとりひとりが他の人に寄りかかってドミノを倒すみたいにして、だけどドミノ倒しみたいにシリアルではなく、パラレルでもなくて、もっと波状的にどこまでも広がっていくものなのだろう。

「うん、そうだ、五反田は重いね」

「それは虐待ですか? アメリカンジョークですか? 小粋な嫌がらせですか? それとも遠まわしな愛の告白ですか? いくら重くても君を受け入れるよ、み、た、い、な?」

「少なくとも愛の告白じゃないと思う」

「そうですか。残念です」

「まあ、それほど残念がることでも、ないと思うよ。僕はラーメンが食べたいんだけど」

「却下します。聞いて吃驚、聞いて驚くな、驚愕の足技です」

「どっち?」

「都合の良いことに、なんとこのオペラシティなるビルには叙々苑があるのです」

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