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いまは緑色の芝生  作者: 三号


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泣き顔デジャヴ

 キッチンにいた諌山秋子は一瞬、居間にあるテレビからのノイズ音が聞こえ、珈琲を淹れる手を休め振り返った。

 先月買い替えたばかりだったテレビのモニタには、大手家電量販店のコマーシャルが流れている。さっそく故障したわけではないようだった。ちょうど二十二時から始まったニュース番組の合間に流れているコマーシャルだ。特に目新しいものでもないので、秋子はキッチンにおかれたデザイナブランドの椅子に座り、珈琲の出来上がりを待つ事にした。


「さて、次のニュースです。昨夜二十二時三十分頃、東京都世田谷区内のマンションで他殺体が発見されました。被害者は都内在住の会社員、諌山秋子さん、二十五歳……」

 見慣れない女性のキャスタが眉間にしわを寄せて原稿を読み上げている声を聞いて、秋子は再びテレビを振り返り見た。確か自分の名前が呼ばれた気がするのだが。気のせいだろうか。

「胸部を刃渡り十センチのナイフで刺され……」

 キャスタの声と同時に画面に出てきたのは、秋子の顔が写された写真だった。背景には青空。赤いセータを着て、心持ち右の方向を見て口元に微笑を浮かべている。風のせいか薄い茶色に染まった髪が揺れている瞬間を捉えられている。

「……犯人の行方は未だつかめていません」

 間違いない、自分の写真だ。いつ頃の写真であるかは解からないが、それほど昔のものではない。

「え、ちょっと待ってよ」

 秋子は椅子から腰を慌ただしく浮かせて、キッチンから居間へ三メートルほど先にあるテレビへ向かって歩き始めた。珈琲カップは手に持ったままで、飲みかけの珈琲は歩くたびに表面が波打った。視線はテレビ画面の自分の写真に向けられたまま固定されている。

「どうして、な、なんでわたしの写真が、殺されたって」

 自分は死んでなどいない。

 それはもちろん秋子自身が何よりわかっている。秋子のことなどまるで取り合わないかのように、キャスタは次のニュースを読み上げ始めた。但し、秋子の耳には入ってこない。

 秋子は急に不安になって、自分の心臓にコーヒーを持っていない右手を当ててみる。

 心臓はいつも通り、定期的な脈動を繰り返して動いていた。大丈夫、大丈夫、自分は生きている。

 一旦、気にし始めた心臓が脈打つ音は、その後も秋子の頭の中に響くことを止めようとはしなかった。

 秋子は訳がわからないまま、この世に自分が既にいなくなったかのような錯覚を感じ、テレビの向かいにある白いソファに糸の切れた操り人形のように倒れこんだ。

 珈琲カップをサイドテーブルに置き、両手で顔を覆って、大きな深呼吸をする。テレビから再びノイズ音が聞こえたが、今度は気づくことはなかった。


 ソファに座り、三十分もすると秋子は落ち着いてきた。

 まず、自分が生きているのは間違いない。とするとあのニュースが間違っていた事になる。ただ、画面に出てきたのは紛れもなく自分の写真だった。なぜ、死んだことに、しかも殺害された事になったのか。

 秋子自身は生きている。しかしニュースに流れるようになった事実は、世間では諌山秋子という人間が死んだ事、しかも他人により殺害された事になった、という事を指しているのではないか。

 諌山秋子としての名前の特性をいったん外して考えると、人が一人死んだことは間違いない。

 しかし、自分は生きている。

 とすると、秋子ではない誰かが秋子と間違われて殺害された、あるいは殺害された全くの別人が秋子と間違われたか。可能性としては二通りしかないだろう。

 そう考えると、秋子は冷静になった。

 何かの間違いで、自分が殺された事になった。であるならば、自分が生きているという事を知らせなければ問題になる。知らせるとすれば警察か。いや、それよりもこの全国ネットのニュースを仙台に住んでいる実家の両親が見てしまった可能性がある。心配をかけないよう、親に一報を入れることを優先すべきだろう。

「ふう、さてと」

 秋子は電話をかけるためソファから立ち上がり、会社から帰ってきてまだ鞄から出していないスマートフォンを取りに手を伸ばした。


 指先がしばらく電話をしていない実家の電話番号探していた、ちょうどその時。

 インターホンからの電子音が秋子の部屋に鳴り響いた。

 普段であれば、何も変哲もない聞きなれた音だが、場合が場合だけに秋子は一瞬体を硬直させた。

「こんなときに」

 秋子は小さなため息をついて電話をかけることを一旦あきらめた。玄関へ向かいサンダルに片足を入れ、インターホンのモニタに映る画像を見た。 そこには、半年前に別れた男、半田拓夫が所在無さげに立っていた。

 別れた、という表現は正しくないかもしれない。他に懇意にしている男性のいた秋子が、一時の遊び相手として捕まえただけの男だった。拓夫は自分の立場を告げられても激昂することは無く、物静かに別れを受け入れたかに見えた、少なくともその時には。

 要件は何だろう、半年経って今更部屋を訪れることの意味を深く考えず、只ならぬ状況に心細さを感じていた秋子は、ゆっくりとドアを開ける。


「やあ、久しぶり」

 相変わらず品の無い笑い方をする、と秋子は感じた。が、そんな感情ははおくびにも出さない。

「そうね、お久しぶり。どうしたの」

 秋子は拓夫の全身が視られる程度にドアを開けた。拓夫は慣れた様子で玄関に入ってきた。

「ね、あんたはあのニュース見てないでしょうね」

 拓夫を玄関に入れると、秋子はすぐに尋ねた。まずこの男が誤解をしているとしたら、話をするのが面倒であった。

「ニュース」

 玄関に入った拓夫は、ズボンのポケットに手を入れたまま不思議そうな顔をして秋子を見返している。良かった、拓夫は見ていないようだ。秋子は室内に入った。

「見てないのね、よし。じゃあとりあえず上がって」

「ああ、秋子は見てくれたんだ……よかった」

 拓夫の声色が今まで聞いた事のない声に聞こえ、秋子は不安になり振り返った。

 そして、彼の顔、視線が虚ろなことに気が付いた。そういえば、と秋子は思い起こす、さっきのニュースに出ていた自分の写真は拓夫と別れる寸前に代々木公園で拓夫が撮った写真だ。


「よかったよ、大変だったんだあれ。演劇系の友達に頼んでさぁ、あのニュースのセットとそっくりなものを作ってもらってね、演技までしてもらったんだ。上手だったでしょ、彼女。結構、お金かかったんだよね。それで、難しかったのは電波を飛ばすタイミング。上手くコマーシャルの合間に切り替えを合わせるのが大変なんだ。僕もね、向かいのビルで同じ番組を見ながら合わせてたんだけど、ほら、秋子は珈琲を淹れてたじゃない。ちゃんと見てくれるか心配だったんだよね。あと、切り替える時、一瞬だけとノイズが入っちゃのも気にしてたんだけど、気が付かなかったかな」

 堰を切ったかのように話しはじめた拓夫を見て、秋子は体を震わせ足音も立てず部屋の中を二歩、三歩と後退りする。

 拓夫はドアの鍵を後ろ手で閉め、秋子を見つめ目を細めた。

「ちょっと、あんたどういうつもり……」

「気に入ってもらえたかな」

 拓夫はドアを閉めた反対の手をポケットから出す。

 その手には折りたたみ式のナイフが握られていた。開けば刃渡りが十センチにはなるだろうか。

「あのニュースは予告編なんだ」

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