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いまは緑色の芝生  作者: 三号


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36/66

タップ・トラップ・ダンス

「ねえ、誘拐犯さん」

 そう言って彼女は、車の助手席で体を丸めて、ひざを抱えた。ひざの上に乗せた顔にはまだ幼さが残っている。


「あのさ、わたしを誘拐してもね、得する事なんて何もないよ」

「少し黙っててくれないか」

「だってさあ、家なんて貧乏この上ないし、それに、わたしが居なくなった事に誰が気づくかな。一週間くらい家を黙って空けるなんてしょっちゅうなのよね、わたし」

「そいつは、いけないな。親は心配しないのか」

 私が言うと彼女は、猫を思わせる姿勢で体を丸めたまま揺らす。しばらくすると、大きな声で笑い始めた。


「おっかしいのっ」

「何がおかしい」

「で、で、これからどうするの」

「君に言う必要は、無いね」

「あ、分かった、何も考えてないんでしょう」


 私を指差して、おどけた表情をしている彼女を一瞥すると、胸のポケットから煙草を取り出して火を点けた。暗くなった室内に一筋の光明、というにはあまりにもはかない灯がともった。

 いまだにハンドル式のウインドウを、七分ほど開ける。


 確かに、彼女の言うとおりだった。

 下校途中の一人になった彼女を車に連れ込み、海岸沿いにある人気のない公園まで来たものの、さてこれからどうしたものかと思案している最中だったのだ。

 もともと、人を誘拐した事などないし、身近にそんな奴もいない。

 別に金銭的に不自由をしていたわけでもないし、彼女を誘拐する事で誰かを脅す目的でもなかった。


 ただ、なんとなく。


 ドライブの途中で車を止め、そして煙草を燻らしながら休憩していたときに、道路の前方から歩いてきた彼女を見て、ふと、

(誘拐してみよう)

 と、思っただけのこと。金銭の要求とか、脅迫とか、そんな不純なものは無かった。ただ純粋に彼女を誘拐したかったのだ。


 純粋な誘拐。なかなか良い言葉だ。


 窓から入ってくる風は、生暖かかった。多少潮の香りがするのは、海の近くだからだろうか。

 それとも、海が見える場所での錯覚か。


 私はダッシュボードにあった携帯電話をとりだす。


「うん、やっぱり家に電話するのよね。それでこそ誘拐犯よ」

「君の家に」

「ばっかみたい、当たり前じゃないの」

「しかし、電話をする用件がない」

「はあ」

「用件が無ければ、電話をしても無駄だ」

「それでは、あなたは今、何をしていらっしゃるのですか、よろしければお教えいただけますか」

「天気予報」


 彼女は、眼を一杯に見開いて、両手で口を覆っている。

 何のジェスチャだろうか。否、口をふさいで、眼球だけで意思を伝える訓練でもしているに違いない。

 しばらくそのままだった彼女は、急に私に背をけたかと思うと、私の反対側を向いたまま小刻みに肩を震わせはじめた。


「どうした、泣いているのか」

「あなたねえ」

「言ってみなさい。何か理由があるなら、解決する手段を模索してみよう」

「もうだめっ」


 彼女はそう言うと、両足を大きく上下させながら笑った。なにが、楽しかったのだろうか。彼女に聞いてみようと思ったが、また同じ結果になると推測してその質問は取りやめた。

 よく笑う女性だ。私の今までの人生の中で、これほどまでに笑う女性に出会った経験は無かった。きっと、今まで出会った女性と彼女とでは、脳における思考回路が違っているのだろう。


「あぁ、おかしいっ」

「そうか」

「うん、あなた最高」

「何が」

「いろいろ」

「いろいろ、とは」

「そう、いろいろ。女性の心は複雑なのよね」

「なるほど、それならば理解はできないが検討の余地はある」

「永遠に検討してなさい」


 彼女はそう言って、私に微笑んだ。

 絵になる、という表現が正しいかは解らない。

 そういった彼女の微笑だった。


 私の腕時計が二十二時を、知らせる。いつもならば、もう家に帰り食事や入浴を終え、就寝の為の準備をしているような時間だ。


 誘拐はした。純粋に彼女を誘拐したかっただけの事なのだから、目的は達成したといえる。

 私は車のエンジンをかけて、ギアを入れた。


「どこかに移動するの」

「そうだ、君に道案内をしてもらいたいな」

「あなたの行こうとしてる所なんて、私知らないわ」

「大丈夫、近くまで行けば君のほうが詳しいはずだ」

「それどこ」

「君の家」

「えっ、もう終わり、帰るの」

「そうだ、夜も遅い。僕と君がこれ以上一緒に居る理由が無い」


 そう私が言ったとき、彼女の顔に何か寂しさを垣間見たのは、潮の香りと同じ錯覚だろう。


 彼女の家は、私が彼女を誘拐した場所から一〇〇メートルと離れていなかった。小奇麗な二階建て一軒家、きちんと庭と呼べる面積の庭に植えられている草花は、やや枯れかかっている。現時点で家の明かりはついていない。


「さあ、降りなさい」

「いやです」


「て言ったら、あなたはどうするのかしら」

「もう、言葉としては発した」

「そういうことじゃ、ないんだけどな」


 彼女は、ドアを半分まで開けると、振り返って私を見る。

 彼女は、車から出ると音のしないようにドアを閉めた。軽い足取りで玄関まで歩いて行くのを、私はぼんやりと見ていた。玄関の手前まで行くと彼女は急に立ち止まり、こちらへ戻ってきた。


 車の傍まで来ると、彼女はウインドウを軽くたたいた。私は仕方なく身を乗り出して、硬くなっているハンドルを回す。


「ねえ、これなんだ」


 彼女の手にあったのは、私の携帯電話だった。いつのまに。


「私の携帯電話だ」

「さあ、どうしましょう」

「返しなさい」

「もちろんよ、お返しします」

「当然だ」

「明日ね、明日返すわ」

「なぜ明日だ」


「そうね、時間は今日と同じ時間で」

「分からないな」


「いいこと、明日は今日みたいな乱暴な誘拐の仕方は駄目だからね」

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