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いまは緑色の芝生  作者: 三号


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フリージア・マイナスシックス

 時計はどうして円いのだろう。円盤みたいな恰好で壁にかかっている部屋の時計を、川の中で泳いでいる魚が水面を通して太陽を見るような気分で眺める。日時計が起源だったからだろうか。そんな、野蛮で自然な因習に捕らわれることもないだろうに、いまはもう二十一世紀なんだ。

 円い時計は好きじゃない。気障な姿勢で十二が一番上にあって、それから一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一と、それぞれの領域を侵さないようにして整然と並んでいる。それぞれの数字が前に倣えをしてるみたいに距離感を保って、並べられている。時計の針はそこを一周して、それからもう一度まわると、それで一日が終わり、というわけではなく、それからまた連続してまわり続ける。そうやって、時間というのは連続しているのだ、時は連環しているのだ、お前の人生はこうやって延々とくだらないながらも嫌々でも続いていくのだと、時計が訴えかけてくるようで、円いアナログな時計は好きじゃないのだ。僕はデジタル時計のほうが気に入ってる。

 僕の朝は、だいたい六時過ぎにはじまる。別に目覚まし時計をかけてるわけじゃなくて、太陽が昇るのにあわせて起きてるわけでもない。ちょうど、その時間になると、アパートの裏に住んでいる大家が老人の特殊スキルである早起きを発揮して、それから玄関前の掃き掃除を始める。大概、通りかかった別の老人と立ち話をする。お互いに耳が遠い所為だろう、声帯が張り裂けそうなくらいの大声で世間話をする。

「おはようございます」

「あらあ、おはよう。旦那さん、元気?」

「おかげさまでえ」

「この前はびっくりしたわあ」

「ほんにねえ」

「お大事にねえ」

 くそ、爺さんはとっととくたばればいいのに。そうすれば、益体もない世間話のネタだって尽きるものだろう。いや、そうでもないか。老人たちは、残り少なくなった自分が生きている時間の多くを、それを無駄と知りながら、益体も無い世間話にうつつを抜かすことには手馴れているのだ。ちくしょう。

 水気を吸って、すっかり弾力を失った布団の上で、横になっていると、電車が僕の部屋の近くの線路を通り抜けるたびに、身体が揺れる。その揺れを、何度も何度も感じる。それぞれの電車に、都内へ通勤する馬鹿なサラリーマンたちが乗ってるはずなのだ。毎日、線路に石でも置いてやろうかと考える。そうして、脱線した車両が、線路脇に建てられている大家の家に突っ込んで、そうして婆さんと爺さんが車両に押しつぶされてミンチになる。電車に乗っているサラリーマンたちも、崩れた家屋とひしゃげた車両に押しつぶされたり引き裂かれたり、突き出たパイプに突き刺さって宙ぶらりんになったりして、全滅だ。あははは、こいつら死んでやがるミンチだこいつらの死体を穴の明けられた缶に突っ込んで押してやれば下から挽肉が出てくるんだぜそうして白い発砲スチロールに三百グラムくらいづつ盛ってラップをかけてそれから人間挽肉は百グラム百二十八円、水曜特売日なら百グラム九十八円でスーパーの精肉コーナーに並べられて特売の幟にまるで夏の夜に街路灯に群がる蛾みたいにして集まったご近所の阿呆主婦たちがわんさか集まって買い漁るのだ。くふう。鼻から息を漏らして、笑う。むふう。

 布団に寝転がって、何度も何度も、人間挽肉を造って売って売りさばいて補充して、それらの売り上げが二百万円に達した頃にようやく飽きた僕は、布団を跳ね除ける。布団の上で胡坐をかく。背中が痒かった。肩甲骨の辺りが、特に痒い。僕は昨日のままの服装で、中途半端に降ろしたスラックスからはみ出したワイシャツの裾を捲り手を入れて肩甲骨の辺りをかきむしる。何度も何度もかきむしった所為で、その辺りの皮膚が硬くなっている。

 立ち上がって、台所まで歩く。栓を捻って水道水を出す。顔、というか口を蛇口の下までもっていって、直接、カルキ臭い水を飲む。それから、昨日は自慰行為をした後にそのまま眠ってしまったことを、キリギリスみたいにして気が付く。台所の余ったスペースに置かれた、文字通り置かれただけのユニットバスに服を脱いでそのまま部屋に放り投げて、入る。シャワーから出てくるのがお湯じゃない。ガスはまだ止められてない。単純に、急騰のスイッチを入れてないだけだ。シャワーを出しっ放しにして、足元が少しだけ濡れたまま僕はユニットバスから出て、台所の脇にかけられている給湯器のスイッチを押す。給湯器の中、ちょうどガラスの小窓越しで覗ける部分に、青く塗ったソフトクリームみたいな炎が揺れる。それからもう一度、僕はシャワーを浴びる。

「おさかなくわえたーどらねこー」僕はサザエさんの主題歌を歌う。「おおかっけってー」大きな声、叫び声に近い声で、唄う。「みんながわらってるー!」途中まで唄って、それから今度は本当に叫ぶ。胃と喉から空気を吐き出すようにして叫ぶとちょうど「あ」の音になるけど、別に「あ」って叫んでるわけじゃない。それでも僕は何度も何度も、僕の声の大きさを試すみたいにこれ以上出ないだろうっていう声量で「あ」を連発して叫ぶ。たまに「うあ」とか「はあ」とか変わった叫び方も試みた。そうして、僕の中に溜まった、人間挽肉の妄想が現実になるまえに断ち切るのだ。

 部屋の中で自分勝手に散らばっていた服を適当に選んで、部屋を出る。服を着て、靴を履いて、玄関の扉を開けて、見上げたところで抜けたような快晴でもなんでもなくて、そこにあるのは空って呼ぶにはおこがましいくらいの曇り空。駄目だなあ、空は青くて、海も青くて、道路は灰色で、ビルは銀色って決まってるんだ、そうじゃなくちゃ色鉛筆の種類がいくつあっても足りないじゃないか。

 駅前にある銀行のATM、キャッシュカードを差し入れる、残高、二万五百八円。これを引き出してしまえば、二ヶ月前まで派遣社員として働いていたときのお金が尽きてしまう。どうでもいい、コールセンターの仕事だったな。あれ? どうしてそこを辞めたんだったか。いや、違うな、辞めたんじゃなくて、契約を打ち切られたんだ。コールセンターの仕事は、いくつかのグループにわかれていて、僕が在籍していたグループのリーダーは僕と同い年の女で、やたらとタイピングが早くて、鋭角な感じの美人で、いつもミニスカートをはいていた。朝夕のミーティングのときに、グループが椅子を寄せ合って輪を作るようにして集まっていたのだけど、そのリーダーが目の前にいるといつもパンツが見えそうになる。その女のリーダーが僕に「あなたどうして辞めないの?」とか言い出してきたから、ああ、これはまずいなあと思ってたら、案の定、次の契約は打ち切られてしまったのだ。あの女、今度見かけたら犯してやる。

 それはともかく、その仕事を辞めてから、次の仕事が決まらずに、っていうかほとんど探す気力もなくて二ヶ月が経って、自動的にお金が増える仕組があるわけでもなく、哀しいかな人間は生きていくだけでも金がかかるもので、二十万くらいあった僕の貯金は日に日に減っていき、そうしていまタッチパネルに無機質に映し出されて二万五百八円が僕の全財産なわけであり、それは増える予定なんか微塵もないのだ。僕は躊躇なく、二万円を引き出して、それから電車に乗って、新宿へ向かう。東口から出て、アルタ前の信号を渡って、果物屋の角を曲がる。まだ日は落ちてない。それでも、既に夜半の空気を漂わせている通りを抜ける。靖国通りの横断歩道を普通の人に混じって普通の人のようにして渡る。歌舞伎町のコマ劇場に突き当たって、右折。そのまま、直進、で、コンビニのある角で左折、しばらく歩いて「ファッションヘルス天女の誘惑」の前でストップ、オーケーオーケー。入り口にはアイドル気分でメイクして撮影した娼婦たちの写真が飾られている。白い蛍光灯が、不恰好な僕を照らす、眩し過ぎて煩いくらいだ。受付カウンターには黒いスーツを着た男が二人。ひとりは坊主頭に黒縁眼鏡。もうひとりは茶色に染めた長髪を後ろで結わっている。僕は坊主の前にいき、さてどうしたものかとおどおどしたような演技をする。

「ええっと……はじめて来たんですけど」嘘をつけ、よくもまあ、ぬけぬけと、呆れるね。「初回は二千円引きって、ホームページで見て」と、僕はコートのポケットから二ヶ月前に印刷してあった初回割引券をカウンターに載せた。坊主は確認するように手にとる。それから僕の顔を検分する。大丈夫、前に来たのは半年前だ。そのときはこんな坊主はいなかったし、そもそも顔を覚えてるわけがない。騙された坊主は、後ろのパネルから女の子を選ぶようにと、僕に指示をする。

 パネルは将棋の升目みたいに四角に区切られている。それぞれの四角の中に、おそらく歌舞伎町のどこにでも見かける、専門の写真館で撮影したような写真が並べられている。写真には娼婦たちの顔と行為の是非、現時点での待ち時間が書かれている。それぞれ、媚びるような表情、胸元を強調した服装と仕草をした写真が飾られている。僕はそれらを上から順にチェックしていく。誰もが、微笑んでいた。まるで、写真を撮影したときに、やがて自分の写真を見る馬鹿な男たちを嗤っているかのようだった。わざわざ、お金を出して、女を買って、そういう、性に対して軽薄な人間であるところの男たちを、あえて自分の身体を曝すことによって、嗤っているような気がした。

 上から視線を流していた僕の目が、あるひとつの写真で止る。どうしてか、意識がそこに集中した。写真の女の子は、微笑んでいなかった。それどころか酷く不機嫌な様子を隠そうともしていなかった。名前はフリージア、ロングヘアを後ろでまとめている。前髪をすべて右側に揃えて、ヘアピンでとめている。髪の毛は染めていないようだ。それでも、ライトの影響か、薄く茶色がかっているように目には映る。視線はあらぬ方向へ向けられている。どう捻ってみても、彼女は写真を撮られていること自体を不満としているようにしか思えない。僕は苦笑する。どうして彼女はこんなところで働いているのだろう。それに、名前が変わってる。フリージア、確か花の名前だっただろうか。

「あの、フリージアさんでいいですか?」

「その娘ならお待ち頂かなくても、ご案内出来ます。六十分、九十分、百二十分、どのコースにしますか?」

 僕は六十分コース、二万二千円、そこから二千円引いた二万円を坊主に渡す。こうして僕の全財産は消えていった。どうせ、このままなら、あと数日で消えていた二万円だ。あと数日だろうが、いま無くなろうが変わらないだろう。坊主頭に十五番の番号札を渡されてから案内を受けた。靴を脱ぎスリッパに履き替えて、ピンク色をした待合室へ入る。そこにはソファが二つ、正面に置かれた台の上に乗せられたテレビでは民放の歌番組が流れている。室内は蒸し暑い。入ってきた入り口のテレビを挟んで反対側にカーテンが引かれた入り口がある。僕の他には、小太りの中年が先客だった。僕はソファに腰を降ろして、テレビをぼんやりと眺める。若い男性歌手が、熱唱しているようだ。男性歌手が唄うリズムに合わせて、同室している中年が貧乏ゆすりのようにして膝を揺らす。それが気に障った僕はソファから立ち上がりテレビのチャンネルを変えた。中年は僕に非難がましい視線を向ける。知るか、知ったことじゃない。僕が睨み返すと中年は視線を逸らし、それから俯いた。カーテンの向こうで足音、体重の軽い、スリッパをはいた、女性の足音のようだ。ボブスレーが目前を一瞬で通り抜けたような音をたててカーテンが引かれる。

「お待たせしました……十五番の方?」

 そちらを振り返ると、フリージアがいた。彼女はゆったりとした、薄い生地の、淡黄色のワンピースを着ていた。パネルの写真に写っていたときのロングへアではなく、いまは耳が隠れるくらいのショートヘアになっていた。変わっていたのは髪形くらいなもので表情は写真と同じだった。お気に入りだった綺麗な模様をした羽を好きだった男の子にむしり取られて片方だけの羽で飛ぼうとしている蝶を片肘をついて見詰めているような表情だ。僕の背中には羽が生えてない。だから、フリージアはなおの事、不機嫌になったのかもしれない。羽がなければ、蝶だって人間だって、花弁から飛び立つことが出来ない。そもそも僕は、僕がいる場所から飛ぶことが出来ないし、飛ぼうとすらしていない。

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