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幸福

 小さな壺に入った軟膏を大事に抱えながら、文寧子と慧真は帰路についた。雲間に時折月が覗く晩であった。キエナの父、サガンは日の沈んだ後に2人を呼び、問診をした。

 「お話を聞く限り、桂舟と同じ症状が現れるようです。桂舟に関してはもしもの時に備えて体質をゆっくり改善していくつもりでしたが、貴方の場合は不便な点が多いでしょう。早く解決したいと思われる気持ちはお察ししますが、なんとも、前例がない病気で…。」

 そう言いながら眉を下げる姿はキエナにそっくりだった。

 「日に当たってしまったらこれを塗ってください。特別な薬草が入っていて、痒みがすぐに引きます。」

 サガンは軟膏をくれた。

 「病だと知れて良かったです。それだけで十分です。」

 文寧子はそう言って軟膏の入った壺を撫でさすった。

 「もし、ご協力いただけるなら、薬をいくつか試してみますか?効果があるかどうかは不透明ですが。」

 慧真は不安になって横にいる文寧子を見た。薬は毒にもなり得ると知っていたからだ。

 「いえ、薬というと強く聞こえますが、茶や飯のようなものです。桂舟にも少しづつ試していて、朝の運動や瞑想なども取り入れています。お陰様で孫は7歳を迎えました。」

 慧真の不安を感じ取ったサガンは慌ててそう告げた。

 「ご指導いただけるなら是非試してみたいです。」

 奥からキエナが滋養強壮の茶と料理本、運動について書いた紙を持ってきてくれた。茶の内容物を見る限り強い薬草は使っていないようだ。

 「文寧子殿、お辛い生活を送られていたと沙豪から聞きました。何か力になれることがあればなんでもおっしゃってください。」

 真摯なサガンの言葉に文寧子は暫し瞠目し、ゆっくり瞬きを繰り返した。

 「先生、許されるのであればまたお伺いしても良いですか。」

 「いつでも歓迎いたします。」

 サガンとキエナは頭を下げた。


 慧真、と文寧子は静かに呼びかけた。

 「なんだ。」

 「私に字を教えていただけますか。頂いた本を読んでみたい。」

 そのくらいお安い御用だ。

 「それから、サガン先生の家に出向く許可を頂きたいです。お屋敷の外に出ても良いですか?毎回夜半にゆくのはお邪魔かと思いますので、昼間に行くつもりですが、そうすると李家にご迷惑がかかるかもしれません。」

 「気にするな。文寧子は忌み子じゃない。どこへ行くのも何をするのも自由だ。」

 なぜ病だと知る前にこの言葉をかけられなかったか。自分もまた仙女に囚われていたのだろうか。

 「別に私は忌み子でも構いませんでした。」

 文寧子は雲から出てきた月を見上げて立ち止まった。真っ直ぐな美しい立ち姿であった。

 「貴方が会いに来てくれるから。」

 彼は白い顔をこちらに向けた。慧真はふらふらと文寧子に近寄ってそのまま抱きしめた。

 「すまない。」

 「慧真、謝るようなことは何もしていないんですよ。」

 それでも慧真は文寧子を離せないでいた。強く抱きしめた。桃の香がした。


 文字を読んだり、書いたりするのは目を開くことと似ていると文寧子は慧真に語った。サガンから借りてきた薬草史は彼の心を擽ったようで、西の小屋の周りは薬草が植えられた。

 同じ病を抱えていることで通づるものがあったのか、桂舟がキエナか沙豪を伴って文寧子を訪ねてくるようになった。

 母は狂ったまま戻ってこないが、桂舟が顔を見せると少し体調が良くなるようだ。幼い頃の慧真と桂舟の区別がついていないのか、子供に慧真と話しかける。

 物事が動いていた。

 久しぶりに夜中、西の小屋を訪ねると文寧子は小屋の中で書き物をしていた。

 「邪魔したか。」

 「いいえ、まさか。」

 ここ最近2人だけで語り合う時間を設けていなかった。小屋の壁には新しい絵が増えている。草花を眺める桂舟、キエナ、語り合う沙豪と慧真。弓を引く慧真。そして薬草達。

 「庭のようではありませんか。」

 絵を眺めている慧真に文寧子は語りかけた。

 「私だけの大切な庭です。」

 花と彼の母の似姿しか無かった壁に人が増えた。それがどれだけ大きな変化か、慧真にはわかっていた。

 「良い庭だ。」

 壁から目が離せずに、慧真は言った。

 「ええ、これはとても良い庭です。」

 文寧子は立ち上がり、そっと慧真の傍に寄った。

 「私の病は治らないかもしれませんが、帽子を被って、日傘をさして貴方と歩きたいです。着物を工夫すれば弓矢もできると思います。」

 彼が希望を口にするようになったのはいつ頃からだったか。

 「痒くなっても先生の薬があります。」

 「弓を教えてやるよ、一緒にやろう。馬に乗って街に行こう。森の方に行って滝を見るのも良い。」

 慧真もつられてこれからの話をした。

 「楽しみです。」

 文寧子はぽつりと言った。月の光が壁面の庭を照らす。一瞬、窓から風が吹き、絵の中の草木や着物の裾が揺れた。気のせいだろうか、文寧子の黒い目が慧真を捉える。彼も今同じものを目にしたのだと分かった。

 しんと静かな月の夜だった。

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