花飾り
春祭りに合わせて市が立つというので気晴らしに出かけた。人々は浮足立って春の訪れを心待ちにしているというのに慧真の気持ちは曇ったままだった。喪が開けていないからではない。
色とりどりの反物、草履の店、怪しげな壺、髪飾り、簪。慧真は上の空で市を歩いた。ふと、足を止めたのは見覚えのある髪飾りを見つけたからだった。花を模した飾りは文寧子の母の絵に描かれていたものに似ていた。銀貨を1枚出して買った。
「何の花だ?」
「カスミソウです。」
店子をしている細工師の娘が初めて手がけたものだと言う。
「庭の引き立て役になりがちな花で、地味なんですが、娘は気に入っていましてね。売れたと知ったら喜びます。」
老いた細工師は嬉しそうに言った。
「なんだったかな、花言葉があるんですよ。」
おまけに、と細工師はとんぼ玉も付けてくれた。娘の作品が売れたのがよほど嬉しかったのだろう。
「そうだそうだ、幸福ですよ。清潔とか、幸せとか、この花は良い言葉ばかりです。」
旦那さんにも幸せが来ますよ。花言葉を聞いて少し言葉に詰まった慧真に何を思ったのか、細工師は勇気づけるようにそう言った。
「ありがとう。良い髪飾りだ。娘さんにも伝えてくれ。」
白い花に、文寧子の影を見た。
男は数か月前よりも濁った目で慧真を出迎えた。髪の毛は伸び、髭も剃っていない。それでも彼は微笑んで見せた。
「こんばんは、慧真様。」
「これを、」
髪飾りを突き出すと彼は驚いてそれを受け取った。
「母の髪飾りに似ています、でも、あれは母と共に埋めてしまって…。」
「市が立っていて、偶然見つけたんだ。君のことを思い出した。」
文寧子は大きく息を吸って慧真を凝視した。
「なんだ?」
彼は何度も首を振る。
「いいえ、ただ、貴方は私を勘違いさせるのが得意だということがわかったんです。」
「どういう意味だ?」
髪飾りをしっかりと抱きしめた文寧子は白い顔を歪ませて慧真を見つめている。
「貴方と一緒に歩いてみたかった。鳥の姿を見て、川のせせらぎに耳を傾けて、今日は暑いとか風が涼しいとか、そんな話をしたかっただけだったんです、私は。」
月の光が一筋、文寧子を照らした。
「被り物無しに花の香りを嗅いで、これは何だとかあれは何かとか、話し合いたかったんです。弓の稽古も一緒にしたいし、馬に乗って2人で遠くに行ってみたかった。貴方は喜んでくれるだろうと、思い込もうとしたんです。」
ここまで言われればわかる。流石にわかる。
「俺のためにあんなことをした、と?」
「違います!貴方のせいにしたいわけじゃない。」
文寧子はあまり感情を表に出すような男ではなかったが、今は違う。哀しい叫びが体中から迸っていた。
「陽の光の中に出てみたかった。…それだけです。」
身を切るように自分の中身をさらけ出して、文寧子は泣き出す前のような顔で慧真から目を逸らさなかった。
友人の子供が7つに成ったので挨拶に来るという。幼児は弱い生き物だが、7つまで生き延びれば安泰と言って良いだろう。挨拶まわりはこのあたりの地域の伝統だった。喪中ではあるが、父の墓に手を合わせたいと友人が言うので来てもらうことに成った。母の繰り言を聞き続け、西の小屋の住人を気にして少し疲れてもいた。友人の来訪は息抜きになるかもしれない。
「大丈夫か。」
開口一番いくつか年嵩の友人、沙豪は慧真の肩を叩いた。彼は学兵時代の上官であったが、妙に気が合い学兵を出たあとも友人付き合いが続いていた。
「何がです?」
「顔が疲れている。」
豪放磊落な友人は珍しく真面目な顔で慧真を見ている。
「播桂舟です。」
奥方と共に現れた子供は沙豪に似ず、線が細かった。
「立派に成りましたね。前見た時はこのくらいだったのに。」
慧真が人差し指と親指を近づけて見せると子供は膨れ面をした。
「そんなに小さく有りませんよ。4歳のときにお会いしました。覚えてます。」
「へえ、口も達者になった。えしん、は言えるようになったかな。」
えひん、えひんと繰り返していた幼児の姿を思い出してほほ笑ましい。
「もちろんです、慧真様。」
胸を張る桂舟の頭を沙豪はわしわしとかき混ぜるように撫でた。桂舟は嫌がって逃げようとする。親子をみていると自分も父親とこんな風に接することができていたら、と思う時がある。
「昼餉まで用意してもらって、悪いな。」
墓参りの後に沙豪と奥方、桂舟、慧真の4人で食事をとった。母は床から出てこない。
「気にしないでください。誰かと喋りながら食事をするのは久しぶりです。」
沙豪はなんともいえない表情で肩をすくめた。
事前に頼まれていた通り、卵の入った料理は出していない。
「お手間をおかけしてすみません。」
柳のように細い奥方、キエナは頭を下げた。金色の髪の毛が揺れる。沙豪が彼女を連れてきた時は驚いた。キエナの父は異国の医者であり、敵国の軍医として従軍していたが戦時中に捕虜となった。医術の心得があったために生き延びたそうだ。多くの弟子を抱えたキエナの父はこの国に残ることを選び、幼いキエナと母を呼び寄せた。
「いえ、大変でしたね。」
沙豪は軍人にも医術の知識は必要だと考える人物で、キエナの父に教えを請いに通ったそうだ。そこで娘に惚れた、らしい。このあたりは詳しく教えてくれなかった。
「まだ道半ばです。気をつけていれば卵を口にせずに済みますが、なかなか理解を得られません。万が一の時にあの子に合う薬を父が探しています。」
キエナ自身も医者として父の元で修行をしている。彼女は苦しげに美しい眉を寄せた。息子の桂舟はキエナに似て薄い虹彩と明るい髪の毛を持つ。
「桂舟さんは卵が食べられないとは聞きましたが、事態は深刻なのですね。」
沙豪から文が届くたびに書いてあるのは実家との軋轢、子供の病気についてだった。長子である沙豪が異国の娘を連れてきたことを、未だに彼の両親は認めていない。滋養強壮の源である卵が食べられない子供、つまり弱い子供ができたのはキエナのせいだと思っているらしい。
「呪い、などと言われて。」
食事を終えた桂舟は使用人と馬を見ている。キエナは鋭い目つきで虚空を見た。沙豪も寄り添い、頷いている。
「そんなことを…?」
「ええ、私と夫の見ていない隙に義母が、無理に桂舟の口に卵をねじ込んだのです。」
長子であるが故に沙豪とキエナは両親と共に暮らしていた。沙豪の妹達は既に嫁いでいるので、残った両親の面倒を見るためであった。
「あいつら、苦しむ桂舟を見て呪いだと言ったんだ。信じられねぇ。」
沙豪は吐き捨てるように言った。
「好き嫌いをさせるなと義母は言ったのですが、私から見ればあれは病です。父も同じ見解を示しました。」
家族はキエナの父母の元に逃げた。そして、桂舟の治療に専念し、ついに7歳の誕生日を迎えたのである。確かに体の弱い子供ではあったそうだが、卵が食べられないだけで呪などと言うのは世迷い言だ。嫁が憎ければ孫まで憎いか。
「かいかいの話?」
いつの間にか戻ってきた桂舟の声に大人たちははっとする。
「そうですよ、かいかいの話。」
優しい母の膝に、桂舟は滑り込んだ。
「かいかい?」
うん、と桂舟は慧真に向かって白い腕を出してみせた。
「卵を食べると全身にぶつぶつの痒いのができるんです。腫れて、熱くなって、痒いのがたぶん喉にもできるせいで息ができなくて苦しくなるんです。」
痒い、痒い。助けて、どうして私はこんな風なのでしょう、慧真。
「慧真様?どうかされましたか。」
子供の声に励まされるようにして慧真は口を開いた。西の小屋に遠縁の男が暮らしいている、と。




