誰かの好きになれませんでした。
「きっしょ」
思わず口に出た。
誰にも聞かれないのをいいことに、わざと汚く吐き捨てた。
ゴンドラの中、たった一人。
夜の観覧車。
木曜の仕事帰り。
スーツのまま、ネクタイすら外していない。
ガラス越しに見えるのは、海。ビル。街の灯り。
なのに、私の脳内には“あの人の顔”がベッタリと貼りついている。
色白で、腕が太くて、顔が整ってて。
会議での声が好きだった。あんなに理屈っぽいのに、語尾だけやたら甘い。
“先輩”のこと、好きだったんだって。
あの、いつもババア呼ばわりしてた年上の女。
「えっ、あの人? ありえなくない?」って笑ったの、ついこの前なのに。
でも思い返せば、全部“あの人好み”だった。
コーヒーは無糖。ローファーの音は静かで、笑う時はちゃんと目を細める。
気づいてた。多分、ずっと前から。
ただ、気づきたくなかっただけで。
「……はぁ」
ため息をひとつ。ガラスが白く曇った。
こんなとこ、一人で来る場所じゃない。
「誰かと来たかった」とかじゃない。ただ、負け惜しみでもなく、そう思った。
冷静に考えて、意味がわからない。
振られたわけでもないのに、泣く準備して観覧車に乗るって、何?
そもそも、告白すらしてない。
勝手に好きになって、勝手に終わって、勝手に回ってる。
「ほんと……きっしょ、私」
再びこぼれた声は、もうただの溜息だった。
誰の耳にも届かず、誰にも拾われず、ただゴンドラの壁にぶつかって消えた。
下を見れば、街の光が滲んでいた。
観覧車は、今日も等速で回ってる。
感情とか事情とか、そういうの一切無視して、きれいな顔して回り続けてる。
なんか、ずるい。
私は、ハンカチも取り出さず、袖で目をこすった。
この回転が止まるまで、あと三分ちょっと。
終わったら何しよう。
たぶん、帰って、風呂入って、寝て、起きて、会社行く。
何も変わらない。
誰も、私のことなんか知らない。
私も、誰のものにもなれない。
それでも――観覧車は、回る。
私だけ、置き去りにして。