9. クロード・セルウィン公爵
「お見合いですって……!? もう?」
耳を疑った。私はつい先日、陛下から婚約を破棄されたばかりなのだ。あれからたった数週間。学園を卒業し、隣国へと旅立ってまだほんの数日。さぁ、これから新しい自分の人生を生きるんだ! と意気込んだ矢先だ。
あ然とする私に、ミハが父の手紙を淡々と読み上げる。
「セルウィン公爵閣下が、ぜひともお前と会い、話がしたいと仰せだ。かのお方はサリーヴ王国随一の広大な土地を治める領主殿でもあり、前国王陛下の甥御殿でもある。決して失礼のないよう即日帰国し、閣下とお会いする準備を整えよ」
「……こちらにだって都合というものがあるのに」
思わず愚痴がこぼれた。こちらのことなどまるっきり考えてくれていない。苛立ったけれど、本当にあのクロード・セルウィン公爵がそのような要請をされているのならば、父が早馬を出すのももっともだった。
セルウィン公爵は、たしか御年三十歳くらい。私より十以上年上の殿方で、父の手紙にあるとおり、サリーヴ王国一広大な北東の地を治める領主様だ。先日ご逝去なさったばかりの前国王陛下の、弟君のご子息でもある。私ごときが失礼な態度をとっていい相手ではない。
(けれど……なぜセルウィン公爵閣下が私とお見合いなど……)
元軍人でもあるというその公爵閣下は、変わり者としても有名だ。社交嫌いで滅多なことでは王都にさえ姿を現さない。お父上のセルウィン前公爵には何度かお目にかかったことはあるが、ご子息の現公爵にはおそらく一度もお会いしたことはなかったはずだ。大抵の式典や晩餐会などには、いつも代理の方が出席なさっていたけれど……、そういえば、先日の前国王陛下の葬儀には、さすがにいらっしゃっていたのだろうか。おそらくはそうだろう。正直あの日は陛下とキャロルのせいで全く心にゆとりがなく、周囲に目を配る余裕がなかった。
「いかがいたしますか? エリッサお嬢様」
「……帰るしかないでしょう」
控えめに尋ねてくるミハに、私はうんざりを隠さない声で答えた。いっそのこと、このまま職業婦人として生きていくのもアリだわ、母国の貴族家にはほとんどいないけれど、他国にはそういう女性も結構いる。誰とも結婚せず、国のためになる仕事に邁進する人生を送る……それってすごく素敵じゃない? なんて思いはじめていたここ数日のウキウキ気分を、一瞬でへし折られてしまった。
(王家に嫁ぐ教育を受けてきた娘だから、セルウィン公爵夫人として相応しいだろうとのご判断かしら……。それで私をご所望に? それとも、お父君のセルウィン前公爵の命で……?)
ああ、結局私は意に沿わない結婚をする羽目になるのだろうか。侯爵家の娘に生まれた以上、これはもう避けられない運命なのかしらね。
ともかく、お会いしないことには始まらない。
様々な疑問が頭を去来する中、私は再び荷物をまとめ、一旦母国へ帰ることとなったのだった。
◇ ◇ ◇
数日後、大人しく王都のタウンハウスに戻ると、母がホッとした様子で私を出迎えた。
「よかったわ、エリッサ。すんなりと次のご縁が決まるかもしれないわね。しかもお申し出のお相手は、あのセルウィン公爵閣下なのよ。キャロルは王家に、あなたは王国一の資産を有する公爵家に。申し分ないわ。これ以上望むべくもないご縁でしょう。やっぱり外国なんかウロウロせず、ここで大人しくしているべきだったのよ。公爵閣下を無駄にお待たせしてしまったわ」
嬉々としてそう語る母の顔色は明るい。姉娘の方もハートネル侯爵家にとって最良の縁談が整いそうだと、浮かれているのだろう。もしも私がセルウィン公爵家に嫁ぐことになれば、このハートネル侯爵家の後継ぎ候補がいなくなるのだけれど……、まぁ、父の身内から男子を貰い受ける手があるか。父方の叔父のところには男の子たちがいるものね。
着飾ることや社交が大好きで見栄っ張りな上に妹ばかりを可愛がる母とは、幼い頃からあまり馬が合わなかった。こうして目の前で自分たちの利益のことだけを考えて浮かれている姿を見ても、気持ちが冷めていくばかりだ。
「……それで。セルウィン公爵閣下とは、いつどこでお会いすれば?」
母の言葉を無視してそう尋ねると、彼女は笑顔のままで答えた。
「明後日にはこちらにお見えになるようよ。いい? エリッサ。一番良いドレスを着てちょうだいね。以前王都のデザイナーに作らせた、あの真紅のドレスがいいと思うわ。あなた顔立ちが派手だから、はっきりした色味のドレスが映えるのよ。公爵閣下も、あなたの容姿がお好みなのかもしれないしね。だって、長年独り身でいらっしゃった由緒正しい公爵家の領主様が、わざわざうちに見合いを打診してこられたのよ。よほどあなたにご興味がおありということよね。しくじらないでちょうだいね、エリッサ。公爵閣下のご機嫌をとって、お話には全て賛同する姿勢を見せるの。ただ大人しく微笑んでいればいいわ。従順で賢い妻になれるとアピールして」
二日後。セルウィン公爵がお見えになったと侍女の一人が呼びに来た時、私は母の指示とは全く別の、シンプルなベージュのドレス姿で階下へと降りていった。きつめのくっきりとした顔立ちをしている私だけれど、派手な色のドレスは全然好きじゃない。ありのままの自分を見てもらって縁談がなくなるのならば、その程度のご縁だったということだろう。
貴族の娘としてそんなことではいけないと、頭ではよく分かっている。けれど、調子良く浮かれている母への反発心が抑えられなかったのだ。
「失礼いたします」
応接室に入った私の地味な姿を見て、両親は露骨に顔をしかめた。私はそれを無視して、両親の向かいに座っている公爵閣下に視線を向ける。
その瞬間、心臓が痛いほど大きく高鳴った。