8. 旅立ち……からの、
「あなたは私からその座を奪った。陛下とあなたは、陛下の婚約者である私の知らないところで、二人だけの関係を育んできた。虫がいいことばかり言わず、自分の行動に対する責任を果たしてちょうだい。後は私には関係のない話だわ」
「な……っ! こ、公務が難しくて上手くできなかったら、誰が助けてくれるのよ!!」
「……は? 公務ができない王妃なんていないわ。まさか、私があなたを助けるとでも思っていたの……? 馬鹿言わないで」
呆れ果てて妹を見つめると、彼女はさらに信じられないことを言った。
「だって! フルヴィオ様だってそう仰っていたわ! いざとなれば何でもエリッサに聞けばいいし、公務の時もそばにいてもらえばいいからって! キャロルは何でもゆっくり覚えていけばいいんだって! それなのに……! 言いつけてやるから! フルヴィオ様に、エリッサがあたしたちを放り出して勝手にまた遊びに行っちゃったって! きっとものすごくお怒りになるわ! フルヴィオ様の最愛のあたしを粗末に扱って、言うことも聞かず……、……ひっ!」
抑えつけてきた私の怒りは、ついに頂点に達した。
陛下まで、そのようなふざけたことを……? はなから私の能力を都合良く使うことを当てにして、キャロルをそばに?
この子も一体、何を考えているの?
私はこの子と違って、元々きつく見られがちだ。目尻の少し上がった猫のような目は、真顔でいるだけで冷たい印象を人に与えてしまう。
だからその目で思いっきり相手を見据えると、大抵の人は怯む。
ことに、強い怒りを内に孕んでいる時は。
今の今まで私に怒鳴り散らかしていたキャロルが、唇の端を引き攣らせて固まった。給仕たちも、控えている侍女たちまで、皆呼吸を忘れたかのように私をただ見つめている。
「……公務を行うのは、私じゃない。陛下と、あなたよ。甘ったれたことばかり言っていないで、覚悟を持ちなさい。あなたたちが選んだ道よ」
そう言い放つと、私は立ち上がった。ミハがすばやく私の後ろにつく。
「……結婚式は、来月の末だったわね。もちろん、王妃の姉としてその時には帰国し、参列するわ。あなたの堂々たる晴れ姿を、心から楽しみにしているわね」
怒りのオーラを鎮めていつものアルカイックスマイルを浮かべると、私を見つめたまま固まっているキャロルを残し、私は食堂を後にしたのだった。
「驚きましたねぇ。きっといつの日かエリッサお嬢様に助けを求めてくるだろうと思ってはおりましたが……。まさかはなからお嬢様の力を当てにしていらしたとは……」
馬車に乗り込みハートネルの屋敷が遠ざかると、ミハがしみじみとした口調でそう言った。
「本当に、随分と甘えたお考えだこと……。ほら、フルヴィオ殿下、いや、陛下って、王家唯一の男子でしょう? ことのほか大事に大事に育てられてきたものだから、やっぱりいろいろとズレてるのよ。……国王陛下がお亡くなりになるのが早すぎたわ……」
「本当に……」
私も朝っぱらから疲れてしまったし、ミハも妹にすっかり呆れ返っているのか、互いに言葉少なになった。けれどしばらくすると、ミハが珍しく弾んだ声を上げた。
「さぁ、何はともあれ、せっかくの旅立ちでございます、お嬢様。気を取り直して、この旅を楽しみましょう。もうお嬢様は自由の身です」
「……ふふ。そうよね、ミハ。ありがとう。ひとまずは上手いこと逃げおおせたことだし、しばらくのんびり楽しまなくちゃね」
そうだ。私にはもう王家に嫁ぐ重圧はない。
長年尽くしてきた陛下に裏切られたという事実はたしかに心を抉ったけれど、私はもう自由なんだ。
陛下の治世を支えるために、公務をサポートしていくために多くの知識を得たい。国外にも広く人脈を作り、陛下のお役に立ちたい。そう思って繰り返していた視察や外交だったけれど、私はたしかにそれらを楽しんでいた。これまで自分が育ってきた王国にはない多くの物事に触れるたびに、心が躍ったのは事実だ。
(……他国の素晴らしい文化を母国に取り入れるような仕事ができたらいいな。互いの国の良い部分を伝え合って、自国の発展に生かす。……何かそういう類のことで、私の力を役立てられたらいいなぁ)
そんなことを考えながら、私の胸は未来への希望に高揚していた。
けれど。
気分一新、新たな人生へと踏み出したばかりの隣国の私の元へ、数日後、早速両親から早馬が来たのだ。私はガックリと肩を落とした。何かあった場合のために滞在先はもちろん逐一実家に連絡しているのだけれど……もうしばらく無視していればよかった。
「急ぎ帰国せよとのご指示です、エリッサお嬢様」
「……今度は一体、何……?」
出鼻をくじかれたようで力が抜ける。まさかもう、キャロルか陛下からの呼び出しじゃないでしょうね。そうだったら本当に無視してやるわ。
そんなことを思っていると、ミハが何とも言えない表情で手紙から顔を上げた。
「……お見合いだそうです、お嬢様。クロード・セルウィン公爵閣下が、お嬢様とぜひともお会いしたいと、そう仰っているようですよ」