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64. 退場

 その後もキャロルの独壇場だった。ついに彼女はよりにもよって、ラヤド王国の信仰について、それを軽視し、否定するような発言まで始めてしまった。


「あたし宗教って本当にくだらないと思うんです。あれって最も恐ろしい人間の洗脳方法だわ。皆で一斉に見えない神を崇め奉って、意味の分からない風習に囚われて。……ちょっとお聞きしたんですが、ラヤードゥ教って、いろいろと細かい戒律があるんですって? 毎日何時にどちらの方角を向いて祈りを捧げるだとか、何色の衣装は着たらダメだとか、食べて良いものや悪いものが厳しく決まっているとか……。そんなのおかしいわ。形式ばったお祈りなんかしなくても、好きなデザインの好きな色のドレスを着て、その日食べたいものを思うままに食べる方が、絶対にストレスがなくて健康でいられるし、幸せだと思いませんこと? せっかくこうして明るく自由な王国にいらしたのですから、ぜひサリーヴの良いところをたくさんお知りになってくださいませ。今後のラヤド王国の改革に繋がったらいいですわね」


 まだメイン料理も来ていないというのに、胃がズンと重くなった。テーブルの奥に見える両親の顔も真っ青だ。ようやく自分たちの甘やかしの弊害を自覚しただろうか。もう手遅れだけど。

 通訳が額に汗を浮かべながら、どうにか柔らかい表現を探りつつ彼女の言葉をポジティブな方向に変換させて伝えようとしているが、おそらくサリーヴ語も理解できているラヤド王家の方々には無駄な試みだったようだ。国王は通訳の言葉を最後まで聞くことなく、口を開いた。


「……信仰は我々に心の平穏を与えてくれる。ラヤードゥ教の教えの根幹は、他者への慈しみと尊敬だ。この教えの下に民たちの心が一つになっているからこそ、我々は幸福であり、大きな家族でいられる。あなた方には違う文化や考え方があるのかもしれないが、我々の心の根幹にある信仰を侮辱するのは止めていただきたい」


 ラヤド国王のその発言に、場は凍りついたようにシンと静まり返った。貴族たちは一様に固まり、カトラリーの音どころか、息を吸う音さえ聞こえない。何も分かっていない顔をしているのは、真っ先に謝罪の言葉を述べなければならないフルヴィオ陛下とキャロルだけであった。帝国語をマスターしていない二人は、淀みないラヤド国王の言葉が聞き取れなかったのだ。

 セルウィン前公爵が、ラヤド王家の方々に向かって詫びる。

 

「配慮の足らぬ王妃の発言を謝罪いたします。彼女は見ての通り産み月で、ここしばらく根を詰めておられた王妃教育の疲れと体調不良が重なり、精神的に不安定な状態なのでございます。時折このように錯乱され、おかしな発言で周囲を混乱させることがございました」


 キョトンとした顔で前公爵を見ていたキャロルは、通訳の服を乱暴に引っ張ると「今何て言ったのあの人」などと急かしている。だが通訳は押し黙ったままだ。


「王妃の発言はおそらく彼女の真意ではございませんし、もちろん我々の総意でもない。どうぞ誤解されませぬよう。ラヤードゥ教の教えは大変尊く、我々も学ぶことが多くございます」


 前公爵がそうフォローを入れ、貴族たちも慌てて頷き、同意を示す。そのタイミングで、給仕たちがメイン料理を運んできた。よく知ったその料理の香りに、私の心臓が大きく脈打ち、血の気が引いた。


「……何ですか、これは」


 ラヤド国王と王子たちは、自分の目の前に置かれた肉料理を見て眉をひそめる。するとキャロルは意味を察したのか、勝ち誇ったような満面の笑みで答えたのだ。

 

「仔羊のローストですわ。あたしの大好物ですのよ。最高に美味しいんです! さぁ、どうぞご堪能なさって」


(────っ!)


 ああ、もうダメだ。何もかも終わった。私はそう察した。

 ラヤードゥ教を信仰するラヤドの民たちにとって、羊は神の使い。最も大切にしている生き物なのだ。それを料理しメインとして出し、王妃が大好物だと宣った。国交は開かれることはないだろう。私たちの学園との交流も叶わないだろうし、それどころか、ラヤド王国は我々サリーヴ王国を悪しき国として嫌悪するだろう。

 案の定、ラヤド国王と王子たち、そして彼らの侍従やあちらの大臣たちの顔色が一斉に変わった。国王がナプキンをテーブルに置く。退席なさるおつもりだ。すると、セルウィン前公爵がすかさず声を上げた。


「なんと。やはり妃陛下はご乱心ではないか。今すぐ妃陛下をお部屋にお連れしろ! この手違いの料理もすぐに下げなさい。他の料理を」


 お腹に響くほど迫力のある前公爵の声かけに、周囲の者たちが一斉に動き出した。護衛たちはキャロルを囲み、お立ちくださいと声をかける。


「は? な、何よ! 嫌よ、あたしに触らないで。何のつもりなの? 無礼を働くつもりなら処刑するわよ!」

「そんなことはさせん。構わん。お連れしろ」


 怯んだ護衛たちにセルウィン前公爵がそう言うと、彼らは表情を引き締め、キャロルの太い二の腕を両側から摑み、無理矢理立たせ連れ出した。フルヴィオ陛下はその隣で顔面蒼白になり、なすすべもなく妃の後ろ姿を見送っている。


「嫌よ!! 止めなさいっ!! な……何なのよあの爺!! 一体何の権限があってあたしにこんな乱暴な真似をさせるわけ!? 処刑してやるわ! 絶対に許さないから!!」


 見苦しく暴れまわる真っ赤な塊は、四人の護衛たちによってすばやく退場させられた。それと入れ替わるように、扉からセルウィン公爵家の給仕たちが一斉に広間の中に入ってくる。クロード様が小さく呟いた。


「やっと来たか……」


 仔羊が瞬く間に下げられたのと同時に、公爵家の給仕たちが別の料理を並べはじめる。


「こちらが本日お出しする予定であった香草焼きです。牛肉もハーブも、我がセルウィン公爵領産のものを使用しました。我が領地に新たに造る学園の制度にご興味を示してくださったラヤド王国王家の皆様に感謝と歓迎の意をお伝えしたいと、準備させていただきました」


 緊張感が漲る中、クロード様は淡々と語り続ける。


「王妃陛下は心身共に不安定な中、この上なく大切な貴賓をお迎えするとなり、極度の緊張と重圧を感じておられたようです。何分即位してから日も浅く、周囲の期待に応えねばという強い責任感と焦りがおありになったようで。最近は少し妙な行動をおとりになることもあり、城の者たちも皆王妃の様子に神経を尖らせていたのですが……、まさかこのような乱心をお見せしてしまうとは。誠に申し訳ない。本来はあのような方では決してないのです」


 本来もあのような方なのだが、クロード様はあくまで「真面目で勤勉な王妃が精神的に壊れてしまった設定」で通すようだった。私もそれに乗っかり、肩を落として小さくため息をついてみせた。あの王妃陛下が、まさかこんなことに……といわんばかりに。

 クロード様がお話しになっている間に、公爵家からの応援で人数の増えた給仕たちは一気にテーブルを整え直し、公爵領自慢の最高級牛肉が全員の前に並んだ。

 ラヤド王家の方々は、おそらく完全に納得してはいないだろう。それでも私たちの誠意を受け入れてくださったのか、さっきまで顔に浮かんでいた明らかな怒りの表情を抑えてくださった。


「……代替わりしたばかりというのは大変なものだ。王妃陛下が一日も早く回復なさることを願う。……美味しそうだ。いただこう」


 ラヤド国王のその言葉を合図に、全員が目の前のお肉に手を伸ばす。いまだ緊張感が残る中、どうにか明るい話題にシフトチェンジしようと皆で奮闘しているところに、ようやくフルヴィオ陛下が口を開いた。


「うん、やはりセルウィン公爵領の牛肉は美味しいなぁ。俺の大好物なんだよ。今後はもっと多く献上してもらおうかな。ははは」


 そのまるっきり場違いな能天気発言に苛立った私は、チラリと視線を向け、陛下を睨んだ。

 目が合うと彼は唇の端をヒクッと痙攣させ、再び口を噤んだのだった。





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