6. 両親からの説得
「それにしても……、奥様はやはりそう来られましたか」
ミハの眉間に皺が寄っている。
「ええ。キャロルは王家に嫁ぐための教育をまるっきり受けてきていないどころか、学園での最低限の勉強さえ周囲に追いついていない子なのよ。このままこの王国にいたら、私はあの子のそばで都合良く使われ続けるに決まっているわ。下手をすれば王妃の補佐役とかなんとかいって、一生縛られることになるかもしれない」
「そうでしょうね。賢明なご判断です。……本当に、一体なぜこのようなご決断をなさったのか。呆れて物が言えません。サリーヴ王国一優秀なご令嬢を粗末に扱い、あのような教養の欠片もない、見目愛らしいだけの女性を妃になど……」
「ミハ」
悪態をつきはじめたミハを、私は目で制す。部屋の中には今私と彼女しかいないけれど、ミハがキャロルの侍女たちのお喋りを聞いてしまったように、いつどこでフルヴィオ殿下、いや、陛下やキャロルへの不満を口にしていたことが漏れるか分からない。
「……大変失礼いたしました。私としたことが、つい。ずっと腹に据えかねてございまして」
「ええ。私もよ」
そう答えた私と視線が絡むと、ミハの唇の端が少し上がった。
「どなたも同じ気持ちだと思います。この王国の高位貴族の方々も。王妃となられるのは、エリッサお嬢様を置いて他にはいないと、皆様そうお思いであったはずです」
「……そうかしら」
「もちろんでございます」
たしかに、私は社交界の皆からは信頼されていた、と思う。いくつかの派閥はあるけれど、私はどこの高位貴族家の方々ともそれなりに円満な関係を築く努力をしてきたし、私の考え方に賛同してくれる人もたくさんいた。
「これから王家はどうなることやら、ですね……」
ミハがポツリと呟いた。
◇ ◇ ◇
学園の卒業試験は、全科目満点という成績を残して無事終了し、私も同級生たちと同じく卒業することができた。卒業式の後、私は友人たちと別れの挨拶を交わした。
「会えない日も多かったけれど、これからもずっと仲良くしてちょうだいね、エリッサさん」
「ええ、もちろんよ。定期的に帰国するつもりだし、またお茶会などいたしましょう。ご両親にも、どうぞよろしく伝えてね。いずれ家族同士でお食事でも」
「まぁ、ありがとう。父も母も喜ぶわ」
今後有益な関係を築けそうな人たちとは特に丁寧に言葉を交わし、私は学園を後にした。王妃にならなくたって人脈は大事だ。
帰宅後すぐに、私は出国準備の最終確認を始めた。慌ただしく逃亡……いや、旅立ちの支度を整える私の部屋に、両親が心なしか不安そうな顔をして入ってきた。
「エリッサ……。本当に明日発つつもりなのか。デビュタントのパーティーにも参加せず。いくら何でも早すぎるだろう」
「そうですよ。なぜそんなに急ぐ必要があるの。もうこれまでのように、必死になって近隣の国のことを学ぶ必要などないはずよ。こんなことになったのだし、少しはのんびりしたらいいじゃないの」
ミハやメイドたちに荷造りの指示を出しながら、私は両親を振り返る。
「あら、なぜ今さらそんなことを仰いますの? お父様、お母様。この件に関しては陛下からの婚約破棄を賜った直後、きちんと話し合いましたわよね。お父様もお母様も、あの時黙ってお聞きになっていたじゃありませんか。陛下がこの私を、もう必要ないと、解放してくださると仰ったのを。ですから私は帰宅後に申し上げましたわ。これからは当分自由に学ばせてもらいます、と。……国外生活の費用負担に関しては、心より感謝いたしますわ。どうもありがとうございます。ハートネル侯爵家の長女としてますます多くの知識を身につけ、必ず成長してまいりますわね」
「あ、ああ……。だが……」
両親が私に対して多少なりとも罪悪感を持ち強く出られないうちに、この当面の国外生活のスポンサーとなることを約束させたのだ。これまでは将来の王太子妃として必要な幅広い知識や人脈作りのため、これからは傷心の私に対するせめてもの慰謝料代わりだ。
「……お前も知ってのとおり、キャロルはまっさらな状態で王家に嫁ぐのだ。実の姉でもあり、長年王太子妃教育を受けてきたお前が近くにいてくれた方が、あの子も心強いだろうに」
(本当ですねぇ。頭まっさらな状態で王家に嫁ぐなんて、全世界を探しても前代未聞だと思いますわ。こんなことがまかり通るのなら、私のこれまでの人生をかけた王太子妃教育は一体何だったのでしょうねぇ)
しかも王太子妃をすっ飛ばして王妃になるのだから度肝を抜かれる。あんな子が。
などなど、いろいろと言いたいことはあったけれど、嫌味を言い出したら止まらないし、不毛だ。私は長年の教育で身につけたアルカイックスマイルを浮かべ、こう告げた。
「大丈夫ですわ、お父様、お母様。繰り返しますが、陛下ご自身が私を必要ないと仰ったのですもの。王城には素晴らしい教育係が多数控えておられます。きっとキャロルは、私以上に素晴らしい王妃となるでしょう」