4. 全てが馬鹿らしい
「お姉様は外国が本当にお好きですものね。だからそうやって“外交”とか“見聞を広める”とか大層なことを言って、学園を休んでまで国外に逃げているのよ。だって、勉強なら学園で充分できるもの。あたしだって学園の中でしっかり他国の文化を学んでいるわ!」
……一学年下のキャロルの成績が万年最下位なのは、よく知っている。どの口で言うんだか。
特大のため息をつきたいのを堪え、私は静かに息を吸い込んだ。……いや、だからなぜ、父と母はずっと黙っているのよ。なぜキャロルの暴走を止めないの?
「学園では確かに、近隣諸国の歴史や文化、言語やマナーを学べるわ。それについても、私はあなたよりはるかに多くのことを学んできた。それに加えて、私は今現在の諸外国の状況を見たり、先を見越した人脈作りのためにも動いているの。今後フルヴィオ殿下がご即位され、新たな条約を締結したり……」
「もういいと言ったのが聞こえなかったのか、エリッサ。うんざりだ」
そう口を挟んだ殿下の声色は怒気をはらんでいた。私を見据えるその翡翠色の瞳は、氷のように冷え切っている。ウェーブがかった蜂蜜のような美しい色味の金髪も、甘いマスクも、普段彼を温厚そのものに見せている全てが、今は私を完全に拒絶している。
我慢できずに、私は隣の父に視線を送った。するとついに、父がゆっくりと口を開いた。
「……エリッサ。フルヴィオ殿下の仰るとおりに。殿下はお前ではなく、キャロルをお望みだ。お前の独りよがりの言動が、殿下のお気持ちを変えたのだ」
……本気で言っているのだろうか。
穴があくほど父の顔を見つめてみたけれど、それ以上一言も発するつもりはなさそうだった。承知しましたと、私がこのまま引き下がることができないのは、フルヴィオ殿下への愛情があるからではない。
物心ついた頃には、私はすでに血の滲むほど辛い王太子妃教育を受けていたのだ。十数年間もずっと、私の人生はこの方の妃となるためだけに費やされてきた。
だからこそ、骨身に刻まれているのだ。この王国の未来のために、今自分がどうすべきかが。サリーヴ王国のために、フルヴィオ王太子殿下のために、私がとらなくてはならない行動が。
(そりゃ私だって、解放してくれるというのなら喜んで妹に差し出したいわよ。こんな人)
本当は心の奥底では、そう思っている。けれど、長年刻み続けてきた知識と思考の全てが、この二人に王国の未来を丸投げしてはいけないと叫んでいる。
もう自由になりたい。私の努力も苦労も理解してくれないこの人のために、これ以上自分を浪費したくない。
そんな思いを全力で抑えつけ、私は再び口を開いた。
「……お父様。お分かりのはずです。キャロルに王太子妃は、いえ、王妃は務まりません。キャロルは王家に嫁ぐための教育など、一切受けてきていないのですよ。それどころか、貴族学園で他の生徒たちが容易に取得できる単位さえも取れない。一体どうやって王国の母になるというのです」
「ひ……っ、ひどいわお姉様!! ご自分がフルヴィオ様に拒絶されたからって、あたしのことをそんな風に貶めるだなんて!! あはぁぁん!!」
キャロルはそう叫ぶと、両手で顔を覆いその場に崩れ落ちた。すかさずフルヴィオ殿下が椅子から立ち上がり、キャロルのそばにしゃがみ込むとそのか細い体を支える。
「なんて冷たいことを……!! キャロルは俺のために、これから必死で学ぼうとしてくれているんだ。その真心さえも、君は容赦なく傷つけるのか。……見損なったよ、エリッサ。実の姉妹とは思えないほど、君たちは全てが正反対だ」
「エリッサ……、もうお黙りなさい。これは決定事項よ。殿下がそう仰っているのですから」
母までもが私を咎めるようにそう言った。
父も私を責めるような目で、こちらを強く睨みつけている。
そして、フルヴィオ殿下も。
(……そう。私のこれまでの努力は、誰にも認めてはもらえないのね)
何だか一気に、全てが馬鹿らしくなってきた。
子どもの頃から遊ぶ暇もなく、ひたすら勉強に打ち込んできた。
キャロルが綺麗なドレスを着て、可愛いぬいぐるみやおもちゃを与えられ、毎日キャッキャとはしゃぎながら楽しそうに過ごしているのを横目で見ながら、私は膨大な知識やマナーを、頭にめいっぱい詰め込んだ。
辛すぎて一人、声を殺してベッドの中で泣いてばかりいた時期もあった。
やがて運命を受け入れ、自分なりに前向きに、全力で努力してきた、つもりだった。
それなのに。
労いの言葉一つなく、私はあっさりと放り捨てられてしまったのだ。