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37. 俺はもしかして……(※sideフルヴィオ)

 はぁっ……、はぁっ……。


(冗談じゃない……冗談じゃないぞ……! 何てことをしてくれたんだ全く……!)


 叔父上──セルウィン前公爵からの手紙を一読し、背中にじわりと冷や汗が浮いた俺は、再度頭からじっくりと読み返し、わなわなと震えながら立ち上がった。そして今、王妃の部屋に向かって大股で歩いている。


「キャロル!!」


 前触れもなく扉を開けると、ソファーにゆったりと腰かけ頬杖をつき、侍女たちと何やらお喋りしながら上を見上げてゲラゲラと笑う彼女の品のない姿が目に飛び込んできた。だが、今は彼女の立ち居振る舞いなんかどうでもいい。


「あら? フルヴィオ様。どうしたのいきなり。ビックリしちゃったわ」


 きょとんとした顔で俺を振り返るキャロル。今日もレースをふんだんに使った派手な装飾のドレスを着ている。周りの侍女たちは慌てた様子で姿勢を正し、俺に一礼した。俺はズカズカとキャロルの前に歩み寄り仁王立ちになると、感情のままに彼女を叱咤した。


「キャロル……! なぜ勝手にエリッサに登城を命じる手紙なんか出したんだ! 叔父上の耳に入ってしまっている! 彼女はセルウィン公爵の婚約者なんだぞ! 大した用事もなく君の都合で簡単に呼び出すのは止めてくれ!!」


 叔父上の怒りが滲んだ手紙を読み、あの恐ろしい顔が頭の中にまざまざと浮かび上がっていた俺は、その恐怖をぶつけるようにキャロルを咎めた。

 だが彼女は眉をひそめると、首を傾けながら俺に反論する。


「だったら何? 何がいけないっていうの? エリッサは、お姉様は公爵様の婚約者である前に、あたしの姉なの。あたしが困ってる時は助けに来るものでしょう? 王城の教育係たちの教え方は分かりづらいのよ。難しい言葉ばっかり使って、あたしが王妃だとちゃんと理解してるのか疑いたくなるくらい、上から目線で生意気な怒り方をするわ。腹が立ってしかたないの。あんな連中とお勉強なんかできない。……あ、じゃあフルヴィオ様、王命で姉を呼び寄せてくださる? またどこかの外国に行っちゃってるかもしれないから、国王命令で帰国させて」

「~~~~っ!! 君って奴は……!!」


 なぜこんなにも話が通じないんだ。両手で頭を掻きむしって叫びたくなる。苛立ちのあまり胃がムカムカしてきたが、俺はできるだけトーンを抑えながらキャロルに言い聞かせる。


「そんなことのために王命なんか出せるわけがない! 彼女は両親とセルウィン公爵の許可を得て国外を回っているんだ。こちらの都合で婚約者を彼女から君に変更したというのに、君の教育係を押し付けるためだけに帰国しろなんて言えるはずがないだろう!」

「言えるでしょう。あなた王様なんだから。前から思ってたんだけど、どうしてそんなにセルウィン公爵家に気を遣うのよ。あなたの方が立場が上なんだから、もっと堂々としていればいいのに。ちょっとは落ち着いてよ。……あ、このお菓子食べる? 美味しいわよ。ふふ」

「…………っ!!」


 苛立ちが限界に達しそうだ。なぜ分かってくれない。


「……キャロル。セルウィン公爵家はこのサリーヴ王国の中でずば抜けた権力と資産を有する、国内随一の貴族家なんだ。王家の血を濃く引いているし、その発言権と貴族たちからの信頼は絶大だ。何度も言ってきただろう? 彼らに勝手に接触するのは止めてくれ。当然、エリッサにもだ」


 これ以上怒りを買ったら叔父上がどう出るか分かったものじゃない。キャロルだって間近であの人を見て、あの恐ろしさを、威厳と迫力をしっかり感じたはずだ。よほどの馬鹿じゃない限り分かる。なぜこんなに平然としているんだ?

 俺の言葉を聞いたキャロルは、露骨に不服そうな顔をする。


「えぇ~。じゃあどうすればいいの? フルヴィオ様。今あたしについてる教育係たちは誰一人満足できないわ。もっと簡単に分かりやすく、覚えるべきことだけを淡々と教えてくれる人がいいのに。無茶を押し付けてはお説教ばっかりなのよ? 嫌になっちゃう」

「……キャロル……。君についている教育係たちは皆、これまで代々の王妃や王子妃たちの教育に携わってきたスペシャリストばかりなんだ。彼らから君の知らない全ての事柄を学ばなくてはいけないんだよ」


 泣きたい気持ちになりながら俺がそう言うと、キャロルの方が先にメソメソと泣き出した。


「じゃあ……じゃあどうすればいいの? フルヴィオ様。あの人たち、血が通った人間とは思えないほど厳しいのよ。何時間経っても休憩させてくれないし、あたしがまだ覚えていないのに次から次に新しい知識を詰め込もうとしてくるの。もう脳みそがいっぱいいっぱいで吐きそうよ。こんなペースじゃ無理だわ……ひっく……。う……うぅっ……」

「……」

「辛い……。あまりにも辛いわ……ひっく……」


 話が全然違うじゃないか、と(なじ)りたかった。自分は姉と同じ遺伝子を持っているのだ、本気を出したらすごい、俺の代わりに公務を全部やるくらいに何でも覚えてみせると、この子はたしかにそう言っていた。

 それなのに、キャロルは基礎の基礎さえも頭に入っていかないと、大臣らから苦情が届く。このままでは外交に一切関わらせられない、我が王国の威信が地に落ちる、教育係たちでさえさじを投げそうだと。

 家臣たちの俺を見る目が、日に日に冷たさを増していく。冷え切った手で心臓を鷲摑みにされているような恐怖と焦りが込み上げる。


(……誰にも言えない。この結婚を、すでに後悔しはじめているだなんて)


 誰もが絶賛するエリッサを捨て、国内外の重鎮たちを招きあんなにも盛大な結婚式を挙げ、キャロルのお披露目をした。たった数ヶ月でやっぱり間違っていましたなんて言えるはずがない。俺は国中の信頼を失うし、そもそもエリッサはすでに人のもの。今からそばで俺を再び支えてくれるはずがないのだから。


「……帝国語の勉強をしよう、キャロル。教育係が待ってる。叔父上も、また手紙の中で急かしておられた。進捗はどうなのか、近日中に通訳なしで会話ができるよう完璧にマスターしろと」

「だからぁ! 話聞いてくれてたの? フルヴィオ様! あたしがこんなに苦しんでるのに!」

「……キャロル」

「あの先生たちじゃ無理よぉ! うわぁぁーん!!」

「……」


 さっきまでキャロルの機嫌をとっていた侍女たちも、部屋の中で動き回っているメイドたちも、俺たち夫婦に冷めた視線を向けている。


(……俺は、もしかして……、とんでもない間違いを犯してしまったんじゃないのか……?)


 そんな思いが頭をよぎり、冷水を浴びせられたような心地になる。その冷水が背中を伝い、じわじわと全身に広がる。

 震える心に鞭打って、俺はキャロルを励ました。


「……ちゃんと俺から言ってやるから。もう少しだけペースを落としてくれと。とにかく、勉強しないことには始まらない。再来週にはまた他国の使者がやって来る。まともに話せるようになっておかないと……」

「じゃあ通訳って何よ!? あの人たち、何のために存在してるわけ!? あたしたちが他の公務で忙しいから、わざわざ雇ってやってるんでしょう!? こんなにいっぺんに何もかも覚えさせようとしないでよ! うぅっ……ひっく」


 俺は絶望に蓋をし、キャロルを宥めすかしながら、教育係の待つ部屋へと半ば強引に彼女を連れて行ったのだった。





 

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