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35. 二人の距離

 その後はクロード様に逐一説明してもらいながら、牧草地の周りを観察した。何種類もの家畜たちを柵で分けて放牧してあり、多くの人々が作業に当たっていた。クロード様がそこかしこで私を領民の方々に紹介してくださり、どこでも笑顔で歓迎された私はホッとした。

 やがて馬たちが草を食んでいる辺りまで来ると、クロード様が私を気遣うように振り返った。


「疲れただろう、エリッサ。だいぶ歩いたな。そろそろ都会の方へ移動しよう」

「はい、クロード様。……でもその、もう少しだけ、馬たちを見ても構いませんか?」

「ああ。もちろん」


 私がそうねだると、クロード様は静かに頷いてくださった。私は柵の手前から、毛並みの美しい大きな馬たちをぼんやりと眺める。


「……馬が好きなのか?」


 ふいにクロード様が、隣から私にそう尋ねた。


「ええ。……幼い頃何度か乗馬の練習をさせてもらったことがあります。いつも室内で机に向かうばかりでしたから、すごく楽しくて心が浮き立ったことを、まるで昨日のことのように覚えていますわ」

「……そうか」

「はい。でも結局、ほんの数回で終わったのですが。私は王太子殿下に嫁ぐことが決まっておりましたし、乗馬の練習の時間さえ惜しいほどに、覚えることばかりでしたから。気分転換に時間を割くことさえ、そのうち許されなくなりましたの」

「……なるほど。日々の厳しい勉強に、幼い頃から耐えてきたのだな。その結果、今の君がいる」

「ふふ。そうですわね。最近では馬車に繋がれている馬たちを見るくらいでしたから、なんだかとても新鮮で楽しくて。……ありがとうございました、クロード様。参りましょうか」


 行くところは他にもあるのに、いつまでも足止めしているわけにもいかない。そう思った私は柵から離れ、クロード様にそう声をかけた。

 すると。


「……っ?」


 クロード様が私の手を握り、馬車とは逆の方向に歩きはじめた。戸惑いながらついて行くと、彼は馬たちの世話をしていた中年の男性に声をかける。


「エド、馬に鞍を着けてくれるか。彼女を乗せたい」

「おっ、さようですかい。承知しました、領主様」


(え……えぇっ!?)


 その言葉に驚き、私は慌てて遠慮する。


「クッ、クロード様……っ! 結構ですわ、私……もう何年もずっと乗っておりませんし、そもそもそんなに……」

「私が一緒に乗る。君は何も心配せず、ただ馬の背に揺られていればいい」

「ですが……っ、本当に私……っ」

「エリッサ、大丈夫だ。別に駆け回ろうというわけじゃない。ただその辺を歩くだけだ。私がちゃんと支えている」


(……クロード様……)


 大した乗馬の技術があるわけでもない私は戸惑ったけれど、クロード様がここまで言ってくださっているのに意固地になって拒否し続けるのも感じが悪い。それに、この方になら何もかも任せても大丈夫だという安心感もあった。

 私は彼に手を引かれるまま、準備された馬の前まで歩いていった。




(……気持ちいい……)

 

 馬の背に座った私は、草の匂いのする暖かい風を感じながら大きく息を吸った。ゆっくりと吐き出し目を軽く閉じると、体中の力が抜けてしまいそうになる。こんなにリラックスした気持ちになれるとは。馬の足音と揺れが心地良くて、私はうっとりとしていた。

 けれど……。


「どうだ? エリッサ。怖くはないか」

「っ! は……はい……っ。大丈夫です、クロード様。とても……気持ちがいいです」

「それならよかった」

「……っ、」


 耳のすぐ後ろからクロード様のバリトンが優しく響き、私は思わず体を固くする。……そう。私は鞍の前を両手で握ったまま、真後ろに座っているクロード様に腰を抱かれる形でいるのだ。距離の近さが私を現実に引き戻し、ドキドキさせる。風がふわりと舞い上がると、大人びたムスクのような香りが鼻腔をくすぐり、体が熱くなった。緊張で後ろが振り向けない。きっと今振り返ったら、すぐそばにあのアイスブルーの瞳があるのだろうから。


「……緊張の連続で疲れているだろう。こういったことが君の気分転換になるのなら、何度でも連れてくる。互いに忙しい身だが、望みがあれば遠慮なく何でも言ってほしい。……私たちは夫婦になるのだから」

「……クロード様……」

「疲れた時でも、何か悩みがある時でも、いつでも私を頼ってくれ」


 気遣いに溢れたその優しい言葉に、私はハッとした。彼が乗馬に誘ってくれたのは、私に息抜きをさせようとしてくれたからなのだ。陛下との婚約破棄から、妹と彼の結婚式や晩餐会。家のゴタゴタに、前公爵夫妻宅への訪問。……たしかに最近慌ただしかった。クロード様との婚約が決まったのも突然だったし、その上国内外をウロウロと飛び回り……。


(……温かくて大きいわ。クロード様の手……)


 自分の腰をしっかりと抱いてくれているクロード様の太くがっしりとした腕を見下ろし、私はそう思った。守られている安心感と、この人に対する信頼感。

 心がじんわりと温かくなる。

 私はおそるおそる、クロード様の腕の上に自分の片手をそっと添えてみた。


「……ありがとうございます、クロード様」


 それだけを呟くと、自分の馴れ馴れしげな行動が無性に恥ずかしくなり、一気に頬が熱くなった。私は慌てて彼の腕から手を離すと、もう一度鞍を握った。


 私の腰を抱くクロード様の腕に力がこもり、まるで抱きしめられているみたいだった。




 しばらく馬の背を楽しんだ後、私たちはセルウィン公爵領内の大きな街の一つへと移動した。王都並みに栄えたその街を見て回り感心しながら、私はクロード様に公爵領について様々なことを質問し、領地に関する知識を蓄えていった。話を聞く限り、この広大な領地にはまだまだ遊ばせてある土地も多そうだった。


(何か有意義な施設を建設したり、領民たちの暮らしをより向上させられるものが作れたらいいわね……。まぁ、セルウィン公爵領の民たちは他領のどこよりも生活水準が高そうだけれど)


 そんなことを考えながら、私はクロード様との今回の残り少ない時間を、大切に過ごしたのだった。







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