34. 公爵領を散策
やがてクロード様が私を呼びに来て「客間に案内する」と言ってくださった。私はレミラ様に挨拶をして部屋を辞すと、クロード様に続き屋敷の中を歩く。
(客間への案内など使用人にさせてもいいはずなのに……律儀な方だわ)
後ろを歩きながら、私は彼の大きな背中を見つめていた。
広い階段を上り三階の廊下を進むと、奥の一室の前でクロード様が足を止めた。
「この部屋だ。湯浴みの準備も整っているはずだ。……今日は疲れただろう。ゆっくり休んでくれ、エリッサ」
「ありがとうございます、クロード様。昨日も今日も、有意義で楽しい日でしたわ」
「……そう言ってもらえると嬉しい」
クロード様はそう言うと私の手を取り、指先を優しく撫でるように擦る。
「……っ、」
(こ、これ、クロード様の癖なのかしら……。ジッと見つめられながらこんな風に触れられると、なんだかものすごくドキドキしてしまって、目が泳いじゃうんだけど……)
彼のこの仕草で一気に甘い空気が漂い、頬が火照る。
口づけでもされるのかと身構えるけれど、決してそうはならないのがまた……ホッとするような、もどかしいような。いや、だからこうしてお会いするのはまだ三度目で……!
繋いだ指先から伝わるクロード様の体温を意識し緊張している私の髪を、彼がもう一方の手でふわりと撫でた。
(っ!!)
思わずビクリと肩を揺らすと、クロード様の両手が私から離れた。
「お休み、エリッサ。明日は領内を案内させてくれ」
「……たっ、楽しみにしております。お休みなさいませ」
やだ……声が裏返っちゃった……。
クロード様は少し微笑むと、そのまま背を向け、階下へと降りていった。その後ろ姿をしばらく見送り、私は客間へと足を踏み入れる。すると、
「っ! まぁ……っ」
明るい色味の調度品で整えられた広い室内は、数ヶ所に素敵な花々が飾られていた。レミラ様の采配だろうか。緊張とときめきで固くなっていた体から、ほんわりと力が抜けた。
「美しいお部屋でございますね、エリッサお嬢様」
背後に控えていたミハが、私に声をかけてくる。
「ええ……本当ね。前公爵はとても厳しいお方だけれど私を気遣ってくださるし、レミラ様もとてもお優しい。私は果報者ね、こんなご家族の元に嫁ぐことができるなんて」
「まことに。セルウィン公爵閣下のお嬢様への情熱もありありと見てとれますし、良いご結婚になりそうです」
「……そ……、そう見えるの?」
「はい」
ミハの言葉に、私の頬がまた熱を持った。
◇ ◇ ◇
翌日、前公爵夫妻の別邸を後にした私とクロード様は、予定通りセルウィン公爵領内を馬車で回った。といっても、公爵領は広大なのでこの限られた時間で見て回れる場所はほんの一部だ。それでも私は楽しくてワクワクしていた。ここは近い将来、セルウィン公爵夫人となる私が、クロード様と共に守っていく土地でもある。私が新しい人生を生きていく場所なのだ。どんな些細なことでも目に焼き付けておきたかった。
別邸を離れしばらく進むと、馬車は徐々にのどかな草原へと差し掛かった。
「この辺りは牧草地だ。家畜たちを放牧してある」
「本当ですね。あちこちに牛や羊が……あ、馬も。やはり土地が広大ですわね」
「ああ。家畜たちのストレスが少なく、いい運動もできている。だから肉の質も良いし、乳製品も評判が良い」
「セルウィン公爵領の特産品の一つですね」
馬車を停め、私たちは辺りをしばらく散策した。草地の緑と空の青で満たされた風景と暖かな風が気持ち良くて、いつまでもここでのんびりしていたくなってしまう。
「あっ、領主様! おいでだったのですね。こんにちは」
その時、近くにいた五、六人の領民の男性たちがクロード様に声をかけてきた。皆つなぎが汚れている。農作業中だったようだ。少し挨拶を交わした後、クロード様は背後に控えていた私の手を取り優しく引くと、おもむろに私の肩を抱いた。
(っ!!)
「彼女はエリッサ。近い将来私の妻となる女性だ。今後は共に顔を出すこともたびたびあるだろうから、よろしく頼む」
(ち……近い将来、妻に……)
予想以上に親しげな紹介をされ、なんだか胸がいっぱいになる。熱を帯びた頬を意識しながら、私は皆さんに挨拶をした。
「エリッサと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
すると領民の方たちは、一様にポカーンと口を開けて私を見つめる。
「……す……すげぇ美人だ……。どこぞのお国のお姫様ですかい……?」
「やりますね領主様……。いやぁ、女房たちが領主様は結婚しないしないってよく噂してましたけど、ついにお決めになった方が、こんな……こんな……」
「領主様、やっぱり理想が高かったんですねぇ。おめでとうございます! ついに理想どおりのお方に巡り合ったってわけだ」
(レ、レミラ様と同じようなことを……)
一斉に見つめられてますます紅潮する私とは裏腹に、クロード様は至って落ち着いた様子で「もう分かったから作業に戻ってくれ」と淡々と言っていた。