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31. 旅路

 いよいよ公爵領へと出発するその日の朝。私は早くから目を覚まし、入念に身支度を整えた。クロード様にお会いできることが、こんなにも楽しみでならないなんて。初めての恋に浮かれる自分を戒めるように、私は努めて冷静を装い支度を続けた。けれど、きっとミハにはバレバレだっただろう。

 やがてクロード様がお見えになったと侍女が伝えに来てくれて、私ははやる気持ちを抑えながら階下へと降りていった。


「おはよう、エリッサ」

「おはようございます、クロード様」


 お姿を見て、視線を合わせ、挨拶を交わす。それだけで私の心は空を舞うようだった。我ながら恥ずかしくなるほど、私はもうこの方にすっかり骨抜きにされていた。だって本当に素敵なんだもの。精悍な見た目や経歴、家柄だけではない。意外にも柔らかい物腰や、努力を惜しまなかったことを想像させる抜け目ない知識、優雅な立ち居振る舞い。彼の全てが、とても魅力的だった。


(でも、この方が求めているのは、きっと自分に魅了される浮かれた妻ではない。セルウィン公爵領の経営を支え、そして公爵家の家政をしっかりと任せられる夫人よ。これまでずっと独身でいた方が、わざわざ私を指名してくださったのだから。その期待を決して裏切らないよう、弁えなくては)


 私に強く惹かれているとか、可愛らしいとか、大切だとか、そんなお優しい言葉をかけてくださったクロード様だけれど……。

 私が恋に浮かれたただのミーハーな令嬢になってしまえば、きっとがっかりさせてしまう。しっかりしなくては。

 胸の内でそんなことを考えながら、私は差し出された彼の手を取り、馬車へと向かった。

 両親は昨日の態度もどこへやら、「気を付けていってらっしゃいね、エリッサ」「娘を何卒よろしくお願い申し上げます、セルウィン公爵閣下」などと言ってニコニコしながら、玄関ホールまで見送りに来ていた。




 両陛下の結婚式の日のように、公爵家の馬車に二人きりで向かい合って座る。外は護衛騎士たちで固められており、後続の馬車にはミハ。馬車が進みはじめると、クロード様が私に行程の説明をしてくださる。


「今夜は王都の外れにあるホテルに滞在し、翌日の夜には父たちのいる別邸へと到着する予定だ。共に夕食を、と父が言っていた。今夜のホテルは手配済みだ」

「はい、承知いたしました、クロード様。ありがとうございます」

「二日目は別邸に部屋を用意してくれる。そこで休んで、君に時間があるようなら、その翌日からは少し公爵領を案内したい」


 そう言っていただき、私の胸は高鳴った。セルウィン公爵領の様子をこの目で見てみたかったし、前公爵夫妻の別邸を辞した後もしばらくクロード様といられるようで嬉しかったのだ。


「ありがとうございます。楽しみですわ」

「……時間は大丈夫か。両親への挨拶が済んだら、すぐにでもまた出国して近隣国の視察に行きたいのでないかとは思ったが……」

「あ、いえ、数日くらいは大丈夫です。例のランカスター伯爵家とのやり取りもございますし、まだしばらくは国内に留まる予定でしたので」


 私がそう答えると、クロード様の表情が柔らかくなった気がした。


「……そうか。それならよかった」


 馬車の中では、たくさんの話をした。何せこうして二人で顔を合わせるのは、これでもまだ三回目。王城での一大イベントを共に過ごした仲とはいえ、私たちは互いに知らないことがまだまだあるのだ。話題は尽きることがなかった。といっても、寡黙なクロード様はどちらかといえば聞き役で、私にいろいろなことを質問なさった。私は普段の生活や、学園で学んだこと、息抜きには趣味の読書や刺繍を楽しんでいることや、好みの色や食べ物など自分のことをたくさん話し、尋ねたいことはクロード様にも質問した。クロード様は黒やグレーなどの暗く落ち着いたトーンの色味がお好みで、勉強や執務の合間の気分転換には、体を鍛えたり剣を振るうのだそう。そんな会話の中にも、彼の実直な人柄が垣間見えて嬉しくなった。

 他にも王国の情勢や他国の話題まで、まるで二人で過ごす時間を惜しみなく満喫するかのように、私たちは楽しく語らい続けた。


(お相手が変われば、こんなに話って弾むものなのね……。クロード様は聞き上手だし、私に興味を持ってくださっていることが分かるからすごく嬉しいわ。何もかもが、フルヴィオ様の時とは全然違う)


 キャロルがいい、お前は必要ない。

 人生をかけて重ねてきた努力を、フルヴィオ陛下からそんな言葉で無下にされ、深く傷付いたけれど、今となってはこれで良かったのだと素直に思える。

 今初めて、私は自分の人生に満足していた。


 その日の昼食は、クロード様が「先日の土産の礼に」と、王都の最高級レストランへと連れていってくださった。土産のお礼にしてはあまりにも値が張りすぎている。恐縮しながらも、私はクロード様との時間を心から楽しんだ。

 夜はこれまた豪奢な外観のホテルに到着し、案内された部屋で一息つくと、クロード様が呼びに来てくださり共にホテル内のレストランで夕食をとった。

 食事が済み、部屋の前まで送ってくださった時。別れ際に扉の前で、クロード様は私の瞳をジッと見つめた。何だか名残惜しくて、私もそのアイスブルーの瞳を見つめ返す。

 しばらくすると、クロード様は視線を外し、私の手をそっと握った。それだけのことで私の体温は上がり、鼓動が一気に速くなる。


「……俺は隣の部屋にいる。また明日の朝、迎えにくるから、ゆっくりお休み」


 彼はそう言うと、私の手を持ち上げそっと唇を押し当てた。


「……お休みなさいませ、クロード様。素敵な一日を、ありがとうございました」


 頬を火照らせながらそう伝えると、クロード様は握った私の手を指先でそっと擦った。


 彼と別れ部屋に入り扉を閉めると、私は大きく深い息をついた。体中が熱い。……心臓が痛いほどドキドキと強く脈打っている。

 そんな私にミハがススス……と近付いてくると、グラスを差し出した。


「冷えた果実水でございますよ、エリッサお嬢様」





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