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27. 名残惜しくて

 晩餐会はつつがなく終わり、来賓たちが各々帰っていく。結局私とクロード様は最後の最後までたくさんの人たちに囲まれ、数え切れないほどの祝福の言葉を受けながら挨拶を繰り返し続けたのだった。

 メインテーブルの二人が国外からの重鎮たちに無礼な対応をしていないか気にかかり、何度か視線を送ってみた。……けれど陛下とキャロルのところには、儀礼的な挨拶が終わった後誰一人寄っていく気配はなく、陛下は心細そうな頼りない表情で、そしてキャロルはなぜだか怒りに満ちた鋭い視線で、それぞれ私たちの方をジッと見ていたのだった。


「エリッサ、うちの馬車で屋敷まで送っていく。おいで」


 私をエスコートしていたクロード様が、王城を出る時そう声をかけてくださった。申し訳ない気持ちになり、私は控えめに辞退する。


「とても嬉しいお言葉ですが……もうこんなに夜も更けております。一度うちの屋敷に寄ってからお帰りになるのはクロード様も大変ですし、今夜は私、両親と同じ馬車で帰りますので。どうぞお気遣いなく。お疲れでございましょう?」


 けれどクロード様は私の顔をジッと見つめ、静かな声で言った。


「……二人きりで話せたのは、行きの馬車の中だけだ。君ともう少し一緒にいたい」

「……は、はい。ありがとうございます……」


 そんなことを言われると、途端に頬が熱を帯びる。……この方は一見無骨で、女性に興味などまるっきりなさそうな雰囲気なのに、私を喜ばせるのがお上手だ。こんな目でこんな風に言われれば、お断りできるはずがない。私はクロード様に手を引かれ、セルウィン公爵家の馬車に乗った。深夜の冷ややかな風が心地良い。疲れて火照った体を静めてくれるようだ。

 馬車が王城を出、ゆっくりと進み出すと、ようやく一大イベントが終わったのだとホッとした。

 辺りが闇に包まれる中、月の光だけが煌々と輝いている。


「お疲れ様でした、クロード様」


 向かいに腰かけている彼をそう労うと、クロード様も私を見つめ同じように労ってくれる。


「ああ。君こそ。晩餐会の後半は立ちっぱなしだったから、疲れただろう。君の人望については以前から聞き及んでいたが、本当にすごい人気ぶりだったな。まさかあれほど絶え間なく、君の周りに人が集まってくるとは」

「そ、そんな。それはクロード様との婚約が、すでに皆に知れ渡っていたからですわ。私ではなくて、皆クロード様にご挨拶したかったのです」

「私は滅多に領地から出てこないからな。珍獣扱いだろう」

「まさか……」


 物珍しさだけでこの人に声をかけてくるわけがない。サリーヴ王国一の資産と権力を有する貴族家の当主に、誰もが取り入りたいと思っているのだから。皆にとっても、今夜は貴重な機会だったはずだ。


「ところで、ランカスター伯爵家の件は、どのように扱うつもりでいるんだ? 夫人や令嬢との会話を聞いて、気になっていた」

「あ……」


 私がランカスター伯爵夫人に、オリアナ嬢の留学の件が前向きに検討できるよう、セザリア王国の知り合いに話をしてみると言っていたのを、クロード様は聞いていたのだろう。


「こういう話を聞いてくれそうな方々のお顔が、何人か浮かんだものですから……。しっかりとした家格と人柄のお相手なら、大切なお嬢様の後見役として安心できると、ランカスター伯爵夫妻もお思いになるのではないかと思って。セザリア王国への留学をご希望のようでしたから、かの国の西側に領土を持つカーデン伯爵家の皆様にご相談してみようかと思います」

「ほう」


 クロード様は興味深げに私の話を聞いてくださる。


「それに、もしも両家を上手く取り持つことができれば、カーデン伯爵家とランカスター伯爵家との間で交易のお話などが進んで、互いに利のある流れになるかもしれないと思いましたの。……上手くいくかは、分かりませんが」

「そんなことまで考えていたのか」

「先日カーデン伯爵家を訪問しもてなしを受けた際に出されたお料理の数々が、本当に美味しくて。こちらの海の幸は絶品ですねとお話しをしていたら、燻製の魚介類や塩漬け、オイル漬けにしたものなどを瓶詰めにして、土産品として販売していると仰っていたのです。それがカーデン伯爵領の特産品の一つだそうで。いろいろ見せていただいたのですが、我が国では珍しい品々ばかりでしたわ。ランカスター伯爵領はこのサリーヴ王国の西端に位置していますし、かの王国と最も距離が近いです。上手く交易のお話が進めば、ランカスター伯爵家にとっても新たな商売になりますし、我が国の民たちも目新しくて美味しい魚介のお料理が食べられるようになるかもしれませんわ」


 ほとんど自分の理想であり、ただの思いつきの案でしかなかったけれど、私は自分の考えをクロード様に打ち明けてみた。

 頷きながら聞いていた彼が口を開く。


「なるほど……。君の人脈と人望あればこそのアイデアだな。聡明で頼もしい」


 優しい眼差しで見つめられながらそんな風に褒められ、私は気恥ずかしさに俯いた。


 馬車がハートネルのタウンハウスの敷地内に入り、玄関ポーチの前で停まった。私はクロード様に手を引かれながらゆっくりと馬車を降りる。後続の馬車からミハが降りてそばにやって来ると、私は彼女に準備していたものを持ってくるよう頼んだ。

 しばらくすると、ミハが籠を抱えて屋敷から出てくる。それを受け取り、私はクロード様に差し出した。


「こちらは、行きの馬車の中で申し上げたお土産です、クロード様。先ほどお話ししたカーデン伯爵領の特産品もございますわ。よければ、ぜひ」

「……ありがとう、エリッサ」


 そう言って受け取ってくださったクロード様の表情は、心なしか嬉しそうに見えた。従者に籠を手渡すと、彼は改めて私をことをジッと見つめる。……月明かりがクロード様の漆黒の髪をきらめかせ、アイスブルーの瞳に神秘的な光を満たしている。その麗しい姿を見上げ、胸がキュッと甘く軋んだ。

 少しの間、黙ったまま互いの瞳を見つめ合っていたが、ふいにクロード様が私の手をそっと握った。ハッとして息を止めると、彼は一歩私に近付く。

 空気が甘く揺らめく。口づけをされるのかと思った私は、反射的に体を固くした。けれどクロード様は私の手をゆっくりと持ち上げ、指先に静かに唇を押し当てたのだった。

 初めて出会った、あの日のように。


「……っ、」


 その指先からたちまち全身に熱が広がり、心臓が狂ったように暴れ出す。火照った頬や首すじを、深夜の冷たい風がふわりと撫でた。


「……近々もう一度、私がここへ迎えに来る。共に両親の元へ行こう。日時などは、また使者を通じて連絡する」

「……承知いたしました、クロード様」

「お休み、エリッサ」


 クロード様はそう言うと、私の手をゆっくりと下ろし、指先を離した。そして「体が冷えてしまうから、彼女を屋敷の中へ」と、ミハに告げる。ミハが一礼し、私を目で誘導した。クロード様の馬車が見えなくなるまでこの場でお見送りをしたかったけれど、彼の気遣いに従い、私は背を向けて屋敷の扉へと歩きはじめた。

 しばらくすると、後ろから馬車が動き出す音がした。

 私は咄嗟に振り返り、去って行く馬車を見送る。なんだか無性に切なくて、後を追いたいような気持ちになった。

 数日後には、きっとまたお会いできるのに。

 

「……お嬢様、そろそろ」


 屋敷の敷地を出た馬車が小さくなった頃、ミハがそう声をかけてきた。私は半ば無意識に呟く。


「……人生って不思議よね、ミハ。ほんの数ヶ月前まで、自分がこんな気持ちを味わう日が来るなんて、想像もしたことがなかったわ」


 私の人生には、愛も恋もないのだと。

 ただひたすらに勉強を重ね、完璧なマナーと教養を身につけ、王家や両親の定めたとおりフルヴィオ陛下の元に嫁ぎ、生涯あの方をお支えする。それが私の人生だと、そう思っていたのに。


 今の私はまるで、初めての恋に翻弄されるただの一人の少女だった。


 



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