18. 初めての手紙
「こちらのお料理、とても美味しいですわ。初めていただきました」
話題を変えたかったからそう言ったけれど、その言葉は本心だ。目の前のカラフルな野菜たちの上に美しく並べられた薄い魚の切り身は生のようで、柑橘の爽やかな風味がするドレッシングで味付けされている。歯ごたえがあってすごく美味しい。伯爵がやや得意げに言った。
「お気に召してようございました。我が領地は新鮮な魚介類が最大の売りですから。こちらの、魚と貝類の煮込みスープも、お客様には評判がいいのです」
「そうでしょうね。濃厚で味わい深いスープですわ」
「ふふ。うちの魚は新鮮ですから。焼いても揚げても蒸しても絶品ですのよ。エリッサ様に気に入っていただけて本当に嬉しい」
ニコニコとそう言うルジェナ嬢に、私も首肯した。
「セザリア王国の中でもこれほど種類豊富で新鮮な魚介を味わえるのは、西側の領地の特権ですわね。我が国では食べられませんから、羨ましいですわ。観光業が盛んなのも頷けます」
サリーヴでも川魚は食べられるけれど、それほどメジャーな食材ではない。メイン料理は主に肉だ。我が国のように大陸の内側に位置する国々は、どこもそんなものだろう。伯爵一家との会話を続けながら、私はぼんやりと考えた。
(水揚げした魚介を新鮮な状態のまま取り引きできれば、きっとセザリア王国の産業の柱になるのでしょうけど、それは難しいものね。もしもこの魚介類をセルウィン公爵領まで運ぶことができたら、私毎日でもシェフに魚料理をお願いしちゃうわ。クロード様は魚はお好きなのかしら……)
例えば、魚が腐らないよう大量の氷と共に馬車で運ぶ……なんていうのは、現実的ではないな。日数がかかりすぎて氷なんかすぐに溶けてしまう。セルウィン公爵領までどころか、西側の領地までも運べないだろう。効率も悪い。
そんなことを考えながら、新たに出てきたお料理に視線を落とす。また見たことのない料理だ。
「こちらは?」
「これは燻製にした魚を香辛料で和えておりますのよ。この辺りでは昔からよく作られている料理です。ワインによく合いますの」
「燻製……なるほど」
食べてみると、凝縮された魚の旨味を感じることができた。伯爵夫人が期待に満ちた目でこちらを見ている。
「いかがでございますか? エリッサ様」
「とても美味しいですわ」
「ふふ、ようございました。燻製の魚もそうなのですが、塩漬けやオイル漬けにしたものを瓶詰めにして販売もしておりますのよ。日持ちするので、他領から訪れた方々がお土産によく買ってくださいますの。評判が良いんです」
(なるほど……塩漬けの瓶詰めや燻製なら、サリーヴでもここのお魚が食べられるわね)
クロード様のために買って帰ってみよう。お気に召すといいな。……あ、一応両親にもね。
その夜はカーデン伯爵邸に泊めていただき、ルジェナ嬢とたくさんお喋りをした。そして翌日以降は、セザリアの王都のホテルに滞在し、招かれるままに食事会や茶会に参加した。ホテルに落ち着いてから、クロード様に初めてのお手紙を出した。護衛を派遣してくださったことへのお礼や、セザリアでお会いした方々のこと、新しい発見などなど。
筆不精と言っていたクロード様からは、おそらく私の手紙が届いてからすぐに返事をしたためてくださったのだろうという速さでお返事が届いた。私の無事を安堵する言葉の後、前公爵夫妻について書いてあった。
『父と母も、国王夫妻の結婚式に参列する。そこで君を紹介するつもりだ。その後、日を改めて我が領地の別邸で食事会をしたいと父が言っている』
大胆だが流麗な文字だった。まるであの方の佇まいのよう。これがクロード様の筆跡なのか。なんだかドキドキしてしまう。
(前公爵様ご夫妻……。両親と共に王城での晩餐会や舞踏会でお目にかかる機会は過去に何度かあったけれど、ゆっくりとお話ししたことはないわ。前国王陛下の弟君。緊張するわね)
クロード様同様、その場に立っているだけで空気がピリッと張りつめるほどの威厳あるオーラを放つ方だ。胸の病で隠居なさったということだけれど、それでも弱々しいお姿などとても想像できない。
(……陛下とキャロルの結婚式もあるものね。今回は早めに帰国して、準備を整えましょう)
頭の中で日数の計算を始めていると、ミハがそれを読んだかのように静かに声をかけてきた。
「今回はこのセザリア王国のみの訪問でございますか? エリッサお嬢様」
「ええ、そうね。クロード様の婚約者として共に参加する初めての席だもの。クロード様に恥をかかせることのないよう、余裕を持って準備を進めるわ」
「それがようございますね。ドレスはどれになさるご予定ですか? さすがに今からお作りになる時間はございませんよね」
「ええ。考えているのは、あのグレーのレースのものか、一番最近届いたライラックカラーのドレスかしら」
「どちらも華やかでよろしゅうございますね。……以前奥様が懇意にされているデザイナーの方に作ってもらったあのサーモンピンクのドレスは、お召しにならないのですか? まだ一度も身に着けていらっしゃいませんよね」
「ああ……。お母様の手前注文したけれど、私ああいう可愛らしい色ってあまり似合わないでしょう」
「まぁ、そんなことはございませんが」
「……アイスブルーダイアモンドが合うドレスがいいわ」
ついぽつりと、そんなことを呟いてしまう。
自室のジュエリーボックスの中には、アイスブルーダイアモンドのネックレスとイヤリングがある。クロード様の瞳の色とそっくりだ。あれを着けて、隣に立ちたい。
ふと見ると、ミハの私を見つめる目が優しい。なんとなく気恥ずかしくなり、けれど私は小さな声で尋ねてみた。
「……アイスブルーダイアモンドを着けて行ってもいいと思う?」
「もちろんでございます、お嬢様。公爵閣下がお気付きになったら、きっとお喜びになりますよ」
「……だといいけれど。……やっぱり、からかってる?」
いつも淡々としているミハの表情がやけに嬉しそうに見え、私は照れ隠しについそんなことを言った。
「とんでもございません」
ミハは静かに答えた。
「私はただ、お嬢様のお幸せそうなお姿が見たいだけなのです」