15. わずかな不安(※sideフルヴィオ)
(よりにもよって、あのクロード・セルウィン公爵とエリッサが婚約しただと?)
不安、焦り、そして微かな、後悔に似た感情。どす黒く嫌な気持ちがむくむくと湧き上がる。
俺は十歳年上のあの従兄のことが大の苦手だった。
父の弟の一人息子。俺には他国や自国の高位貴族に嫁いだ、あるいは嫁ぐ予定の妹たちがいるが、向こうは正真正銘一人っ子だ。王族の血を引く男子同士、共感できる部分がありそうなものだが、奴と俺にはそういったものが一切ない。
俺だって別に低身長でないのだが、向こうは俺よりさらに頭一つ分背が高く、おまけに筋骨隆々。その上氷のような冷たい色の切れ長の目をしており、口角はいつも下がり無表情。極めつけは、ある時期から左頬にたくわえた大きな傷跡。軍人として戦地に赴き、国防の一端を担い最前線で戦ってきた証のように見える。
正直、奴の全てが恐ろしかった。
あの目でジッと見られると、どうにも落ち着かない。萎縮していると思われるのが癪で、こちらもどうにかポーカーフェイスを保とうとするのだが、奴と対面して会話を交わすたびに、自分が矮小な人間に思えてしまう。奴は知識も豊富だった。あれこれと小難しい話題を振ってきては、殿下はどのようにお考えか、などと質問されると、意味が理解できず動揺することもしばしばあった。そんな俺をあの男は、値踏みするような、見下すような目でジッと見てくる。それが嫌でたまらないのだ。
そのクロード・セルウィンとエリッサが、婚約……。
ある意味似合いの二人だな、などと頭の片隅で考えながら、俺はため息をつく。
(クソ……。セルウィン公爵の婚約者ともあらば、こちらの都合で気軽に王城に呼び出すことも難しい)
奴よりも俺の方が立場は上だ。……だが、セルウィン公爵家はこのサリーヴ王国内で絶大な権力を持つ家柄。歴代の当主の領地経営手腕は素晴らしく、広大な領土で様々な事業を発展させ、着実に資金を蓄え続けている。国中の貴族がかの家の動向を気にしているし、万が一今後国内で大きな災害や飢饉などが起これば、全ての領主が彼らに助けを求めるだろう。セルウィン公爵家はそういう立ち位置にいる。現当主のクロードは社交嫌いで王都にさえ滅多に姿を見せないが、それでも常に注目の的だった。
なかなか結婚しないな、とは思っていた。まさか生涯独身を貫くつもりなのか、とも。
だがまさか、俺が婚約を破棄した直後のエリッサと縁談を結ぶなど……!
(エリッサは、あの男のお眼鏡にさえ適うほどの女だった、ということなのか……?)
これまで独り身を貫いてきたあの公爵が、こんなにも早々に婚約を決めた相手が、まさかエリッサとは。
(……まぁいい。気にすることじゃない。別にエリッサの補佐がなければキャロルが王妃としての立場を全うできないわけじゃないんだ。離宮の母も、それに優秀な教育係たちも大勢いる。懸念することは何もないだろう)
数週間後に控えた俺たちの結婚式には、奴らは二人揃って参列するのだろうか。何とも妙な気分だが、まぁいい。エリッサだって内心穏やかではないはずだ。揺らぐことなどないと思っていた自分の立場を実妹にとられ、年の離れた公爵に嫁ぐことになったのだから。可哀想な気もするが、愛想のないあの女も悪い。俺がこんなにもキャロルに強く惹かれたのも、あいつに魅力が足りなかったせいなのだから。キャロルのように素直に俺に媚びれば愛らしいと思えたかもしれないが。
そんなことよりも、俺にはもっと気になっていることがある。
父の死後俺の国王即位が決まり、エリッサとの婚約を破棄してキャロルを妃に迎えると宣言した辺りから、周囲の者たちの俺への態度が妙に冷たくなった気がするのだ。側近たちをはじめ、大臣や臣下たち、謁見に来る貴族たちまで、どことなく表情が暗く、淡々とした態度をとるようになった。気のせいだろうか。ついに大役が回ってきたことで、俺がナーバスになってしまっているだけなのかもしれないが。
(王家唯一の男子として、皆から大切に扱われ、機嫌を伺われ、チヤホヤされてきた。だが、俺はもう国王なのだ。これまでのようにはいかない。膨大な公務をこなし、この王国を良き方向へと導き、安寧を保たねばならない。責任を背負った俺のその緊張感が、周りの者たちにも伝わっているのだろう)
父のように、立派な国王にならなければ。
重圧は大きいし、エリッサはもう隣にはいないが……。
(……代わりにキャロルがいる。あのエリッサの妹だ。すぐに豊富な知識を蓄え、俺を支えてくれることだろう)
そんなことを考え無理に自分を奮い立たせていると、ちょうどキャロルが愛らしい笑顔を振りまきながら俺の部屋へと入ってきた。
「フルヴィオ様ぁ! ね、宝石商が来たわ。ウェディングドレスに合わせるジュエリーを選ぶの。一緒に見てくれない?」
喜びに満ちたその表情が愛おしく、たった今まで考え込んでいた諸々のことが頭から消え去った。
「そうか。見よう。お前には最上級のダイアモンドを用意しなければな」
「あぁん! 嬉しいわフルヴィオ様! 大好きよ」
甘えた声でそう言いながら、キャロルが俺に腕を絡め、豊かな胸を押し付けてくる。キラキラとした黄金色の瞳でジッと見つめてくる姿がたまらなく可愛い。自然と笑みがこぼれ、俺はキャロルと共に自室を出た。
そんな俺たちを、護衛らが、側近が、使用人たちが、背後から冷めきった目で睨みつけていることなど、この時の俺は微塵も気付いていなかった。