13. 二人の約束
クロード様との縁談が素晴らしく順調に進み、両親は諸手を挙げて喜んだ。上の娘は王国一潤沢な資産を持つ公爵家に。下の娘は王家に嫁ぎ王妃に。我が家にとっては文句のつけようがない完璧な縁談だろう。
瞬く間に婚約の書面が整えられ、私は正式にクロード・セルウィン公爵の婚約者となった。
クロード様は私の今後の国外での活動について、先んじて両親に説明してくださった。
「エリッサ嬢の、近隣諸国について自分の目で見て学び、良き文化を積極的に取り入れたいという考えに同意し、今回話を進めさせていただいた。彼女の得たものは我がセルウィン公爵領にとっても大きな財産となると考えている。しばらくは彼女に自由を与えることを私自身が快諾しました。ご理解いただきたい」
「もちろんでございます、閣下。娘をそのように買っていただき、誠にありがたく思います」
「エリッサは学園での成績も常にトップで、王城での教育も非常に飲み込みが早いと評判でございましたわ。お役に立てますならば幸いでございます」
つい先日私が出国する時には「なぜ今妹のそばにいてやらないのだ」と私を咎めていた両親は、情けないほどヘコヘコとクロード様に媚びている。おかげさまでもうキャロルがキャロルがとうるさく言われずに済みそうだ。
諸々の手続きが済むと、クロード様は公爵領にお戻りになることになった。お見送りが済んだら、私はまた西のセザリア王国へと向かう。今度こそ心ゆくまで滞在できそうだ。
いよいよお立ちになるというその日、私とクロード様はハートネル侯爵家のタウンハウス内の客間で、最後の会話を交わした。
「エリッサ。君を当面自由にするとは言ったが、私からいくつかの取り決めを提案したい。受け入れてもらえるだろうか」
「もちろんでございます、クロード様。何なりと」
逆らう気持ちなど微塵も湧いてこない威厳を保ちながら、それでもその声色は穏やかで、アイスブルーの瞳の奥は柔らかい。微かに胸が疼く。明日からしばらくは、この方とお会いすることはないのだ。
「一つは、我がセルウィン公爵家からも、君に専属の護衛を付けたい。侯爵家からも充分な人数が同行するのだろうが、私自身がその実力を知り信頼できる者たちを、君のそばに常駐させたいのだ。領地から派遣するから、彼らが到着するまで出国は待ってくれるだろうか」
「……お心のままに。ありがとうございます、クロード様」
心配されている。大切にされている。セルウィン公爵家に嫁ぐ身なのだから、当然の待遇なのかもしれない。けれど、クロード様のその言葉に、私の胸は初心な少女のように高鳴る。
「二つ目は、定期的に君からの便りが欲しい。どんな些細な内容でも構わない。君が異国で無事に過ごしていることが知れるのなら、何でもいい。私も、筆不精で大したことは書けないが、必ず返事を出す」
「……承知いたしました」
ああ、どうしよう。この気持ちは何なのかしら。ジッと座っていることさえ難しいほどに、そわそわと落ち着かない。体の中を巡る熱を解放するように、何だか無性に叫びたくなる。……頬が熱くなり、私は唇を引き結ぶとさりげなく背筋を伸ばした。
「三つ目は、何かあればどんな些細なことでも、必ず私に知らせ、相談してほしいということだ。一人で困らず、すぐに私を頼ってくれ」
「は、はい、クロード様」
ついにどもってしまった。クロード様は微かに微笑むと、私を包み込むような低い声で言った。
「国王陛下と王妃陛下の結婚式には、二人で参列しよう。婚約者同士の、最初の行事だ」
「ええ。もちろんでございます。余裕を持って早めに帰国し、準備を整えます」
「ああ」
短い会話はそれで終わり、クロード様が腰を上げた。お帰りになるのだろう。ほんの少しの寂しさに気付かないふりをし、私もお見送りのために立ち上がった。
すると。
玄関ホールに向かうのだと思ったクロード様が、静かな足取りで私の目の前にやって来た。心臓が大きく脈打つ。間近で見ると、本当に大きい。私がお顔を見上げようとした、その時だった。
クロード様は優雅な身のこなしで、私の前にゆっくりと跪いた。そしてその大きな手で、私の手を優しくそっと握った。
「……っ、」
驚きと緊張で、思わず肩が跳ねる。身じろぎもできずにそのまま固まっていると、
(────っ!!)
クロード様が、私の指先にそっと唇を押し当てた。
息を呑み、私はクロード様を見つめた。呼吸も瞬きもできない。彼は静かに唇を離すと、私の手を握ったままこちらを見上げた。その仕草と視線があまりにも色っぽく、私の全身が燃えるように熱くなった。
指先が、痺れる。
「……エリッサ、君はもう、私の大切な人だ。次に会える日を心待ちにしている」
何と返事をしたのか、そもそもきちんと返事ができたのかすら、覚えていない。
気が付くとクロード様はお帰りになっており、私は自分の部屋のソファーで呆然としたまま座っていた。
まだ体が熱い。心臓が痛いほど激しく脈打ち続けている。
私の手を取り跪いたままこちらを見上げるクロード様の姿が、頭から離れない。
ボーッとしていると、ミハがそそくさと紅茶を運んで来てローテーブルに置きながら、ボソリと言った。
「すっかり骨抜きでございますね、エリッサお嬢様」
「っ!? な……何を言うの! からかわないでちょうだいっ!」
恥ずかしさのあまり思わず大きな声を上げると、ミハが目を見開いて私を見つめた。
「……びっくりした……。お嬢様でも、そんな大きなお声を出されることがあるのですね」
「~~~~っ!!」
その指摘にますます顔が真っ赤になり、私はそばにあったクッションを咄嗟に摑むと、それをガバッと顔に押し当てうずくまった。
ミハの小さな笑い声が聞こえた。