12. 求婚
その後もセルウィン公爵閣下の軍人時代のお話を聞いたり、前国王陛下や前王妃陛下のことを話したりと、話題が尽きることがない。
「あなたが最後に前王妃陛下に会ったのは?」
「葬儀の時には、少しご挨拶を交わしただけで……。王城で王太子妃教育を受けた後最後にお茶をご一緒したのが、たしかもう三月も前のことになりますわ」
「そうか。私もここ半年以上ご挨拶に伺っていない。前国王陛下亡き後、前王妃陛下が移られた西の宮殿には、見事な庭園がある。……近いうちにあなたと一緒に訪問できればと思うのだが」
「まぁ……、え? は、はい」
(ん? 私と……?)
なぜ突然、私とセルウィン公爵閣下が前王妃陛下のお移りになった宮殿に訪問する話に……?
言葉の真意が分からず、私は楽しい会話からふと我に返り、目の前の公爵閣下の顔を見つめた。
彼の静かなアイスブルーの瞳に真摯な熱が宿っているように感じられ、私の心臓がトクンと音を立てる。セルウィン公爵閣下はあくまで落ち着いた口調で、私に言った。
「ハートネル侯爵令嬢。出会ったばかりでこんなことを言われればきっと戸惑うだろうが、私はあなたを妻として迎えたい。今日こうしてあなたと会話を交わし、あなたの生き方を知り、胸の内に触れ、今強くそう願っている」
「こ……公爵閣下……」
突然の申し出に、頭の中が真っ白になる。いや、そもそもそういう目的ありきで彼がお越しになったということは、分かっていたのだけれど。
それにしても、あまりにも早い求婚だ。せめて数日間は熟考する時間がいるだろうし、そもそも私のこの「王国を出て様々な国を飛び回りたい」欲を聞いた後では、考え直されるのではないか。そう思っていた。私の性格は、セルウィン公爵夫人となるには不向きだと。
穴があくほどジッと見つめられ、私の頬がじわじわと熱を帯びはじめた。耳も熱い。たまらず私は瞳を伏せた。去っていたはずの緊張が再び戻ってきて、心臓が暴れはじめる。まさか殿方からの求婚に、ここまで動揺してしまうなんて。
「で、ですが、閣下……。今お話ししましたとおり、私は……」
国内で大人しく過ごすタイプの令嬢ではございません。ついそんなことを口走りそうになり、慌てて口をつぐむ。一体何を考えているのか。私はこのハートネル侯爵家の長女。王家に嫁ぐという最大の役目が妹に移った今、次なる私の責務は、望みうる限り良き家柄の殿方に嫁ぎ、ハートネル侯爵家のためにより強力なご縁を繋ぐこと。それが貴族の娘の責任だ。
こんな最上の縁談をいただけるのではあれば、外遊など……諦めなくては。
そんな私の葛藤を見透かしたように、セルウィン公爵閣下は言った。
「心配しなくてもいい。たった今、あなたの今後の夢を打ち明けてもらったばかりだ。すぐさま私の妻となりセルウィン公爵領に留まり、公爵夫人としての務めを果たせ、などと要求するつもりはない」
(……え……?)
「と、仰いますと……?」
言っている意味が分からず、私は怪訝な顔で公爵に問いかけた。では一体、この方は私に何を望むと……?
彼はわずかに眦を下げた。
「少なくとも数年間は、あなたの好きなように生きればいい。見たいものを見て、やりたいことをやり。あなたは賢く、革新的な女性だ。そうして得た知識がきっと、セルウィン公爵家にとっても大きな利となるだろう。私はそう期待している。できれば早い段階で正式に夫婦となりたいが、だからといって、あなたを屋敷に閉じ込めることはしない」
「閣下……。ですがそんな、本当によろしいのですか? 外国を飛び回っていたのでは、公爵家の夫人としての役目を果たすことはできませんわ」
「それは私の仕事の補佐や客人のもてなし、家政を取り仕切ることなどだろう。構わない。どうせ私は今まで独り身だったのだ。有能な家令や臣下もそばにいる。後継ぎとなる子も、妻となったからといってそんなに大急ぎで産む必要はない」
「……っ、」
(あ、後継ぎ……)
公爵の言葉に、私は目まぐるしく頭を回転させた。つまり閣下は結婚後も、私が自由に国外に出ることを認めてくださるようだ。……本当に、いいのだろうか。そんな公爵夫人はいない。
(でも……、このお申し出は、正直とてもありがたいわ……)
ハートネル侯爵家の娘としての最大の責務は果たせるわけだし、当面は行動の制限もない。それに何より、私がセルウィン公爵夫人に、いや婚約者になれば、陛下やキャロルから都合良く使われる可能性はおそらくなくなる。
セルウィン公爵家はこのサリーヴ王国で最も格式高い家柄。王国一の資産を持ち、さらに王家の血を引く領主様。この方は陛下の従兄に当たられる。いくら社交の場に全く姿を見せない方とはいえ、その権力は絶大だ。陛下もきっと、セルウィン公爵の婚約者となった私に無茶な要求はできない。公爵の気分を害するような命は簡単には下せないだろう。前国王陛下ならまだしも、フルヴィオ陛下は正直まだまだ高位貴族たちからの圧倒的な支持も信頼も、威厳もない。
お受けする選択肢しかない。そうしなければ、両親も納得しないだろうし。
緊張のためか何なのか、一向に大人しくならない自分の心臓の音を感じながら、私はセルウィン公爵のお顔を見て言った。
「……ありがとうございます、閣下。私などをそのようにご所望いただき、光栄です。不束者ですが、どうぞよろしくお願い申し上げます」
私の言葉に、公爵は柔らかく微笑んだ。初めて見るその笑顔に、騒がしい私の胸が一際大きく脈打つ。
「こちらこそ、承諾いただき感謝する、ハートネル侯爵令嬢。私はあなたに強く惹かれた。それに……あなたはとても、可愛らしい」
「っ!?」
(かっ……可愛らしい!? わ、私が!?)
男性からそんなことを言われたのは、生まれて初めてだった。可愛い、愛らしい、愛嬌がある。それらの褒め言葉は、いつも妹のキャロルにだけかけられるものだったから。
今度こそ全身真っ赤に染まり言葉を失った私は、カチコチに固まり俯いた。恥ずかしくて恥ずかしくて、何と答えていいのか分からない。社交の場で男性からお世辞を言われる時のように、アルカイックスマイルを浮かべて軽い言葉で受け流すことなど到底できない。
私にとっても、目の前の公爵閣下はすでに特別な人になりつつあった。
「私のことはクロードと呼んでくれ」
「は、はい。私も……どうぞエリッサとお呼びくださいませ」
無様に震える声でどうにかそう答えると、クロード様は満足げに小さく笑った。
「ありがとう、エリッサ」
(……この素敵な方が、私の夫に……)
ほんの少し前まで、私は王家に嫁ぐ重圧と、あの頼りないフルヴィオ陛下を支えなくてはという責任感に押しつぶされそうになりながらも、必死に踏ん張っていた。
それがあれよあれよという間に、こんな頼もしい公爵様と連れ添うことになるなんて。
一目見た瞬間はとても恐ろしく思えた左頬の大きな傷さえも、この方の心身の強靭さの表れのようで、今はとても魅力的に見えるから不思議。
彼と見つめ合いながら、私はぼんやりとそんなことを思った。