旦那様にケーキを持っていく
「……作りすぎてしまったわ」
私は思わずと言ったように、目の前のパウンドケーキを見ながらつぶやく。
食材を幾らでも使っていいとそう思うと楽しくなってしまうのだ。その結果がこれだけ大量のパウンドケーキである。色んな味付けを準備したものの……こんなに作ってどうするの!? というぐらいある。
思わず困ったようにパウンドケーキを見つめていると、フルヴェラから一つの提案をされる。
「ご当主様にお届けしたらどうでしょうか?」
「……旦那様に?」
「はい。奥様が作ったものなら喜んでくださるのではないでしょうか」
そう問いかけられて、一瞬躊躇してしまったのは……二か月で離縁したいという話を旦那様にした後、二人っきりで会話は交わしていないからだ。
だけど、監視の目を欺くためにも旦那様とも仲良くしている風にはすべきなのよね。
私がそういう素振りさえしていなかったら、どういう対応をしだすか本当に分からないもの。それに私は旦那様に食べてもらえるのならばそれは嬉しいと思うわ。
そういうわけでまずは、子供達に持っていく。
「幾ら持ってきても要らない」
「でも兄上……美味しそうだよ?」
「クリヒム、駄目だ」
やっぱり断られてしまった。
ただしクリヒムは食べたそうにしていたので、後でクリヒムにだけこっそり渡そうか……とちょっと悩んだ。
あとは旦那様が私の作ったお菓子を食べてくれたら子供達に食べてもらいやすくなったりしないかしら。子供好きな私からすると旦那様と仲良くというより、子供達と仲良くしたいというのが一番なのよね。
最期の思い出に子供達が私に笑いかけてくれたら、きっと嬉しいもの。
ティアヒムがクリヒムを連れて、私の前から去っていく。クリヒムはちらちらこっちを見ていた。なんて可愛いのだろうか。
許可さえもらえたら抱きしめてあげたくなるわよね!
さて、そんなことを考えながら私は次に旦那様の元へと向かうことにする。
旦那様は公爵家当主として書類仕事をしているようだ。お仕事の邪魔にならないかしら? なんて思ってしまうが、フルヴェラ達には「大丈夫です」なんて言われる。
というか、侍女達の方が妙に張り切っていて先に私がお菓子を持って行っていいかの許可を執事長にとってしまった。
この子たちは私が旦那様と仲良くなればいいと思ってくれているのだろうなと思う。
……まぁ、旦那様からすると初夜の場で二か月で離縁したいと申し出てくる変な新妻でしかないと思うので、作ったものを持っていくなど驚かれてしまうかもしれないけれど。
コンコンッと執務室をノックすると、「入っていい」と入室許可の声が聞こえてきた。なんだかこういう執務室に入ったことはないので、妙に緊張しながら扉を開ける。
旦那様は顔をあげて、私のことを見ている。
やっぱり綺麗な顔立ちよね。見ているだけで幸せな気持ちになれそうだわ。でもじっと見つめられると落ち着かない。
「失礼します。旦那様。こちら良かったら食べませんか?」
私はそう言って、お皿に並べたパウンドケーキを旦那様の前に出す。
私も味見をして、使用人達にも配って、それで持ってきたのは色んな味のパウンドケーキを一切れずつ。旦那様の好みも分からないけれど、どれか一つでも気に入ってくれたらいいな。
じっと、私の差し出したパウンドケーキを見る旦那様。
……こんなものを要らないと突っぱねられるかしら。
そんなことを考えると、旦那様の声が聞こえてくる。
「……このお菓子はどうした?」
「私が作りました。ティアヒム達には断られてしまったので、食べてもらえると嬉しいなぁって。私も食べてますし、使用人達にも配っているのですけれど……作りすぎてしまいまして」
私がそう口にすると旦那様は呆れたような視線をこちらに向ける。
「作りすぎた?」
「はい。幾らでも食材を使ってもいいと言ってもらえたのでつい……!」
実家にいた頃はこんなに多くの食材は使えなかった。貴族とは言え裕福というわけでもなかったから当たり前のことではあるのだけど……、こんなに何でも作れる環境だなんて夢みたいな場所だと思ってしまう。
私の言葉に旦那様は小さく笑った。
旦那様ってこんな風に笑うんだと少し嬉しくなった。
旦那様はパウンドケーキの一切れを手に取って、口に含んだ。私の作ったものを毒見もせずに食べていいのかしら。そんな風に少し心配になる。
だけど旦那様は小さく口元を緩める。
不快な思いはさせていないようで、ほっとする。
「これは……中に入っているオレンジか?」
「ええ。そうですわ。美味しいでしょう? 実家の家族にも好評でしたの」
私は家族のことを考えると、思わずにこにこしてしまう。
だって私は家族のことが大好きだもの。私が養子になって、クーリヴェン公爵家に嫁ぐことを心配していた。私は大丈夫と言って此処に来たわけだけど……元気に帰ることは叶わなさそうなことだけが心残りだ。……なんとかできるならこの状況をどうにかしたいと思うけれど、私にはそんな力がないのよね。私にもっとこういう状況をはねのけるだけの力があれば別なのに……とそんなことを考えてしまう。
「……どうした?」
「あ、なんでもありません! それよりこれからも此処に居る間は子供たちにお菓子を作ろうと思っていますの。もし食べてくださらなかったら旦那様が食べてくださいますか?」
「……別に構わない」
旦那様がそう言ってくれたので、私は喜んでお菓子を作ることにした。