前の奥様のこと
「奥様、今日もお菓子をお作りになるのですか?」
「ええ」
私は今日もお菓子作りをするために、厨房に赴こうとしている。
公爵夫人としての仕事は……正直全くやっていないので侍女達からしてみると色々と思う所があるのかもしれない。ただ私は二か月で居なくなる身で、公務のようなものには関わるべきではないだろうと思っている。
旦那様も特に何も言ってこないので、それでいいと思っているのだろう。
……まぁ、私のことは何を考えているか分からないとは思ってそうだけど。
食事の席で私が子供達に話しかけているのを見て、じっと見られていたのはある意味監視と言えるのかも。旦那様も私の真意がわからなくて、子供達に悪意を持って接するのではないかという心配はあるだろうし。
こういう風に警戒されている視線も、旦那様が子供達のことを思ってのことなのだというのがよく分かるから嫌な気持ちには全くならない。
旦那様ってやっぱり、優しいなとあまり会話を交わしていなくても分かる。
どうしてこんなに子供のことを思いやっているような人が冷たいなどと言われるのだろうかと凄く疑問に思った。
ああ、でも私も……前世の記憶を思い出すことが出来なかったらこれから殺さなければならない相手だからというのもあって旦那様のことを冷静に見ることなど出来なかったかもしれない。
私はそんなことを思い、前世のことを思い出せてよかったなと改めて思った。
「奥様は坊ちゃま達と心から仲良くしようと思ってくださっているのですね」
「もちろんよ。だって二人とも可愛らしいもの」
「血の繋がらない子供でもですか?」
「それは関係ないわ。私ね、子供って存在しているだけで宝物のようなものだと思うの。だって可愛いでしょう? ティアヒムやクリヒムとはまだあまり喋れていないけれど、遠くから見ているだけでも可愛い子たちだなって思うのよね」
正直、私は血が繋がらない子供だからといって冷遇する感覚は全く以て分からない。だって子供達に罪などないもの。
前世で読んでいた物語の中でもそういう継母が前妻の子供を冷遇する話は見かけることがあった。そういう話を読むと子供達に頑張れって凄く応援していた記憶がある。
「奥様が坊ちゃま達に向き合おうとしてくださっていて嬉しいです。……前の奥様は、ティアヒム様とあまり会話をなさっていませんでしたから」
「そうなの?」
私は侍女の言葉に驚く。
あんなに可愛い息子が居て自分から関わろうとしなかったなんてどういうことだろうか?
私は前世も含めて子供を産んだことはない。いつか子供が欲しいとは思っていたけれどそれは前世でも今世でも叶うことはない。
だけど自分のお腹を痛めて産んだ子供ならば可愛がるものだと思ってしまう。どうして前の奥様は、あんなに可愛いティアヒムと関わろうとしなかったのだろうか。
貴族同士だからこそ、政略結婚か何かで結婚したのかもしれない。だからこそ結婚して子供を産んでも可愛がらなかったのだろうか。
私は今世で家族運に恵まれていた。貴族の産まれでも家族仲は良い方だと思う。
でも世の中には家族仲が希薄な家というのは幾らでもある。……ただ公爵夫人という立場になったならば旦那様の様子を見て子供を大切にしようとそう思うものな気がする。打算だったとしても、子供と親しくすることは良いこと尽くしだと思うのになとよく分からない。
「はい。前の奥様は……寧ろティアヒム様を避けていたと聞いています。だからこそ、ティアヒム様は奥様から話しかけられて、戸惑いもあるのではないかと」
「……そうなのね」
ただ関心がないというだけならば、最低限の接触はするものではないのかしら。
よっぽど旦那様に対して思う所があって、ティアヒムに近づかないようにしていたのだろうか。
でもどちらにしてもティアヒムにとっては……前の奥様が亡くなる前からも母親というものは身近にいないものだったのだろうか。
……ティアヒムにとっては実の母親が自分に近づかずに、それでいて私もたった二か月で去る。クリヒムにとっては出産の際に母親を亡くしているから母親をそもそも知らないのよね。
やっぱり穏便に去る感じで、私がその後もしばらくは生きている風にするかとかが一番平和かもしれない。ティアヒムとクリヒムの心の傷にはならないようにしたいもの。
それにしてもこうやって厨房に向かっている間も監視の目があるのが分かって、それにはちょっとため息をつきたくなるわ。
息が詰まるというか、視線を感じると落ち着かない。
きっと私が感知していない監視もきっとあるだろうし、やはり慎重に動かなければならない。
監視の者達からしてみれば、私は上手くやっているようには見えるだろうな。
監視から接触された時にもボロを出さないように絶対にしないといけないし、本当に色んなことを想定して考える必要があって大変すぎる。
厨房に辿り着いて早速お菓子作りを始める。
こうしてお菓子を作っている時は余計なことを考えずに済んで楽しい。今は一先ず、子供達が私のお菓子を食べてくれることに期待しよう。
そんなことを思いながら今回作ったのは、紅茶パウンドケーキ。
こういうものも美味しいわよねと思ってつい作ってしまったの。流石公爵家と言うべきか、色んな食材があってこれを作ったら楽しそうなんて思ってしまったの。
それで後先考えずに作ってしまったりしている気がするわ。
それにクッキーは受け取ってくれなかったけれど、こちらなら受け取ってくれるかなと思ったりもしたから。