vs. My Dad
「どういうことだと訊いている。説明してもらおうか、ロザリア」
氷点下の石榴色が、わたしを見下ろして静止する。
びくっと肩がはねたのに気付いたのだろう。ルキウスさまはわたしを抱きしめる手に力を込めた。長くなった彼の髪が天幕のように降りてきて、カサついた唇がわずかに耳を掠める。
「――大丈夫だよ、ロザリー。ボクがついてる」
呟きはくすぐったかったけど、慈愛がこもっているのが伝わって、不思議と胸が軽くなった。安心させてくれる、優しい甘い声。
うん。わたしはもう大丈夫だ。わたしには、ルキウスさまがついている。
「……ルキウスさま、ありがとうございます」
「うん」
わたしはこくりと頷いて微笑み、髪のカーテンに包まれたルキウスさまの瞳を見つめ返した。あ、おでこ初めて見たな、なんて思いながら。
今、ルキウスさまの瞳に表示されている魔方陣は一つもない。つまり、わたしにかけられていた拘束魔法が解除されたのだ。
地面に足を下ろす。魔力は安定している。自由にしゃべれる。自由に動ける。なら、今わたしがすべきことは一つ。
「――ロザリアちゃん! 逃げるよ!」
『え、? きゃっ、!』
「ロザリア!!」
「ふふふ。ボクの助けなんて必要なかったかな。がんばって、ロザリー!」
トラウマに直面して硬直したロザリアちゃんの腕を引き、ヒールで駆け出す。
お父さまの怒号も、ころころと笑うルキウスさまの声も置き去りにして石畳を蹴り、王宮の廊下へと全速力で駆け込む。
「はあ、はあ……、あはは、つい逃げちゃったな~。こんなに走ったのいつぶりだろ。ちょっと楽しくなってこない? ロザリアちゃん!」
『……、たのしくなんか、ないっ!』
「え~~~?」
走りながら振り返ったロザリアちゃんは、目をぎゅっとつむって真っ赤な顔でぷりぷり怒っていた。その半透明の体を窓ガラス越しの光が撫でていくのを見て、わたしはきれいだなって少し目を細める。
あ、そうそう。窓越しとかのやわらかい光であれば、肌が痛くなったりしないんだよね。直射日光はまじで灰になりそうになるけど。
まあ今はそれも置いておいて。
「ねえ、ロザリアちゃんはどこ行きたい? あとなんかやりたいこととかある?」
『え? やりたいこと、だなんて……』
「だって逃避行だよ? 駆け落ちだよ? 楽しまなきゃ損じゃん!」
そう言って笑いかければ、ロザリアちゃんは見開いた桔梗色の目を不安げに泳がせた。
『……駆け落ちって、アナタね、』
「まあまあ細かいことは全部側溝かどっかに捨てとこ!」
『そんなこと言ったって、お父様が……』
「ぶーぶー。わたしと逃避行してるのに、他のひとの名前出しちゃだめでーす。罰として、本ロザリア号はさらに急加速いたしまーす♪」
『実の父親なのだけれど!?』
「だーめ。実の父親でも妬いちゃうもん。ほら、いきますよ~~~っ!」
『きゃーーーーーーーっ!!』
ロザリアちゃんの腕を引き、足がもつれない程度に速度を上げる。向かい風が前髪と縦ロールを吹き飛ばすのも気にせず、ひたすら走る。
窓越しの光が、吹き付ける向かい風が、指先に伝わるわずかな体温が、全部全部愛しく思える。
「……っは、あはは、あはははは!」
『……ふふ、うふふ、あはははは!』
走っているうちにいつの間にか、二人とも大口を開けて笑っていた。初めて見るロザリアちゃんの自然体な笑顔はやっぱり、ドキッとするくらい魅力的で、ずっとこうして笑っていてほしいなと、わたしは内心でそう呟く。
「たのしいね、ロザリアちゃん!」
『もう! ほんとアナタどうかしてる! お父様もさぞ苦労なさっていることでしょうね。いい気味だわ!』
「あー! またお父さまの名前出したな~! でも今の『いい気味だわ!』がかわいかったのでよし! 本ロザリア号はゆるやかに停止いたしまーす♪」
『あはははは!』
さすがにそろそろ脇腹のあたりがお亡くなりになりそうなので、速度を小走りにゆるめて数秒歩き、廊下の真ん中で立ち止まる。
ブーツのヒールが響く長い廊下を振り返れば、ひとっこ一人存在しなかった。もしかしたらルキウスさまが魔法で助力してくれてるのかな、と思って少し気分が上を向く。
これなら時間に余裕がありそうだ。
膝に手をついて肩で息をするロザリアちゃんに向き直り、繋いでいた手をそっと離す。
「ちょっと真剣な話をするんだけどさ、」
『、なにかしら?』
「わたしはね。ロザリアちゃんが望んでくれるんだったら、このまま二人で逃避行エンドでもいいと思ってるんだ」
微笑を浮かべたままつとめて明るく、どうってことない世間話のように切り出す。
そんなわたしを見て、ロザリアちゃんは困惑顔でこてりと小首をかしげた。
「わたしもお父さまは苦手だし、ぶっちゃけあんまり関わりたくない。だって、いろいろトラウマだもん。あの冷たい目とか、ひとりにされるのとかさ」
『それは……アタクシも身に覚えがあるわね』
「でしょ? だからさ、もうこのまま王宮に二人で家出しない? 走り回れるくらい広いんだしさ」
『はあ?』
あ、ロザリアちゃんの困惑顔があきれ顔に変わってしまった。
だがここで引くわけにはいかない。わたしはロザリアちゃんの両手を包み込んで畳みかけにかかる。
「だってわたしルキウスさまの婚約者だし、未来の王妃だし、もう王宮住んでもいいと思わない? 7歳だけど」
『とんだ押しかけ女房ね』
「それにロザリアちゃんってわたしなわけじゃん?」
『まあ……そうね』
「ならロザリアちゃんも王宮住む権利あるくない? W王妃(同一人物)ってどうよ。この国一夫多妻制じゃないけど。あとルキウスさまがなんていうかわかんないけど」
『絶対拒否すると思うわよ。それにアタクシも嫌』
「でも、これだと二人で逃避行って感じじゃないか……。でもルキウスさまを幸せにするって誓ったしな……。あ! てかこの案だとシルヴィアと離れなきゃなのか……メイド一人くらいねじ込んでもいけるかな……」
『アタクシの声は聞こえていないの? アナタほんとに強欲よね』
「えへへ。それほどでも」
『褒めてないわよ』
手を握ったままそうまくしたてれば、ロザリアちゃんは顔を背けてはあ……と深い溜息を吐いた。そのまま思案するように右下を眺めたあと、決意のこもった瞳でわたしを射抜いた。
『アタクシはルキウスさまと婚姻を結ぶ気はない。同じ過ちを繰り返したくないもの。……でも、アナタと過ごすこと自体はやぶさかじゃないわ。だって、今もこんなに楽しいんだもの!』
そう穏やかに笑ったロザリアちゃんは、全部壊すと絶叫していた暴走状態からは想像もつかないほど優し気で、本来はこういう子だったんだなって推しの新たな一面に数秒見惚れてしまった。
――それが、いけなかったんだろうか。
「――――野薔薇よ。仇敵を貫け」
『――っ、は、』
「ロザリアちゃん!」
翠緑色の棘が、紅の薔薇が、ロザリアちゃんの腹部を貫いた。紅色の花弁が鮮血とともに飛び散って、青薔薇のドレスと大理石の廊下を赤く彩る。
カタ、と、背後から革靴の音がした。
「なんで、」
なんで、ロザリアちゃんを攻撃した? なんで、わたしの後ろにいる?
訊きたいことは山ほどある。けれど、あまたの言の葉は怒りに飲まれて、浮上することすら叶わなかった。
「下がっていなさい、ロザリア。お前も母のようになりたくはないだろう。ソレは、私が対処する」
冷えた声が背筋をなでる。癪に障る、大嫌いな声。靴音がどんどん近寄ってくる。
「お父、さま」
地獄の底を這うようなどす暗い声が、わたしの喉から紡がれた。
「ヒトではないな。魔族か、それとも人の姿をまねる魔物か。他人の娘に化けるとは、げにあさましい」
「――っ! それが父親の言うことか!!」
「な」
ダンッ! と大理石の床を踏み鳴らす。瞬間、足元から黒い茨が伸びて、四方の壁に食い込んだ。ロザリアちゃんの腹部に突き刺さっていた薔薇のツタが抜け落ち、体勢を崩したロザリアちゃんを抱きとめる。
「――私を茨で害すとは。ソレに精神でも持っていかれたか」
「精神がどうかしてるのはあなたの方でしょう、お父さま」
「……なにが言いたい」
ロザリアちゃんを抱えたまま、半歩振り返る。見上げた父の頬には赤い線が走っていて、茨が掠ったらしいことがわかった。こちらを見下ろす父の瞳を、憎しみを込めて睨めあげる。
「お母さまが亡くなった日からずっとそうだ。わたしを塔に閉じ込めて、挙句の果てに実の娘を傷つけて」
「なにを、言っている。実の娘だと」
「ええ、まだわからないんですか。……父親失格という文字を具現化したら、あなたの形をしていそうですね」
『…………、お父、さ、ま、……?』
か細く呟かれた声に、父の瞼がわずかに上がった。わたしの腕の中で、ロザリアちゃんがうっすらと目を開ける。
「まさか、」
「――おわかりになりましたか。ここにいるこの子こそが、真のロザリア・ローズガーデン。……ニセモノは、わたしの方なんですよ」
あけましておめでとうございます!!!
第9話も最後までお読みいただきありがとうございます!!!
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