青薔薇の吸血姫
『ロザリア・ローズガーデンの帰還よ。頭を垂れてつくばいなさい』
テーブル上で不遜に笑うロザリアちゃんの瞳が、弓なりに細まって弧を描いた。
妖しい輝きを放つ桔梗色の片目に、白銀の魔方陣があらわれる。
「え、なに、」
「――無詠唱魔法だ。それも、攻撃系統の。あんなの、どれだけのレベルに到達すれば……」
呆然とロザリアちゃんを見上げるルキウスさまが、ぽつりと呟いた。
「なになに、なにそれどういうこと、?」
『察しが悪いわね、ニセモノは』
くすくすと腹を抱え、狐っぽい、意地の悪そうな笑みを浮かべるロザリアちゃん。
緊迫した空気間の中で、置いてけぼりのわたしだけが二人を交互に見比べる。
『アナタたちは今ここで、死ぬってことよ』
「え、」
『ニセモノの分際で頭が高いのよ。這いつくばえと、言ったでしょう?』
上ずった声と、紅潮した頬。見開かれた桔梗色の上で、白銀の魔法陣が回転する。
「ロザリー、逃げて――」
『あは、』
ルキウスさまがわたしの肩を突き飛ばす光景が、スローモーションで再生される。
陣が静止した刹那、ロザリア・ローズガーデンは天に掲げていた腕をサッと振り下ろした。
「――――くっ、! う、」
その瞬間、わたしの体は金属に置き換わった。
――いや違う。金属に置き換わったと錯覚するほど深く、体が地面にめり込んだのだ。
「っは、」
骨が軋む。頭も体も全てが重い。まるで巨人に全体を押さえつけられているみたいだ。
ぎりぎりと歯を食いしばって顔を傾ければ、わたしと同じく石畳に伏せるルキウスさまの姿が見えた。かひゅ、と肺に残った酸素を吐き出して、彼が苦悶に表情を歪める。
「……重力、魔法、か」
『そうよ。ただの生活魔法である、浮遊魔法の応用。でも、すごい威力でしょう?』
ルキウスさまがうめき交じりの声で囁き、ロザリアちゃんを睨み上げる。その口の端から真っ赤な血が零れるのを見て、わたしはごくりと唾を嚥下し、ばっと目を逸らした。
どくどくと脈打つ胸の前を握りしめ、こちらを睥睨するロザリアちゃんを見上げる。
「、なん、で」
『なんでって、なにについての疑問かしら。アタクシの得意魔法は茨のはずなのに、こんなにも重力魔法を使えていること? ああそれとも、今アナタたちが攻撃を受けている理由でも知りたいのかしら』
ふふふ、と口に手を当てて、お上品にロザリアちゃんが笑う。
『そんなの、この世界に絶望したからにきまってるじゃない』
「え」
笑顔から一転、吐き捨てるようにロザリアちゃんは無表情でそう呟いた。
『ニセモノさんは知ってるわよね。アタクシ、血みたいに真っ赤な紅薔薇が大好きだったのよ。情熱に、愛情と美。花言葉も全部好き』
ロザリアちゃんがすっとテーブルから飛び降り、ヒールで石畳に降り立った。ふわりとドレスの裾が広がり、ミルクティー色の髪が風になびく。
そのまま無音でカツカツと歩を進め、悪女はとびっきりの笑顔でわたしの前にしゃがみこんだ。
『だって、数多の世界でルキウスさまを愛したアタクシにぴったりでしょう?』
息を吹きかけるように、内緒話をするように、鈴の音の声が耳元で囁かれる。
「なん――っ、は」
『あはははは、』
――なんで、ロザリアちゃんが“数多の世界”を知ってるの?
口にしようと思った疑問は、強まった重力に押しつぶされた。圧縮された空気が肺から押し出され、乾いた咳が喉を焼く。
ロザリアちゃんは心底可笑しなものを見るように、けらけらと笑いながら立ち上がった。くるっと半回転し、もう一度テーブルに近づく青薔薇の悪女。その細く白い指が、花瓶の青藤色の薔薇へと伸びる。
『反対に青薔薇は嫌いなのよね。だって、花言葉が腹立たしいんだもの』
ツン、とその指が花弁に触れた途端、薔薇の色が茶色く変色した。
しわしわに枯れて朽ちゆく花弁が、ギロチンのようにぼとりとテーブルクロスに落ちる。
『……そう。やっぱり、こんな状態になっても呪いは解けていないのね』
そう寂しそうに呟かれた声を、わたしは聞き逃さなかった。
灰になりゆく青薔薇の残骸をぐしゃっと握りしめ、ロザリアちゃんがこちらを振り返る。
『全部、全部、アナタのせいよ、ニセモノさん。アナタが来たせいで、アタクシは絶望する羽目になった。アナタの記憶が流れ込んできたせいで、呪いが解けることも、ルキウスさまに愛されることがないことも知ってしまった』
「……」
彼女が一歩、足を踏み出す。
『赤い薔薇に触れてみたかった。朝の日差しを浴びてみたかった。誰かに愛されてみたかった! その全部が叶わないだなんてあんまりよ!』
慟哭するように、髪を乱して泣き叫ぶ。
『だからアタクシ全部壊すの! どうせ死ぬのなら、棺桶の中は賑やかな方がいいでしょう? だから……ね? 体、返してくれるかしら。どうにも今のままじゃ、魔法の威力が弱いのよね。霊体だからか、攻撃系は重力魔法しか使えないし』
……これで魔法の威力が弱い、ということは、ロザリアちゃんの実力はおそらく、ルキウスさまに殺される最終戦に匹敵するのだろう。
わたしのせいで絶望した、と言うロザリアちゃんに、思うところがないわけじゃない。
でも今の――暴走状態のロザリアちゃんに、この体を返すわけにはいかない。
『――ねえ、ロザリア・ローズガーデン公爵令嬢。アナタも辛いでしょう? 親に愛されないことも、日陰から出られないことも、意思に反して血を欲する体も』
辛いよ、そりゃ。
父親に冷たい目で見られることも、日光を浴びれば激痛が走ることも、苦しそうにしているルキウスさまの血に、否応なく食欲が疼いてしまうことも。
固く握り締めたわたしの手をすくい上げ、甲にちゅ、とロザリアちゃんが口づける。
『アタクシはその辛さを身に染みて知っているわ。だってアタクシたちは――』
そう。わたしたちは――
『――――ヴァンパイア、なんですもの』
じゅわ、と鋭い牙が手首に突き立てられた。
第六話も最後までお読みいただきありがとうございます!!
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あくまでこれは裏設定なのですが、作中に登場する青藤色の薔薇は、ブルーグラビティという品種のつもりです。おあつらえ向きってやつですね♪