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ロザリア・ローズガーデン

 先に少し、ルキウスさまのスキル――『世界観測』の話をしようと思う。


 まずルキウスさまは『世界観測』を未来視の能力だと思っているが、厳密にいうと違う。

 結論から言ってしまうと、あれは未来視ではなく、原作の乙女ゲーム『愛飢え乙女の幸福な結末』の全ルートを閲覧できる、メタ的な能力なのだ。


 ルキウスさまはこのスキルのせいで、入眠中強制的にこの世界の絶望的な結末を見せられている。諦観に満ちた暗い目も、夢見が悪いせいで消えないクマも、原作における無気力な言動も、すべては絶望の産物なのだ。


「ねえ、ロザリー。――キミはいったい、誰なんだ」


 空っぽな微笑を浮かべて小首をかしげ、ルキウスさまが問う。


 暗い色を映す瞳には、縋るようなわずかな期待と底知れぬ不安がにじんでいて、わたしは自身の喉がきゅっと締まるのを自覚した。


「わたし、は……」


 わたしは女の子が好きだ。ヒロイン――クリスティーナちゃんも好きだ。

 彼女の恋路は邪魔したくないし、わたしが好きなのはあくまで女の子。だからたとえ婚約者だろうと、攻略対象に触れる気も、深入りする気もなかった。


 わたしが何もしなくたって、いつかきっと、タイトルロールである聖女クリスティーナちゃんが救ってくれるだろうって、そう高を括っていた。


 けど、たぶん。ルキウスさまは、違うんだ。

 ゲームにそんな描写はない。

 でも、彼が心の底から信頼できるのはきっと、彼と同じ、この世界の未来を知っている人間だけ。――つまり、それは。


「ロザリー」


 もう一度、置いてけぼりにされた子どものような声で、悲痛そうに、縋るように、ルキウスさまがわたしの名を呼ぶ。


 女の子じゃないからって、クリスティーナちゃんの攻略対象だからって、……こんな辛そうな顔をした子どもを、捨て置けるわけ――ない。


「――あなたの言う通り、わたしはロザリア・ローズガーデンじゃありません」


「!」


 息をのむルキウスさまを真正面から見据え、わたしは言い放つ。


「わたしはロザリアちゃんの体に転生してきた、異世界人です」


「……いせ、かい」


 つっかえながらも正直に、言葉を選んで紡いでいく。

 突飛なことを言っている自覚はあった。それでもルキウスさまは真剣な面持ちで、じっと言葉の続きを待っていてくれる。


「わたしは前世、乙女ゲームという恋物語にハマっていました。その一つに、この世界を描いたものがあったんです。――だから!」


 ドレスの胸の前を握りしめ、わたしは決定打を口にする。


「だから、わたしはあなたと同じように、この世界の結末を知っています。――もちろん、わたしがあなたに殺されることも」


 ルキウスさまの表情が驚愕に染まる。けれどその瞳は、火花が飛び散りそうなほど鮮やかな希望に満ちていた。


 それは初めて、彼の瞳に光が宿った瞬間だった。曇天の瞳が晴天に変わった瞬間だった。


 震える小さな唇が、すっと開かれる。


「……やっぱり。ボクと同じだったんだ。そうだったらいいなって、ずっと思ってた。そっか。……そっか」


 背を丸め、噛みしめるようにルキウスさまは卓上の青薔薇を見やった。


「……ねえ、ロザリー」


「、なんでしょうか」


「ロザリー。ボクはもう、我慢しなくても、いいのかな。……弱音を、吐いてもいい?」


「っ、!」


 うるんだ瞳に涙を溜めて、せぐり上げる嗚咽に耐えながら、ルキウスさまは零れ落ちる涙を純白の袖で強く拭った。


「……」


 そして、その光景を見てようやくわたしは、彼がまだ7歳の子どもであることを痛感したのだ。


 ……彼が泣いているところなんて、ゲームでも見たことがなかった。

 でもあれは人前で泣けなかっただけだったんだ。弱音を吐き出せる場所がなくて、一人で耐えるしかないだけだったんだ。


 何周も何周もプレイしたゲームなのに、そんな“人”として見ていれば簡単にわかることにすら、“キャラ”として見ていたわたしは気づけなかった。


「、いいよ」


 ああ、だめだ。声が震える。

 わたしにそんな資格はないのに、喉の奥がツンとして、涙が頬を伝っていく。


 ほんとうに、ふがいない。わたしは大人のはずなのに。


「ルキウスさま、」


 けれどそれでも、これだけは伝えなくちゃいけない。


 机に手をつき、椅子から勢い良く立ち上がる。


「辛いことも、悲しことも全部、わたしが一緒に受け止めてみせるから、だから、」


 言いながら、彼のそばへと歩み寄る。


 幼い少年は溢れる涙を拭うこともせず、透き通った瞳でわたしをまっすぐ見上げた。

 はく、と彼の口が動く。


「もう、一人で抱え込まなくていいんだよ」


 彼の不安そうな顔が、どうか少しでも和らぎますように、と、今できる精一杯の笑みを浮かべ、わたしはそっと彼を胸に抱き寄せた。


「――っ、ぁ」


 腕の中で華奢な肩がびく、とはねる。

 背中にまわされた細い腕がよわよわしく、けれどかき抱くようにわたしを掴む。


「う、……ひぐっ、ぅ、あ」


「これからは、一人なんかに、させないから。あなたの苦しみも全部、一緒に背負えるよう、頑張るから。だからもう、大丈夫だよ」


「……、うん」


 冷たい水滴が赤いドレスに染み込んでいく。嗚咽を嚙み殺すこもった声に抱きしめる力を強めれば、彼は嫌な記憶を振り払うように、ゆるく頭を振った。


「……こわかった。毎日、酷い未来を見せられて。でも、そんなこと、誰にも相談できなくて、」


「うん」


 かすれた声でぽつぽつと、ルキウスさまが辛そうに吐き出す。


「みんな、夢で見たのと同じ行動をとるんだ。それが気持ち悪くて、しょうがなくて。だれも、悪くないのに」


「うん」


「ボクが行動を変えたせいでもっと悪い未来になったらって思ったら、それもこわくて。破滅を回避できたかもしれないのに、夢の通りに過ごすことしかできなくて……」


「……そっか」


 シクシクと吐露する彼の瞼はひどく腫れていた。痛々しいその姿を見るのがどうにも辛くて、親指で彼の赤くなった下瞼をぐっとなぞる。


「……、ロザリー?」


 不安そうにシクシクと、腕の中からわたしを見上げるルキウスさま。


 ……さっき彼は、何者でもないわたしの存在に救われたと言ってくれた。

 けれどこれ以上、わたしがしてあげられることは、ないのかもしれない。


 悪夢を何とかすることもできないし、わたしが動いたところで未来がよくなる保証もない。

 なにかもっと、彼の不安を取り除けるような、“タイトルロール”のようなことが言えたらいいのに、至極平凡な思考回路ではひとつの解も叩き出せない。


 聖女のクリスティーナちゃんだったら、真綿で包み込むような、暖かい木漏れ日のような、癒しと安寧を与えられるのに。


 悪役令嬢のロザリアちゃんなら、彼の悩みなんて不遜に鼻で笑い飛ばして、鶴の一声のように、闇をつんざく光のように、唯一にして絶対の最適解を示してくれるのに。


 わたしには、そのどちらもできない。零れる涙を、こうやって指で拭うことしかできない。


 ……ほんと、情けないな。


「ロザリー、どうかしたの? どこか、いたい?」


「……ごめんなさい、ルキウスさま。あなたの力になりたいのに、わたし、何の役にも、立ててない、」


「え?」


 だめだ。そんな、彼の不安を増長させるようなことを言うな。


 そう頭では思うのに、決壊したダムのように、涙とともに思考が口からあふれてしまう。

 ああほんと――


「――ここにいるのが、本物のロザリア・ローズガーデンだったらな、」


「そんなこと――、!」




『――ならその身体、返していただけるかしら』




「――え、」


 すぐ耳元で、鈴を転がすような声がした。

 それは前世、何度も耳にした愛しい声。甘くて、芯があって、ツンとした声。


 サアァと風が吹き、卓上に飾られた薔薇の花弁が空に舞う。


『アナタが前世を思い出した影響かしら、ようやく完全に分離できたようね。ああ、ほんとうに久しぶりの外の世界――』


 小さな靴のヒールが、音もなくテーブルクロスに降り立った。


 ミルクティーグレージュの縦ロール。桔梗色の瞳。ロイヤルブルーの薔薇のドレス。わたしと同じ背丈の身体は文字通り透き通っていて、彼女は鼻歌とともにくるくると愉しそうにバレエを踊り始める。


「そんな、なんで……」


 すとん、と背に回されていたルキウスさまの腕が滑り落ちた。彼の薄氷色の瞳が、零れそうなほどに見開かれている。その瞳を覆っていた涙は、驚愕のあまり止まっていた。


「……ロザリア・ローズガーデン」


『ええ、ご名答ですわ。ルキウスさま』


 舞うのをやめてこちらを振り返った彼女の笑みは、とびっきりの悪女で。

 わたしの胸はドクンと高鳴った。


「――そんなまさか、ロザリアちゃん…………の、幽霊だよね!?」


「え?」


『は?』


 気のせいだろうか、ルキウスさまとロザリアちゃんのソプラノ絶句ボイスがユニゾンした気がする。


「もしかしてもしかしなくても、わたしが転生してきたせいでロザリアちゃん死んじゃったんだよね!? アッアッほんとに申し訳、」


『ちょ、待ちなさい! アタクシまだ死んでなくってよっ!』


 顔面蒼白で謝罪をまくしたてるわたしに、こぶしを握り締めてぷりぷりと叫ぶ青薔薇のロザリアちゃん。


 どうやら推しを怒らせてしまったようだ……猛反省。


 だがしかし! 今は一ファンとして、勃発したロザリアちゃんがちでかわい過ぎる問題に取り組まねばなるまい。


 原作の――今わたしが着てる紅薔薇ドレスももちろんロザリアちゃんに似合いすぎて失神するほど似合ってた。がしかし! ロイヤルブルーの青薔薇ドレスですよみなさん!! 2Pカラーかわい過ぎるんですが!?!? とは、思うんだけど、


「でも、あれ? ロザリアちゃんって青薔薇嫌いだったはずじゃ……」


『……こほん』


 あ、推しが咳払いしたかわいい。


「はぁ……尊しの極み……」


「あのね、ロザリー」


「なんでしょうかルキウスさま。今推しを目に焼き付けるのに必死でしてちょっと余裕がなくてアレなんですけど、」


「ロザリー。気づいてないと思うけどたぶん、さっきから心の声全部漏れ出てるよ」


「ミ゜ そ、そんな馬鹿な……!」


「っふふ、あはははっ!」


「くっ! 笑いましたね、ルキウスさま。おのれ、このうらみ……」


「ふふふ、ごめんねロザリー。っ、ふふ」


「また笑った!」


 なおも爆笑するルキウスさまに、わたしのメンタルがダイレクトアタックされてしまったが、……まあ彼の笑顔を取り戻せただけよしとしよう。


 そんなわたしたちの夫婦漫才(まだ婚約段階だけど)を見て、ぷくーっと頬を膨らませるロザリアちゃん。かわいい。


『……もういいかしら。アタクシの存在が霞んでいるようで癪なのだけれど、』


「アッ、ゴメンナサ、」


『まあいいわ』


 呆れたようにため息をつき、テーブル上の悪女がさらっと縦ロールをはらう。

 首をくいっと上に向け、真なるロザリア・ローズガーデンは傲岸不遜にこちらを嘲笑った。


『何はともあれ、ロザリア・ローズガーデンの帰還よ。頭を垂れてつくばいなさい』


 ――その桔梗色の瞳を、ぬらりと妖しく光らせて。

第五話も最後までお読みいただきありがとうございます!!

面白ければブクマや星などで応援お願いします♪

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