婚約者、初対面じゃなかったらしい
「はっ! ここは、」
「あ、気がついた」
薔薇の生垣に午後の優しい日差しが降り注ぐ、王宮のテラス――が眼前に広がる日陰のガーデンテーブルにて。
婚約者のげきつよ顔面力に記憶をノックアウトされちゃったわたしは意識を取り戻した。
たぶんそんなに時間は経っていないのだろう。わたしとルキウスさまは白いガーデンテーブルに向かい合わせに座っていた。卓上には薄い青藤色の薔薇が飾られていて、二つ並んだティーカップはまだ湯気が立っている。
わたしの婚約者である美少年は組んだ手にちょこん、と顎を乗せ、ニコニコ微笑んでいた。
「安心していいよ、ここにはボクとキミしかいないから」
いや、それが怖いんですが……とは、口が裂けても言えない。
いくら前世ドハマりした乙女ゲームの攻略対象とはいえ、ゲームのシナリオと全然違う行動をなさったお方ですよ?? 普通に一旦警戒させてほしい。がるるるる……。
「ふふ」
え、それはなんの微笑みでしょうか?? もう全部がこわすぎる……。きゅーん……。
というか、ルキウスさまの口調……玉座の間のときよりくだけてない?
ゲームでも好感度が上がると、ですます丁寧口調からこういう話し方になってたし、わたし的にそこまで違和感はないけど……それにしても素をだすのはや過ぎない? なんで好感度マックススタートなんですか?? こわいって……。
「やっぱり。キミは変わらないね。この世界でキミだけがボクの――ボクのスキルの予想を裏切ってくれる」
ティーカップに口をつけ、ルキウスさまが紅茶を喉に流し込む。
おお、めっちゃ優雅……じゃなくて、今ルキウスさま“変わらない”って言ったか??
「あの、ルキウスさま! ちょっと状況把握のため、つかぬことをお伺いしてよろしいでしょうか!」
「ん? どうしたの?」
びしぃっ! と垂直に手を挙げてそう問えば、ルキウスさまはまた愛らしくこてん、と首をかしげた。
くっ、女の子じゃないとわかってはいるが、やっぱ顔がいいな……でもなくて!
「……こほん。ルキウスさまは、先ほどから旧知の仲みたいな雰囲気を出していらっしゃいますけど、わたしたち今日が初対面ですよね?」
「え、」
カチャ、とティーカップが置かれたソーサーが、悲痛気な音を立てた。驚いてルキウスさまを見上げると、曇りのある水色の瞳が、零れ落ちそうなほど見開かれている。
その目の下にあるうっすらとしたクマが目に入って、ああこの世界のルキウスさまもちゃんと眠れていないんだな、と少し思った。
「覚えて、ないの?」
「え、これ初対面じゃない感じか?? あれれ~? そんな重大イベントあったらさすがに覚えてると思うんだけどなあ~~~(小声)」
驚愕と悲哀が入り混じった面持ちのルキウスさまに、だらだらと冷や汗をたらすわたし。
……言い訳させてもらうと、わたしは女の子――ヒロインや悪役令嬢に夢中すぎて、攻略対象ズに関してはいろいろと記憶がおぼろげだったりするのだ。
だがしかし! そもそもロザリアちゃんとルキウスさまの対面イベが今日よりもずっと後だったことは覚えているし、わたしのあずかり知らぬところでシナリオがずれ始めているのは確定なようだ。
「……半年前の王家の夜会で、初めて会話をしたんだ。ボクの『世界観測』のスキルに、そんな未来はなかったはずなのに」
「あ~……」
半年前だって? 昨日の晩御飯も思い出せないわたしにどう思い出せと??
「キミから話しかけてくれたんだよ? ……ほんとに、覚えてないの」
「ぬ~ん……」
でもなんかそんな過去回想をゲームで見た気がするな?
忍び込んだ立食パーティーっぽいとこで遠目にルキウスさまを見て、ロザリアちゃんがきゅんとする的なシーンを。
ん? 忍び込んだって……。
「うーん……、あっ、あのパーティーか……!!」
てか、わたしの記憶にも全然あったわ。前世思い出す前だけど!! 思い出す前の記憶がすっぽ抜けてなくて助かった!!
「えーと、思い出せ、思い出せ……確かあの日は爆食いしたかったからこっそりお父さまについてって……、めちゃくちゃ一人フードファイトして……、気づかずに食べたラム酒入りのチョコブラウニーにドはまりして、食べまくってそれで……、あ!」
あ、完っ全に思い出した。酔っぱらって絡みにいったんだわ。
全然あずかり知ってたわ。なーにやってんだよ、半年前のわたし。婚約者とはいえ王族相手だぞ? 最悪首ちょんぱの可能性あったじゃん。だってわたし人権ないし。あ、でも稀少種だから殺されはしないか……。
「たくさん話をしたんだよ。例えば、キミが“女の子が大好き”ってこととか」
「……ッ、ス~~~~~~~。……コロシテクダサイ」
ルキウスさまの瞳が一瞬鋭くなった……気がする。
うわー、半年前のわたしが本っ当にごめんなさいね。巻きゴテが存在するのは置いといて、こんな中世ヨーロッパっぽい世界観ですものね。百合耐性とかないに等しいよね、うん。
よし、もう今世では二度と酒は飲むまい(決意)。……いや、そもそも飲んではないんだけど。
「『世界観測』で見たことない言動をする人は、キミが初めてだったんだ。キミと話して初めて、絶望しかないと思ってた未来に、希望が持てた。全てを諦めてたボクに、キミが光を見せてくれたんだよ。キミに心当たりはないかもしれないけどね」
鋭くなった瞳をやわらげ、照れたように笑う顔は珍しく年相応で、わたしも少し照れくさくなってしまう。でもまだ目が死んでるのでまだちょっとこわい。
「キミに好いてもらえるように、魔法の腕も磨いたんだよ。今、オリジナルの魔法を開発していて、もうすぐあの日の約束を果たせそうなんだ。完成したら、一番にキミに見せにいくから」
「覚えてなくてまことに申し訳ないですが、楽しみにしてますね~……」
「――ほんとうに、ボクの魔法適性が幻想魔法でよかった」
「、? ですね~……?」
え、なんだろう、オリジナルの魔法って。そんな設定ゲームにあったか?
幻想魔法はわかる。幻を具現化できる、イマジネーションが必要な魔法で、ゲームのルキウスさまが使う魔法もそれだった。ちなみにわたしの魔法は茨魔法。トゲトゲの茨をいっぱい出せます。自分に刺さるとめっちゃ痛いです。
「――ところで、ロザリー」
「あ、はい。……って、ん? ろざ、りー?」
「うん。せっかくだし、愛称で呼びたいなって。だめ?」
「ええっと、」
せっかくって、どういうせっかく? いっちょんわからん。
「いいって、言って?」
上目づかいにキラキラ(当社比)とこちらを見上げる、仔犬みたいなルキウスさま。やっぱ顔がいい。目死んでるけど。
「えー、と……い、いいよ~ん……?」
「ふふっ、ありがとう。で、話を戻すんだけど、」
あさっての方を見ながらそう言えば、かわい子ぶっていたルキウスさまは、一瞬でデフォルトの微笑に表情を戻した。
切り替えはえーな、この7歳児。
「ロザリーはボクがスキルを持っている、って口にしたのに、疑問に思ってないように見えるんだけど、それはなんで? 誰にも言ったことはないから、知ってるはずないのに」
「あ、」
確かにさっきさらっと言ってましたね!? ゲームじゃ常識だから流しちゃったけど!
「どうして?」
「どうしてって、それは――」
ゲームで見て知ってるから、って正直に言えるわけがない。なんて言おう……。
「……キミはね、ロザリー。ボクの知ってるロザリア・ローズガーデンとは全然違うんだ。彼女は幼い頃から周囲に当たり散らす、傲慢で高慢な悪女の卵――そのはずだった。けれど、キミは違う」
「……」
「キミ、本当はロザリア・ローズガーデンじゃないんだろう?」
「っ、」
「例えば、何らかの方法でボクやこの世界の未来を知ってる別人、とかね」
微笑を浮かべた幼い王子は頬杖をつき、こちらを試すように目を細めた。
……さすがは幻想魔法の使い手だ。飛躍の多い夢物語のような発想はしかし、ことごとく正解をたたき出している。
「ねえ、ロザリー」
わたしの顔を覗き込んで、美ショタの婚約者は可愛らしく小首をかしげた。
「――キミはいったい、誰なんだ」