至高のアップルパイと、“あーん”の天国《エデン》
「今一度、お前たちに――――名前を与えようと思う」
正座怒られモードのわたしたちに告げられた電撃発表から少し経って、現在。
我らがローズガーデン一家は仲良く、めちゃ長いダイニングテーブルを囲っていた。わたしの右隣にはロザリアちゃんがいて、左斜め前にお父さまが座っている。
それぞれの前には切り分けられたアップルパイが置かれていて、ロザリアちゃんとお父さまは優雅に……そしてわたしは極限状態まで精神を研ぎ澄ませてアップルパイに向き合っていた。
「……ごくり」
生唾を飲み、左手にフォーク、右手にナイフを握って、目の前の二等辺三角形に丁寧に切り込みを入れる。
突き立てたフォークを持ち上げ、まずは一口。
「はむっ……~~~~~~~~ッ!!」
至高のアップルパイを口に含んだわたしは、キラッキラのシイタケ目になって、甘美な甘味に打ち震えた。
「おいし、すぎる……っ!!」
まずはこの生地! ナイフで切り込みを入れた瞬間から響く、鼓膜を誘惑するようなサクサクサクッ! という小気味のいい音。
万が一この音のASMRが出ることがあれば、わたしは確実に全私財を投げ売って、シルヴィアに直スパチャすることだろう。
層も見た目はふわっとしているのに、噛むと丁度いい弾力が歯に返ってきて、一口嚙み締めるごとに多幸感が奥歯の奥の方にじわ~っと広がっていく。
たぶん表面のコーティング具合とかが素晴らしいんだろうな。なんというか、あみあみ部分のザラメ感が神がかっている。
「あむっ」
そしてなにより! このジャム状のリンゴ部分ですよ!!
宝石を砕いて混ぜたと言われても納得しちゃうくらいきらびやかな見目は大前提として、このわざと残されているリンゴ生来の嚙み応え。これは市販のジャムでは再現できない天才的な舌触りだ。
甘くてとろっとしたジャムに混ざる、擦り潰されなかったリンゴたちのシャキッと感。まさしく至高。
最高の食感と共に、こってり煮詰められた甘味が味蕾という味蕾に染み渡って、脳やら脳幹やらが幸福に召されそうになる。なるほど、ここが天国だったというわけか……。
強いだけじゃなく、お菓子作りも巨匠の域とは、我が家の天使メイドさまは本当に有能極まりない。
「ん~~~~~~最っ高! これだよこれ~~~っ! やっぱシルヴィアのアップルパイは世界一! いや、前世込みの全並行世界でもナンバーワンだよ~~~! おいしすぎて、ほっぺたどころか消化管に至るまで液状化現象起こっちゃってるね!」
『……はあ。一番修復不可能なほどドロドロに溶けているのは、アナタの脳の言語野ではなくて? ――“ロザリー”』
「!」
ほっぺたを抑えてくねくねするわたしを、“ロザリー”と呼んでジト目で見つめるのは、隣に座ったロザリアちゃんで。
一言そう注意した彼女はもうわたしに興味を失ったように、フォークに刺さったアップルパイを小さなお口ではむっとしていた。
心なしか、いつもはきゅっと結ばれている口元も、アップルパイという甘味の衝撃でゆるゆるにこにこになっている気がする。うん、かわいい。
「そうだ、“ロザリー”。食事は静かに執り行いなさい」
「む。お父さままで……、はぁい」
ちらっと流し目でこちらを見やったお父さまも、冷ややかにわたしをたしなめて食事に戻った。ちなみにお父さまは普段とまったく表情が変わっていません。本気で怒っているのかそうじゃないのか、表情変化が読み取りづらすぎる。
けれどまあ、ほーんのちょっぴりだけ頬の血色がいいし、目の光が柔らかくなっている気がするから、不機嫌でないことだけは確かだ。
あと、アップルパイを食べるお父さまの仕草がめちゃくちゃロザリアちゃんにそっくりなんだけど、なんか釈然としない……。
なんでそんなお口ちっちゃいんですかお父さま。あざとかわいいギャップ枠とか狙っているんですかお父さま。かわいいとか思ったりしないんですからねお父さま。
「ロザリー、食事中の他者を凝視するのもマナー違反だ。やめなさい」
「みみみみみ見てませんがっ!?」
「……そうか」
ふう、危ない危ない。ガン見を気取られたせいで、あやうくお父さまが自身をかわいいと認識してしまうところだった。自身をかわいいと認識している子持ち三十路未亡人(男)とか、属性過多すぎる。
やれやれだぜ、と額を拭えば、カタ……とわたしのすぐ横に皿がサーブされた。皿の上で輝きを放っているのは、今食べている普通のあみあみアップルパイとは違う、朝ロザリアちゃんに全部食べられたはずの薔薇の花型アップルパイで。
わたしは目をキラキラさせて、いつの間にか真横に立っていたシルヴィアを見上げた。
「シルヴィア、これ……!」
「はい。たった今焼き上げたものでございます。お気に召していただけましたか?」
「もっちろんだよ!! いっただっきまーす!!」
こてりと微笑んで小首をかしげたシルヴィアにそう返し、美しい薔薇にナイフを入刀する。ゆっくりと大口を開けて……ぱくり。
「ふあぁぁ……溶けりゅ……」
溶けた。
さすが焼きたて。威力が桁違いだ。通常時ならひんやりとしているジャムすらうっすらと熱を帯びていて、ほのかなあたたかみと甘みが舌を幸福で包んでいく。そして音! 生地の層がサクッというより、パリッって感じになっている。大変心地よい音色でございます。
「おいしいッ……! シルヴィア、生まれてきてくれてありがとう……!」
「ふふっ。お褒めにあずかり、恐悦至極に存じます」
くすっと吹き出して口元に手をやり、花がほころぶように微笑むシルヴィア。その可憐さに、アップルパイを食べる手が亜光速的な加速をみせたことは言うまでもない。
とりあえずおめめをかっぴらいて、全力でシルヴィアの姿を目に焼き付ける。うまうま。
当のシルヴィアはわたしの奇行も全部お見通しなようで、可笑しそうに笑ってお父さまの背後に控えた。
……あ、そうだ。
「シルヴィア、シルヴィア。ちょっときて」
ニマニマと含んだ笑みを浮かべたわたしは、ちょいちょいとシルヴィアを手招いて呼び寄せる。シルヴィアはきょとんとしてわたしに近づき、かがんで目線(?)をわたしに合わせた。うわ、伏せられた睫毛のきらめきがこんなにも美しい。
「? はい、なんでございましょうか」
ガチ恋距離でこちらをみつめる天使を横目に、薔薇のアップルパイを一口サイズに切り分けてフォークを突き立て、左手を添えて彼女の口元に運ぶ。
「ん~、こんなもんかな。はい、あ~ん」
「え、えっとその、お嬢様……、旦那様がなんとおっしゃるか……」
「いいからいいから。ほら、お口あけて?」
あーんを催促するわたしに、どぎまぎと困り眉になってお父様をチラチラ振り返るシルヴィア。小動物みたいでかわいいな……、じゃなくて。
天才美少女たるわたしは思いついたのだ。
シルヴィアはメイドであるため、主人であるわたしたちと一緒に食事を取ることはできない。悲しいかな、それが貴族のルールなのだ。
しかし! そのご主人様たるわたしがあーんを強制することによって、シルヴィアも一緒にアップルパイを食べることができるのだ。
けっして! この天使メイドにあーんがしたいという我欲に突き動かされているわけではない! けして!
お父さまの様子を伺っていたシルヴィアは、そのお父さまからの呆れ交じりの視線を受け、意を決したように小さく頷き、ごくりと喉を鳴らす。
「本当に、お嬢様には敵いませんね。……では、頂戴いたします」
ぷるぷるのシルヴィアの唇が小さく開かれる。フォークを握るわたしの手にそっと自分の手を添えて引き寄せ、垂れ下がった横髪をはらりと右耳にかける。チャラ……と十字架のピアスが揺れる。
どくんどくんと、心臓が早鐘をうつ。頬が紅潮していくのがわかる。口角が吊り上がらないよう表情筋に力を込めるが、たぶんたいした抑止力はない。
小さな唇にアップルパイの欠片が飲み込まれる。唇の端についた花びらのような薄皮を、桃紅色の舌がちろりと舐めとる。
「我ながら、大変美味しゅうございました」
そう言って微笑むシルヴィアの唇はてらてらと艶めいていて、わたしは沸騰した脳で肺呼吸を停止した。
「そっ……か。そりゃ、シルヴィアの作ったアップルパイだもんね、ほんとおいしいよね。うん……」
「はい。ありがとうございます、“ロザリーお嬢様”」
「あっ、……はい」
一方わたしはシルヴィアを直視することができなくなって明後日の方を向き、まだばくばくとうるさい心臓の上をぎゅっと握りしめて、はやる呼吸を落ち着かせる。
シルヴィアがお父さまの背後に戻ってもなお、わたしはその状態で硬直していた。
「我欲をかいたがために、心臓が止まりかけた……」
そんなわたしの様子に、はあ……と零される重ーいため息が一つ。
『言いたいことは山のようにあるけれど、まあいいわ。こっちを向きなさい、ロザリー』
「ちょ、ロザリアちゃ……!」
『はい。あーん』
「むぐぐっ」
シルヴィアの方を向いていたわたしの頬を片手で強引に掴み、自分の方を向かせたロザリアちゃんは、もう片方の手に握られていたフォークをわたしの口に容赦なく突っこんで引き抜いた。
口の中に広がるのは、アップルパイの芳醇な香りと甘み……。あ、まって、わたし今ロザリアちゃんにあーんしてもらっちゃった……!?
「もっもっ……、うみゃい。あーんのおかげで、五割り増しで甘くて幸せ……」
『そ。アタクシが手ずから与えてあげたのだから、当然ね』
ついっ、と正面に向き直ったロザリアちゃんはそのまま自分もぱくっと一口、アップルパイを口に放り込んだ。
え、てかそれ、間接ちゅーでは……??? いいんですか??? あ、でも二人ともロザリアなんだし、え、これは間接ちゅー……? ん? どっちだ……??
「……ていうか、なぜ急にあーんを……?」
『あむっ。……なんとなくよ』
「ああ。ひょっとして、朝のお詫びとご褒美だったり?」
『……、はむ』
あ、そっぽ向いたロザリアちゃんの耳が赤くなってる。これは図星ってやつだ。素直じゃなくて、うちのお姉さまは本当にかわいい。
「にへへ。ありがとね、ロザリアちゃん」
『……もう。そうじゃないでしょう? “ロザリー”』
「あっ、そかそか、そうだった。ごめんね、まだ慣れなくて」
頬を赤く染めながらじとっと柔く睨んできた視線に、ぽりぽりと頭を掻き、照れくさくなってにへらと笑う。
うん。まだちょっと、ルキウスさま以外に“ロザリー”って呼ばれるのはこそばゆい。ロザリアちゃんを“ロザリアちゃん”以外の呼び方をするのも、やっぱり慣れない。
でも、その本人たる彼女がご所望なのだ。応えないわけにはいかないよね。
「改めまして、ありがとう。――“ロゼッタ”!」
『ふん』
ロゼッタ、と。そう呼ばれた我がお姉さまは、鼻を鳴らして紅茶を啜った。頬も耳の先も、赤く染まったままの可愛らしい姿で。
――さて。
なぜ、わたしが“ロザリー”と。ロザリアちゃんが“ロゼッタ”と呼ばれているのか。
話は少し前に遡る。
……と言っても、そんなに長くなる話でもないんだけどね。
あの時。ややこしいから、別の名前をつけよう! となって、わたしの名前は一瞬で決まった。「ルキウス殿下にそう呼ばれているのだから、“ロザリー”でいいだろう」とお父さまに言われ、わたしは秒で納得したのでまじで秒だった。
問題はロザリアちゃんだ。
わたしは最初、「わたしだけ名前変更して、ロザリアちゃんはそのままロザリア・ローズガーデンを名乗り続ければいいのでは?」と思ったが、反対したのは当のロザリアちゃんだった。
曰く、『アナタにだけ変更を強いるのは、アタクシの矜持に反するわ』とのこと。本当に我が姉は、凛としていてかっこいい。
で、その時、お父さまが言ったのだ。「お前に名づけたい名がある」と。
――それが、“ロゼッタ”だった。
……どこから説明しようかな。まずは、お母さまの――ローゼリーナ・ローズガーデンの話をしなければならないと思う。
お父さまが言った。「ローゼリーナが息を引き取った時、腹には子が宿っていたのだ」と。「生まれてきたその子が女児であれば、“ロゼッタ”と名付けようと話していた」と。「だから、お前にはその名を与えたい」と。
わたしたちはそんなこと知らなかった。お母さまのお腹の中に、妹か弟がいたなんて、これっぽっちも知らなかった。
筆舌に尽くせないほど、ショックだった。後悔やら罪悪感やらが、どろどろと胸中を駆け巡った。
けれど、ロザリアちゃんは――ロゼッタは、それを受け入れた。
死なせてしまったその子の分まで、その名を背負って生きると決意した。背筋を伸ばして前を見つめ、いつも通りに、天啓のように凛としていた。きっと、彼女の内心もいろんな思いで溢れかえっていただろうに。
お父さまになんか言ってやろうと思った。生まれてくるはずだった子の名前を、別の人間に付けるのは違うんじゃないかって。
でも、当人が納得しているのに部外者が横槍を刺す資格はないなと、押し黙った。
……少し、暗くなっちゃったかな。
まあそんなわけで、さっき付けで、わたしは“ロザリー・ローズガーデン”に。
ロザリアちゃんは“ロゼッタ・ローズガーデン”になったのだ。
そんで、現在。双子姉妹設定のロゼッタとわたしは、仲良く並んでアップルパイを頬張っている、というわけなのだ。
「う~ん、シルヴィアのアップルパイis でりしゃ~す……! あっ、ロゼッタもよかったら、こっちの薔薇の方一口食べる?」
『……いいの?』
「うん。焼きたてでおいしいし。はい、あ~ん」
『じゃあ、はむっ……、! ええ、あたたかくて、本当に美味しいわね』
「でしょ~!」
『なんでアナタが誇らしげな顔をするのよ』
「えへへ」
にこにこ、てれてれと美少女姉妹が彩る食卓に、キキキキキーーーーーーーーーッ!! という、ものすっごい馬車のブレーキ音が聞こえてきたのは、そんな時だった。
「なっ、なにごとっ!?」
『、何事かしら』
「何事だ」
「……何事でしょう」
現場の四人の声がほぼ同時に重なる。ダダダダダダダダッ!! と、けたたましい足音が今いる部屋に近づいてくる。
「私の後ろに下がりなさい。ロザリー、ロゼッタ」
『ほら立ちなさい、ロザリー』
「で、でも、アップルパイがまだ……」
『今は後!』
「そんなぁ~……」
「旦那様。ここはわたくしが」
「ああ。頼む」
立ち上がって、わたしとロゼッタの前に出るお父さま。アップルパイとの別れを惜しむわたし。わたしをたしなめて引っ張るロゼッタ。開眼して召喚したバトルアックスを構えるシルヴィア。
四者四様の緊張が場に走る。足音が部屋の前で急停止する。ギィ……と、扉に隙間ができる。ロリータっぽい白の厚底パンプスが、室内に一歩、足を踏み入れる。
そして姿を現した、ふりっふりの甘ロリ服の人物を見て、全員が目を見開いた。
「助けてくれ、ロザリアサン!! アイツを止められるのはアンタしかいねえ……っ!!!」
「えっ!? ランスロットくん!?!?」
ふりふりのボンネット。薄い水色の、バルーンスカートのロリータ服。絹のように波打つ水色の長髪と、若干涙目になっている、まんまるのサファイアの瞳。
それと、……外見とはかけ離れた、高音ロックな掠れショタボ。
そこには、こてこての甘ロリに身を包んだ騎士の少年――ランスロットくんが立っていた。
「マジでほんと、お願い……助けて……」
ランスくんが、うるうるのおめめでわたしを見上げる。くっ、かわいすぎる……っ。そんな仔犬みたいな顔されても、わたしの女の子好きが揺らいだりはしないんだからなっ! しないんだからな……っ!!
はたして、わたしはこのかわいさに屈してしまうのか。それとも屈してしまうのか……っ!?
その結末はいかに──。
第14話も最後までお読みいただきありがとうございます!!
よかったらブクマや星などで応援していただけると嬉しいです!!!
飯テロ描写をね、したかったんですよ。
でも私は究極のバカ舌人間なんで、食レポならぬ食感レポになってしまいました……。無念。
どうかあたたかい目で、音と食感と温度を楽しむロザリーちゃんをお楽しみくだされ……。
けど、今週はけっこうイチャイチャできたのでは!? と思います!!
女装したランスロットくんも出せましたしね!!!
また来週も見ていただけると嬉しいです!!! さらば!!!