姉妹喧嘩Lv.999↑/Mode:Out of Control
あれから数日が経って、ローズガーデン邸に帰宅したわたしたちは元気に――それはもう元気に過ごしていた。
ここ数日をダイジェスト的にまとめると、お父さまとシルヴィアにわたしの由来を話したり、正式な手続きを踏んで(かどうかは正直怪しいが)、ロザリアちゃんがローズガーデン家の実子と認められ、わたしの双子の姉(という設定)になったというビッグニュースが一面を飾ったりするのだが、今はそんなことはどうだっていい。
現在。
「……いくら女の子に優しいわたしとはいえ、限度ってものがあるんだよ? ロザリアちゃん。あなたは今、絶対に越えてはならない、ボーダーラインを踏み越えた」
言いながら、塔の部屋の窓を開け放つ。室内に吹き込む冷たい風に、レースカーテンと薄ピンクのネグリジェがたなびいた。窓枠に裸足をかけ、体重移動。窓に仁王立ちになって重いため息を口の端から漏らし、階下の庭園を見下ろす。
ローズガーデン領――本日、薄曇り。
日陰であることをいいことに、ロザリアちゃんは庭の野薔薇と戯れていた。
ベビーピンクの薔薇の下あご部分をこれ見よがしにくすぐって、はるか十メートル上のわたしを認め、ニヤリと意地の悪い笑みをつくる。
……さすがは悪役令嬢といったところか。蠱惑的な笑みが随分とさまになっている。
『あらごきげんよう、もう一人のアタクシ。なにをそんなに怒っているのか知らないけれど、寝坊助ながらに目覚めたのなら、アタクシに挨拶をするべきじゃない? おそようございまして申し訳ございません、ってね』
虫でも払うように薔薇を退けたロザリアちゃんは、チェシャ猫のように笑って塔に歩み寄ってくる。
わたしはそんな彼女を真っ暗な顔で見下ろして、頭にかぶったポンポン付き三角ナイトキャップをくしゃっと握りしめた。
「…………おはよう、ロザリアちゃん。ところであなたは若年性健忘にでもなっちゃったのかな? わたし、昨日、言ったよね? あのアップルパイはわたしのだから、って。ご丁寧にラップに名前まで書いてさあ!」
『? 昨日? ……ああ! これのことかしら』
一瞬きょとんとしたロザリアちゃんは、思い出したように表情を明るくしてガーデンテーブル上の残骸を振り返った。
細かい文様に彩られた大きな皿には、使用済みのフォークと“ロザリア”と書かれたラップゴミだけが乗っかっている。剝がれ落ちたパイ生地が数枚、花びらのようにテーブルクロスに落ちており、それだけがここにアップルパイがあったことの証明になっていた。
つまり、一切れも残ってない。
「……朝起きたら食べようって、楽しみにしてたのに。シルヴィアが焼いてくれた、薔薇の花型絶品アップルパイ」
『悪かったわね。一切れくらいは残してあげようと思っていたのだけれど、口内でほろけるパイ生地とジャムがあまりにも甘美で……。でもアナタの不注意でもあるのよ? だって、アナタもアタクシも“ロザリア”なんだもの』
悪びれる様子もなくクスクスと、いかにシルヴィアのアップルパイが美味かったかを語る様子は毒気もなく無邪気で、なんだか気が、音が、遠のく心地がした。
ロザリアちゃんの音声が掠れて視界が歪み、甲高い耳鳴りがキーーーンと思考の余白を塗りつぶしていく。
「ああそっかそっか。……なら、もういいよ。そうだよね。わかりにくい書き方をしたわたしが悪くて、ロザリアちゃんはなーーーんにも、悪くなんかないんだもんね?」
『……。だから、悪かったって言ってるじゃない。当てつけのように言うのはやめてくれるかしら? 気分が悪いわ。言いたいことがあるなら、真っ向から糾弾なさいな』
不機嫌を隠しもせず、腕を組んでキッっと睨めあげるロザリアちゃん。
なんか今日のわたしはすごく、虫の居所が悪い。いつもなら癒されるはずのロザリアちゃんのご尊顔を見ても、苛立ちが収まりそうにもないどころか、沸々と増幅していっている。
違うのに。アップルパイとロザリアちゃんなら、ロザリアちゃんの方が大切なのに。いつものわたしなら、ロザリアちゃんがおいしく食べてくれたんならそれでいいって、思えるのに。
『というかアナタ、酷い顔色よ。体調が悪いなら、もう少し寝ていたら? 夕食にはちゃんと起こしてあげるから』
けどなんか、今日はどーでもいいや。イライラするし。やるなら、徹底的にやってやろう。二度と同じ過ちが繰り返されぬよう、徹底的に糾弾してやろう。
ちょうどいいことに、魔力も満ち溢れていることだし。
『ちょっと、きいてるの?』
「……うっるさいなあ、」
『なっ、!』
わたしに拒絶されたロザリアちゃんは、驚愕と悲愴の入り混じった顔をして押し黙った。その表情を目の当たりにしても、後悔の念は湧かなかった。
ただ恍惚とした優越感が、麻薬のように脳に溶け出していく。
「キンキンキンキン。……ほんと、脳が割れそうだよ。耳障りにも程がある」
噓だよ。ストラディバリウスの多重奏くらい、心地いいよ。
「ねえ、ロザリアちゃん。わたし、女の子が好きなんだ。幸せそうな顔も好きだけど、たとえ血にまみれて傷ついていても、女の子は美しいと思える。だからね、」
言葉を切って息を飲む。空中に展開させた魔方陣に右腕を突っ込む。異次元に収納していたソレの柄を握り込んで引きずり出す。
「――だからさ一回、姉妹喧嘩してみようよ! 本気で。どちらかが力尽きるまで! わたしに負けたら今度こそちゃんと“ごめんなさい”できるよね? お姉ちゃん♡」
魔方陣から召喚した茨のレイピアを構え、哄笑したわたしは窓枠から飛び降りた。ロザリアちゃんはそんなわたしに見向きもせず、ゆるゆると頭を振って俯き、呆れたようなため息を零す。
ぶちぶちと、薔薇のツタがちぎれる音を響かせながら。
『はあ……、大体事態は把握したわ。全く、自制心の希薄な義妹を持つと苦労するわね。……ええ、いいわ。喧嘩を――いいえ、一方的な蹂躙を成しましょう! 二度とアタクシに歯向かう気なんて芽生えもしないよう、姉として調教してあげなくてはね!』
「!」
顔を上げたロザリアちゃんの右目には、魔方陣が表示されていた。
その周囲に浮かんでいるのは、引きちぎられたベビーピンクの無数の薔薇。その数、約50。その全てが、鋭い茎がこちらを向くよう、ゆるやかに回転する。
この一瞬で野薔薇を引きもぎり、あまつさえ攻撃に転用して見せるとは。なんという重力操作のコントロール精度。
驚くわたしをよそに、ロザリアちゃんは天すら聴き惚れる一鶴の声で、余裕綽々と命を下した。
『――野薔薇よ、仇敵を貫け!』
「っ、それはお父さまのっ、!」
臓腑をつんざかんと飛来する桃薔薇を、寸でのところで身を捻って回避。回転の勢いのままレイピアで全て切り裂き、はたきおとす。避け損ねた薔薇の棘がネグリジェを裂いたが、問題はない。
ロザリアちゃんとの距離、およそ三メートル。桃薔薇に残機なし。
勝利を確信して引きつりそうになる口角を抑え、レイピアを左上段に振り上げる。
「ロザリアちゃんの敗因は、最初に重力魔法でわたしを地に落とさなかったことだよ。まあ、それも対策してたんだけどねっ!」
『あら、そうだったの。ならアナタの敗因は背後に目がなかったことかしらね』
「、な」
背後? そんな。魔力反応は途絶えているはず。なら、一体何が。
首をひねって、後方を確認する。
――だが、そこには何も存在しなかった。
「は?」
『噓よ。本命はこっち』
首を戻す。前を向く。零れ落ちそうなほど見開いた眼球に映るのは、三又の銀食器。――フォークだ、これ。やばい速い。かわせない。目を、持っていかれる。
ならせめて、道連れにしなければ。
レイピアを宙で逆手に持ちかえる。ストローで飲み物の蓋を貫くように、真っ直ぐ振り下ろす。ロザリアちゃんの目いっぱいに焦りが滲むのを見て、わたしは醜く歪に笑った。
ああこれで、おあいこだ。
――瞬間。
「シルヴィア」
「承知致しました、旦那様」
わたしとロザリアちゃんの間に現れた、見覚えのある銀色の三つ編みが二房、くいっと上がった首に合わせて弧を描くように宙を泳いだ。
ヴィクトリアスタイルのメイド服が、エプロンごとふわりと広がる。裾のフリルが波打って、伏せられた銀のまつげが金属的な輝きを帯びる。
「金属魔法・白銀錬成――」
ずっと瞼に隠されていたソレがあらわになる。光を通さない、お飾りの瞳。
あるいは、心眼とでも呼ぶべきもの。
魔力回路の組み込まれたシルヴィアの義眼が、義眼に刻み込まれた魔方陣が、日の目を見る。
「――モーニングスター・アックス」
両目の魔方陣が、光を放つ。刹那、トゲトゲしい巨大な鉄球が宙に顕現した。
シルヴィアが握る白銀の斧から伸びた鎖の先に、その鉄球は繋がっていた。
「轟け」
「、え」
『は』
じゃら、と揺れた鎖を掴み、シルヴィアが鉄球を振り下ろす。ロザリアちゃんが飛ばしたフォークが落下に巻き込まれるのも、鉄球を突き刺したわたしののレイピアが砕けるのも、すべてがスローモーションに見えた。
「っく、」
ドゴォン! と轟音と共に、モーニングスターが地面にめり込む。砂埃が巻き起こり、わたしもロザリアちゃんも数メートル吹き飛ばされた。
塔の外壁に背中を強打したわたしは、ずるずると庭園に座り込んだ。痛みに顔をしかめつつ視線を上げれば、おそらくガーデンテーブルに激突したのだろうロザリアちゃんが、皿とラップを頭に被って椅子にもたれかかっている。
「少々おいたが目に余りますよ、お嬢様方。喧嘩するほど仲がいい。仲良きことは美しきかな。そうは言いますが、物事には限度というものがあります」
惨状の元凶たる盲目メイドは、カンッ! とモーニングスターに足を乗せ、斧を肩に背負ってそう説いた。
さながら大海賊時代のバイキングといった様相である。
「とはいえ、有り余る魔力を発散したい、というのもわかります。なにせ、それが魔族の先祖返りの習性ですからね。魔力を溜め込めば、力に精神を乗っ取られてしまう。……わたくしめにも覚えがあります」
ぴっちり編まれた長い三つ編みを頭を振って背中に流し、シルヴィアは静かに左目を閉じた。思い起こした過去を憂うように眉を寄せ、わたしを見る。
……そう。わたしたちと同じようにまた、シルヴィアも先祖返りなのだ。だからお父さまに唯一、わたしの傍にいることを許されている。
シルヴィアは鉄球に乗せていた足を下ろし、もう一度鎖に手をかけた。握力に任せて大きなカブでも抜くようにモーニングスターを引き抜き、凝り固まった首をボキボキと鳴らす。
「ですから僭越ながら、ここからはわたくしが相手を務めさせていただきます。鍛えたいと、前にお嬢様もおっしゃっていましたしね。来るべき日のための戦闘訓練といたしましょうか。――魔法解除」
言いながらバチッ! と瞬きをし、シルヴィアがモーニングスター・アックスを消失させた。開いていた右目もゆっくりと閉じ、やや前傾姿勢を取って下を向く。
――来る。
「天性解放」
バサァ、と、白銀の羽が舞い落ちた。
白銀の翼が、シルヴィアの肩甲骨あたりからゆっくりと伸びてゆく。それはまさしく、天使の羽化のようだった。
全長15メートルといったところで、翼が伸長を停止する。
わたしはよろよろと立ち上がって口の端の血を拭い、シルヴィアに向き直った。横に目をやれば、ロザリアちゃんも倒れたテーブルに腕をついて、フラフラと立ち上がりつつある。
「大変長らくお待たせ致しました、お嬢様方」
「っ!」
重そうな翼がかま首をもたげ、羽ばたいた。巻き起こる風圧に、たまらず目をしばたかせる。飛翔するシルヴィア。地上から数メートルの位置で、悠然とした羽ばたきを交え、滑空する。
彼女の背後にはいつの間にか、輪後光のように大小さまざまな剣が並んで回転していた。そのうちの一本――ロングソードを手に取って、シルヴィアが引き抜く。
『……なんなの、その魔法。バケモノじみてる』
ロザリアちゃんの呟きは、砂埃にかき消された。はるか上空のシルヴィアは、こちらのことなどお構いなしに剣を構えて天を仰ぐ。
「4分の3拍子なんかじゃ物足りない。さあ、剣の輪舞と参りましょう!」
恍惚と笑った盲目の天使は再び義眼を外気に晒し、曇天を剣で貫いた。
第12話も最後までお読みいただきありがとうございます!!
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※注釈↓
巻きゴテがある世界にはもち、ラップなども存在しているのでござる。
銀髪三つ編み最強盲目翼人メイド・シルヴィアさんのメイド服が翼で破れたりしないのはそういう仕様なのじゃ。(適当)
シルヴィアさんは心眼かなにかを会得してるので、全然普通以上に視界は良好なんでありんす。
ほなまた来週!!!