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雨の日と探偵君

雨だ。とうとう土砂降りになった。


私は公園の東屋で、びしょ濡れになった制服のスカートを絞っている。


部室を出た時には快晴だった。

しかしそれは朝の話で、今は15時。


空模様が変わるには十分だ。


こういう日に限って、天気予報を気にしていない。


「やっぱりこうなるのかぁ……」


途中から雨の臭いはしていた。しかし帰るまでは降らないと思っていた。


後悔がため息を誘い、私はびしょ濡れの椅子に流れるようにもたれかかる。


時々吹いてくる生ぬるい風が、小さな雨垂れの飛沫を東屋の中に押し込んでくる。


靴下までしっかり水気を落とすと、私の足元に大きな水たまりができた。


少し寒い。公園の桜はもう葉ばかりだというのに。


――


私は小説を書いている。


発端は、校則の関係で仕方なく選んだ文芸部だった。


文化祭の折、催し物として部員達各々が小説を書き、一冊の本を作るのが恒例だ。


私はそこで初めて『自分の世界を作る』ことの楽しさを知った。


誰かから評価されることも嬉しかったが、それ以上に私の中で世界が広がることが嬉しかった。


満足のいく作品が出来上がると、私は私自身に肯定されているような気分になる。


それだけで、文芸部に、この学校に――この世界にいていいのだと、肯定されているような気分になる。


文化祭の日、クラスメートはからかい半分で文芸部の部室を訪れた。


しかし、そのうちの何人かは私たちの本を買い、それ以来私に話しかけてくるようになった。


事あるごとに「新作はまだか」とせがまれる。


これが所謂ファンというやつなのか、と内心嬉しくもあったが、彼らの期待は、少しばかりプレッシャーにもなった。


――


執筆に行き詰った時はいつも散歩する。


あてのない、小さな旅をする。


時に山へ、時に海へ、時に街へ、路地裏へ、海岸線の工業地帯へ、丘の上の住宅街へ。


寂れた神社、風に吹かれる竹林の乾いた声、遠くに消える船の汽笛、居酒屋の濃い匂い、高くそびえる煙突と離れていく煙、雑踏、雑踏――雑踏。


乾いた水田が緩やかに潤うように、歩けば歩くほど、エネルギーが満たされていく。


しかし、いくら潤いを求めていたとはいえ、雨はお呼びでなかった。


雨は私の体を鈍らせ、部屋に閉じ込める。


筆が進む日ならば、雨音を触媒にするすると執筆を続けることができるのだが、今日のような芳しくない日の雨は、ただの雑音と障害物でしかない。


これも風情と割り切ることができればいいのだが、如何せんびしょ濡れにされてしまってはそうも思えない。


「でもまあ、雨に降られる感じは分かったなぁ」


べったりと張り付く制服が、私の体温で少しずつ生ぬるくなってくるのを感じながら独り言つ。


無理やりでも納得してしまおう。これも創作の為だと。


首を垂れ、小さく、二度目のため息を吐いた。


風が少し強めに吹き、わずかな温もりをひったくる。

ブルッと体が震えた。


前言撤回。


創作の為とはいえ、こんな思いはしたくない。

そもそも、雨に濡れなくても、雨に濡れた時の感覚はかけるはずだ。


実際に人を殺さなくても、殺人事件は描けるのだから。



「ああ、やっぱりここにいた!」


東屋の雨だれの先に、聞きなれた足音と声が聞こえる。


反射的に顔を上げた。


シルエットが近づいてくる。


私と同じ高校の制服。


私と同じダークブラウンの、少しくたびれたパンプス。


私と同じ学校の、やけにぺしゃんこの鞄。


小学生と見間違うほどの(などと言えば怒るのだろうが)幼い顔立ちに、そばかす。


癖の強い茶髪は私より長く、頭のてっぺんから背中まで、あちこちが跳ねている。


「探偵君」


声を上げると同時に、立ち上がっていた。


――


『探偵君』は、ファンの中でも特に際立っていた。


とは言っても、私も彼女に懐かれるまでは、小耳に挟む噂でしか、彼女の事を知らなかった。


入学して早々『探偵部』なんてものを勝手に立ち上げ、部室棟の一角を勝手に占拠し、生徒指導室に呼ばれても暗くなるまで抵抗していたそうだ。


結局、部員が足りない――というか彼女しかいない、ということで探偵部は設立が却下された。


しかし納得しなかった探偵君は食い下がり続け、とうとう生徒会と生徒指導の教諭が実力行使してあえなく強制退去、小さな探偵事務所はただの空き部室へと戻ることとなる。


その後は弓道部に入ったようだが、胴着一式と矢を買ったきり、殆ど幽霊部員になっているらしい。


故に、彼女の印象はとても良いものとは言い難いものだった。


探偵君は、文化祭で私の書いた短編の推理小説に感銘を受けたらしく、以来私を見つけては『先生』と呼んでいた。


探偵君と会う主な場所が学校である手前、先生などと呼ばれるのは少し気が引けた。


が、正直満更でもなかった。


何より、探偵君が私の小説を読んでいる時の、ページをめくるたびにコロコロ変わる表情が面白いのだ。



「いやぁ、結構な雨っスね。田んぼを素足で歩いてるみたいだ」


身長140cm前後。目線は、私の肩あたり。


「よくわかったね、私がここで雨宿りしてるって」


「へへ……聞きたいっスか?私の推理」


傘をたたみ、見上げる彼女は、少しいたずらっぽく笑っている。


つられて私も、口元が緩んでしまう。


雨音が少し小さくなった東屋で、私たちは向かい合うように座った。


「その前に……はいこれ、バスタオル。持ってきて正解っスね」


探偵君はそう言って、持っていた鞄から大きなバスタオルを取り出した。


僅かに湿気を帯びたそれを受け取るとき、ふわりとお日様の匂いがした。


「ああ、ありがとう」


思わず笑みが零れ、彼女から受け取る。


探偵君の手からタオルが離れると、彼女はニヤリと笑い、差し出した手の人差し指を立て、自慢げに話し始めた。


「僕は今朝——10時ぐらいだったかな?先生に電話を掛けたんスよ。そしたら出なかったんで、こりゃいつもの散歩だなと」


私はふふっ、と笑みをこぼし、二、三度小さく頷く。


私が散歩している最中は、私だけの世界、私だけの時間だ。


それ故、電話やメールで邪魔をされたくないのだ。


探偵君は続ける。


「で、それじゃあどこに向かったんだろうなって考えたんスけど――ほら、金曜に言ってたじゃないっスか、締め切りが近いから土曜日は朝早くから部室に行くとかなんとかって。先生、通学路は散歩コースにしてないはずなんで、逆方面に向かったはずだと思いまして」


感心するばかりだ。


日頃、彼女の観察力には驚かされるが、特に私のことは他の何よりも見ているらしい。


少し怖いほどだが、私でも気づかない私の事を知っていて、尚且つ教えてくれるのは探偵君ぐらいだ。


「あとは先生が最近書いて――いそうなものから、先生が歩きそうな場所を洗い出してしらみ潰しに探していこうと思ったんスけど、雨のおかげで、かなり絞り込めたんスよ」


が、彼女は少し、私の事を知ろうとしすぎる。


私の書きかけの小説を盗み読みしに、学校に立ち寄ったに違いない。


そうでなければ制服など着ていない筈だ。


これは私だけなのかもしれないが、やはり不出来なものは、誰にも見せたくないのだ。


完成していないなら猶更だ。


だが…まあ、探偵君ならば仕方ないか。


彼女の好奇心や知的探求心は、私には止められないのだから。


……書きかけのものを見られたのは初めてではないし。


彼女の様子から察するに、彼女の中ではあれが好評らしいし。


「あとは先生が出かけた時刻が晴れで、今日は天気予報を見てない可能性が高いなと思って、手ぶらで歩きたがる先生だから傘は持ち歩いてないと考えた訳っス。だとすればこの雨でどこかに雨宿りしてるはずで――じゃあこの公園の東屋だな、と」


「私がカフェや古本屋にいる可能性は?」


からかうように聞いてみた。


すると彼女は、俄然自慢げに、ふふん、と鼻を鳴らした。


――そう、その表情が見たいんだ。


「この近辺に喫茶店は5軒、古本屋は1軒。喫茶店は、うち3軒がお休み、1軒は先生の行きそうな場所にはなくて、残りの1軒は、この雨でお客さんも少なく、お店の外からちらっと見ただけで、うちの生徒がいないことは確認できました。古本屋も同様っスね」


「他のお店は?」


「たとえ雨でも、美容室なんて散歩じゃ行かないでしょ?先生は先週行ったばかりのはずですし」


「やっぱりすごいな。流石は探偵君」


「でしょう?僕の推理力をナメないでほしいっスね」


謙遜する様子もなく、彼女は鼻の下をこすり、腕を組んだ。


「そういうわけで、僕の正確な推理のもと、先生を迎えに来たんスよ」


ふんす、とまた鼻を鳴らす。


「そうか、ありがとう」


熱心なファンだ。


作品だけでなく、私の事まで気にかけてくれる。


たとえ私には微塵も興味がなく、ただ単に『私の作った作品を見たいから』だけだったとしても、こうしてここまで来てくれた事実は変わらない。


私の作品が肯定されることは、私自身が肯定されることに等しい。


少なくとも、私の中ではそうだ。


「ふふ」


思わず笑みがこぼれる。


彼女も「へへっ」と頭をかいて笑った。


しばらく互いに小さく笑い合ってから――


「それで」


と切り出す。


私の興味は、彼女の持ち物へと移っていた。


「私の分の傘はないのかい?」


「へっ?」


彼女の照れ笑いが固まる。


油の切れたロボットのような動きで首が動き、1本しかない傘に目をやった。


「あぁーーーーーーーーーっ!?」


叫び、頭を抱え、項垂れる。


「忘れてた…すっかり…」


「折りたたみ傘とかは?」


「ない…っス、ね…」


絶望に追い打ちをかけるように、雨は豪雨になった。








「ふふっ……ははは!あっはははははははは!」


私は雨音に負けないぐらいの笑い声をあげる。


雨も負けじと、勢いを増した。


風が吹き、大きな雨粒が降り込んでくる。


だが、そんなことは気にもならなかった。


やっぱり、探偵君は面白い。


彼女の全てが、いじらしく、可愛らしく――愛おしい。


「やっぱり僕、詰めが甘いっスね……」


探偵君はがっくりと肩を落としたまま、今にも消えてしまいそうな声で、ぼそぼそとつぶやく。


「そうだね、推理は素晴らしかったんだがね……ふふっ」


「笑いごとじゃないっスよ!せっかく先生の事をかっこよく迎えに来たのに……」


頬を膨らませた彼女を見てうんうんと頷き、私は彼女の傍に座りなおす。


「でもまあいいじゃないか。同じ傘に入って帰ればいいし――君からすれば、憧れの先生と相合傘ができるんだから、得なんじゃないかい?」


などと演技じみた口調で言ってみる。


……が、言ってから私も恥ずかしさを覚える。


気障というかなんというか、柄にもないことを言ってしまった。


少しだけ顔が熱い気がする。


……風邪を引きかけているのだろうか。


熱に浮かされて、変なことを口走ってしまったのだろう。


きっとそうだ。そういうことにしよう。


彼女はしばらく固まっていたが、ふと顔を上げた。


まさしく『雲の切れ間から光が差す様な』という表現が相応しいだろう。探偵君の表情が輝く様に明るくなった。


「そうか……そうっスね!それもそうだ!先生と!相合傘!怪我の功名ってやつですかね?」


「それはちょっと違うかな」


探偵君は勢いよく立ち上がる。


意気揚々と傘を開き、東屋の外に出て私に手招きした。


「早く早く!風邪ひいちゃいますよ!」


傘を叩く雨の塊は、私たちを外に出すまいと、轟々と音を立てていた。


しかし、彼女の声は聞こえる。はっきりと聞こえる。


半身がずぶ濡れになろうが、探偵君となら気にならない。


「いやぁ、東屋の中で傘の中に入れてほしいかな」


「おっとこれは失礼!……じゃ、学校に戻りましょう!」


彼女の弾むような――いや、実際に体ごと弾ませているが――声に引っ張られるように、私も気分が少し晴れやかになった。


私は私を肯定できる。探偵君のおかげだ。


彼女が迎えに来てくれるのならば、雨に濡れるのも、足止めを食らうのも悪くない。


そう思える。


「そういえば、朝方電話をくれたって言ってたけど、何か用があったのかい?」


「あぁ、そうだった!実は先生に聞いてほしい事件があるんスけど――」


東屋には私たちの作った水たまりだけが残り、私たちの声も豪雨の中に溶けて遠ざかって。


――とうとう、雨の音だけになった。

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