約束 もしも男に捨てられたら一緒に音楽やろう 婚約破棄されたので女二人で音楽生活はじめました
わたしの隣人は、殺人者かもしれない。
わたしの家は少し郊外にある。最寄りの駅から自転車で20分はかかる。小さな鉄筋のマンションで、作りはしっかりしているが、築年数は古いし、オートロックもない。静けさだけが取り柄の家だ。
入居者はわたしと隣人しかいない。そして隣人は殺人者かもしれないのだ。
帰宅が遅くなってしまった。
ドアの前で鍵を取り出すまえに、ドアノブに手をかける。鍵が開いている。
出る時にはたしかに施錠したのに。誰かが開けたのだ。
静かにドアを開けて、音をたてないように靴を脱いだ。
つま先立ちで廊下を歩く。リビングキッチンの扉を開けた。
女が包丁を握っている。その手の爪はありえないほど長く尖っている。髪は真っ白だ。無機質なマスクで顔を覆っていて表情は見えない。それでも隣人だとわかった。
隣人がゆっくりと振り向く。
目が合った。
「おかえり」
「ただいま」
フェイスパックをつけたまま料理をしている、わたしの隣人ことボーちゃんだ。
高身長で長い手足。小さい頭。髪はほとんど白みたな色のシルバーで、ピンクのメッシュが入っている。ネイルもゴテゴテ。美人すぎて料理姿がまるで似合わない。
「キーちゃんメシは?」
キーちゃんというのは、わたしのこと。
「食べてない。ボーちゃんがまだだったら一緒に食べようと思って」
「そういうと思った」
今日のメニューは白菜たっぷりの鍋のようだ。安くて、美味しくて、しかもローカロリー。いくらでも食べれるし、いくら食べても大丈夫。わたしの帰宅が遅れても、一緒に食事をするつもりで鍋を用意してくれるなんて。ボーちゃんは最高の相方だ。
わたしはボーちゃんと一緒に音楽活動をしている。ボーカルと作詞を担当するのがボーちゃん。作曲編曲その他もろもろとキーボードを担当しているのが、わたしことキーちゃん。これは小説用に適当につけた偽名だ。ちなみに料理や家事はボーちゃんの担当が多い。
この週末には小さい箱だがワンマンライブを控えている。ボーちゃんがモデルみたいに美人なのは生まれつきだが、派手なファッションはライブ直前のおめかしだ。
キッチンに立っていても、まるで料理をする人には見えない。どちらかといえば、ホラー映画に出てくる殺人鬼に見えてしまう。
というのは冗談だが、ボーちゃんが「殺人者かもしれない」のは本当だ。
ボーちゃんにはアッくんという婚約者がいた。そしてアッくんにはユウくんという兄がいた。かなり仲の良い兄弟であった。
ボーちゃんは兄のユウくんを殺したかもしれない、と噂されている。少なくともアッくんは、ボーちゃんが殺したと思っているようだ。
そのせいでアッくんとの婚約は破棄されてしまったのだ。
ボーちゃんが一人になったと聞いたわたしは、すぐに会社を早退して会いにいった。
五年ぶりくらいだろうか。再会したボーちゃんは、すっかり変わっていた。高校のころは、おろしたてのドクターマーチンみたいにピカピカしていたのに、履き潰したボロボロの作業靴みたいになっていた。人生に疲れて、涙も枯れたように見えた。
アッくんの家を追い出されたボーちゃんは、仕事もなければ、今日とまる家もないというありさまだったのだ。
そしてボーちゃんは、わたしにこう言った。
「キーちゃんはさ、『もしも男に捨てられたら一緒に音楽やろう』って言ったよね」
言った!
高校三年生の夏だ。その言葉は「わたしと一緒に地獄に落ちてほしい」というくらいの覚悟で言った、忘れたくても忘れられない言葉であった。
まさかボーちゃんが覚えているとは思わなかった。
わたしは翌日仕事を辞めた。
いつか仕事を辞めて、音楽活動に専念したいと思っていた。そのために貯金もしていた。
ボーちゃんが一緒に音楽をやってくれるなら、その「いつか」は「いま」だ。
すぐに安くて広くて静かな家を探して、二部屋借りてボーちゃんと隣人になった。
それからふたりで、バイトをしながら音楽活動をしている。最近はそこそこ売れてきて、音楽だけで生活できそうなくらいになってきた。
「週末のチケット、店に預けたぶんの在庫確認してきた。完売だって」
「マジかよ。だったら牛肉にすれば良かった」
「いやいや、セールの豚バラ肉でもごちそうですよ」
「じゃあさ、燻製牡蠣の缶詰開けて、それで締めの雑炊つくらねえ?」
「いいね。ノンアルで乾杯しよ」
わたしとボーちゃんは高校で出会った。地域でも有名な進学校だ。
ボーちゃんはその頃から特に美人で、みんなからチヤホヤされていた。それが二年生にあがるころには、かなりの不良になっていた。勉強についていけなくて、サボって遊んでばっかりだったのだ。
わたしは動画サイトでボカロの動画を見るのが好きで、いわゆる「ボカロP」に憧れていた。でも、そのことを親や友達には言えない、チンケな存在だった。ぶっちゃけると、ボーちゃんのことは嫌っていたというか、嫉妬をこじらせていたと思う。
ところが、体育祭の打ち上げでクラス全員でカラオケにいったとき、ボーちゃんの歌を聞いて落雷に打たれてしまったのだ。わたしは部屋の隅でポテトをつまみながら「どうせスカした歌を歌うんだろ」って思ってた。しかしボーちゃんはその場の誰も知らない、テレサテンという古い歌手の曲をいれたのだ。ボーちゃんの歌声は綺麗ではないし、上手くもなかった。ひたすら自由だった。おばあちゃんみたいにヨロヨロしたかと思えば、子供みたいにあっけらかんと音程を無視する。クラスメイトは「下手だ」と笑っていたけれど、わたしは心底惚れてしまった。
しかしチンケな存在だったので、まったく何の行動も起こせなかったのだ。
三年になると、ボーちゃんは人気者ではなくなっていた。クラスの中心になるようなメンバーからは、少し邪険にされていた。影で悪口をいう人もたくさんいた。
「受験勉強もせずに遊びまわってさ」
「あの人たちってさ、いましか無いわけじゃん? いまのうちに男つかまえないと、人生詰んじゃうから、必死なんでしょ?」
「アハハハ」
そんな最悪の現場に、よりによってボーちゃん本人が鉢合わせてしまったのだ。
「へえ、そんな風に思われてたんだ」
最悪の空気。
「志望校、受かるといいね。人生詰まないようにさ、せいぜいがんばって勉強しなよ」
ボーちゃんの言葉が、受験生の急所を的確にえぐった。
「じゃあ教えてよ。あんた男に捨てられたらどうやって生きるの? 水商売?」
そして最悪の反撃をする。
ボーちゃんが「てめえ」と掴みかかった。
わたしは暴力だけはいかんと飛び出して、咄嗟にあのセリフを言っていた。
「もしも男に捨てられたら一緒に音楽やろう」
あんまり馬鹿らしいセリフだったので、誰も本気とは思わなかっただろう。「なにそれ?」って白けた空気になって喧嘩は収まった。
そしてその言葉がきっかけで、わたしはボーちゃんと仲良くなったのだ。といっても、ほんの3日くらいの間だ。
ふたりでどんな話をしたのか、あまり覚えていない。信じられないことに、ボーちゃんがウチに遊びに来て、一緒に「うたってみた」の動画を作って、動画サイトに投稿した。もちろん再生数が伸びたりはしなかったけれど、ワクワクして、人生で一番ってくらい楽しかった。
「一緒に音楽やってやってもいいぜ」
ボーちゃんがそう言った。
「好きなことを仕事にするのって、そう簡単じゃないよ。地獄だよ」
「そうなんだ?」
「うん」
「地獄はちょっとやだな」
それからしばらく、学校で会ったときアイコンタクトをするくらいの関係だった。
でもすぐにフェードアウトして、ボーちゃんはアッくんと付き合うようになった。アッくんはイケメンで、実家が金持ちという男だった。しかし半グレの遊び人で、ボーちゃんは色々な苦労をしたらしい。
ずっと「成功したら結婚しよう」と話していて、やっと少し金回りが良くなって、「じゃあ結婚しようか」というタイミングで、例の事件が起こってしまった。
アッくんの兄のユウくんが死んで婚約は破棄。アッくんと同棲して、アッくんの仕事を手伝っていたボーちゃんは、すべてを失ったのだ。
さて、ボーちゃんはユウくんを殺したのだろうか?
ユウくんはボーちゃんの部屋で死んだ。ボーちゃんの目の前で、拳銃で頭を撃って死んだ。その拳銃はユウくんが用意したもので、警察の調べでは自殺ということになっている。
逆にいえば、ボーちゃんが殺した可能性もゼロとはいえない。科学的な証拠では確率ゼロなのかもしれないが、難しいことはよくわからない。ミステリ小説みたいな、警察をだますトリックがないとは言い切れない。噂レベルでは「本当は殺したんでしょ」と疑う人もいる。そういう状況だ。
ユウくんは社会的には成功者といえる人で、仕事も順調だった。自殺する理由はない。
自殺を信じられない両親は、ボーちゃんが殺したのだと本気で考えているようだ。ユウくんがいなくなれば、遺産はすべてアッくんが継ぐことになる。それが動機だと。
わたしは「どっちでもいい」と思っている。
殺してないとは思うけれど、一緒に音楽をやろうと言ってくれたのだ。わたしと音楽をやるために殺したのなら、一緒に地獄に落ちてやるだけだ。文句はない。
ところが、ひょんなきっかけで、わたしは事件の真相に気がついてしまった。
わたしは偶然、道端でアッくんと出会った。すべてを失ったアッくんは、ボロ雑巾みたいなありさまで、最初は気づかなかった。酒かドラッグかわからないけれど、酩酊して正気じゃない。うわ言みたいに喚いている言葉の中に「ボーちゃん」「ユウくん」という単語が聞こえて、「あの雑巾はアッくんだ」と気がついたのだ。
「あなたはボーちゃんがユウくんを殺したと思ってるの?」
わたしは雑巾に向かって話しかけていた。
「兄が自殺するわけがない。ずっと一緒だと約束したんだ。完璧な兄が、オレを残して死ぬわけがない」
この言葉を聞いて、唐突にすべてが理解できてしまった。
そうか、それであのときボーちゃんは、あの言葉を言ったんだ。
「キーちゃんはさ、『もしも男に捨てられたら一緒に音楽やろう』って言ったよね」
この言葉には隠された意味がある。
わたしは自分の立場で聞いたので「一緒に音楽をやりたい」という意味にしか聞こえなかった。
でもボーちゃんの立場で、ボーちゃんの気持ちを想像してみると、違う意味がある。
キーちゃんは待つと言った。つまり、キーちゃん意外の誰かが「待たない」と言った。そういう意味の言葉だったのだ。
ユウくんはアッくんを愛していたのだ。
アッくんが他の誰かと一緒になるのが許せなかった。ボーちゃんとの関係は遊びで、本気じゃないと思っていた。結婚するつもりはないと思っていたのだろう。アッくんも自分を特別に愛していると、兄弟の愛情をこえた気持ちがあると思っていたのだ。
他人のものになるのが許せない。待つことなどできない。ボーちゃんを殺してやるつもりで、拳銃を用意した。
しかし女を殺しても意味はない。
結局は自分に向けて引き金をひくしか、苦痛から逃れる道はなかったのだ。
この推理が正しいか、ボーちゃんには確認していない。「どっちでもいい」と思っている。
わたしはボーちゃんと一緒の地獄に落ちるだけだ。
あの頃、家族の反対を押し切って、好きな音楽と向き合う人生というのは、わたしには地獄に見えていた。誰からも理解されず、自分の無力を噛み締め、逃げ場のない苦痛に耐え続けることになると。
ところが実際に音楽を仕事にしてみると、ボーちゃんと一緒にすごす日々は楽しくて、地獄というのもなかなか悪くないと思っている。