第2話 名前というこの世で一番手軽な烙印 前編
何回か言ったかもしれないが、僕の住んでいた施設では数名の看守と死刑囚、そして医務室の先生、これらの人間しか見たことが無かった。
それに彼らは全員僕よりも年上だったはずだ。勿論彼らがいくつかなんて知らないし、完全に外見上の判断だ。でも看守の頬には僕よりも皺が多く入っていたし、死刑囚の人達も腰が曲がっていたり剃っていないのに髪の毛が少なかったり……。
すべてを忘れた僕ですらそれが意味することはなんとなく理解できていると思う。
だから、何が言いたいかというと、僕の周りにはあまり刺激物が無かったのだ。
図書館に寄贈されている本はすべて検閲されており有害なものはすべて弾かれていたし、死刑囚も人数が少なかったのか無駄に広い浴場を1人ずつ使用することが出来た。あの施設の中でされたことはあまり思い出したくはないが、どこまで行っても更生施設には変わりないという事だ。
そして今、僕の目の前には前代未聞の光景が広がっていた。
推定だが僕よりも若い。
机の下に入り込んで気付かれないくらいだ、身長もまだ小さい。
何より目を引くのはこの長くて美しい髪の毛だ。
例の施設の女医も髪が所々白かった。でもこれは白と言うには輝いているようにも見える。部屋に差し込む光に当たると青く反射している。
肌の色も血が通っているのを疑うほど白い。でも不健康そうに青白くこけているわけではなく、まだ日に当たっていない、まるでずっと箱にしまっておいたかのような純粋さを感じる。男の僕とは違い胸や腰のあたりも少しだけ盛り上がっており、僕とは違う生き物のように――、
「ちょ、ちょちょちょ!君!鼻!鼻血!」
ミャーが驚いた様子でこちらを指さしている。
花……?ああ、鼻か。
そう言われ僕は右手で鼻にそっと触れると、確かに違和感がある。
少し湿っているような。
「あ、あれ……?」
僕の右手には、怪我をしたわけでもないのに大量の血が、いや僕の鼻から大量の血が流れ出ていた。
「あらら、刺激が強すぎたみたいだねえ。思春期で初めて女子の裸体を見ると男の子ってそうなるんだ」変わらない調子で続けるシギの声が聞こえる。
「呑気やってないで!とりあえず服……、いやまずはこの子の止血から――」
ミャーの焦る声が聞こえる。
いや大丈夫、痛くは無いんだ。
でも嫌に頭がぼーっとする気がする。
また魔術というやつの仕業か?この子が僕に?
あーまただ。
またこの闇に溶ける感覚。
今日は良く気を失う日だ。
「……あ、気が付いたかい。いやあ思春期の少年の下心を舐めてたよ。まさか卒倒するほど興奮するなんてね」
頭上からシギの声が聞こえる。
「喋れるかい?」
「……あれも『魔術』なんですか?」
僕は上体を起こし、シギに尋ねる。
「不思議と目を離せなかった。何となく見ちゃいけないような気分だったのに何故か彼女を見てしまっていた。これも何かの呪い……」
「いんや、君がムッツリスケベってだけだよ。まあ知識が無い分刺激が大きかったみたいだけど」
ムッツリスケベというのはよくわからないけど、とんでもない魔術だ。外にはこんな危険が……。
あたりを見回すとミャーの姿が無い。
思わず鼻に触れると何かが僕の鼻に詰まっている。
「ソレ、あまり触るなよ?触れている周辺の自己治癒力を増幅させているんだ。指近づけると爪があっという間に伸びるからな」
後で鼻毛剃っとけよとシギは付け加える。
「……さっきの女の子は?」
「そこにいるよ」そう言いシギは床を指さす。
視線を落とすと先ほどの子が依然床に寝そべっていた。
先ほどと違う点は大きいぶかぶかなシャツをちゃんと着ていることくらいか。
「気になるのか?」
「そりゃあ机の下に全裸で横渡っていたら気になりますよ。それに――」
僕は気絶する前に耳にしたシギのセリフを頭で反芻する。
「僕と同じ境遇ってことはこの子も――」
「ああ、元死刑囚だ。ここに来たのはひと月前。もっとも君とは大きく違う点があってね」
シギはキセルを一度咥えてから煙を吐き出す。
「彼女は記憶と感情だけじゃない。その他一切の記憶を持ってないんだ」
僕は思わずシギを見上げた。
「それって僕みたいに言葉が喋れないということですか?」
「それだけじゃあない。歩き方やスプーンの持ち方、便所の使い方すら消されている。つまりは
赤子同然ってことさ」
「施設では生活に娘案らない程度の記憶は社会復帰のために残すって……」
「いんや、この子に限って前例のない『完全消去』が施されているようだね。赤ん坊からやり直させるなんてたいそうな社会復帰だ」
僕は再び少女へ向き直る。
「……この子は何をしたのですか」ダメもとで僕はシギに訊く。
「それは知らないな。君だって知っているだろう?死刑囚の犯した罪及び元個人情報はこの世から完全に抹消さ」
そうだ、僕らは生きた証がもう既にこの世から消えてしまっている。僕の中からだけでなく、この世界からも。これも処刑後に聞かされる言葉だ。
「じゃあこの子は処刑後の――、あ!」
いつからかわからない。僕らが話に夢中になっている間にこの少女は目を覚ましていた。
さっきまで寝ていたことを微塵も感じさせないくらいパッチリと目を見開いている。
そして何故か僕をジッと見ている。というかにらみつけているという表現の方が正しいのかもしれない。
「彼女は名前だけ覚えたんだ、尋ねてみてごらん?」
「え、えーっと、な、名前は……?」
シギに促され僕は少女に問いかけた。
視線の質は変わらないまま彼女は小さな声で
「……シア」
とだけ答えた。
「……本当だ。この名前は転生後に?」
「ああ、私が名付けた彼女も気にいったのかこれだけは覚えたんだ」
僕がシギに会話を振っても一向にシアは僕の目をにらみつけている。
「きっと君の名前も知りたいんだ、教えてやりな」
「了解です……え、えっと」
「僕の名前って……なんでしたっけ?」
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次回は3/8 8時頃に後編更新予定