第1話 初めの光景は眩しくて
気が付くと僕は知らない場所に立っていた。
薄暗く白いタイルで囲まれたあの色気のない建物ではない。
少なくとも施設ではないどこかの廊下だ。床は施設のように固いが、大きなタオルのようなものが部屋の端から端まで覆っている。
天井は施設より少し低く茶色。そして背後のガラスから明かりが漏れ出している。その灯の中には複雑な光景が広がっていた。施設の電球の様に明るいだけじゃない、何かわからないけど色々な物がある。
一つだけ身に覚えのある物が見えた。
確か食堂の隅に置かれていた頭が緑色で細長い置物、看守に尋ねるとそれは、『かんようしょくぶつ』って名前だと教えてくれた気がする。その見たことあるのは大きなバケツの様なものから生えていた。でもあれは床から直接生えている。かんようしょくぶつってあんなに大きくなるんだ。施設のやつは僕みたいに狭い所に押し込められていたけどここでは違うのかな。というかここどこだ?
「やっと来たか、入って良いぞ!」
突如、誰もいないはずの僕の背後からこだました大声で思わず背筋がピンと伸びてしまう。
ガラスに気を取られて気づかなかったが、その反対側には大きな扉がどんと立っていた。
いつも見ていた扉の倍はあるか?でもこれも白くはない、ちょうどかんようしょくぶつの様な色をしている。
……あの声は僕に言っているのか?それに聞いたことのない声色だった。少なくとも僕の知っている二人の看守のそれではない。医務室にいた女性の先生があんな声だった気がするがそれとも違う。
「扉の前にいるんだろ?良いぞ、入って」
再びその声は同じようなことを言っている。あたりを見回すがやっぱり僕以外の人間はいない。
僕か?僕を呼んでいるんだよな?通信機器越しに言っているとかじゃないよな?『扉の前』って言っていたし僕のことで間違いないんだな?
恐る恐るその大きな扉の前に立つ。
なんだか睨まれているような気がする。もしかして僕が知らないだけでこの扉自身が何かしらの生き物とか―いや、どこからか音声で喋っているとかに違いない。施設ではそういう事ばっかりだったし、多分扉の向こうにも人間なんていないはずだ。
そう思うと一気に気が楽になった。いつも扉を開ける要領で僕は右手を扉にかざす。
「……あ、あれ?」
いつもの音が鳴らない。というかなんか手ごたえが無い。
今度は手を扉に添えてみる。時々反応が悪くなっている扉にはいつもこうしていた。
でも開かない。音も何も鳴らない。どうしよう、言われたことが出来ない。しかもこんなよくわからないような場所で……いったいどんな懲罰が―—、
「キミ非魔道団体?だったら活動課はここじゃなくて3号館の1階だよ?」
「う、うわっ!」
今度は横から別の声!思わず尻もちをついてしまう。
「びっくりさせてごめんね。もし場所がわからないなら案内するから。でも私シギ先生にちょっと用事があるからちょっとここで待っててもらえる?すぐ済むから、ちょっとだけね」
眼鏡をかけ身長は僕よりちょっと低い、白衣を着た女の子……か?(女性と殆ど出会ったことが無いから判別することに自信がない)紙やらなんやら色々な物を抱えたままその女の子は扉に手をかけようとする。
「あ、あの、それ空いてないですよ?」
「え?そんなことないわよ。この部屋年中鍵はかけてないって先生言っているもの」
すると彼女は右手をかざすのではなく、扉から飛び出ている棒のようなものを掴んだ。そしてそのままそれを手前に引き込みように動かすとギイ、と軋む様な音と共に扉が開いた。
「ん、あれ?なんでミャーが入ってくるんだ?」
扉から聞こえていた声だ。
「なんでって、今日はレポートの提出日だから集めておいたものを今日持って来いって言っていたの先生ですからね?」
「それはそうなんだけど……オイそこの少年、そう今私を見た君だ、ホラそこに突っ立ってないで入ってきな」
「なんだ、君もシギ先生に用事だったんじゃない、私早とちりしちゃったって……あれ?」
「そんな壁に張り付いてないで出てきなよ、怖がらなくてもあんな椅子はここにはないさ」
「扉の開け方がわからなかった……って、上の奴等め……、何が『必要最低限の常識は入れてある』だ。外も出歩けねえ状態だろうが」
扉の向こうにいた声の主が頭をボリボリ搔きながら気怠そうに言った。
大きな机に囲まれ大きな椅子にそのシギ先生と呼ばれた人物は、さっき僕が見つめていたのと似ているガラスを背にして座っていた。座っているから身長はわからないけど施設にいた医務室の先生よりは若く、さっき声をかけてきた眼鏡の女の子より年上の印象を受ける。まあ見た目で判断したというよりかは『先生』と呼ばれているからかもしれない。そして右手には先から煙の出ている長細い棒を持ち、そこから出ている煙が部屋の中に充満していた。
「まあとりあえずそこのソファにでも座りなよ。あー、ミャーもついでにいてくれ。邪魔な本とかは床に置いてもらって構わないからね」
『ソファ』と指さされたモノに視線を落とす。
彼女の机の前には少し高さの低い机がもう一つあり、その両端に彼女の言うソファとやらが対面するように置いてあった。失礼します、とミャーと呼ばれた女の子は右のソファに腰を下ろす。なるほど普通の椅子みたいに座るのか。隣に座るのは少し気まずいので乗っている荷物を押しのけ、反対側のソファに腰を下ろす。
その『先生』と呼ばれた女性は口を開く。
「私は君に訊きたいことは山ほどあるんだけど、まあとりあえず君の質問から聞こうじゃないか?」
質問その1
「……あなたがあの時のガラスの向こうの方ですか?」
「あーそうだよ、君を引き取ったのは私だ」
女性だったのか……、あの時の声は変えていたのだろうか?
質問その2
「僕をここに連れ出した理由は?」
「私はこの大学という機関の教授をやらせてもらっている。色々調べて研究することが大好きでね。それである意味貴重な存在の君を直に見てみたくてここに呼んだのだ」
『ある意味貴重』というのはあの時言っていた魔術に関する事か。でも僕にはあまり興味ない事柄だ。
質問その3
「あなた達の名前は?」
「私の名前はシギ・シリーズ。てか、普通それが初めに気になったりするものだけど、君も気になることから訊いちゃうタイプかな?だとしたら私に似ているかもね。あ、そこにいるのはニャー・ララシノ、ここのゼミ生……って言ってもわからないから、まあお手伝いさんかな」
目の前に座っている眼鏡を掛けた女の子がニコリと笑い手を振る。
「……ありがとうございます」
「え、終わり?ここがどこかとか気になったりしないの?」とシギ。
「それはあんまり。要するにあなたの研究対象になるってことが重要らしいので」
あと理由を付け加えるなら普通に思いつかない。自分で話す機会が無かったものだから。
「そうかそうか、じゃあ私からは1つだけ」
そういうとシギは着ている白衣からメモ帳を取り出す。
「外に来て気分はどうだい?」
イマイチ言っていることがピンとこない。
「ああ言葉足らずだったね、施設の外の世界は君にはどう映る?」
施設の外?
「ここが……?」言葉が思わず口から漏れ出す。
「先生……今度は理事長に許可はとっているんですか?」何言われても知りませんよ、とミャーが口をはさんでくる。彼女は書類を整理しながら少し呆れているような表情だ。
「ああ、今回は事前承諾万全、後ろめたさは、微塵もないね」とミャーとは対照的な得意げな表情。
「まま、そんなことは後で聞くだけ聞くからさ、今はその子の初外出の感想を聞こうじゃないか」
シギはミャーにヒラヒラと手を振るとこちらに向き直る。
「で、ここは君の住んでいた狭い場所の外側だけど第一印象はどうだい?なんでもいいんだ、言ってごらん」 彼女は棒を皿の様なものにおいて改めて僕に尋ねる。
僕は首をひねって周囲を見渡した。
白くない部屋。いや所々白い場所はあるけどよく見たら床に散乱しているプリントや本だ。基本は観葉植物の色と同じだ。床には先ほどの廊下のものとは違う形や模様を持つ大きなタオルのようなものが敷かれている。
そしてミャー、シギの順で視線を移す。施設には居なかった女性。いや、いるには居たのだが知らない人物という意味でだ。なんか施設の看守たちや死刑囚たちとは根本的に――
「―違います、何もかも、人も空気も雰囲気も、です。空気はちょっと臭いかもしれないけど」
「それはたぶんこのキセルの匂いだね」
「そして、怖いです。外と言われて、言い方は変だけど……今自分はここに座っている、でも、まるで湯船の中で溺れた時みたいな、どっちが床か判らないようなすごく不安で怖いです」
うんうん、とシギは頷く。しかし口を開いたのはミャーだった。
「初めての外出って……、今時どんな施設でもそんな扱いしていないですよ!?そんな場所倫理委員会が黙っている筈がないのに……」言葉を切った後何かに気づいた様にミャーは唇に指を当て、先生の方を向く。
「もしかしてまたアングラで変なもの拾ってきたんですか?この前ナイトメアタピルのクローンを無断で持って入ったせいで他キャンパスに大目玉くらったばかりなのに!?」
「あれはあれで面白かったじゃないか、他人に悪夢を見せてそれを自分で食べて腹を満たすなんてある意味自給自足の究極系だとは思わないかい?」
僕には何を言っているかは全く理解できないが、つまり自分の様な存在をこの先生と呼ばれている人はかなりの頻度で連れ出しているってことだろう。それってつまり――
「貴重な存在って言うのは、僕を凶暴なしけ――」
いしゅう
と言おうとした瞬間顎がガチンと音を立てて勝手に閉じた。そして唇も。息が、息ができない!顎が、唇が、まるで別の誰かに押さえつけられている様に……。急いで両腕でこじ開けようとするが指が上手く引っかからず開かない。
「どうしたの!?」ミャーが立ち上がり僕の傍に駆け寄る。
「先生!この子口が開いていません!」
「……やれやれ、そういう事ね」
パチン、と指を鳴らす音が部屋全体に響く。
それと同時に顎と唇の力が抜け、元々の感覚が戻っていた。
「ハァ、ハァ、……なんだこれ?」
僕は音の方に視線を向けると、椅子に座ってふんぞり返っていたシギは立ち上がり、そして彼女の右手は炎に包まれていた。あれが炎、施設の食堂で見ていたものよりずっときれいな色だ……じゃなくて!燃えている!手が!!
「ああ、これは心配しなくて良い、すぐ消えるさ」と言いシギは右手を勢いよく握りしめる。すると音を立てて炎は消え、黒い煙へと変わった。
「魔術ってやつさ、これを見るのも初めてだろう。これからいたるところで目にすることになるさ」
そう言いシギは再び席にドカッと座りキセルに口をつけ、大きく吸い込み、そして煙と共に息を吐きだす。
「先生、今のって……?」ミャーは眼鏡を取って真剣そうにこちらを見ている。
「うん、この子にはとびきりキツい箝口令が施されているね。しかも物凄く複雑で重い奴だ。おそらく君のいた施設の情報を君が誰かに伝えようとすると起動してそれを妨害する仕組みだろう」と言いながらシギはメモ帳を開きペンを走らせている。
「いやー運がよかった。口で言おうとしたからこの程度で済んだけど、筆談で伝えようとしていたらその手の指が残ってなかったかもね」
思わず右手を強く握る。
そうか、僕はどこまで行っても『元犯罪者』だ。この人たちの様な自由は恐らくこれから一生あるはずがない。それは僕の気持ちの問題だけじゃない。おそらくこういう風にその罪が実際に降りかかる機会だってゼロではないはずだ。それならいっそ僕はあの中に――
「ま、気を落とすなよ少年。外はあの中より不自由ってことは無いさ」そういうとシギはキセルを再び置き、立ち上がる。
「いきなり自由になるなんてみんな不安さ。誰だってそうなる。だからその不安定な君の脚を少しの間私の研究という船に着けてほしいんだ」
そしてシギは僕の目の前までやってくる。
「そうしたら何も見えない外の世界にも君にとってどうしようもないほど渡りたい島が表れるかもよ?まあそれまでの道のりもどうしようもないくらい長いかもしれないけどさ。せっかく出てきたんだ、後ろには下がってほしくは無いんだ」
――そうか、彼女は死刑囚の僕じゃなくて今の僕に言ってくれているんだ。
もしかしたら彼女は、シギは僕が心を許すためにワザとこういうことを言っているのかもしれない。
だけど、今の僕にはすがるモノ、
そして、まだ見えない何か、でもかけがえが無い何かを探す必要もある。
だって今の僕には何もないから。無くなったからだ。
もしそれが許されるのだとしたら……。
「……あんまりよくわかりません」
僕はシギの目を見る。
「もしかしたら思うような結果を出せないかもしれません。でも僕で良いなら、役に立てるかわかりませんが……、頑張ってみます!す、少しだけ」
シギは満足そうにキセルを咥える。
「よしよし、そうと決まればとりあえず部屋を決めるか!あと君には覚えてもらわないといけない事が沢山あるからそこんところはミャーから聞いてくれよ」
なるほどこういうことね、と傍らでミャーは少し不安そうな顔をしていた。
「先生……こんな短いスパンでこういうことするからゼミ生がいなくなっちゃうんですよ……」
ミャーは席から立ち上がり、シギは自らの席へ戻ろうとする。
「そういえば先生、シアは今どこに――」
ミャーが何かを言いかけた時、それも別の誰かの名前を言いかけた時だった。
僕とミャーが座っていたソファの前にある机がゴン!と大きな音を立てた。
「シアだったらそこにいるぞ、もうずっとな」
とシギが言い終わるより前にその机は横に横転し、机上に乗っていた大量のプリントと本は床に散乱し――、
そして机の下から銀色の少女が、
いや、正確には銀色の髪の少女が、
もっと正確に言うと一糸まとわぬ長い銀髪の少女が姿を現した。
「少年よ」そしてシギは続ける。
「その子は君の先輩であり、君と同じ境遇同じ境遇の娘だよ」
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