プロローグ 死んだ後―1
「64番、出ろ」
白い無機質な部屋に聞きなれた声が響き渡る。
この声の持ち主は背の高いほっそりとした男の看守だ。
よく僕の身の回りの世話をしてくれている。もう一人声が低く小太りの小鬼の様な看守はいない。彼はいつもふてぶてしい態度で僕らを見下してくるし、我慢の限界まで便所に行かせてくれないから嫌いだ。
だから僕は『64番』なんて味のしない名前で呼ばれても顔をしかめたり、日記に悪口を書いたりしない。
僕は書きかけの日記を閉じ、言われるがまま扉の前へ向かう。
『出ろ』と言われたが、ここで勝手に扉を開けると最悪懲罰房送りになりかねない。この場所では僕らはあまり自由に行動できないのだ。でも誰も言ってくれないから初めは懲罰で僕の腕に大きな痣がよく出来ていた。
僕は扉の前に立ち、右手を扉の前にかざした。ピピッと音が鳴りドアの向こうで看守が端末を指で操作するような音が聞こえ、ようやく扉が開く。
「変わりないか?」
「はい、いつも通りですよ」
僕らはいつもの問答を交わす。小鬼の時は首で頷くだけだが、なんとなくこの人には声で返事をしている。
「そうか、じゃあついてこい」
僕は言われるがままついていく。この人は足が長く歩みも速いから追いつく為に小走りしなきゃいけない。
でも僕が速く走りすぎると警報が鳴り響いてしまうので(過去2回経験済み)ギリギリの速さでついていかなければならない。
部屋と同じ白い色の廊下を速足で進み『娯楽室』や『食堂』『自習室』を通り過ぎる。読み書きは最低限教えてもらっているのでよく行く場所の名前は僕でも書けるし読める。
でも教えてもらってないような字の書かれている部屋も沢山あるが、看守に言わせてみれば僕らは当然入ることはできないらしい。
それは何故かと訊いたこともあったが『オメェらの読めない場所は入っちゃいけねえ。何故なら読めないからだ!』と感じの悪い看守から言われたことを思い出す。いやな思いでばっかり思い出す自分に少しだけ飽きれる。
「ここだ」
突然立ち止まった看守にぶつかりそうになり少し足がもつれる。他の看守なら怒られてたかもしれないけど彼はこれくらいじゃあ何も言わない。慌てて体制を立て直す。
「64番、入れ」
「さ、先にですか?」
その言葉に僕は思わず訊き返してしまう。
「そうだ、早く入れよ」
僕が先に部屋に入るなんてことは今まで無かったのに……
しかもこの部屋、読めない部屋だ。
「あまり緊張しすぎるなよ。心拍数が高いとドアはお前を異常とみなして開いてくれんからな」
震える右手をとっさに左手でつかむ。大きく息を吐き、いつもの様に右手をドアにかざす。
ピピ、といつもの音がした後一拍空いてドアが開く。
白い部屋はそのままに、その部屋の真ん中には大きな椅子が一つだけ、こちらを背にして置かれていた。
そしてその椅子が向いている1メートルほど先には黒いガラスが張られていた。
「早く!」
異様な空間に気を取られていると後ろから看守に背中を強く押され部屋へ入れられてしまう。
それと同時にプシュ、という音と共にドアが閉まる。
「え、え?看守さん?」
後ろを振り向いた時には既にそこは白い壁だった。
「座りたまえ」
別の声が部屋に響く。低い男の声だがあの嫌な男じゃない。
「……おっと、ここでは番号で呼んでから、だったね。64番……だったかな、座ってくれ」
まるで命令慣れしてないような言い回しだ。ここの看守じゃないのか。それにどこか僕に対する扱いが普段より柔らかい気がする。『座れ』と同じ意味なのに、この人の『座れ』すごく耳触りが良い。
「わ、わかりました」おずおずと答えると彼は驚いたような声を出した。
「返事できるのか?これは幸先の良いスタートだ。いや気にしなくて良い。ここの会話は私達二人にしか聞こえていないし、記録も私しかとっていない。だから、まあ、君の気にするような懲罰とかもないと思ってくれて大丈夫だ」
「あ、あの、えと……」
一度に聞いた事も無い量の言葉を投げつけられ頭がパンクしそうになる。
「ささ、そんな事いいから座ってみてごらん。大丈夫さ、また死ぬなんてことは無いよ」
『また死ぬなんて』という言葉で我に返る。そうだこの椅子一回だけ座ってたことがある。
そこは僕が一度死刑になった時に座っていた場所だ。
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