チャコレートコスモス
縁側に黒い花が一輪落ちていた。
摘んでみる。黒い色のコスモスだった。
「へー。黒い色のコスモスなんてあるんだね」
とワタシが言う。
「チョコレートコスモスよ」
と母が返した。
「チョコレートコスモスかぁ、美味しそうな名前だね」
「あんたってば、本当にいつまでも色より食い気なんだから」
「はいはい。いいじゃない。今は独身も多いんだから」
「でもねぇ。近所の××ちゃんも結婚して子供が生まれるんですってよ」
「他所はよそ。うちはうちです」
そんないつも通りのうんざりする会話をしていると、足元にパサリと何かが落ちた。
見下ろすとまた、チョコレートコスモスだ。
一輪目はワタシがまだ手に持っている。
この足元のチョコレートコスモスはどこからやってきたのだろう。
庭を見る。
やはり、チョコレートコスモスが一輪落ちていた。
サンダルを履いて庭に降りた。
庭いじりが趣味だった祖母が亡くなってから、庭は荒れ放題だ。
何がうわっているのか判別がつかない。
しかし、その中にチョコレートコスモスはないはずだ。
祖母の趣味ではない。
誰かが、投げ入れているのだろうか?
確かめるために庭を横切って、塀の外を見てみる。
誰もいない。
ワタシはチョコレートコスモスを見て首を傾げた。
一体、この花はどこからきたのだろう。
「こっちよ」
と幼い声がした。
振り返る。
そこには、少女が立っていた。
どこから入り込んだのだろう。
さっきまでは、庭にワタシ以外はいなかったのに。
少女の射干玉の黒髪には色とりどりのコスモスが咲いていた。
少女はニコリと微笑むと、髪の毛からビロードのような黒いチョコレートコスモスを選んで差し出してきた。
ワタシは思わず受け取ってしまう。
「これは私の気持ちなの」
「そ、そうなの? 気持ちって?」
「私はずっと待っていたの。覚えてる?」
一度会えば忘れられないだろう美貌の少女だった。
しかし、ワタシはいくら考えても記憶にはいなかった。
「どこかで会ったかな?」
答えると少女は悲しそうな顔をする。
「忘れちゃったのね。約束したのに」
「約束?」
「そう。大人になったら会いにきてくれるって言っていたのに」
「そ、そうだっけ」
「ずっと待っていたのに。ちっとも来てくれなかった。だから迎えに来たの」
そう言って手を伸ばしてくる少女を、ワタシは思わず振り払っていた。
あの手を取ってはいけないと直感的に思ったのだ。
少女は悲しそうな顔をして手を見る。
しかし、すぐに笑顔を浮かべると「大丈夫」と言った。
「大丈夫。何も心配いらないわ」
そう言って手を再び伸ばしてくる少女の瞳から目を逸らすことができなかった。
目だけではない。
体を動かすことができなかった。
少女の手がワタシの腕をとる。
「これからはずっと一緒よ」
少女に手を引かれ、ワタシは庭を出ていく。
「ちょっと、洗濯物、干してくれない?」
母親が縁側まで洗濯物を抱えってやってきた。
そこにはチョコレートコスモスが二輪、残されているだけだった。