茶の木
「お茶の木には白い花が咲くって知ってた?」
少女が言った。
ワタシは「知りませんけど」と気のない返事をするしかなかった。
「黄色いおしべを抱くように下を向きながら咲くの」
少女は下を向いてふふふと笑った。
「何かおかしいですか?」
「だって、忘れちゃってるんだもの」
「えっ?」
「ワタシはずーっと覚えているのに、あなたは忘れちゃってるの。おかしくって」
ワタシは困惑した。
この美しい少女とは、バスを待っている間に偶然、隣に並んだだけの関係だ。
「あの、どこかでお会いしたんでしょうか」
「あの時、確かに言ったのよ。あなた。綺麗だねって。また、絶対に見たいの!! って言ってご両親を困らせていたわ」
ワタシの知らない、ワタシの思い出を勝手にしゃべる少女にワタシは困惑よりも薄気味悪さを覚えた。
早く、バスよ来い。下を向いて、今のワタシはそれだけを念じている。
「だからね。私ももっともっと見てもらいたくて。もっともっと一緒にいたいから頑張ったのよ」
急に日が陰る。
見上げると少女がワタシに覆いかぶさるようにして、ワタシを見下ろしていた。
「やっとあなたのところまでこられたの。随分と時間がかかってしまったわ」
美しい少女はワタシの手を取ると、そっと立ち上がらせた。
ちょうどバスがやってきた。
日が眩しくて行き先が見えない。
「だから一緒に行きましょう。これからはずっと一緒よ。私が案内してあげる」
少女に手を引かれるまま、ワタシはバスに乗り込んだ。
頭がフワフワして抵抗するとか、嫌がるとか、そんなことは思い浮かばなかった。
乗客は他にいない。いつもだったら、何人も乗客がいる混雑した路線なのに。
「さ、座って。大丈夫。目的地に着くまでおしゃべりしましょ」
目的地ってどこ? と言うセリフが言えなかった。
ワタシと少女を乗せたバスは出発する。