その聖女、曰くつき
それを耳にしたとき、恋というものは意外と冷めやすいものなのだ、と公女イライザは感じた。
どんなものかといえば、灰色と藍に染まった薄曇りの空がやがて、混ざりあい濁って水分を多分に含んだところに、一気に北風が吹きこまれて冷え切ってしまったような、青灰色の空のようなもの。
これから重たくなった雲はどんどんと高度を落とし、最初は大きめの雹を、やがてそれはみぞれ交じりになり、粉雪となって散るまで世界を白一面に染めていくだろう。
銀世界になるにはもちろん、時間が必要だけど、この場合は違う。
空のかなたから、一気に銀世界が舞い落ちてきたようなものだと思う。
だから、大して悲しみも感動も、心の躍動感とか悲哀といったものも、怒りすらも微塵にも感じない。
心に強く印象付けられたのは景色が切り替わった驚き。
一瞬に愛しい人がどうでもいい他人になり、互いにはぐくんできた物をまるで汚らしい生ごみでもあるかのように、ぽいっと放り出してしまったこと。
裏切りに対する驚き、そして諦め。
あとは……なんとなくほっとする。
もう、彼のことを思って心を恋焦がさなくてもいいのだ。
燃え上ったり冷え切ったり、眠れない夜を悩んで、くよくよと翌朝を迎えたりしなくていいのだ、という解放感に、すべてが終わった後、イライザは満たされていた。
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いきなり冬が落ちてきた。
混迷を伴い、冷酷な寒さをイライザの心に与えた。
「公女イライザ! 俺はお前との婚約を破棄する!」
「え、……殿下? なに、婚約……はき?」
後ろからかけられた挑戦的ともいえる暴言に、イライザは華奢な肩をびくりとふるわせて後ろを振り返る。
叫んだ人物は婚約者、エレンだった。
このガライヤ王国の第二王子にして、ベルケール公爵第二令嬢イライザの年下の婚約者。
怒りを孕んだ怒気が、賑わっている場の雰囲気を一気に硬質なものへと変化させる。
まだ十四歳と精神的に幼い王子は悋気持ちで、気分屋だった。
不機嫌そのものの彼は、普段から珍しくない。
二歳年上のイライザから見れば、彼はまだまだ幼い少年、弟のような存在。
そんな彼から発せられた思いがけない一言の意味が脳内に浸透すると、イライザは激しい動揺を覚え、思わず身を震わせた。
「え、婚約破棄って……イライザ?」
「イライザ様、どういうことですか?」
一緒に食事をしようと楽しく会話を弾ませていた彼女たちが、いきなりの宣告に戸惑い、目を瞬かせている。
周囲を歩いていた人々の視線が集まる。
誰もが初めて見る王子の奇異な行動に、興味を注いでいた。
説明をしようか、とも考えたがそれより早くエレンが続きを言いそうだ。
「……皆様、殿下のお話はまだ終わっておりません」
王子が横柄に頷く。二人の周りには人垣ができつつあった。
「当たり前だろう、この悪女が。俺がどれほど悲しんだか理解しているのか!」
悪女呼ばわり。事と次第によっては、公爵家と王家の諍いになりかねない発言。
背筋を伸ばし、うなじから嫌な汗がつい、と背中を這い落ちるのを感じながら、イライザ返事をする。
「謹んで傾聴致します、殿下」
制服の裾を両手でつかみ、淑女の礼を返す。
顔を軽く伏せ、許可が下るまで目を上げることは許されない。
そこは王国内外の貴族子弟次女や、平民層に至るまで入学試験に合格さえすれば無料で学問を学べる、開かれた学びの園だった。
年齢出自を問わず自由な交流を掲げる校風なのに、この場所はまるで古い時代に逆戻りしたかのように、特権を有する者が我が物顔をしているのが、とても皮肉だと思う。
「傾聴、と来たか。俺は、命じたつもりだがな?」
「はい、さようでございます、殿下」
嫌味を交えた皮肉を言いながら、彼は頬を歪める。
(なぜ、この時、この場所を選んで……?)
イライザは返事に慎重にならざるを得ない。
昼食時になり、いつものように交流のある令嬢たちと食事をしようと、吹き抜けのエントランス部分にあるカフェの入り口で、いきなりエレンのお声がかかった。
まずは最後まで殿下の言い分を聞いてから……と、寒くなる背筋を伸ばして恐怖に耐えた。
確認が必要だった。
これが王命かそれに準ずるものなのか、それとも彼の単なるわがまま、思い付きなのか。
「ここ数ヶ月の行いに、心当たりはないのか。愚か者」
「婚約破棄を賜るほどのひどい行いをした記憶はございません」
「黙れ! この商売女にも劣る売女が……」
周りからどよめきが沸き上がる。
講義と講義の合間、ひと時の息抜きの瞬間を狙って放たれた暴言は鮮烈だ。
あっという間に、エントランスの雰囲気はイライザに対しての悲哀から、殿下に同情するものへと変わってしまった。
(変わらず演技の上手なお方……)
ああ、これはいつもの演技なんだ。そう理解が及ぶと、これからどうすればいいのか、大まかな方策も見えてくる。
「売女、とはひどいものいいですわ、殿下。この身はいまだに清廉潔白です」
あちらが演技をするならば、こちらも応じて差し上げないと失礼に当たる。
イライザはとびっきりの上品な微笑みで返して見せた。
エレンは婚約者の反応が思ったような、恐れおののいて嘆き悲しむ、といったものにならず、更に苛立ちを加速させる。
イライザの態度は大人の余裕とか、理解ある婚約者というものではなくて。
こんな日が来るかもしれないと心の中で危惧し、いつ不測の事態が生じても対応できるようにと、ある程度の心構えができていたからに他ならなかった。
「オーキス男爵令息、レボドー商会子息、アガルト子爵令息、ローナリー先生。これらの名に聞き覚えがあるはずだ。身に覚えもな」
「ございますよ。同じ学院の生徒ですから、交流もございます。最後の先生と時間を過ごしたことは、あいにくとございません。他の方々とは学院の行事などを通じて交流を深めさせていただきました」
「認めるのか……」
「ええ、事実ですから。でも、殿下のおっしゃるように卑賎なことは……」
「黙れ、この悪女め! お前がいま俺が名を挙げた方々と、昵懇の深い間柄だということは……調べがついている」
「それはどのようなお調べでしょうか?」
「彼女が証明してくれた! こちらのデリング伯爵令嬢ローザ嬢がな!」
ローザ?
それはちょっとした盲点だった。
てっきり、王室直属の諜報部なり、学院内部の風紀を取り締まる風紀委員を筆頭とした学長を含めての会議などがこれから催されて、そこで糾弾……という展開を想定していたのに。
デリング伯爵令嬢ローザ。一歳年下の、下級生。
燃えるような緑の瞳に、うねるような腰まである赤髪が良く映えている。
イライザもそれなりに美しいという自負はあるが、この少女は格が違った。
小さなうずらの卵のように形のよい顔も、細長い首筋も、華奢な肩を抱きしめてイライザの返答に戸惑う姿。
男性なら恋人でなくても無条件で守ってやりたいと思うこと間違いないだろう。
だって同性のイライザですら、可愛い、慈しみたいと感じるのだから。
まるで籠の中で愛を注いでほしいと大きな瞳を潤して震えている子猫のような少女だった。
(けれどもこの場に立つには、まだまだ力不足ね)
そんな風に見えてしまい、つい他人を悪く評価したことに、恥を感じてしまったイライザは、ふいっと身を翻す。
「おい、どこに行く!」
「いえ……どうにも茶番にしかならないような気がしたものですから。ローザ嬢がどんな根拠を持ち得ても、ここで婚約破棄を受けることは、出来かねるかと」
「おっ、お前っ……! 無礼にもほどがあるぞ!」
その背中に突き刺さる多くの視線は、周囲にいる学生たちのものだ。
より強く刺さってくる四本は、ローザとついさきほどまで婚約者だったエレン王子のものだろう。
段差を降りようとして足を止め、ちらっと振り返ると周囲がざわっと沸いた。
誰もがイライザの一挙手一投足に注目していたからだ。
視界に移りこんでくるのは黒髪にハシバミ色の瞳が美しいエレンと、真紅の泥棒猫だった。
どこか余裕のない二人の瞳には、短く少年のようにカットしたブロンドの美しいショートヘアーの少女が背を向けて立っている。
青い苔色の瞳は、自分でも驚くほど透き通って見えた。
感情を無にしたような、そんな透明度だ。
(確かに、こんな目で見つめられたら、己の罪を知る人間はいたたまれなくなるでしょうね)
なんとなく二人が怯えるようにして立ち尽くす事情が、理解できた気がした。
「わっ、わたしは確かな確証を証明できます、わ……イライザ様」
ローザがひるむエレンの手をつかみ、ぐいっと胸元に引き寄せる。
まさか……?
この女、その本性はまさかの泥棒猫? なんて思ってしまう。
真紅の悪女。自分ではそうと理解していない、周囲を惑わす魔性の女……の卵。これから数多くの男性を惑わし、浮名を流していくのだろう。
「まさか、聡明な殿下ともあろうお方が、そのようなたった一人の証言で、王命によって成立した公爵家と王家との約束。婚約を破棄しようと?」
「あ、いや……」
お粗末な返事が彼の口の端に漏れる。
群衆をかき分けてその場に引き出されたローザは、場のどよめきに興奮したのか、ちょっとだけ頬に朱が差していた。
多分、こういった場に立つことすら経験が少ないのだろう。
なんてつまらない。そう思うと、心に余裕が生まれる。
はあ、と盛大な失望交じりのため息が生まれて、人々の息遣いのなかに埋もれていく。
「一人ではない。彼女の発言をもとにして、慎重な捜査を行った! その結果をいま伝えている」
「それならば、私的な制裁はこの学院では禁じられておりますが……」
だからだろうか。
イライザは彼の発言をある程度、余裕をもって聞き入れることができた。
と、変なところを心で褒めてしまう自分を、イライザはダメね、としかった。
今はそんな点などどうでもいい。
だが、生まれながらにして王族の彼は、人身を欺き掌握することにかけては、天性の素質を持っていた。いずれ王になり、政治を掌握するだろう未来を共に見れると思っていたのに……。その願いはどうやら叶わないようだ。
「王族は学院の定めるこっ、校則に……縛られない、です……」
と、弱気な進言がなされた。
ローザによるものだ。
「その通りだぞ、ローザ嬢! だからこそ、俺はいまここで婚約を破棄する! それを命じる正当性がある!」
「そうですわ、殿下、が。こう申されるのです、から。王命に等しいと……思われます」
ローザは意を決したように、エレンの後に続いた。
(やれやれ、まともな罪状を示せずに、いきなり婚約を破棄する、ですか。お粗末、どこまでも愚かな殿下。こんな中途半端な断罪をしては、周囲も納得しませんのに)
だが、これは宣言でも告白でもなく、決定的な通告だ。
反論は許されず、いわば王命に近い。
質問をするだけでも、下手をすれば罪人に処されてしまう。
イライザは否定の声を上げようとして、ぐっと自分を抑え込んだ。
いま異論を唱えることは相手の優位を確立してしまう。
「謹んでお受けいたします。王命に準ずると申されるのであれば、陛下も我が公爵家の当主たる父も……下知をいただくでしょうから」
「いい心がけだ、この魔性の女が! 顔を上げろ、白々しく俯いたところで、お前の罪は消えない」
「はい、殿下。……魔性の女、とはどういうことでございましょうか? 先ほども売女、悪女、とさまざまな言われようでしたが、罪を知らなければ己を恥じることもできません」
「おいおい、イライザ。お前はいつから動物になった?」
「は?」
吐き捨てるように、忌まわしい何かを排除するかのようにエレンは叫んだ。
いや、人間も動物だが?
心で軽く毒づいてやる。
遠くからこちらに向けてくる講師たちの姿がイライザの目に映った。終わりは近そうだ。
「この半年間、お前は先に名を挙げた男性たちと、このローザを通して交際を重ねていたことは、すでに明らかになっている」
「どのような場で、どのような動機から、どのような交際でございましょうか?」
「がっ、学院、の。行事を通じて、イライザ様はわたしに各方々と連絡を取るように……命じられました。そのあとは、馬車や生徒会室、ある時は商会の個室にて。密会の日時、状況、誰とおられたかも。もっと多く事実があります」
おおっ、と聞き入っていた群衆がざわついた。
だけど誰もが愚か者ではなくて、その中から幾つかの質問が飛ぶ。
「どうしてローザ嬢はそんなことを知っているんだ?」
「命じられて密会を設定したなら、ローザ嬢にだって責任はあるのではないでしょうか?」
「このような場で追及されるべき事柄とも思えません。事は重大で王家の問題です……法に準じた形で罪を問われるのが適法ではないでしょうか、殿下」
下級生、上級生、果ては駆け付けた講師たちからの助言、質問が飛び交い、場は一気に過熱する。
(まあ、皆様意地悪な。ここを切り抜けられなければ、殿下は王位には就けませんわね)
思わず悪意に満ちた笑みがこぼれそうになるイライザだった。
「いや、これは王命だ! 何の文句上がる?」
「王命であれば、正しき書状がなくては効力を為さないのでは?」
「王命の執行には裁判官と近衛騎士の立ち合いが執行に必要な条件ですが。王国法をご存知でしょうか、殿下?」
矢継ぎ早に繰り出される質問たち。
王族は確かに校則に縛られないが、その権力を違法に振りかざして好き勝手をしていいという理由には至らない。
法学部の生徒たちが面白そうに、失礼に当たらないよう気を配りながら、王子と確証があるというローザを責め立てる。
やがて民衆の声は「証拠を出せ! イライザ様が可哀想だ!」という内容に達した。
イライザは講師たちのそろそろ締めろ、という視線を受け仕方ないか、と口を開く。
もう少し、この理不尽な虐め。
普段は絶対にできないだろう、王族弄りを楽しんでたかったのだけれども。
「ありがとうございます、殿下。愛していただきました、感謝しております」
「……なんっ、だと?」
いきなり告白された婚約破棄に対して、公女イライザは表面上は何ひとつ感情を揺らがせることなく、別れを告げた。
「いえ、殿下がお望みのとおり、婚約破棄を正しく拝受いたしました。見届け人はあちらに」
と、イライザは壁のほうを指示してやる。
そこには法律に認められたさまざまな契約が適法である、と証明する公証人の資格を有した講師たちが数名。
中にはエレン直属の講師であったり、現国王がこの学院に在籍時に担任をしていた現学院長の姿も見え隠れしている。
「あっ、いや、これは。だって、俺がこうしたら俺たちは、なあ?」
「えっ、エレン様が命じられたのではないですか、ローザはそれに従ったままです……あんなに愛しているとささやいてくれた、のですから。責任を」
やっぱり真紅の悪女、最低の泥棒猫はここにいた。
イライザはローザに余裕をもって歩み寄る。
その耳元にたっぷりの嫌味を含んでささやいてやった。
「あなたのご実家。我が公爵家と王家と因縁で結ばれそうですわね。没落しなければよいのだけれど……殿下をよろしくね。泥棒猫さん」
ローザは先を予見したのだろう、瞳の色を失い、その場にへなへなとしゃがんでしまった。
エレンはまだ自分は優勢だと思いこんでいるらしい。
騒動を諫めようと三人の間に入ってくる講師陣や警備兵にイライザが王家にたてついた反逆者だから捕らえるようにと叫んでいたが、それは即座に無視された。
「殿下、騒乱罪を適用させていただきます。この学院の法は王族には適用されませんが、王国の法は適用されます。さあ、こちらで詳しく事情を釈明していただきますぞ!」
いつの間にか学院関係者の筆頭に立っていた学院長が、エレンの手を力強く引くと人込みを分け、どこかに連れ去っていった。それはローザも同様で。
「結局、なんだったのかしら。この乱痴気騒ぎは……」
と残された被害者イライザのぼやきが、すべてを的確にとらえ皮肉っていた。
「イライザ様、どうかこちらに」
「先生、私も容疑者扱いですか?」
イライザはいたずらっぽく講師をからかってみせる。
思いがけない不幸に晒された彼女の精一杯の強がりだった。
講師は警備兵とともに、先に連行された二人とは別室にイライザを案内する。
そこからは長い長い取り調べの時間の始まりだった。
王室、裁判所、検察省などから専任の係官がやってきては、エレンとローザの発言した内容と本当にイライザの不貞があったのかどうか。
詮議し尋問され、最後は神殿から派遣された神官長の持ち込んだ宝珠による判定となった。
虚偽の発言をしたら、途端に発覚するという、神代の時代から使われている代物。
使い方によっては白も黒に塗り替えられかねないので、いまの法律では使用することが禁止されていた。
「そんなものを使ってまで、殿下の名誉を守りたいのですか。巻き添えを食う善良な人々がどれほどいると思っているのです!」
やってきた神官長が恭しく取り出した宝珠を見て、イライザの発言は毒を帯び、彼の顔を渋面にする。
テーブルの上に設置されようとしているそれをじっと見つめ、腕組みをして待つこと数分。
「……どうせ、死刑は決定なんだから」
と、数名配置されたその密室の中で、誰かがイライザの見えない後方からぼそっとつぶやいた。
「色は虹色ならば無罪。漆黒ならば有罪です」
手をかざして、身の潔白を証明しろ、と神官長は述べる。
イライザの我慢と怒りは頂点に達しようとしていた。
宝珠に両手をべったりと張り付けて、望み通りの宣言をしてやる。
「エレン殿下とローザは肉欲に溺れました!」
「公女イライザ様、何を言われますか!」
宝珠が虹色の光で満たされる。
神官長以下数名があっけにとられるなか、イライザは宝珠を奪うように抱え込み、更に叫んでやった。
「私は清廉潔白ですわ! 身も心も! ええ、この身を捧げた男性もいなければ、他人と口づけを交わしたことも、愛を伝えたこともありません! 殿下一筋に生きてまいりましたわ!」
宝珠は王国法が制定されてからほとんど使用されることがなかったからか、憂さを晴らすかのようにこれもでか、と凄まじい光を放ち続ける。
煌々と輝くその眩さに室内の人々がたじろぐなか、イライザは天高く宝珠を抱え上げた。
「あっ、おい、やめろ!」
「貴様、何するつもりだ! それは神器――」
(こんな違法性しかないものなんて、無くなってしまえばいいのよ――っ!)
「えええっいっ――――!」
イライザは怒り心頭だった。
いわれもない罪状を並べ立てられ、婚約者をあんな女に奪われたことに対する思いで、心が煮えたぎるマグマのように沸騰して収まらない。
宝珠はそんなイライザの想い反映するかのようにさらに明るく輝く。イライザは渾身の力を込めて、宝珠を大理石の床に目掛け叩きつけてやった。
りんっと鈴が鳴るような音が室内を満たす。
同時に虹色の閃光が窓から漏れ、扉から漏れ、壁をすり抜けて学院全体を照らし出し、王都の住人達に、ながらく使われてこなかった神器がようやく真価を発したことを伝えた。
どんな奇跡が起きたのだと学院に詰めかけた人々と、生徒や学院関係者から報道陣に漏だす秘密の数々。
皮肉にも宝珠が反応したことにより、王家によって内密に違法行為が行われたことも、民は知ってしまったのだ。
新聞や雑誌などのメディアによって王室や国王が糾弾され、国会では総理大臣が辞任に追い込まれ、内閣が解散する事態になってしまった。
事態の収拾に追いこまれた国王は、エレンを王子の座から廃嫡させ追放という名目ではるかな絶海の孤島にある塔に幽閉、ローザと伯爵家も同様に罪を被り、家は断絶となってローザは学院を追われ刑務所に幽閉される。
可哀想なことに被害者であるイライザも同じように罪を問われてしまう。
世間を乱したから、という罪状は民にして面子を保ちたい王室が下したものだったが、これに反発したのは意外にも、神殿だった。
神器を破壊されたことにより、神殿は別の意味で追い詰められていた。
神から託されたものを破壊したのだから、本来ならばイライザは大罪人だ。
世が世なら、死刑を求刑されても仕方ない。
ところが、新しく神器になる受け皿を用意し、神を降臨させてそれを新しい神器にしようと考えた神殿が儀式を行ったところ、「イライザの罰は不問にする」という神様からの神託が降りたからだ。
神器を失った上にその犯人は無罪放免とするなんて神託を受け、悔しい神殿だったが神のいうことは絶対だ。
このことが大々的に報じられ、イライザは大罪人どころか神によって神託を受けた現代の聖人……聖女として認定されてしまったのである。
こうしてありえない騒動からありえない結末を迎えたイライザは、いま大変に不幸であり、幸福を噛みしめている。
不幸は自由な学院生活を送れなくなってしまったからだが、幸福なのは聖女でい続ける限り、もう男性との不毛な恋愛をしなくていいからだ。
「でも、たまには……愛が足りなくなりますね」
忙しい公務の傍ら、現代の聖女はちょっと物足りなさそうに、そうつぶやくのだった。