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一話完結の短篇集

マストーク

作者: 雨霧樹

「ふぁぁぁ…………」

 何も変わらない景色を掻き消そうと、わざと大きく欠伸をする。漏れ出した雫が目を覆い視界を滲ませるが、手で拭ったからといって何かが変わるわけでもない。目の前には変わらず穏やかな渓流に自分が垂らした竿が一振りあるだけだ。

 

「……帰ろ」

 ここまで身が入らなければいつまで粘っても釣れない、そんな直感が私の頭を駆け抜けた。溜息と共に、己が座っていた椅子を畳もうと腰を上げた時だった。


「まったく……最近の若者はだらしがないな」

 ふと、少し渋い声でそんな軽口を誰かにたたかれた。

 

「……はぁ」

 私の釣りに対する姿勢でも見て不甲斐ないと思ったのだろうか。――確かに、釣果は(ます)一匹しかないが、初心者にしては十分だろう。――何より、これから言い争いなどする余力何て残っていない。その声を無視して、帰り支度を進める。

 

「なんだ、とんだ腰抜けなんだな」

 その言葉に、己の身体が一瞬痺れる様に止まる。見知らぬ誰かに煽られるのは気分が悪くなる。

「おや、図星だったのか。そりゃ若造に悪いことを言ったな!」

 だが、それを好機と見たのか、面白そうに、水を叩く様な拍手と共に笑い声が響かせ、こけにしてくる。


「あのねぇ――」

 流石にここまで言われて黙って帰るのも気分が悪い、一言言わなきゃ気が済まないと怒気をこめて後ろを振り返った。

 

「……あれ」

 だが、背後を見ても、周囲を確認しても、私以外の誰もその場にいなかった。

 

「未だに儂の姿を見つけられんとは! こりゃお笑い草じゃ!」

 周囲をきょろきょろと探す間も、煽ることは一向に辞めない。その声は、着実に苛立ちを募らせていた。確実に声の主はここにいる筈だ。せめて一発殴らないと気が済まない。――その時、ふと目に入ったものがあった。

「ほら、堪え性の無い餓鬼はさっさと家に帰れ!」

 ありえない、そう頭では分かっている。だが、減らず口の方向は、確実にこっちだった。自分でも頭が狂ったのかと思うが、それしか考えられなかった。そうして私は持参した()()()()()()()()を開いた。

「ふふふ馬鹿――」

 そこには、パクパクと口を開けながら、流暢に喋る鱈がいた。

 

「この、人間風情が!」

 目の前で起きている事が現実離れしすぎて、クーラーボックスの蓋を何度も開け閉めする。だが、開閉する度に罵倒する声はくぐもったり、響いたりする。

「はぁ……」

 まさか釣りのし過ぎで、頭がおかしくなってしまったのだろうか。もうどうすればいいのか、分からなくなってしまう。

「――なんで、鱈が喋んの……」

 思わずそんな疑問を鱒に向かって語り掛けてしまう。

「それは、儂が優れた鱒であるからに決まっているであろう!」

 きっとこいつが人ならば、胸を張っていったのだろうと思えるくらい、ハキハキとした声で私の疑問に答えてくれた。

 

 そこから、鱒のマシンガントークは止まることはなかった。

「聞いとくれ! 儂には待っている家族がいるんじゃ!」

 嘘かホントか、自分じゃ全く分からないものもあれば。

「実はこの先の上流に面している家が何件があるんじゃがな、最近煙草を川に放り投げる馬鹿が住み着いて籠ってるんじゃよ。――注意してやってくれんか?」

 近所に住む噂好きのおばちゃんの様な、井戸端会議の話題を持ち掛けてきたりする。

 最初の内こそ無視して片づけを進めていたが、片付けが進めば進むほど声が大きくなっていく。もしこの声が、誰かに聞こえてしまったらそれこそ面倒な事になるんじゃないかと思って、気が付けば自分は釣りを再開していた。


「やっぱり泳ぐスピードはに鱒には叶わないねぇ!」

「そちらも、道具を使う頭脳なら大抵の生物に勝るであろう!」

 そうして、気が付けば人間と鱒は、すっかりと意気投合していた。そのまま、当初の予定時間を超えて、陽が沈むまで釣りを重ねていた。


「おい、小僧」

 最後に一回挑戦しよう、そう思って竿をしならせ仕掛けを川に放り込んだ時だった。

「……ん、どうしたの?」

「この時間、存外に楽しめたぞ」

 最初に馬鹿にするように言い放った時とは、まるで別人……いや、別魚のようになった鱈は、ポツリと呟いた。

「うん、自分もかな」

 この時間が終わるのが惜しい、そう思ってしまう。そのまま沈黙が針が半周するほど続いた。

 

「……終わりにしよう」

 結局、鱒と喋り出してから、一切の釣果はなかった。だが、その代わりに、鱒との会話という、何物にも代えがたい体験を得ることが出来た。

「――儂もまな板の上に乗る覚悟はできたぞ」

 竿を引っ張って引き揚げながら、隣のクーラーボックスからそんな声が聞こえてきた。そういえば、元々食おうとして釣りを始めたという事を、完全に忘れていた。鱒のその言葉に、腹が情けなく返事をした。――だが、そんな事をするつもりは、毛頭なかった。少し前に抱えた時と全く同じ重さのクーラーボックスを持ち上げ、自分は川に入った。

「おい、小僧なにを――」

「そーれぇ!」

 そのまま、川の中に、ボックスの中身をぶちまける。鱒は、文字通りの水を得て、すいすいと川の中に戻っていた。

「元気でなぁ!」

 大きく手を振って、鱒を見送った。――きっと、これでいいのだ。別れの涙は見せたくなくて、すぐに川に背を向けた。

「いよっしゃあああ‼ 人間の餓鬼は単純で助かるのぉ!」

 背後の川から、そんな声が聞こえてきた。

「――やっぱ、あの場で塩焼きにすればよかった」


 

 

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