森の王、光の勇者、ただの傭兵 2
「まじかよ――」
二匹の強力な小鬼との戦いを終えたからアルマ自身の魔力が切れかかっているとかそういう話ではなく、この強敵を前にして勝利することが出来るのか。気絶している生徒が一人に、気絶しかけている生徒が一人、そして怯え切っている生徒がいるこの状況で逃げの一手はない。
逃げるとしても結局逃げ切れるのはアルマとサリナとイギルの三人であり、救助対象である三人を見捨てる結果になる。それでは重い腰を上げた意味がない。それならばどうするのか。
目の前にいるのは蜥蜴人という強力な魔物だ。強力ならその強力な力を喰ってしまえばいい。
アルマは大喰手による魔力吸収で蜥蜴人の能力の複製を図り、疾風迅雷によって背後に回り込み、左腕を前に突き出すが、蜥蜴人もそうやすやすと自分に近づけさせようとはせず、振り返りざまにその巨大な腕を振るって、アルマを攻撃した。
「ガッ!」
そんな叫びと共に右方向へ吹き飛ばされたアルマの身体はミシリと明らかに変な音が鳴り、そのまま木へと激突した。
「アル!」
「アルマ!」
サリナとイギルは心配し、アルマを見つめるが目の前には敵意を剥き出しにした蜥蜴人がゆっくりと迫ってきている。サリナは詠唱を、イギルは大隆牙を構え、蜥蜴人の攻撃に備えた。
「やめ……。勝ち目は……ない」
なんとか立ち上がりながら、そう告げるアルマの言葉は二人には届かない。届かないから、未だ立ち向かおうとする二人に向かって、蜥蜴人の腕がもう一度振り上げられた。
「くそが――。ぜってぇやらせねぇ! 疾風迅雷!」
イギルに迫っていた蜥蜴人の腕の目の前に改めて立ちはだかったアルマは鎌鼬の刃と黒鋼のトレンチナイフによってなんとか爪による斬撃は防いだが、巨大な筋肉によって伸し掛かる圧力はそのまま腕に集中し、右――黒鋼のトレンチナイフを持っていた方の――腕がバキンと破砕音を鳴らした。
「ぐっ――。ガァアアアアアア!」
見るからに変な方向へ折れ曲がっている腕を抑えながらアルマは左腕に魔力を集中させ、風刃を放った。先ほど鱗の小鬼との戦闘で、風刃では蜥蜴人の鱗を断ち切ることはできないとはわかっていたが、少しでも怯ませることが出来ればという悪あがきだった。
「そいつら――連れて……逃げてくれッ」
痛みによって反射的に溢れてくる涙と、一撃目での怪我によって既にアルマの顔はぐちゃぐちゃであり、その顔を見たサリナとイギルは自分たちが目の前にしている蜥蜴人がどれだけ強い魔物か本能で理解した。
小鬼の村を切り抜けたから、蜥蜴人も、と不確かな自信で武器を構えた二人の身体は、身体の奥底から湧き上がってくる恐怖によって地響きでも起きているのかと錯覚するほどに震えていく。初めての外の訓練で生徒が出会っていい魔物であるはずがない。逃げろというアルマの声も聞こえてはいたが、足から地面にかけて根が張ってしまったかのように、その場から動くことはできなかった。
異変に気付かなかった自分自身の不甲斐なさを呪いアルマは絶叫した。
「くっそおおおおおお!」
また目の前で失ってしまうのかと絶望に苛まれていくアルマの心は未だ折れてはいなかった。
――最短で最良な最適解を見極めろ――
「治癒術士は回復を! 俺の分が終わったら勇者様を起こして加勢させろ! イギルは大隆牙で俺と蜥蜴人を囲え! サリナは援護! すぐにやれ!」
その絶叫と同時にセラ目掛けて、魔力ポーションを片手で一度に投げられるだけ投げた。
アルマの絶叫には魔力が載せられており、蜥蜴人の恐怖をアルマの魔力で上書きさせることで、二人の再起を図る。アルマの圧力にビクンと身体を震わせた二人は、ぶんぶんと頭を振り、アルマの指示を思い出す。
三人ともほぼ同時にアルマの指示通りの行動をして見せ、セラの回復によって、アルマの右腕は痛みはするが動かせるように――アルマと蜥蜴人は土の刃によって半径三メートルほどの空間に閉じ込められ――それらの一瞬を作るためにと放たれたサリナの炎弾は蜥蜴人の顔面へ命中した。
「まだやるぞ。やってやるからなぁ!」
蜥蜴人に対峙したアルマは今一度黒鋼のトレンチナイフと鎌鼬の刃を構え、蜥蜴人と距離を取りながらフィールドの淵ぎりぎりを横歩きで様子を伺う。
それは蜥蜴人も同じようで、風刃の連撃によっていくらかのダメージを負った蜥蜴人はアルマを敵として認識していた。
右腕は動かせるが動かせるだけで、骨は未だに繋がっていない。そんな状況でこの蜥蜴人をどう倒せばいいのか。アルマは鱗の小鬼との戦闘でその活路を見出そうとしていた。
――あの鱗を貫くのは鎌鼬の刃でしか無理だ。だけどあいつに接近して戦うのは得策とは言えない――
アルマは鎌鼬の刃に魔力を集中させ、風刃を放つ。しかしこの風刃はただの飛ぶ斬撃ではなく、先ほど鱗の小鬼に向かって放った竜巻を生み出す風刃だ。アルマは蜥蜴人の鱗を貫くのではなく、剥ぐという方向にアプローチを変え、それによってダメージを加えていくことにしたのだった。
だが小鬼が複製した劣化した鱗ではなく、一枚一枚がしっかりと魔力を帯びている蜥蜴人の鱗を剥がすことは簡単なことではない。だからこそアルマは何度も何度も竜巻を起こして蜥蜴人を攻撃してみせた。
竜巻の中では蜥蜴人も身動きを取ることが出来ないようで、慌てて辺りを見回すような仕草しかすることが出来ない。
しかし全くと言っていいほどにダメージを受けているように思えない蜥蜴人に対し、竜巻を放ち続けても、魔力が枯渇するだけだと思ったアルマは、竜巻によってまともに反撃が出来ないこのタイミングに鎌鼬の刃の貫手によって傷をつけてやろうと思い、鎌鼬の刃に魔力を溜め始める。
そして自らも無数の斬撃を食らうことを覚悟し、竜巻の中に飛び込み、蜥蜴人の左胸目掛け貫手を放つ。小鬼の時の様にするりと肉体へ腕が入っていく感覚はないが、確かに傷をつけることが出来た。
しかしそれと同時に蜥蜴人から突き出された左腕もアルマの右肩を貫いていた。
「ぐぅう」
これが最上位魔物の実力かとこんな単純な手で痛手を負うとは思えない。しかし傷はつけた。この腕であれば最堅と謳われた蜥蜴人の鱗すら貫ける。その事実だけで充分戦える。しかし折れた右腕の上に肩口に突き刺さる蜥蜴人の爪は耐え難い痛みだった。
「だけどなぁ。ハハッ、捕まえたぞ」
蜥蜴人の左胸に刺さった腕を引き抜き、右肩に突き刺さっている腕を掴み、不敵に笑う。その瞬間、耳元で心臓が大きくなったかと思うほど、アルマの身体が大きく脈打った。見る見るうちに左腕から蜥蜴人の魔力がアルマの身体へと流れていき、蜥蜴人の力が身体に馴染んでいくのを感じる。
それと同時にアルマの左腕にあった鎌鼬の刃は光に包まれながらも形を変えていき、大きく緑色の分厚い鱗を備えた腕へと化した。
――蜥蜴の爪――
鱗を備えた巨大なそれがこの窮地を打開するきっかけになるかどうかはわからない。しかし確かにアルマが一部ではあるが、蜥蜴人の堅牢さを手に入れたことに変わりはなかった。
自らの右肩に未だ突き刺さっている蜥蜴人の腕に同じく蜥蜴の爪を突き立てて抵抗する。
「お前の武器だ。自分の爪に貫かれる痛みはどうだ!」
鎌鼬の魔力による身体強化は敏捷性であった。それに対し蜥蜴人の魔力による身体強化は筋力。
普段より比べ物にならないほどの力が左腕に湧き上がってきているのを感じたアルマは、際限なく左腕に魔力を集中させていく。
――もっとだ、もっと強く。こいつの腕をへし折るくらいの力を――
【グルゥガァッ】
ここで初めて蜥蜴人が苦悶の声を上げた。
それもそうだろう。アルマの腕は目でわかるほど大きく太くなり、青い血管が強く脈打っている。その瞬間だった。ゴキッという音と共に、蜥蜴人の左腕は手首から大きくへし折れたのだった。
「これで条件は一緒だ――」
その言葉と同時に、蜥蜴人の顔面には三回連続で炎の弾丸が命中する。
「違う。アルには私たちがいる」
直後自らの腕を折られたことで怯んでいた蜥蜴人の後頭部に叩きつけられたのはイギルの大隆牙であり、その一撃は目に見えた傷を与えないにしても確実に脳を揺らしたようだった。その一撃と同時にイギルは魔力操作によってアルマと蜥蜴人を囲っていた土の刃を解除し、もう一人が戦闘に参加できるようにする。
「炎よ、風よ、水よ」
本来属性、形態、働きの三節を唱え発現する魔法に対し、全て属性のみを呼びかける詠唱。これは光の勇者と称される全能神の加護を受けた者のみが許される詠唱文であり、勇者が扱う魔剣の詠唱文であった。
――全能神授魔法三光斬――
「翠極光!」
ロードがそう叫んだと同時に、ロードが手にしていた剣には緑色のベールが発現し、それを振るった瞬間、そのベールは蜥蜴人の身体を包み、身動きを取れなくする。
「紅閃光!」
次は剣が赤く染まったと同時に炎が激しく噴出され、ロードは雄叫びと共にその剣を真一文字に振るった。するとまるでアルマの風刃の様に炎を纏った斬撃が蜥蜴人の鱗を焼いた。流石退魔の能力と言ったところか、アルマの鎌鼬の力ではびくともしなかった蜥蜴人の鱗をその一太刀で燃やしきって見せた。
先ほどまで自らに対峙していたアルマではなく、猛攻を続けるロードに向かって敵意を剥いた蜥蜴人は折れていない右腕を高らかに掲げ、ロード向かって振り下ろす。
「蒼月光!」
水を纏った斬撃によって、蜥蜴人の強打を受け流し、腹部にその鋭利な剣を滑り込ませてみせる。
そしてもう一度蜥蜴人の肩口目掛けて振るおうとしたところ、その剣は盛大に弾かれ、それどころか突然ロードの身体には裂傷が浮かび上がった。それと同時に血を噴き出したロードはその傷を庇いながら、じりじりと後ろに下がる。
「くそ、なんだ……」
ロードとて、未だ勇者の力を持つだけの少年に過ぎず、勇者の卵といっても過言ではない。だから力に技術と経験が追い付いていないロードにも、綻びが出る。
なぜロードの攻撃に対し、蜥蜴人が無傷で、ロード自身が受けているのか、それを理解していたのは魔力を可視化できるアルマだけ。
――鱗鎧――
アルマは竜巻を放った後、滑り込むようにロードの肩を支える。
「あいつは鱗に反射の魔力を込めてる。だがそれは一回の発現にインターバルがある。だから最大の一撃を。出来るだろ勇者様。治癒術士!」
アルマの激昂ともいえるその言葉に身体を震わせながらもロードに最後の回復術をかけたセラは使役魔力を使い果たし、気絶した。
「アルマと言ったな。いつも教室の隅にいた君が、ここまでとは。やれるさ。一撃最高のを。それでやれるんだな?」
「ああ。こいつを倒すにはお前の火力が必要だ」
「ここまで来た君を信じよう」
「有難いお言葉だな」
ロードは剣を自らの前に掲げ、天高く掲げた。
――全能神授魔法聖剣――
「聖剣よ」
そう唱えた瞬間、ロードの握っていた剣は黄金に輝き始め、まるで鼓動してるかのようにドクン、ドクンと黄金の波動を発し始める。ただ発現しただけでなく、未だに魔力を剣へと集中させているため、放たれている光の波動は熱く厚くなっていき、まさに必殺を感じさせる。
「行くぞ!」
「ああ!」
その瞬間に放つロードの聖剣は蜥蜴人の胴体へ命中する。目も眩むほどの閃光が放たれてはいるが、魔力を可視化できるアルマにまぶしいなんて感覚はないに等しい。そしてロードの斬撃が蜥蜴人の鱗の反射によってロードへ返ってきた瞬間、アルマはロードと場所を入れ替わり、蜥蜴の爪によって鱗鎧を発現してみせる。
先ほど蜥蜴人は無数の鱗に纏った魔力によって斬撃を反射に変え、ロードを攻撃してみせた。しかしその反射の瞬間に蜥蜴人の鱗を包んでいる魔力は一時的にではあるが消失するようだった。だからロードの最大の一撃を反射させ、アルマがもう一度反射させることによってその最大の一撃を無防備な蜥蜴人へ叩き込む。
しかしアルマの予想以上にロードの一撃は重く、じわじわと肉体が崩壊しているのがわかった。だからこそこの一撃を反射すれば確実に蜥蜴人を仕留めることが出来る。
「うぅぉぉぉおおお! くたばれぇえええ!」
その叫びと共に新たな閃光がアルマと蜥蜴人の間で放たれ、アルマの身体は後方へ大きく吹き飛ばされた。
「アル!」
「アルマ!」
サリナとイギルが地面に倒れているアルマに近づき、表情を確認すると天を仰ぎながらも笑っているアルマがそこにいた。笑ってはいるものの左腕は皮膚が捲れていたり、肉が抉れていたりとズタボロで、右腕は折れている。
「大丈夫だ。勝ったさ」
そう言って、蜥蜴人を指さすと、蜥蜴人はゆっくりと地面へと倒れ込んだ。地響きのように重い音だった。
負傷者二名、気絶一名、死者ゼロ名。人を助けに来たアルマからしたらこれは大勝利と言えよう。
ロードは助けに来てくれた級友のサリナとイギルにお礼を述べた後に、アルマの前へ歩いてきた。
「ありがとう、助かったよ」
「いやいや、お前の力がなかったら勝てなかった」
「謙遜するなよ。君は強かった。学園に来る前は何を?」
アルマは静かに笑いながら、言った。
「ただの傭兵だよ」