弱者の眼差し、強者の選択 3
アルマたちが小鬼の村の中心に向かうと、小鬼たちは彼らを驚き戸惑いながら出迎える。何より複数体の鎌鼬でアルマたちを撃退できると踏んでいた彼らは、想定外の新手にすぐ統率を取ることが出来ない。声を荒げ、警戒音を鳴らす多くの小鬼たちの中に唯一冷静にアルマたちの方へ向かってくる者がいた。棒切れというより指揮棒と呼ばれるようなものを手にし、それを規則的ではないにしても明らかに何かを指示しているかのように振っている。すると、その指揮に呼応するように、森の茂みから数体の鎌鼬が現れ、そのアルマたちの前に立ち塞がった。
「あいつが名付き、飼育士の小鬼だ」
「ってことはあいつを潰せば鎌鼬の増援は消えるんだな?」
「ならさっさとやっちゃおう!」
アルマは敵対する彼らの奥に薄く光るドーム状の膜を発見し、今一度短剣を強く握りしめた。
――まだ持ってるか……。でも本来の結界より色が薄くなってる気がする――
「向こうの結界もそろそろ限界が近いようだから、急いで片を付ける」
「わかった」
「セラちゃん、ナディアちゃん待っててね」
アルマはイギルに目配せし、それを察したイギルは大隆牙を手に飛び上がり、鎌鼬目掛け、大地斬りを放つ。凄まじい勢いを以て、大地は鎌鼬目掛け地面を鋭く隆起させるが、敏捷性の高い鎌鼬はそれをするりと避ける。
「|火を以て、迸る閃光を体現せん《フラム・ラピッド・ショック》!」
しかし動く猶予が余りある平坦とは違い、地面を隆起させた状態では鎌鼬が抜けてくる道は限られてくる。そこを目掛けサリナの炎弾を撃ち込めば、ほぼ百パーセントに近い確率で炎弾を命中させることをできる。もちろん撃ち漏らした鎌鼬はアルマが腰に下げていた投擲短剣によって、命を絶つ。
恐らく鎌鼬の招集には飼育士の小鬼の魔力を少なくとも消費するはずだ。それが招集だけでなく、指示を行うための掌握を行っているとすれば、一度の魔力消費量は馬鹿にならない。ただでさえ、既に三十匹以上の鎌鼬を狩られている飼育士の小鬼の魔力は切れる寸前であろう。
飼育士の小鬼はそのせいか、為す術なくサリナの炎弾の標的にされた。一直線の軌道を描く、炎弾はものの見事に飼育士の小鬼の眉間に命中するかと思った。しかしどこからか現れたもう一匹の小鬼の腕によってその炎弾は簡単に防がれてしまった。
「なっ! 小鬼の頭を吹き飛ばす威力のある魔法だぞ!?」
サリナの炎弾の威力を目の前で見ていたイギルは、軽々と炎弾を受け止めてみせた小鬼に対し、驚きを隠せない。
「あれは鱗か……?」
普通の小鬼とは違った皮膚を持つ小鬼の腕は親指の爪くらいの何かがびっしりと張り付いている。張り付いているというより生えていると言った方が正しいか。本来小鬼は緑がかった茶褐色の体色をしており、細かい毛が薄らと生えているだけで、鱗を持つ魔物ではなかったはずだ。
「食物連鎖の逆転か」
その小鬼の――サリナの炎弾を受け止めた左腕とは反対の――右腕に握られている汚い肉の塊は、この離れ森深層を根城にしている上級魔物蜥蜴人の幼体の死体であることにアルマは気付く。魔物という魔力に魅入られた生き物である彼らの進化は速く目まぐるしい。一体特異的な個体が発見されれば数日後には、種全体の生態が変化するほどに。
この村の小鬼たちは飼育士のおかげかはわからないが、ヒエラルキーにおいて、自分たちより上の者を食らってみせた。恐らくその最初の個体があの鱗の小鬼であり、蜥蜴人の強さを担う鉄壁の鱗を手に入れたのだろう。
「二人で、あいつらを助けに行けるか?」
「アルは?」
「鱗の小鬼を倒す」
「お前、一人でやるつもりなのか?」
「そんな!」
「わからないか? 上級を食らう魔物だ。上級以上の力を持ち合わせている可能性があるんだ。だからここでの最適解は一人が足止めをして、他は逃げるだ。サリナの魔法で結界周りの小鬼を蹴散らせば何とかなる」
「アルを一人でなんか置いていけないよ!」
「てめえだけかっこつけようとしてんじゃねえ!」
二人の激昂に対し、小鬼が待ってくれるはずもなく、小鬼は鎌鼬に突き刺さっていたアルマの投擲短剣を引き抜き、それをこちらに投げてきた。
凄まじいスピードで迫ってくる投擲短剣を見るに、やはり普通の小鬼の膂力ではないことを察したアルマは、銀の短剣でそれを弾き飛ばし、もう一度強く二人に言った。
「いけ! それであいつらが戦えるなら、助けに来てくれ」
その言葉に鱗の小鬼の脇を抜けていこうとする二人だが、もちろんそんな見え見えな囮で誤魔化されるはずもなく、鱗の小鬼は鋭い短剣を手に二人に迫る。
「疾風迅雷――やらせるかよ」
二人と鱗の小鬼の間に割って入ったアルマは、鱗の小鬼の繰り出した短剣を黒鋼のトレンチナイフによって受け止めた。そのまま鱗の小鬼の短剣を巧みに弾き飛ばし、空いた胴体目掛けて鎌鼬の刃で貫手を放つ。
しかしその貫手はアルマの手首を鱗の小鬼が掴んだために、命中することはない。鱗の小鬼は手を握りしめ、アルマの手首を締め付ける。本来小鬼にはこれほどの力はないはずだが、確かにアルマの手首はミシリという音を鳴らした。
「ぐっ――」
一瞬苦悶の声を漏らしたアルマは、右手に逆手で持った黒鋼のトレンチナイフを鱗の小鬼の肩口に突き立てる。知り合いの鍛冶師に打ってもらった業物であるはずだが、鱗の小鬼の鱗は固く、骨には届かない。しかし切っ先は確かに肉に入り込んだため、刃をぐりぐりと捻じることで小鬼の力が緩むのを願う。
「手ぇ放せよ」
【ギャァガッ】
小鬼もアルマと同じく苦悶の声を上げるが、それと同時ににやりと笑ったように見えた。直後背後に気配を感じたアルマは、まだあの飼育士を仕留めていなかったことを思い出す。
それに気付いたとほぼ同時に後頭部に強い衝撃を感じ、右の視界が赤く染まった。殴打によって頭が切れたのか、血が流れたのだろう。その一瞬で力を抜いてしまったアルマは鱗の小鬼の肩口に突き刺した黒鋼のトレンチナイフを抜かれてしまうどころか、手を引かれ地面に転ばされてしまう。この程度の攻防で、地面に尻を着かされるとは、自らの平和ボケに呆れ、後悔した後に、振り下ろされた鱗の小鬼の短剣による一撃を避けた。
「これしかないか」
そう言って咄嗟に立ち上がったアルマは右目にのみ魔力を集中させ、右目にだけ紅魔眼を発現してみせた。それと同時にアルマの視界は色鮮やかな明るい物質界と、白い靄が映る暗い魔力界、双方の情報が鮮明に映される。
生物と称されるもの全てが有する魔力は、その生物の動きと密接に関わっており、腕の上げ下げや歩行、殴打と行動を起こせば、必ず微弱でありながらも体内で魔力の増減が行われる。物質界で起きる明確な肉体の動きと、魔力界で起きる魔力の増減の双方を確実に捉えることが出来れば、それはある種の予測を超えた予知の様なことが理論上可能であった。しかしただでさえ一つの世界の情報すら捉えきれない人間の脳に、二つの視界の情報が送られると、酷い酔いと頭痛を引き起こす。
「ぐっ――」
痛みに声を漏らすアルマだが、手練れが二人いる以上、この双眼を会得しなければ、ここにいる者たちの明日はない。ただでさえ自分も行くはずであった無数の小鬼たちへの討伐を二人に任せたのだから、ここは一人で切り抜けなければならない。
この双眼を体得するか、鱗の小鬼の進化の糧になるか。選択肢は二つに一つ。アルマが進化するしかない。