世界は今日も火に焼かれている 2
「先生はああ言ってたが、お前なんか信じてねえぞ」
小鬼の村があるとされている道を歩きながら、イギルはいつもと変わらない太々しい表情でそう吐き捨てた。もちろん冴えなく暗い男というレッテルを貼り付けられているアルマが相手であれば、いつも通りイギルの一方的な嫌味で終わったのだろうが、今はサリナがいた。
「アルだって本当は強いんだから! さっきだって私を助けてくれたし!」
「鎌鼬一匹上手く倒したくらいで何言ってんだ。運って言葉知らねえのか、てめえは」
そう言い合う二人を横目にアルマは小鬼たちをどう攻略するか考えていた。
「小鬼の村か……」
――小鬼――
冒険者最初の敵として名高い低級の魔物である彼らは、不快な鳴き声を介し、仲間とのコミュニケーションを取ることができ、村という独自の社会を形成する。本来一匹であれば簡単に討伐可能な魔物であるが、その村と呼ばれる縄張りに立ち入れば、無限ともいえる数の小鬼に襲われることになる。窮地ともいえるそんな状況に陥った人間がどうなるかなんてことは言わずもがな。そんなところに好奇心か、無謀な勇気か、入り込んでしまった初実践訓練中の生徒の救出は困難を極める。
「てめっ」
二人を差し置いて考え事をしていたアルマに腹が立ったようで、イギルはアルマの胸倉を掴む。
「少し評価貰ったくらいで粋がってんじゃねえぞ。フカンだかフトンだか知らねえが、てめえの指示は聞かねえからな」
「わかった」
静かに答えるアルマは、まるでイギルの言葉に応えているようで先ほどと変わらず、眼中に無いといった反応だった。そんなことをされればイギルは絵に描いたように、腹を立てアルマの頬に拳を突き立てる。
「おい、いつもこいつの後ろに隠れてる奴が粋がってるんじゃねえよ。いつもみたいに何もしないで静かにしてろ」
理不尽な暴力はサリナが黙っていないのは当然で、二人の間に割って入り、二人というより、イギルの前に立ち塞がり、争いを止める。
「今そんなことしてる暇ないでしょ? 私たちは今から助けに行くの。争ってどうするの?」
「こいつが」
反論しようとするイギルの口をサリナは抑え、アルマにもかがむように指示を出す。直後、歩いていた獣道を挟んでいる草むらの奥から不愉快な音が聞こえる。この音に三人は神経を逆撫でさせられるような、背筋を冷たい汗が垂れていく感覚を覚える。この音が何かというのは、恐らくこの三人の全員が認知しているだろう。世界で一番忌避されている音といっても過言ではない小鬼の声。ガラス製の皿を互いに擦り付けたかのような鳴き声は、高音、低音の両方の不快音を鳴らし、周囲の者たちに底知れぬ恐怖感を覚えさせる。
「静かに」
そういうサリナを横目に、アルマはゆっくりと小鬼の背後を取ろうとする。
「おまっ、何勝手なことしてんだ」
動き出したアルマを捕まえようと、手を伸ばしたイギルはアルマの裾を掴んでしまい、不意に思っていなかった方向へ力を流されたアルマは、盛大にしりもちをついてしまう。ドサッという音に小鬼が気付かないはずもなく、すぐさま振り向き、その不快な鳴き声を盛大に上げた。
「なんでっ――」
そう声を上げたアルマに対し、イギルは怒りっぽい調子を変えずに答える。
「てめえが勝手なことするからだろ!」
「村から離れていた個体を追えば、村に辿り着けるってなんで気づかないんだ」
呆れたように言うアルマを差し置いて、イギルは武器を取り、小鬼の前に立つ。
「うるせえうるせえ。やってやるよ。一匹くらい!」
この小鬼を囮にするということすら理解していないイギルに対し、嫌気がさしたアルマはゆっくりと下がり、イギルの戦いを見届けることにする。
イギルの得物は両手斧。長い柄の先についた巨大な刃から繰り出される豪快な一撃は、小ぶりな棍棒を振り回す小鬼に対しては有効だろう。しかし小鬼は人間より半分くらいの頭身であるために、その動きは素早い。避けられれば傷を負わせられることになるため、決め手は最初の一撃。イギルはそれをわかっているのかどうか。
イギルは汚い声を上げる小鬼に肉薄し、大振りで両手斧を使う。両手斧をかなりの勢いで振るうイギルの膂力は凄まじい。流石、自ら救出を買って出るくらいの実力だろう。しかし明らかに見え透いた攻撃は、軽々と小鬼に避けられてしまう。両手斧の大振りは簡単に再発することはできず、大きな隙ができる。
いくら低級魔物だとしても、道具を扱うことを覚えた小鬼がその隙を見逃すはずもなく、両手斧に体を振られ、背中を見せているイギルの背中を目掛けて棍棒を振るった。
まずいと思い、助太刀として腰に差していた短剣を投げようとしたアルマは、小鬼が後方へ吹き飛ばされたのを見て、驚きを隠せない。
イギルは刃を地面につけたまま、それを支点として柄の先で、小鬼の顔面を突いてみせたのだった。
小鬼は、その小さな体であるがゆえに、軽々とその一撃で宙を舞う。道具を使うほどの頭はあれど、魔法を扱うための魔力をあまり持ち合わせていない小鬼は空中で体を翻させるような力は持っていない。
それはまさに格好の的で、今一度体勢を立て直したイギルは、両手斧を上空に振り上げ、小鬼を斬り上げる。ぐちゃっという破砕音と同時に斧は小鬼の腹部から激しく紫色の血しぶきを噴き上げさせる。イギルは斧を巧みに扱い、小鬼を地面へ向けて、叩き落した。斧の斬撃の強みは、振り下ろすことで膂力からの一撃に合わせ、剣より重みのある斧の重さが載ることにある。いくら頑強な体を持つとされる魔物だとしても、これだけ強力な一撃を食らえば、背骨を真っ二つに断たれ、致命傷だ。
既に息も絶え絶えな小鬼を前に、顔にかかった血を拭いながらイギルは振り向き、アルマを見た。何も言わず、どうだと表情で語るイギルに対し、アルマは群れを相手にしたらどうなるか興味がわいてきているのも事実であった。だがこのただの鉄で作られた魔法も込められていない両手斧では一対一が限界だろう。そう思ったアルマはポーチから一つ、手のひら大の珠を取り出し、イギルに差し出した。
「なんだよ」
「これから群れと戦うことになる。それならこれが必要だと思う」
イギルは恐る恐るその珠を手に取り、それが何かを確認する。
「こいつ武具晶石じゃねえか。しかも岩鬼だ? オーガの劣等種、中位の魔物の武具晶石じゃねえか! なんでこんな貴重品お前が」
「そんなことはどうだっていい。岩鬼の武具晶石は両手斧。お前の得意とする両手斧だ。市場なら数万もくだらない。もらうのか、もらわないのか」
汎用性が高く指導者の多い剣や短剣、杖などの武具晶石は集める冒険者が多いために、流通量は多い。しかし両手斧という使用者の少ない武具晶石は使う人が少ないが故に、皆わざわざ稼ぎとして集めようとはしない。だから他の武具晶石より金額は高くなっている。だからこそイギルは絶対にこの両手斧は欲しいはずだった。しかし今まで攻撃的な態度を取り続けてきたアルマに対し、借りを作るのは嫌だった。
「プライドで強さは買えない」
「わかってるよ!」
そう言ってひったくるようにアルマの腕から武具晶石を取り上げた。そしてそれを手で強く握りしめ、自らの魔力を流し込む。すると武具晶石の内側からじんわりと温かな光があふれ始め、見る見るうちに珠はその形を変えていく。一部は細く長く伸びていき、一部は鋭く大きく。そして鮮やかな装飾が施された両刃の斧が、イギルの手には握られる。
岩鬼の岩腕斧を模した土の属を持つ両手斧。魔力を流し込み、刃を地面に叩きつけることで地面を隆起させる大地斬りを発現することのできるその斧の名前は。
――大隆牙――