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本編: 令嬢は過労です

 その日、家の前には見たこともない黒塗りの馬車が止まっていた。

 どこかのお偉いさんでも来てるのかなあ、とそれを横目に家に入ると、

「クロエ! 遅いじゃないか!!」

と、いきなり父が私を出迎えた。

 生まれてから今まで、私が家に帰ってくるのを待っていたことなどないし、私が帰る時間など把握してないだろう父が、「遅い」ときた。

 学校を終えて帰ってくれば、これくらいの時間になるのは普通のことだ。

 それなのに、えらく焦った様子で応接室まで来るよう指示された。

 何やら急ぎのようなので、普段着に着替えて軽く身だしなみを整え、すぐに応接室に向かうと、見たことのない男の人が座っていた。

 身なりはよく、年は若めで、ちょっと眼光鋭く、神経質そうに見えた。良家の執事さんっぽい。

「今からこの方と一緒にセラーノ家に行儀見習いに行ってもらうことになった。十日ほどだが、粗相のないように。きちんとお勤めしてくるんだぞ」

「えっ? 今学校から帰ったばかりなのに…? 来週とかじゃなくて、今から?」

 あまりの無茶振りに思わず父と客人を交互に見るも、それ以上の説明はなく、

「では行きましょう」

とそのまま家の前に止めてあったあの黒塗り馬車に乗せられ、否応なくセラーノ家とやらに移動することになった。


 馬車には私の荷物も既にパッキングされて積み込まれていた。

 昨日、妹の宿題を手伝わされて寝不足気味で、授業中も何度か居眠りしてしまってた。帰ったら夕食までの間、ちょっとお昼寝しようと思っていたのに。何てタイミングが悪い…。

「私は、セラーノ家の嫡男レイナルド様の執事をしております、オラシオと申します。本日はレイナルド様の命にて参りました。このたび、バルディス男爵から推薦をいただき、クロエ嬢に十日間、当家に行儀見習いにお越しいただくことになりました」

 父の推薦、と聞いてびっくりした。それなら事前に話があってもいいのに。しかも、行儀見習いがたった十日間?

「…いきなりですね。何か訳ありですか?」

 オラシオさんは、笑顔を見せたが、その笑顔は目を細め、口許を曲げただけのものだった。典型的な形だけの笑顔。

「九日後に、当家で小さな夜会が催されます。気心の知れた方々の軽い集まりなのですが、そのお手伝いをお願いできればと。あなたも伯爵家の夜会には、興味あるでしょう?」

 伯爵、と言われてようやくピンときた。セラーノ伯爵家と言えば、この王都でもそこそこ裕福な大貴族だ。

 領地は王都の南にあって、中心部の街は王都に次ぐ賑わいを見せ、商業と工業が発達していると聞いたことがある。山では鉄鉱石も採れるんじゃなかったっけ。

 しかし、我が家のような弱小男爵家がそんなイケイケ伯爵家なんぞと交流を持つことはほとんどなく、興味があるかないかと言われれば、

「あんまりないような…」

 私のネガティブな回答に、オラシオさんは少しがっかりしつつも、

「まあ、興味をお持ちいただけると、楽しくお過ごしいただけるかと思います」

と言って、ハリボテの笑顔を崩さなかった。

「明日も学校があるんですが…。学校は休むんでしょうか」

「お父上が既に連絡済、と伺っています」

 父は伯爵家と聞いて、つてができると喜び、ごり押しな話をホイホイ引き受けたのだろう。なんとなく目に浮かぶ…。


 招かれた(?)セラーノ家は思ったほど遠くなかったけれど、そこは本邸ではなく、商業街に近い別邸だった。

 突然やって来た見知らぬ女に、屋敷の使用人達は少し驚いた様子だった。オラシオさんが軽く咳払いをすると、その場にいた三人ほどが整列し、軽く礼をした。

「今日から夜会までお手伝いをいただく、クロエ・バルディス嬢だ」

「クロエです。よろしくお願いします」

 お手伝い、と聞いて、来客ではないとわかって安心したらしく、少し緊張が緩んだ。

 伯爵家のメイドにしては、思ったほど洗練されていないな。うちのメイドだって接客中は顔色を隠すくらいのことは学んでいる。


 三人のうちの一人に連れられて、これから十日間過ごす部屋に案内された。

 途中、案内してくれていた子が呼ばれ、呼びに来た別のメイドが私の案内を引き継いでくれた。

 使用人が住む離れの一部屋が提供された。家の自室よりは多少小さかったものの、清潔な一人部屋で、自分一人が数日住むには不自由することはなさそうだった。

 うちのメイドが詰め込んだらしい私の荷物には、下着類や小物は入っていたものの、普段着る服がない。十日間同じ服を着ろ、と言うのか。全く気が利かない。リノかな。帰ったら文句言ってやろう。

 せめて自分で準備するくらいの時間とゆとりがあれば…。

 しかし、ここは別邸だろうと伯爵家。頼めばお仕着せを借りられた。出してくれたのは、メイド用の服。予備も含めて3枚、即座に支給された。ネイビーブルーのワンピースは仕立てもいいし、エプロンも帽子もかわいい。言うことなしだ。

 それでも、メイド服しかないんじゃ不自由しそうなので、家に手紙を書き、服を届けてもらえるよう頼んだ。


 この別邸には今は伯爵家の人はおらず、年齢層の低めの人達が中堅どころの人から指示を聞きながら働いている。もしかしたら、本格的に屋敷で雇われる前に見習いとして実習をしているのかもしれない。なんせ、あまりにたどたどしい。

 皆と一緒に夕食を取り、私がさほど有名でもない地方の男爵家の人間だと知ると、さらに安心した様子で、その日のうちに名前で呼び合う仲になった者もいた。立場は同じメイド、らしい。行儀見習いって、そうだっけ。


 翌日、私のメイド服姿を見て、オラシオさんは変な顔をしていたけど、

「お借りしてます。いい生地で、動きやすくていいですね」

と言うと、

「そうですか。それはよかった」

と作り笑顔を崩さなかった。この人はプロだ。


 まずは屋敷の中を案内してもらい、各部屋や裏方の作業場、屋敷の使用人の紹介を受けた。

 仕事は、昨日言われていた通り、夜会の準備。

 うちのような弱小貴族はめったに夜会など開くことはないけれど、何度かお呼ばれして参加したことはある。

 ガーデンパーティ程度ならうちでもやっているので、少しはお役に立てるかな、と思っていたら…。

 招待状は、出し終わっている。

 お掃除も万全。

 メニューも決まっていて、パーティ三日前から本邸からシェフが来る。

 楽団も手配済み。

 段取りはほぼ決まっていて、手配も概ね済んでおり、特に出る幕はなさそうだ。

 何で呼ばれたんだろう。

 しかし、パーティの開かれる広間を見ながら、準備のためのリストを渡され、おや?と思うことが、いくつか。

 気になることは、聞いてみる。

「お花、発注してますけど、こんなに少なくて大丈夫ですか? これじゃあ、この広間だけでも足りそうにないですけど…。玄関や控えの部屋にもいりますよね。庭の花とかで追加する予定ですか?」

「ここ別邸では難しいかもしれませんね」

 けろっとした顔で言うオラシオさん。

「…誰です? 発注した人」

「私じゃありません。私は、あなたにこのリストをお渡しするよう、言われただけです」

 渡すだけかい。執事じゃないのか、あんたは。

 リストなんて、昨日頼まれて来たばかりの私なんぞに見せてどうするんだろう…。行儀見習いって、こういうの仕切るもの? いやあ、ないでしょう。とはいえ…知ってしまえば放ってもおけず。

「今からお花、足せます?」

「…自由に使える予算は、これくらいですが」

 オラシオさんが見せてきた金額は、充分な花を用意すると、それだけで終わりそうな額だった。何となく、足りないものは花だけで済まないような気がする。

 夜会をするのに、追加予算がこれだけとは…。しょぼい。セラーノ伯爵家は今をときめく大貴族だと聞いてたけど、実は家計は火の車だったりするんだろうか。

 花のことはちょっと置いといて、リストの他の項目も見てみる。

「夜会って、…夜、やるんですよね」

「普通はそうですね」

「ろうそく、各お部屋の広さや照明からして、このリストの量、少なくありません?」

「…少なそうですね」

 わかってるんかい。それなら、

「手配は?」

「…」

 してないのか!

 この執事、無能? 自分の仕事じゃなかったら動かないの?

 それとも誰かを貶めようとしてる??

 この夜会を失敗させようともくろんでいる人でもいるのかな。

 何だかわからないけれど、やばそうな予感がする。

「この家のろうそくの予備はどこに?」

 オラシオさんに案内されて、たどり着いた部屋には、まあ何とかなりそうな量のろうそくのストックがあった。照明係の人にもリストを見せると、在庫で何とかします、と言ってもらえた。

 照明係の人もいるのに、このリスト作成者は聞きもしないのか。

 …無能なのか?

 まあ、夜会が終わればきっと本邸から補充があると、そう信じてある物は使ってしまえばいい。どうせ、夜会が終わったら私いないし。

 …でも、後の人が困るのも、なんか悪いな。

「一応、ろうそくの在庫を使い切ること、声かけておいてくれる?」

 そう言うと、オラシオさんは、

「承知しました」

と言ったけど、自分は担当外だから関係ないです、とでも言いたそうな顔をしていた。

 オラシオさんはこの別邸の管轄ではないのかな。オラシオさんも臨時要員?

 でも、執事でしょう? よそ者の私と違って、伯爵家の家令でしょう?

 この家、大丈夫?


 庭にある温室を管理していた若い庭師のイヴァンに声をかけると、ここの庭にある花の準備に加え、本邸の庭師にも頼んで花を用意してもらえることになった。それでも足りなさそうな分は追加発注することになるので、事前にどの程度用意できそうか、教えてもらうことになった。

 新参者の私のお願いを笑顔で聞いてもらえ、ほっとした。


 食器は大丈夫。カトラリーも充分。いい食器使ってるなあ。さすがは伯爵家。

「ど、どうしましょう、間違えてましたぁ!」

 エリナがうろたえながら声をかけてきた。

「ご招待のお客様、三十人、じゃなくて、三十組でした!」

 はいっ?? まじか!

 単純計算でも倍か!!

 広間は、スペースは、…何とかなりそう。食べ物は?? 飲み物はどうだろう??

「本邸のシェフに連絡!」

 厨房見習いのウーゴがすっ飛んでいった。

 食器はともかく、カトラリー、磨いたのが足りないかも。数はあるけど、銀が曇ってるよ。磨かなきゃね。うはぁ。


 招待客リストを見せてもらった。

 …家名しか書いてない。だから間違えたんだ。にしても、大胆な間違え方。エリナは新人かな。新人に任せたのか。そんなに人がいないのか。

 並んでいるのは、結構有力なお貴族様の家名。

 「気心知れた人たちの軽い集まり」なんて戯言を信じてはいけなかった。何でも要確認だ。

 交友関係のランクが違うんだから、それなりの人たちが来るのは当然だ。気心知れた「王子様」だっているかも知れない。おお、こわっ。


 飛び入りの新参者な私なのに、なんだかあっち行って口出して、こっち行って手を出して、バタバタ走り回り、みんなより遅れてご飯を食べて、夜はもう寝るだけ。ベッドに横になったらそのまま気を失うかのように寝ていた。

 家に帰りたい。


 基本泊まりの客はないと聞いてはいたけれど、いざという時のために客室もチェック。うん、大丈夫そう。

 客室にはお風呂もついていて、うらやましい限りだったけど、ニセ金持ち疑惑のある伯爵家で行儀見習いごときが贅沢はできまい。

 湯あみ、したいなあ…。お湯もらって体拭くだけじゃ物足りないなあ。


 二日後、妹が服を届けに来てくれた。

「お父様に頼まれたの」

とえらくご機嫌で、おめかししてニコニコしてたけど、

「ここ、伯爵家の人いないわよ。みんな本邸だって」

と言うと、

「えーーーっ」

と露骨にがっかりしていた。

 やっぱり、伯爵家関係者への媚びか。

 使用人しかいないとわかると、とっとと帰って行った。わざわざ届け物、ご苦労様。できれば仕事を手伝って欲しかったけど、あの妹じゃかえって邪魔になるかも。

 多分帰り道に、何か買い物に立ち寄るだろう。猫舌亭のガレットとかおやつに買って帰るんだろうな。うらやましい…。


 私を呼び出したレイナルド氏は、三日経っても未だ姿を見せることはなかった。

 私のことにしても、人手不足を補うために行儀見習いとかいい訳をして、体のいい労働力をあてがっただけじゃないのかなあ。

 そんなに伯爵家って、困窮してるんだろうか。


 レイナルド氏のいとこに当たるらしいラウル・パストール氏が、頼んでおいたテーブルクロスの不足分を本邸から持って来てくれた。クロスの色がそろってないとか、あり得ないよね。

 しかし、伯爵家のいとこさんをパシリに使うとか、本当にお金に困ってるんだなあ…。

 だんだん哀れになってきた。

 それなら、夜会なんかやめてしまえばいいのに。そうはいかない事情があるんだろうか。ああ、めんどくさい。

「見かけない子だね。新入りさん?」

 ラウル様が気さくに声をかけてきた。

「夜会までの間お手伝いに来てます。クロエ・バルディスです」

「…バルディス男爵のお嬢さん…? め、メイド?」

 私のメイド服を見て、目を丸くしていた。

 私も行儀見習いは侍女に近いのかと思ってたんだけど、メイド服を借りちゃったせいか、みんな私をメイド扱いしてるし、借りてる部屋からしても初めからメイドポジションだ。やってることは、メイドの職権は明らかに超えてるけど。

「クロエー、納品に来てるんだけど」

「はいはーい、今行く。…クロス、運んでいただき、ありがとうございます」

 こちらも仕事中なのでろくに相手もできず、お礼だけ言って呼ばれてお酒の納品に来た業者さんのところに行った。


 数を確認して…。んん? 銘柄間違えてる。どうなってるの? 王都でも名の知れた酒屋さんなのに、大丈夫? セラーノ家、なめられてる?

 指摘すると、大差ないしいつもはこれだから、と言われたけど、注文と違う品を持ってくる方がおかしい。オラシオさんに事情を話して代替品でいいのか確認を取ったところ、注文通りにするよう言われたので、一旦持って帰ってもらい、期日までに正しい品を持ってこられるか、急ぎ確認してもらうことにした。

 後から、ちゃんと期日に間に合わせる、と連絡があった。オラシオさんもどうしても間に合わなければ間違えたものでもいいとのこと。

 お酒の手配くらい、トラブらないでよー。


 ラウル様はまだ別邸に残っていて、貴族の子息とは思えない気軽さで机のセッティングやテーブルクロスかけを手伝ってくれていた。使用人の女の子達が喜んでる。

 さらにおやつの差し入れまで持ってきてくれて、二十分ほどながら皆と一緒にお茶の時間を取り、少しほっとした。

 銀のカトラリーを磨きながら、さりげなーーーく伯爵家の貧窮状況を探ってみたけれど、笑ってごまかされてしまった。

 まあ、外部の人間にそんなこと、恥ずかしくて言えないよね。


 ラウル様は、その後も本邸からの荷物の運搬役を務め、雑用に手を貸してくれた。「みんな働き者だね」「がんばってるね」と周りを褒めてくれるのがなんだか嬉しかった。

 父の手前もあり、夜会に失敗してうちの家名に泥を塗るのは嫌だと思って頑張ってはいるものの、ちょっと不満が溜まってしまっている自分に気がついた。

 みんな問題が起こるたびにおどおどしてるか、我関せずだ。私だってこの家の事自体よくわかってないし、決して自信がある訳じゃないのに、何やってるんだろうって不安になっていた。

 弱気なのは、疲れているからかな。そんな時にかけられるお褒めの言葉は、心の栄養になる。

 もう少し、頑張ろう。


 その日もラウル様がおやつを持ってきてくれていた。みんなと休憩時間にお茶をしている中、呼ばれて行くと、オラシオさんから前泊希望のリストを渡された。二部屋とはいえ、四日前に言うのか。…もっと前からわかってたんじゃないの? わざと小出しにしてる? …な訳ないか。

 客室のチェック、しといてよかった。念のため再度確認して戻ると、みんな休憩を終えていたので、おやつは諦め、そのまま次の仕事にとりかかろうとすると、ラウル様が

「クロエの分、ちゃんと預けてあるから。後で部屋でおあがり」

と言ってくれた。取り置いてくれていたのだ。

 ううっ、嬉しい。

「クロエ、疲れてるね。四番目の客室のお風呂、使っていいよ。レイナルドにもいいって言われてるし、オラシオにも言ってあるから」

「パストール様、私だけ特別扱いはしなくていいです」

「ラウルでいいよ。…目の下にクマができてる。まだ本番はこれからなんだから、リフレッシュして」

 優しい申し出に、こくりと頷いた。

 その日の仕事を終えて、四番目の客室に行くと、既にバスタブにお湯が張ってあった。お湯を用意するのは大変なのに…。ありがたい。

 お言葉に甘えて、久々にゆったりとお湯につかって、ちょっとほっとした。

 お湯に浮かんでる花びら…。お庭のバラかな。贅沢だなあ。

 また明日から頑張ろう。

 うっかりバスタブの中で居眠りし、溺死しそうになったけど、何とか部屋まで戻り、そのまま倒れるように眠った。

 後で片付けようと思っていたお風呂は、翌日にはきれいに片付けられていた。


 三日前には本邸からシェフが来て、調味料や今ある食材を確認してくれた。

 本邸からも食材が持ち込まれ、この後、業者から届くものはシェフが確認してくれることになった。プロに任せられて、ちょっとほっとした。

 当日の段取りや、料理の説明を受け、みんなで確認し合った。

 本邸のチーフシェフのダリオはちょっと頑固親父っぽかったけれど、作ってくれたまかないはおいしくて、作り方を聞くと快くレシピを教えてくれた。


 夜会前日には本邸の侍女やメイドもやって来た。前泊の方の対応をしてくれるらしい。

 なるほど、実際に本番が近づくと、こうやって人材が集められる訳だ。私はお屋敷のプロが登場するまでのつなぎだったらしい。これで少しは楽になるかと思っていたのだけど…。

 侍女頭のアデラさんが来ると、これまで以上に、今度は指図される側としてこき使われ出した。

 何かあるとみんなが私に相談するのを見て、準備不足は私のせい、と判断したらしく、やたら名指しで走り回らされた。

 客のわがままでお土産のお菓子まで買い出しに行かされたけど、それって私の仕事なの?

 もう訳わからん。ただひたすら、疲れた。


 当日こそ、本邸の皆様の出番。手慣れた強者達が取り仕切り、不安は消える、はずながら、私が来た時からこの別邸にいた「同僚」のみんなの夜会デビューも兼ねているようで、みんなやたらと緊張しまくっていた。こっちも緊張がうつっちゃう。

 デビューと言っても、夜会参加じゃない。夜会での初のご接待デビュー。

 やはりこの別邸にいた子達は見習いだったんだ。ここで評価されれば正式採用になり、本邸で働くこともあるんだろう。

 私には夜会で客と接する仕事は回されてなかった。それなら裏方の仕事を手伝おうと奥に移動している途中、廊下で家族に出くわした。

 こちらは招待客。行儀見習いの私と違って、そこそこ一張羅を着た父と母、それにまた新しいドレスを作ってもらったらしい妹が、得意げに歩いていた。

 …招待リストになかった気がしたけど、ちゃんと招待状は持ってるし、後から追加になったのかな。…リスト落ちって、また誰かのミスじゃないよね? もうミスは勘弁して。

「お姉様のおかげで、ご招待を受けたのよ。伯爵家の夜会に参加できて嬉しいわ」

 脳天気にそう言って、口許に扇を当てたアデリナはご機嫌だった。

 しかし、こっちは連日の寝不足でふらふら状態。やつれたメイドと男爵令嬢が親しそうにしているのもどうかと思われたので、一応、メイドの振りをして頭を下げて

「是非、お楽しみください。…ここのシェフ、腕いいからいっぱい食べとくのよ」

と、小声で伝えておいた。


「おい、そこの君。…バルディス男爵令嬢を見かけなかったか」

 声をかけられて振り返ると、ずいぶん立派な格好をした、体格のいい男がいた。

 昨日、オラシオさんと話をしているのをちらっと見かけた。これが私をここに呼んだ伯爵家の嫡男、レイナルド・セラーノ氏だと聞いていたが、未だ挨拶はない。

 夜会用の格好をした男に用があるのは、きれいに着飾っていた妹の方だろう。

「先ほど、中に入って行かれましたが…」

 そう答えると、

「そうか」

とだけ言うと、レイナルド氏は少し早足で広間へと足を向けた。途中、来客に声をかけられると、私=その他Aを見るのとは違う笑みを見せて、朗らかに対応していた。

 君の家の夜会開催のために頑張ってる人に、笑顔の一つ、礼の一つも言えないもんかね。

 まあ、社交を頑張るのが、伯爵家嫡男のお仕事。使用人ごときにふるまう愛想はないのかもしれないけど。


 明日の片付けが終わったら、お役御免だ。そう思ってもうひと頑張りしていたところに、急に立ちくらみがした。こらえようとしたけれど、バランスを崩し、手にしていたデザート皿が手から離れた。

 皿が床に落ちて、大きな音がし、小さなケーキや果物が床に散らばった。

 すぐに謝り、掃除をしていると、

「顔色が悪い。部屋に戻って寝てろ」

と、ダリオに言われ、片付けも途中なのに下がるよう言われた。

 謝る言葉にも

「もういいから」

と言われ、いたわってくれているのに逆に見放されたような気持ちになってしまった。

 音に気付いたのか、ラウル様がやって来て、部屋までついてきてくれた。

 扉の前で小さく礼をして、部屋に入ると、記憶はなかった。失敗にくじける間さえなく、即座に眠りについていたらしい。


 翌朝、枕元のサイドテーブルに花が一輪、飾ってあった。

 この別邸に咲いていた、小さなオレンジのバラだ。

 誰かが部屋に入ってきたのに、不用心にもそれにさえ気がつかないくらい、ヘトヘトだった。

 それなのに、目に映った明るい色の花が励ましてくれてるように思えた。


 翌日、ダリオさんにもう一度謝ると、気にするな、と頭をガシガシと撫でられた。

 伯爵家の皆さんは夜会が終わると本邸に戻り、泊まりのお客様の相手のために残っていた人も、午前中にはいなくなっていた。

 あんなに準備には時間がかかったのに、片付けは半日で終わった。あとは、各部屋の掃除と、お洗濯と…。仕事は尽きない。

 底をつきそうだったろうそくも、ちゃんと補充されている。

 言うほどお金に困っていないとしたら、あの追加予算の少なさはただケチなだけだったのか。伯爵家のお財布事情は最後まで謎だった。


 ようやく行儀見習いから解放される日が来た。

 皆さんにお別れを言い、オラシオさんに送ってもらえるはずが、ずいぶん待たされた。早く帰りたくて、しびれを切らし、

「用があるなら無理に送らなくていいから。じゃあね」

 そう言って自力で帰ろうとするのを、しつこく引き留められた。

「もう少しだけ、お待ちいただければ」

「もう帰りたいの。悪いけど、そこは気を遣ってよ」

 目の前に立って邪魔するのをよけて出て行こうとしたところにやって来たのは、レイナルド氏だった。

 一応、雇用主と言えなくもない立場の人だったのを思い出した。無給で体よくこき使われただけだけど。

 レイナルド氏は、私を見るなり、

「君がクロエ・バルディスか。どうして夜会に来なかった」

とにらみをきかせた。

 しかし、夜会に来なかった?? …何を言ってるんだろう。

「夜会にはいましたよ。あなたのご要望のまま、仕事してました」

「仕事?」

「会場で妹を探していたのを、ご案内したでしょう? 覚えてません?」

 私の言葉に驚いた顔を見せた。メイド服を着た私と、ここにいる私がようやくつながったらしい。

「…あの時のメイドか。何で、メイドなど…」

「あなたが行儀見習いとしてここに呼んだのでしょう? お忘れになりました?」

「いや、忘れてなど…、どうなってるんだ」

 独り言のようにつぶやき、少しうろたえた様子を見せながらも、早々に切り替えると、

「ずいぶん雰囲気が違うが、君がクロエならそれでいい。君は合格だ」

 そう言って、何だか自信ありげにこくりと頷いた。

 …何が合格??

「夜会の不足を指摘し、きちんと手配できていた。限られた予算の範囲での運営。他の使用人の評判も良い。見逃された点もいくつかあったが、まあ、悪くないだろう」

 その言葉でわかった。私は試されていたんだ。

 私に夜会関係のリストを見せたのは、私が夜会というものをわかっているか、運営する力があるか、試すためだったのだ。

 他の使用人達と同じく、この夜会で試されていた。

 足りない花も、不足するろうそくも、人数間違えも、仕入れた酒が違っていたのも、仕組まれていた訳か。

 あんなに必死にフォローしたのに。

 ふーーーーん。

 私は自分の荷物を持ち上げ、

「ああそうですか。お疲れ様でした。失礼します」

 そう言って、立ち去ろうとした。

 すると、オラシオさんが両腕を伸ばして行く手を遮り、レイナルド氏に腕を掴まれた。

「君は伯爵家に認められたんだぞ。もっと喜ぶべきだ」

 この人は、何を勘違いしてるんだろう。

「ご評価、ありがとうございます。…ですが私、ご評価いただいたところで、伯爵家で勤めたい気持ちなんて、これっぽっちもありませんから」

 にっこりと、笑顔を見せて、レイナルド氏にあくまで優しく話しかけた。あくまで、やさしーく。

「あまりに予算が心許なくて、伯爵家にゆとりがないのかと勘違いしてしまいましたが、そうでなくてよかったですわ。単に私を試していただけでしたのね」

 私のとりつくろった笑顔に恐れをなしたのか、レイナルド氏が私の腕から手を離した。

「穴だらけの段取りに、フォローもしない執事。伯爵家の家令は無能なのかと思ってしまいましたが、わざとでしたのね。取り越し苦労でよかったですわ」

 オラシオさんが顔を凍らせた。「無能」のレッテルを貼っていたこと、気がついていないとは思わなかったけど。

「あまりに急に呼ばれましたもので、服が足りなくてメイドの服をお借りしましたの。朝から晩まで、行儀見習い、頑張らせていただきました。初めて訪れた家で倒れるくらいまで働かせていただいて、メイドの皆さんがいかに大変なお仕事をしているか、しっかり学ばせていただきました。今日までのお約束です。ずーーっと、我慢してまいりましたから、快く帰らせていただけます?」

 引きまくっている二人の間を通り抜け、つかの間の同僚だった皆さんに

「これからも頑張ってね」

と挨拶すると、歩いて伯爵家別邸を出た。


 とかく、くたびれた。

 もう帰る。とにかく帰る。

 乗合馬車に乗って、その前に猫舌亭に行って、自分へのご褒美を買っちゃおうか…。

 あ、お金持ってきてなかった。服さえ入れ忘れるリノが、お金なんて持たせてくれてる訳がない。 

 伯爵家もただ働きだったし。「伯爵家で働かせてやった」事こそご褒美? そんなもんじゃ馬車にも乗れないわ。

 とはいえ、今更伯爵家に戻って家まで送って欲しいとも言えず、思わず溜息をつくと、タイミング良く

「お疲れ様」

と声がした。

 道端に止まっていた馬車の扉が開いて、ラウル様が現れた。

 いつも別邸で見かけたラフな普段着姿だ。昨日、失敗した私を部屋まで送り届けてくれた時の、王子様のような夜会用の恰好とは違う。

「歩いて帰るには遠いだろう? 家まで送るよ」

 そう言って、手に持っていた箱をチラチラと見せてきた。

「お土産だって、持って帰らなくちゃね」

 う、あれは、猫舌亭の…。あの大きさからして、お菓子詰め合わせセットAとみた!

「さ、どうぞ、遠慮なく」

 お土産につられて差し出されるままに手をとり、ラウル様の馬車に乗せてもらった。


 ラウル様の馬車は、外観は地味で辻馬車と変わらない感じなのに、内装は伯爵家の黒塗りの馬車より豪華で、乗り心地もよかった。

 道中、十日間の行儀見習いが採用テストだったこと、父から言われて手伝いに行かされただけで伯爵家に就職する気がないことを話すと、ラウル様も何かのテストだったことは薄々知ってたらしく、

「こき使われて大変だったね。ご苦労様。でも、本当に伯爵家にできた()()、使わなくていいの?」

と聞いてきた。

「いいです。父はがっかりするかも知れないけれど」

 父からすれば、そのためにあんな急な要請にも応じて、私を送り出したんだろうけど。

「…労うこともできないような人たちと一緒にいるなんて。…私には無理」

「そうか」

 ラウル様は同情したのか、微妙な表情を見せた。そして

「でも、まんざら無駄でもなかったよ、多分」

 そう言って、花を一輪、差し出した。

 少し小さな、オレンジ色のバラの花。

 夜会の翌日の朝、部屋に置かれていた花だ。

「へ、部屋に入りました? あの夜会の日…」

「…レディの部屋に入る気はなかったんだけどね。…バタッて音がしたから心配でドアを開けたら、君は床で寝てた。…覚えてない?」

 …覚えてない。覚えてようはずもない。

「他の侍女やメイドも忙しそうだったから、頼めなくてね。ベッドに寝かせただけ。…何もしてないよ」

「はあ…」

 それは、なんとも、蓋を開ければロマンのない話で。

 でも、見守ってくれてる人は、いた訳で。

 差し出されたバラをそっと掴んだ。

「…週末、予定ある?」

「はい?」

「せっかくできた縁を、無駄にしたくない。良かったら軽いデートからどうだろう」

 で、、、デートの申し込み? 人生初の????

 返事が言葉にならず、頷きを答えにした。

 それを見たラウル様は、緊張を崩し、破顔一笑。

 その笑みは、とてもかわいらしかった。


 かくして私は、おいしいお菓子のお土産と、普通なら出会うことなどありえない、伯爵家のいとこであるラウル様という恋人候補を手に入れ、無事家まで帰ることができたのだった。

 人生、捨てたもんじゃないなぁ。





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