第九十一話 逆恨みの結末
アイカを見送るとトムリアは軽く息を吐きながら目の前にあるベーゼの転移門を見つめる。トムリアは何度も封印依頼に参加し、彼女自身が転移門を封印することも何度かあった。
転移門の向こう側にベーゼの世界があり、そこから大量のベーゼが自分たちの世界にやって来るのだとトムリアは転移門を見る度に転移門は恐ろしい物だと感じていた。
一方でメトリジェアは転移門を見つめるトムリアを目を細くしながら黙って見つめている。相変わらず自分の立場を悪くしたトムリアに対して苛立ちを感じていた。
「さて、サンロードさんたちが来るまで私たちでこの転移門を護りましょう」
トムリアは転移門を見つめながらメトリジェアに語り掛け、メトリジェアは返事をせずにトムリアを見つめ続けている。自分に恥をかかせた女が気合いを入れて転移門の見張りに集中する姿を見たメトリジェアはトムリアに対する苛立ちを更に強くしたのか奥歯を強く噛みしめた。
少し前まで口論をしていた相手と二人っきりで転移門を確保するのは気まずく、普通なら二人っきりになるのを避けたいと考えるだろう。だが、メトリジェアはそんなことは考えておらず、寧ろトムリアと二人っきりになれたことを好都合と思っていた。
トムリアが転移門の大きさや溢れ出てくる瘴気を観察している中、メトリジェアはゆっくり廊下の方を向いて外の様子を確認し、再びトムリアの方を向いた。
「ねぇ、シェシェル。今隣の部屋から物音が聞こえたんだけど……」
「物音?」
メトリジェアの言葉を聞いたトムリアは不思議そうな顔をしながら振り返り、メトリジェアはトムリアと目が合うと小さく頷いた。
「何かを引きずるような音だったわ。もしかすると隣の部屋にベーゼが侵入したのかもしれない」
ベーゼが隣にいるかもという言葉を聞いたトムリアは軽く目を見開く。もしも本当にベーゼがいたら自分たちがいる部屋に侵入してくるかもしれない。転移門を確保した今、ベーゼをこの部屋に入れるのは避けたいとトムリアは思っていた。
しかし、トムリアは物音などを聞いていなかったため、本当に音がしたのか疑問に思っていた。
「本当に音がしたの?」
「何? 私が嘘をついてるって言いたいの?」
「別にそう言うつもりじゃ……もしかすると気のせいだったんじゃないかって思っただけよ」
「間違いないわ。確かに聞こえたわよ」
目を鋭くしながら睨んでくるメトリジェアを見てトムリアは難しそうな表情を浮かべる。メトリジェアが強気な口調で言ってくるため、本当に音がして自分がそれを聞き逃しただけなのかもしれないとトムリアは感じていた。
トムリアは軽く俯きながらしばらく考え込み、やがて顔を上げてメトリジェアの方を向いた。
「じゃあ、念のために確認しておきましょう。ベーゼであろうとなかろうと、音の正体をハッキリさせておいた方がいいわ」
安心して転移門を見張ることができるようトムリアは隣の部屋を確認することを決め、杖を強く握りながら廊下に向かって歩き出す。
メトリジェアはトムリアの後ろ姿を見ながら小さく不敵な笑みを浮かべて後をついて行く。トムリアはメトリジェアが笑っていることに気付いていなかった。
廊下に出るとトムリアは左右を素早く確認してから隣の部屋の前に移動する。部屋の床は痛んでいるため、部屋には入らずに外から部屋の中を覗き込む。部屋の中には誰もおらず、最初に覗いた時と何も変化は無い。部屋に窓はあるが、ガラスは割れていないため、風が吹き込むこともなかった。
「フェンドリックさん、隣には誰もいないし、何かが倒れたり落ちた形跡もないわよ?」
「そんなはずないわ。もっと奥を調べてみてよ」
「調べてって言っても、これ以上進んだら床が抜けて危ない……」
トムリアが足元に注意しながら上半身を前に乗り出して奥を覗こうとした。その時、突如後ろから誰かに背中を押され、トムリアは部屋に入って痛んでいる床の上に乗ってしまう。それと同時に床はトムリアの体重に耐えきれずに大きな音を立てて抜けた。
「キャアアアアァッ!」
突然の出来事にトムリアは悲鳴を上げながら一階の何処かの部屋に落下した。着地できなかったトムリアは体を床に叩きつけられて苦痛の表情を浮かべ、自分が落ちた穴を見上げる。すると二階から自分を見下ろすメトリジェアの姿が視界に入った。
「アッハハハハハ! 無様な格好ね。見っともなく悲鳴まで上げちゃって、馬鹿みたい」
「フェ、フェンドリックさん……」
愉快に笑うメトリジェアを見上げながらトムリアは呟く。これまでの状況から自分を突き落としたのはメトリジェアだとトムリアは確信し、音が聞こえたいうのも嘘だったと知った。
メトリジェアのことを信じていたトムリアにとって、突き落とされたことは非常にショックなことだった。同時にどうしてメトリジェアがこんなことをしたのかトムリアは分からず、信じられないような顔をしながら笑うメトリジェアを見つめる。
「フェンドリックさん、どうしてこんなことをしたの?」
「どうして? 分からないの?」
トムリアが尋ねるとメトリジェアを一瞬信じられないような表情を浮かべてトムリアを見下ろし、やがて険しい顔をしながらトムリアを睨みつける。
「アンタのせいで私が皆から冷たい目で見られるようになったからよ! アンタがあの時、私が矢を射ったのを見たって言わなければ私が恥をかくことも無かった。アンタのせいで私は惨めな思いをすることになったのよ!」
「そ、そんな……」
あまりにも無茶苦茶な動機にトムリアは言葉を失う。自分は何も間違ったことはしていないのに、そのせいで立場が悪くなったと逆恨みをして一階に突き落とされたのだから当然だ。
「しかも自分のせいで惨めになっている私をアンタは助けたり、一緒に見張りをするなど優等生みたいな態度を取ったりしてきたわ。それが私のプライドをどれだけ傷つけているのかも知らずにね!」
メトリジェアは目を見開きながら固まるトムリアを見下ろしながら腕を組み、自分が今のようになったのは全てトムリアのせいだと語り続ける。今のメトリジェアは不幸を他人のせいにし、自分の都合のいいようにしか物事を考えられない哀れな生徒となっていた。
トムリアはメトリジェアを見上げながら体中の痛みに耐えて立ち上がろうとする。だが、足に力を入れた瞬間、右足首に痛みが走り、トムリアは奥歯を噛みしめながら右足首を押さえた。どうや落下した時に足首を捻ってしまったようだ。
「アハハハ、いい気味ね? 貴族である私に恥をかかせるからそうなるのよ。でもね、この程度じゃ私の怒りは治まらないわよ?」
そう言うとメトリジェアは弓矢を構えて動けなくなっているトムリアに狙いを付ける。メトリジェアを見たトムリアは自分に矢を放とうとしていることを知って驚愕の表情を浮かべた。
「フェンドリックさん、何を!?」
「貴族の私に恥をかかせたアンタには死罪がお似合いよ。この私の手でアンタに息の根を止めてあげるわ。何よりもアンタを突き落としたってことが先輩たちにバレるのは避けたいからね」
不敵な笑みを浮かべるメトリジェアを見たトムリアは寒気を感じて小さく震える。もはやメトリジェアには貴族の誇りもメルディエズ学園の生徒としての意思も無く、目的のためならどんな手段を選ばないほど狂ってしまっていた。
トムリアは本気で自分を殺そうとしているとメトリジェアを見て、落ちた穴から離れようとする。だが体中の痛みと右足首が上手く動かないせいで穴から離れることができなかった。
回復魔法で傷を癒せばすぐに動けるだろうが、魔法を発動するまでの間に矢で射抜かれてしまったらお終いだ。逃げずに魔法で応戦すると言う手もあるが、魔法よりも矢の方が早く攻撃できるため攻撃される前にとメトリジェアを倒すこともできない。完全にトムリアは追い込まれている状態となっていた。
「言っておくけど逃がさないわよ。アンタは私に恥をかかせたことを後悔しながら死んでもらうわ」
「そんなことはさせません!」
メトリジェアが愉快そうに笑っていると左の方から声が聞こえ、メトリジェアは驚きながら声がした方を見る。そこにはパーシュに転移門のことを報告に行ったはずのアイカが立っており、鋭い目でメトリジェアを睨んでいた。
「ア、アンタはサンロード、どうして此処にいるのよ?」
「貴女がトムリアさんのことは良く思っていないのは薄々感じていました。貴女が私を報告に行かせてトムリアさんと二人っきりになった時に何かするのではと思い、報告には行かずに近くで隠れていたんです」
アイカは自分が報告に行かなかった理由を話しながらプラジュの切っ先をメトリジェアに向ける。切っ先を向けられたメトリジェアは思わず表情を歪ませた。
これまでの情報からアイカはトムリアとメトリジェアの関係が良くないことを察しており、捜索に出る前にもユーキから注意するよう言われていたので二人だけにするのは危険かもしれない考えていた。
メトリジェアから報告に行ってくれと言われた時になんとかトムリアとメトリジェアの傍にいようと思っていたが、トムリアが大丈夫だと言ったため、アイカは仕方なく報告に行くことにした。
しかし、やはりメトリジェアが何かするのではとアイカは心配し、しばらく身を隠して二人の様子を窺い、問題無いと感じたら報告に行こうと考えていた。だが、アイカの予想どおりメトリジェアはトムリアを一階に突き落とし、ベーゼの仕業に見せかけて殺害しようとまでしたので止めに入ったのだ。
「話は全部聞かせていただきました。自分のことを棚に上げてトムリアさんに逆恨みし、しかも命まで奪おうとするなんて、もはや見過ごすことはできません」
「クゥゥッ、突然現れて偉そうなことを……」
メトリジェアは悔しそうにしながら弓矢を構え直してアイカに狙いを付ける。自分の目的を知られてしまった以上、アイカも口封じのために殺害しようと考えたらしい。
アイカは弓矢を構えるメトリジェアを見てプラジュとスピキュを構える。正面から狙われているにも関わらず、アイカは怯んだりすることなくメトリジェアを睨んでいた。
「メトリジェアさん、抵抗はやめて武器を捨ててください」
「うるさい、平民が貴族の私に命令するんじゃないわよ!」
「前衛もいないのに弓使いの貴女が剣士の私に勝てるわけがありません。貴女も分かっているはずでしょう?」
「うるさい!」
声を上げながらメトリジェアはアイカを狙い続ける。アイカの言うとおり、メトリジェアも現状では弓使いである自分の方が圧倒的に不利なことは理解していた。しかし、計画を知られてしまった以上、大人しく武器を捨てるわけにはいかない。
武器を捨てればメトリジェアが拘束され、確実にパーシュたちにトムリアを暗殺しようとしていたことが知られてしまう。そうなれば重い処分をくだされ、最悪の場合は学園を退学になってしまう。更に貴族としての誇りも傷つけられてしまい、メトリジェアにとって悪い結果にしかならない。何があっても捕まることだけは避けなくてはならなかった。
アイカはメトリジェアを睨んだまま彼女の動きを警戒し、足の位置を変えながら動く隙を窺う。一方でメトリジェアは不利な状況と焦りからか汗を流しながら奥歯を噛みしめ、弓を持つ手を僅かに震わせている。
「……何よ、何なのよその目は? 平民のくせに貴族の私を見下するような目で見て、何様のつもりよ!」
冷静さを失ったメトリジェアは叫ぶように不満を口にし、アイカは突然声を上げるメトリジェアに驚くが構えは崩さずに見つめている。一階に落ちたトムリアも聞こえてくるメトリジェアの声を聞いてフッと真上の穴を見上げた。
「私はフェンドリック男爵家の令嬢なのよ? そんな私に偉そうな態度を取っていいと思ってるの!」
完全に我を失ってしまったメトリジェアは周囲や現状などを気にすることなく声を上げ続ける。アイカはメトリジェアが騒ぐことでベーゼを呼び寄せてしまうのではと不安を感じながらもメトリジェアを大人しくさせる方法は無いか考えた。
アイカはメトリジェアを警戒しながら打開策が無いか考える。そんな時、メトリジェアの背後の風景が僅かに歪み、それに気付いたアイカは反応する。だが、冷静さを失っているメトリジェアは気付いておらずアイカを睨み続けていた。
「アンタたちなんて私たち貴族がいなければ何もできないくらいちっぽけな存在じゃない! 大人しく貴族である私に従っていればいいのよ!」
メトリジェアが弓矢を構えながら叫ぶ中、背後の風景が変化して少しずつ何かが見えるようになっていく。そして次の瞬間、メトリジェアの背後に体を透明化させる中位ベーゼ、ユーファルが現れた。
「……ッ! メトリジェアさん、後ろに……」
アイカはユーファルが現れたことをメトリジェアに教えようとする。だがアイカが教えるより先にユーファルは口から舌を突き出し、その鋭い先端でメトリジェアの胸部を刺し貫いてしまった。
「があぁっ!?」
突然の激痛にメトリジェアは苦痛の声を出しながら吐血する。メトリジェアが致命傷を負った光景を見たアイカは表情を歪ませながら目を背けた。
メトリジェアは何が起きたのか理解できず、体を震わせながら確認する。そして、自分が何かに体を貫かれていることを知ると持っている弓と矢を落とし、ゆっくり振り向いてギョロっと大きな目を動かすユーファルを目にした。
「な……何よ、コイツ? もしか、して……コイツも……ベー、ゼ……」
ユーファルの正体が分からずにメトリジェアは震えた声を出す。そんなメトリジェアを見たユーファルは舌を大きく振り、遠心力で貫いているメトリジェアを投げ飛ばして廊下に叩きつけた。
倒れたメトリジェアはそのまま動かなくなり、アイカは目を大きく見開いてメトリジェアに駆け寄ろうとする。だがユーファルはアイカに向かって素早く舌を伸ばし、アイカの足元に舌を刺して彼女の足を止めた。
邪魔されたアイカはユーファルを睨みながらプラジュとスピキュを構える。メトリジェアを助けるにはまず目の前にいるユーファルを倒さなくてはいけないと感じ、メトリジェアのためにもユーファルを倒さなくてはと考えた。
「サンロードさん、何か遭ったの!?」
一階に落ちたトムリアは何が起きたのか理解できず、大きな声でアイカに呼びかける。トムリアの声を聞いたアイカは声が聞こえた方を見てから素早く視線をユーファルに戻した。
「中位ベーゼが現れてメトリジェアさんが負傷しました!」
「えぇっ!?」
メトリジェアが襲われたと聞かされたトムリアは驚いて目を見開く。自分を逆恨みをし、二階から突き落とした存在だが、同じメルディエズ学園の生徒が襲われたことにトムリアはショックを受けたようだ。
「私は目の前のベーゼの対処をします。トムリアさんは私の代わりに転移門を発見したことを他の方々に伝えてきてください!」
アイカの声を聞いたトムリアは反応して二階と繋がる穴を見上げる。本来ならアイカと共に中位ベーゼと戦うべきなのだが、一階に落ちてしまったためアイカに加勢することはできない。それならアイカの言うとおり他の生徒に転移門のことを伝えてから二階に戻って加勢するのが一番良いとトムリアは考えた。
「……分かったわ。他の人たちに知らせたらすぐにそっちへ行くから、それまで持ち堪えて!」
トムリアが大きな声で返事をし、声を聞いたアイカはユーファルに鋭い視線を向けて戦いに集中する。ユーファルもアイカを見つめながら長い舌を蛇のように動かした。
一階にいる他の生徒たちの下へ向かうためにトムリアが立ち上がろうとする。だが捻った右足首から痛みが走り、トムリアは立ち上がることができなかった。
「軽度治癒!」
自由に動くため、トムリアは回復魔法を発動させて自身の傷を癒す。傷が癒えたことで全身や右足の痛みは引いていき、トムリアは体に異常が無いことを確認すると立ち上がって今いる部屋を確認する。
トムリアがいるのは横に広がっている長方形の部屋で左右の端には本棚が並んで置かれてある。トムリアの背後には廊下に続いていると思われる扉があり、向かいの壁には大きめの窓が三つ横に並んで付いていた。
部屋の様子を一通り確認したトムリアは部屋から出るため、背後にある扉の方を向いてドアノブを握ろうとした。その時、三つの窓の内、真ん中の窓が大きな音を立てて割れ、音を聞いたトムリアは咄嗟に振り返る。窓の前には片膝、両手を床に付けてユーファルの姿があり、トムリアはユーファルの姿を見て驚愕した。
「ベ、ベーゼ……しかもあれは中位ベーゼのユーファル……」
突然中位ベーゼが屋敷の外から侵入してきたことに驚きを隠せないトムリアは杖を握りながら後ろに下がる。ユーファルはゆっくりと立ち上がり、大きな目をギョロギョロと動かして部屋中を見ましてから正面に立つトムリアを見つめた。
ユーファルがトムリアを見つめていると割れていない左右の窓も割れて新たに二体のモイルダーが外から侵入し、爪をカチカチと鳴らしながらトムリアを見つめる。
更に下位ベーゼが二体現れて危機的状況となり、トムリアは無言で汗を流す。いくら中級生であるトムリアでも一人で中位ベーゼと二体の下位ベーゼを相手にするのはキツイ。しかもトムリアの前にいる三体のベーゼは接近戦を得意とする種類でトムリアは接近戦が苦手な魔導士、圧倒的に彼女が不利な戦況だった。
(マズいわ、この状況じゃ私に勝ち目はない。接近戦が得意な誰かと合流して一緒に戦わないと……)
トムリアは目の前にいるベーゼたちを倒すために戦士の生徒と合流して共闘しようと考え、ユーファルたちを警戒しながら扉にゆっくりと近づいていく。
すぐ上にアイカがいるため、彼女に救援を求めるのが一番いいと思われるが、アイカも中位ベーゼと交戦しているためトムリアを助けることはできない。トムリアは別の生徒に助けを求めた方がいいと考えていた。
ベーゼたちを警戒しながらトムリアは慎重に扉との距離を縮めて行く。そして、扉の手前まで近づいた瞬間、トムリアはベーゼたちに背を向けて素早く扉を開けようとする。ところがドアノブは途中までしか回らず、押しても引いても開かなかった。
「えっ? 開かない!?」
予想外の事態にトムリアは声を上げ、ドアノブを何度も回そうとする。そんなトムリアを見たモイルダーたちは床を強く蹴ってトムリアに跳びかかり、モイルダーたちに気付いたトムリアは慌てて右へ走ってその場を移動した。
扉から離れたトムリアは杖を構えて跳びかかって来たモイルダーたちを睨み、モイルダーたちもトムリアの方を向いて両手の爪を光らせた。
トムリアはベーゼたちを警戒しながら視線だけを動かし、悔しそうな顔で開かなかった扉を見つめる。
(迂闊だったわ。この屋敷はパーシュさんが小さかった時から既に誰も住んでいなかった廃墟、壁や床のように扉も劣化して開かなくなっていてもおかしくない。そんな単純なことを忘れていたなんて!)
扉が開かなかった原因に気付くと同時に屋敷の中に開かない扉があるかもしれないと予想していなかった自分にトムリアは情けなさを感じた。しかし、今は現状を打開することの方が重要なため、トムリアは気持ちを切り替えて目の前にいるベーゼに集中する。
トムリアはベーゼたちを警戒しながら視線を動かして左側を確認し、ベーゼたちが部屋に侵入する際に破った窓に注目する。先程開かなかった扉以外に出入口は無く、部屋を出るには窓から外に出るしかなかった。
今いる位置と窓までの距離を考えると普通に走っても脱出を邪魔される可能性が高いため、トムリアは魔法で攻撃し、ベーゼたちが怯んだ隙に窓まで走ろうと考えた。
「光の矢!」
トムリアは杖の先はモイルダーたちに向けて光の矢を放つ。光の矢は真っすぐモイルダーたちに向かって飛んで行き、モイルダーたちの足元に命中する。
光の矢が足元に飛んできたことでモイルダーたちは怯み、トムリアはその隙に窓に向かって走った。だが、モイルダー以外にもユーファルがおり、ユーファルは走るトムリアに向けて舌を勢いよく伸ばす。先端の尖った舌はトムリアの足に当たりそうになるが、ギリギリで当たらずにトムリアの足の近くを通過して床に刺さった。
運よく舌をかわしたトムリアは続けてユーファルに杖を向けて魔法を撃とうとする。するとユーファルは素早く床に刺さっている舌を引き抜き、首と上半身を大きく振って舌を鞭のようにしならせ、走るトムリアの背中を舌で強く殴打した。
「うああぁっ!」
背中から伝わる痛みにトムリアは声を上げ、そのままうつ伏せに倒れる。窓まであと2、3mの所まで来たのにユーファルの攻撃を受けてしまった。
痛みで表情を歪めながらトムリアは起き上がり、落ちている杖を拾おうとする。だが杖に手を伸ばそうとした時、近づいて来たユーファルがトムリアの背中を左足で踏みつけた。
踏まれた時の衝撃でトムリアは再び俯せ状態となり、杖を取ることもできなくなってしまった。
「こ、このぉ、退いてよ!」
トムリアはユーファルを睨みながら立ち上がろうとするがユーファルの足の力は強く、トムリアの力ではユーファルの足を押し返して立ち上がることはできなかった。
立ち上がろうとするトムリアを見たユーファルは左足を軽く上げると勢いよく下ろして再びトムリアの背中を踏みつける。
「あああぁっ!」
背中の痛みと衝撃にトムリアは声を上げ、ユーファルはトムリアを見下ろしながら大きく口を開けて鳴き声を上げる。まるで踏みつけているトムリアを見下しているように見え、モイルダーたちも近くまでやって来てトムリアを見下ろしながら鳴き声を出した。
ユーファルは大きく口を開けて舌を出し、先端をトムリアの頭部に向ける。ユーファルが止めを刺そうとしていると知ったトムリアは流石に焦りを感じた。
「や、やめてよ、退いてってばぁ!」
トムリアは再び立ち上がろうとするがユーファルは左足に力を入れてトムリアを床に押さえつけた。起き上がれないことに悔しさを感じたトムリアは奥歯を噛みしめながら拳を強く握る。
(こんな、こんな所で死ぬなんて……)
何もできない悔しさと逃れられない死に対する恐怖を感じているのかトムリアは目を僅かに潤わせる。ユーファルはそんなトムリアを気にすることなくトムリアに向けて舌を伸ばそうとした。だがその時、先程トムリアが開けようとしていた扉が勢いよく開き、大きな音を立てながら床に倒れる。
轟音を聞いたベーゼたちは一斉に扉の方を向き、トムリアは顔を上げて何が起きたのか確認した。
「よし、上手く開いたな」
部屋の外から声が聞こえると同時にユーキが意外そうな顔をしながら入室する。それに続いてジェリックと女子生徒が驚きの表情を浮かべながら入って来た。
ユーキたちは入口前で立ち止まると部屋の中を確認し、倒れているトムリアとその周りにいるユーファル、二体のモイルダーを見つける。
「トムリア!」
ジェリックはトムリアを見ると思わず声を上げ、トムリアもジェリックと目が合うと驚いて目を見開いた。
「ジェ、ジェリック、どうしてアンタたちが……」
「そんなこと気にしてる場合か? 目の前のことだけ考えろ!」
そう言うとジェリックは剣を構え、ユーキもベーゼを睨みながら双月の構えを取り、女子生徒も慌てて杖を構えた。
数分間、ユーキたちは転移門を探しながら一階西側の廊下を歩いていた。そんな時、廊下の奥から二階にいるはずのトムリアの悲鳴が聞こえ、不思議に思ったユーキたちは悲鳴が聞こえた方へ向かい、今いる部屋の前までやって来たのだ。
ユーキたちは部屋に入るために扉を開けようとしたが扉は劣化しているため開かず、どうやって扉を開けるかユーキたちは考えていた。すると部屋の中からトムリアの叫ぶ声が聞こえ、トムリアは間違い無く一階におり、良くないことが起きていると感じたジェリックは再び扉を開けようとするがやはり扉は開かない。
どうすればいいのかジェリックが悩んでいるとユーキが扉の前に立ち、強化で自身の脚力を強化して扉を蹴破った。扉が吹っ飛ぶとユーキは普通に部屋に入り、ジェリックと女子生徒もそれに続いて現在に至ったのだ。
ユーキたちが戦闘態勢に入るとトムリアよりもユーキたちの方が危険と感じたユーファルはトムリアの背中から足を退けてユーキたちの方を向き、モイルダーたちも鳴き声を上げながらユーキたちに向かって走り出した。
走って来るモイルダーたちを見てユーキとジェリックも前に出てモイルダーたちとの距離を縮める。そしてユーキは月影で袈裟切りを放ち、ジェリックは左から剣を横に振って攻撃した。
モイルダーたちはユーキとジェリックの攻撃を爪で防いで反撃しようとする。だが、ユーキは月影が防がれた直後、今度は月下で袈裟切りを放ってモイルダーの胴体をを切り裂く。ジェリックも左足でモイルダーの腹部を蹴って怯ませ、その隙に剣でモイルダーの胸部を刺し貫いた。
二人の攻撃を受けたモイルダーたちは鳴き声を上げて黒い靄と化し、モイルダーが消えるとユーキとジェリックはユーファルに視線を向けて構え直す。モイルダーが倒されるとユーファルは自身の体を透明化させて姿を消した。
「き、消えた? 逃げちゃったの?」
「いや、姿を消しただけだよ。まだこの部屋にいるはずだ」
驚く女子生徒にユーキはまだユーファルがいることを伝え、女子生徒は目を見開きながら周囲を見回す。ユーキとジェリックも構えを崩さずにユーファルを探し、トムリアも立ち上がって落ちていた杖を拾う。
静かな部屋の中でユーキたちはユーファルの気配を探る。姿を消していてもユーファルがいる場所の風景は体の輪郭に沿って歪んで見えるため、目を凝らせば見つけることは可能だ。そして、ユーファルは攻撃する際は透明化を解くのでギリギリまで探すことができる。
ユーキは視線だけを動かしてユーファルを探す。すると、左側に立っているジェリックの後ろの風景が僅かに歪んでおり、それを見たユーキは軽く目を見開いてジェリックの方へ走った。
ジェリックは自分の向かって走って来るユーキを見て少し驚いたような反応を見せる。だが、その直後にジェリックの背後からユーファルが静かに姿を現した。
突然姿を見せたユーファルにジェリックと女子生徒は驚き、ユーファルは驚くジェリックを鋭い爪で切り裂こうとする。だが、ユーファルが動くよりも先にユーキがユーファルに近づき、強化の能力で右腕の腕力と月下の切れ味を強化した。
「ルナパレス新陰流、繊月!」
ユーキは走る速度を上げ、ユーファルの背後を通過する瞬間に月下を素早く振ってユーファルの背中を斬る。斬られた箇所からは出血し、ユーファルは苦痛の声を上げた。
ユーファルが怯んだ隙にジェリックは素早く上段構えを取り、そのまま勢いよく剣を振り下ろしてユーファルを真正面から斬った。
頭部と胴体を斬られたユーファルは掠れた鳴き声を出しながら後ろにふらつき、そのまま仰向けに倒れて靄となって消えた。全てのベーゼを倒すとユーキたちは他にベーゼがいないか部屋を見回してから警戒を解く。
「やれやれ、本当にいつ何処に現れるか分からない奴らだな、ベーゼどもは」
ユーキはユーファルが立っていた場所を見ながら呟き、改めてベーゼは面倒な敵だと感じた。




