第八話 新たな混沌士
五十三人の合格者は五つの机の前に並び、得意な属性と混沌術を秘めているかを調べていく。一人ずつ教師たちに調べてもらっているが、得意な属性は分かっても混沌術を開花させる者はまだ一人も現れなかった。
教師たちは合格者たちの得意な魔法属性が分かると、手元の羊皮紙に記入していき、属性を調べてもらった合格者は笑いながら部屋の隅で待機している。友達同士で属性を教え合う者もいれば、混沌術を開花させられなくてつまらなそうな顔をしている者もいた。
「……やっぱ混沌術を開花させられる奴なんて簡単には出てこないよなぁ」
並んでいるユーキは調べ終わった合格者を見ながらまだ誰も混沌術を開花させていないと感じて小声で呟く。
混沌術を開花させる者は三百人に一人だとガロデスから聞いていたユーキは今の流れから、自分を含めた五十三人の中から混沌士は生まれないだろうと思っていた。
「次の人、どうぞ」
前の方から声が聞こえ、ユーキが前を見ると自分の前にいた合格者はいなくなっており、机を挟んで座っている女性教師の姿があった。どうやらユーキの出番が来たようだ。
ユーキは慌てて前に行き、机を挟んで女性教師を見る。女性教師は幼いユーキの姿を見ながら優しく微笑んだ。
「それでは、まず最初に魔法の属性を調べますので、こちらを手に乗せてください」
そう言って女性教師は手の平サイズの四角い透明な石を差し出した。ユーキは女性教師が持つ石を不思議そうに見つめる。
「あの、これは?」
「これは“魔導判別石”と言って触れた人の魔力の属性を調べる魔法石です。属性によって石は様々な色に光り、属性が炎なら赤、水なら青、風なら緑、土なら黄、光なら白、闇なら紫に光るんです」
「光で属性が分かるんですか……じゃあ、こっちの水晶は?」
ユーキは机の上に置かれている水晶について尋ねると、女性教師は水晶を見ながらそっと水晶に手を置いた。
「これは“天魔の水晶”というマジックアイテムで、触れることでその人が混沌術を秘めているかどうか知ることができるんです。そして、秘めていることが分かるとその場で混沌術を開花させることができます」
「その場で分かるんですか?」
「ええ。混沌術を秘めた人が触れると、触れた瞬間に水晶が光ります。しかし、秘めていない人が触れても水晶は光りません。現に私が触れても水晶は光らないでしょう?」
女性教師は笑いながら水晶が光らないことを証明し、水晶が光らないのを見たユーキは合格者が魔法属性を調べ始めてから全ての水晶が一度も光っていないため、やはり誰も混沌術を開花させていないのだと知った。
ユーキが納得したのを見た女性教師はもう質問はないだろうと考え、ユーキに魔導判別石を差し出す。
「それでは、お願いします」
「あ、ハイ」
女性教師が差し出した魔導判別石を見たユーキはゆっくりと石を手に取る。すると、魔導判別石は薄っすらと紫色に光り、それを見たユーキはおおぉ、と少し驚いた表情を浮かべた。
「貴方の得意属性は闇属性ですね。攻撃力があり、相手を惑わす魔法が多いです」
「惑わす魔法ですか……」
自分の得意属性を知ったユーキは意外そうな顔をする。てっきり炎や水と言った魔法では珍しくない属性が得属性になるのでと思っていたのだ。
得意属性が分かると、ユーキは魔導判別石を女性教師に返す。石を受け取った女性教師は続いて天魔の水晶に視線を向ける。
「では、次は天魔の水晶に触れてください」
「ハイ」
女性教師は指示に従い、ユーキは天魔の水晶に右手を近づける。どうせ自分は混沌術を開花させることはないだろう、ユーキは興味の無さそうな顔でそう思っていた。
ユーキは期待しないような顔で天魔の水晶にそっと手を当てる。すると、ユーキが水晶に触れた瞬間、水晶は強い光を放ち、それを見たユーキと女性教師、ユーキの後ろや周りにいた他の合格者、そしてコーリアや他の教師たちは驚きの表情を浮かべながら光る水晶に注目した。
「これは、まさか!?」
光る天魔の水晶を見ながら女性教師が驚いていると、水晶の光はゆっくりと弱くなっていく。そして、光が完全に消えるとユーキは水晶に触れていた手を慌てて引いて手の平を確認する。
手の平には異常も無く、痛みなども感じない。だが、天魔の水晶は強烈な光を放っていたため、ユーキはもしやと思い右手の甲を見る。そこにはアイカの手の甲に付いていたのと同じ、薄い紫色の花の紋章が付いていた。
「ま、まさか……混沌紋?」
自分の手の甲に混沌紋が付いていることにユーキは驚く。混沌紋が右手の甲に付いた、それはユーキが混沌術を開花させたことを意味し、同時にユーキが混沌士になったことを証明していた。
ユーキが自分の手の甲を見ていると、ユーキの対応をしていた女性教師が立ち上がり、ユーキの手の甲に描かれている紋章を見る。そして、それが混沌紋であることを確認すると、目を見開いて他の教師たちの方を向く。
「こ、混沌紋です! この子の手に混沌紋が浮かび上がりました!」
女性教師の言葉に他の教師や合格者たちはざわつき出す。天魔の水晶が光ったことで混沌術を開花させた合格者が生まれたことは分かっていたが、小さな児童が開花させたため全員が驚いていた。
ユーキは驚く教師や合格者たちを見て呆然としている。全員の反応に少し驚いたが、それ以上に自分が混沌術を開花させたことに驚いていた。
(おいおい、マジかよ? ファンタジー小説や漫画で主人公がその世界の特別な力を得るって展開はあるけど、俺の場合もそのパターンなの?)
未だに自分が混沌士になったことが信じられないユーキは自分の右手の甲に入っている混沌紋を見つめる。その間、教師たちはユーキが混沌術を開花させたことを羊皮紙に記入したり、部屋にいない教師たちにも知らせた方がいいなどと会話をしていた。
ユーキが混沌紋を見ていると、合格者たちに魔法属性や混沌術のことを説明したコーリアが近づいて来た。コーリアの存在に気付いたユーキは顔を上げてコーリアの方を向く。
「おめでとう、まさか貴方のような小さい子が混沌術を開花させるとは思わなかったわ」
「あ、ありがとうございます……」
笑いながら祝福するコーリアにユーキは礼を言う。コーリアはユーキに顔を近づけ、彼の顔や外見を簡単に確認する。
「貴方、もしかしてユーキ・ルナパレス君?」
「……! 俺を知ってるんですか?」
「ええ、学園長を盗賊から助けた小さな剣士だって、教師たちの間では有名よ」
笑顔で語るコーリアを見てユーキは軽く目を見開く。既に自分がメルディエズ学園の教師たちの間で有名になっていることに驚いていた。近くにいる別の合格者たちもコーリアの話を聞いて驚きの反応を見せている。
ユーキは周りの反応を見て複雑そうにする。メルディエズ学園に入学した後は戦闘訓練やモンスター討伐などの依頼を受けたりするため、普通の生活を送れないことは分かっていた。だが、それでも一般のメルディエズ学園生として目立たない暮らしをしたいと思っていたので、混沌士となったことで目立つのではないかと思っていたのだ。
勿論、混沌士になったことは嬉しく思っている。だが、それでも目立たずに学園生活を送りたいという気持ちの方が強かった。
周りを見回すユーキを見て、笑っていたコーリアは笑顔を消し、真剣な表情でユーキを見つめながら口を開く。
「ユーキ君、貴方なら知っていると思うけど、混沌士はどんな組織でも非常に有能な存在として見られているの。貴方はそんな有能な存在の力を得たため、我がメルディエズ学園でも優れた戦士として注目されるでしょう」
「やっぱ、そうですよね……」
自分の不安が的中したことにユーキは若干暗い声を出す。そんなユーキにかまわず、コーリアは話し続けた。
「混沌士となった生徒には通常の依頼よりも難易度と危険度の高い依頼を受けることが義務付けられているの。つまり、貴方には積極的に難しい依頼、特に討伐系の依頼を受けてもらうことになるだろうから、覚悟しておくように……」
「ハ、ハイ」
難しい依頼を優先的に受けることになる、つまりより学園内で注目される立場になるだろう、と聞かされたユーキは複雑そうな顔で小さく溜め息を付く。もはや、目立たずにのんびりと学園生活を送ることはできないとユーキは確信した。
ユーキがコーリアから混沌士の立場を聞かされている間に教師たちはユーキが混沌術を開花させたことを羊皮紙に記入し終え、部屋の中も静かになっていた。落ち着いた教師たちは合格者たちの得意な魔法属性と混沌術を秘めているかの確認を再開する。確認を終えたユーキは部屋の隅に移動し、全ての合格者の確認が終わるのを待った。
全ての合格者の確認が終わると、コーリアや他の教師たちは羊皮紙を見て合格者たちの得意な魔法属性を確認し、合格者たちも自分の得意な属性が分かって騒いだり、仲間同士で会話をしている。ただし、混沌術を開花させた者はユーキ以外一人もいなかった。
教師たちの確認が終わると、コーリアはユーキたちを集め、メルディエズ学園の入学式が本校舎で行われること、制服や授業に必要な教材が入学式の数日前に届くことなどを伝えた。
やるべきことが全て終わると、合格者たちは解散して帰路に付く。ただし、混沌術を開花させたユーキだけは混沌術の能力を説明してもらうために残され、説明が終わった後に解放された。
「フゥ~、疲れる試験だった……」
メルディエズ学園から出たユーキは虹色亭に戻るために学園とバウダリーの町の間にある一本道を歩く。外は既に夕方になっており、試験を受けに来た者もユーキ以外は誰もいない。ユーキは静かな一本道の真ん中を一人歩いた。
西門を潜ってバウダリーの町に入るとユーキは西門の前で立ち止まって背筋を伸ばす。無事に入学試験が終わったことで一気に疲れが出たのだろう。同時に合格でき、異世界での居場所と仕事が確保できて安心した。
「何とか入学試験に合格できてよかったよ。不合格だったら仕事が見つかるまでの間、ずっとガロデスさんに頼り切ることになっちゃうからな。合格したことで、ガロデスさんに迷惑をかけることも無くなったし、とりあえずは良しとしよう」
ユーキは肩を回しながら西門の方を向き、遠くに見えるメルディエズ学園を見つめる。次にメルディエズ学園を訪れるのは入学式の時で、その後は正式にメルディエズ学園の生徒として学生寮で暮らすのだと考えると少しだけワクワクしていた。
入学式は合格者たちの制服が出来上がり、合格者たちに届いた後に行われることになっている。制服が出来上がるのは今日から三日後となっており、制服は出来上がり次第、学園の人間によって合格者の下に届けられ、その時に入学式の日時も知らされるのだと合格後の説明された。
「入学式が始まるまで時間があるし、この町を探検したり、勉強したりするのがいいかもな」
ユーキは入学式の日までの暇な時間をどのように過ごすか笑いながら考える。入学した後もバウダリーの町を訪れることがあるはずなので、町がどんな造りになっており、町の中にどんな店があるのか調べておいた方が後々楽だった。
だが、授業について行けるよう、入学式までに勉強をしておくことも大切だった。今回の入学試験で学科試験は最悪の結果だったため、二度と同じような過ちを繰り返さないよう、町の探検よりも優先しておいた方がいいかもしれないとユーキは複雑そうな顔で考える。
「……まあ、今回の試験みたいに時間が限られてるわけじゃないし、焦らずにやっていこう」
ユーキは少しだけ余裕のある表情を浮かべながら振り返り、虹色亭に戻ろうとする。そんな時、ユーキの視界に自分の右手の甲に入った。手の甲に入っている混沌紋を見たユーキは立ち止まり、目を僅かに鋭くする。
「そう言えば、コイツもあったな。……入学までにコイツの力もちゃんと確認しておいた方がいいな」
混沌紋を見たユーキは混沌術の能力を確かめるため、周囲を見回して混沌術を試すのに良さそうな場所を探し始める。すると、西門から南に少し行った所に広場があるのを見つけた。
「あそこが良さそうだ。あそこで試してみるか」
広場を見て、他人に迷惑を掛けずに混沌術を使えると感じたユーキは虹色亭に戻るのをやめて広場に向かった。
ユーキがやって来た広場は壊れた石レンガや木材などの瓦礫、邪魔になった岩などを放置するゴミ捨て場のような所だ。そのためかユーキ以外は広場に誰もおらず、とても静かだった。
周囲を見回しながらユーキは広場の中を歩き、しばらく移動すると大きな岩の前に移動する。その岩はユーキより少し大きく、大人でも一人では持ち上げることはできない位の大きさだった。
「……よし、この岩で試してみるか」
岩を見つめたユーキは小さく笑い、腕まくりをして岩の前で座り込む。そして、岩と地面の間に両手を入れて持ち上げようとする。
ユーキは奥歯を噛みしめながら岩を持ち上げようとするが、岩は地面から10cmほど上がるだけでそれ以上は動かなかった。当然だ、ユーキはフェスティの力で今の体以上の身体能力を得て転生したが、転生前よりも少し高いくらい身体能力を得ただけだ。転生前は高校生だったため、高校生よりも少し高めの身体能力では岩を持ち上げるなどできるはずがない。
何とか岩を持ち上げようとするユーキだったが、これ以上は無理だと感じて岩をゆっくりと下ろす。ユーキは自分の手を見て赤くなっているのを確認する。
「やっぱ普通に持ち上げようとしてもこれが限界か」
今の自分では岩を少し持ち上げることしかできないと知ったユーキは若干残念そうな顔をする。ユーキ自身は岩を動かしたりできるくらいの力があるのではと思っていたようだ。しかし、転生の時にチート級の能力などはいらないとフェスティに言ったため、仕方がないと納得した。
「……俺自身の力は何となく分かった。次は混沌術を使って試してみよう」
ユーキは混沌紋を見つめてから再び両手を岩と地面の間に入れる。すると、混沌紋が薄っすらと紫色に光り出した。ユーキが混沌術を使用したのだ。
混沌術を開花させた者は混沌術の能力を得るのと同時にその能力と使い方を理解することができる。そのため、混沌術を開花させた直後でもその能力を使うことができるのだ。
メルディエズ学園でもユーキは教師たちから開花させた混沌術がどんな能力か説明を求められ、既にどんな能力を理解していたユーキは教師たちに詳しく説明することができた。
ユーキは混沌術を使用した状態で両手に力を入れ、ゆっくりと持ち上げようとする。すると、最初は10cmしか上がらなかった岩が45度ほど傾いた状態にまで軽々と持ち上がった。
岩を傾けたユーキは両手を岩の真下に移動させて更に力を込め、ゆっくりと胸の辺りまで持ち上げる。大人でも持ち上げるのは難しいくらいの大きさの岩をユーキは一人で持ち上げた。しばらく持ち上げていると、ユーキは岩を前に投げ飛ばす。投げる時にあまり力を入れてなかったのか、岩は2mの辺りに落下した。
「……フゥ、思った以上に凄いな」
投げ飛ばした岩を見ながらユーキは手に付いた砂を払い落とす。岩を持ち上げた時や投げた時、ユーキは重さを殆ど感じず、自分の力が強くなっていたことを実感した。
ユーキが視線を自分の混沌紋に向けると、混沌紋からは既に光が消え、能力を使う前の状態に戻っていた。
「これが俺の混沌術、“強化”の力か」
混沌術の能力名を口にしながら、ユーキは驚きの表情を浮かべる。同時に凄い能力を得たことに喜びを感じた。
ユーキの混沌術である強化はその名のとおり、あらゆるものを強化する能力である。自身の身体能力は勿論、他の人間の身体能力を強化することも可能だ。しかも、生物だけでなく無生物も強化することもでき、ユーキから能力を聞かされた教師たちも応用力のある混沌術だと評価していた。
ついさっき岩を持ち上げた時、ユーキは混沌術で自分の身体能力を強化していたので岩を持ち上げることができたのだ。ただ、ユーキは岩を持ち上げる時、腕力や脚力など一度に複数のものを強化していた。
ユーキは自分が投げ飛ばした岩を見た後、自分の右手を見ながらゆっくりと握って再び開く。それからまるで手の感覚を確かめるように握りと開きを繰り返した。
「確か、この能力は一度に複数を強化すると各部位をあまり強くすることができないんだったな」
自分の手を見つめながらユーキは強化の力を確認する。実は強化はそれなりに複雑な能力で、一度に複数を強化すると対象としたものを殆ど強化することはできないのだ。
強化は最大で十個所の力や性能を強化することができる。しかし一度に十個所を強化すると殆ど強化できず、その対象の元々の能力から殆ど変化しない。しかし、強化するものを少なくすればその分、強く強化することができる。
例えば、腕力と脚力、肺活量の三個所を同時に強化するために強化の力を発動したとしよう。強化の強化能力を数字の10で例えるとし、腕力の強化に能力を4使用すれば、残りの使用可能な能力は6となる。そうなると、残りの脚力と肺活量に能力を3ずつ使えば平等に強化することができるのだ。
勿論、平等に能力を振り分ける必要は無い。腕力の強化に能力の8を使い、残りの二個所に1ずつ使用すれば腕力を重点的に強化することができる。走る速度を上げたいのであれば脚力を重点的に強化すればいいのだ。当然、能力を8使って強化するのと4使って強化するのとでは対象の強さは全然違う。
更に強化の能力は一個所だけを強化する時に能力の全てを使わなくてもいいようになっており、一個所の強化に能力を5だけ使用することもできる。
「さっきは何も考えずに強化の力を使ったからな。今度は腕力だけに使ってみるか」
ユーキはもう少し強化の力を調べるため、もう一度混沌術を発動させる。混沌紋が光り出すと、今度は腕力だけを強化するように集中し、投げ飛ばした岩に近づく。
岩の前まで来ると、ユーキは両手を岩と地面の間に入れ、力を入れて持ち上げようとした。だが次の瞬間、岩は持ち上がらずに勢いよく前に倒れ、静かな広場に低い音が響く。それを見たユーキは目を丸くしながら倒れた岩を見た。
「な、何だ? どうなってるんだ?」
意味が分からず、ユーキはまばたきをしながら呆然としていた。だが、しばらくするとユーキは自分の腕力が強すぎたのが原因だと気付く。
強化の能力で腕力を強化したユーキは岩を持ち上げようと、岩の下に手を入れてそのまま上にあげた。普通の腕力で持ち上げるのなら、岩は少し傾く程度で終わるのだが、腕力の一点を強く強化したことで岩は軽々と持ち上がり、そのまま持ち上げようとした時の勢いに乗って前に倒れてしまったのだ。
想像以上に腕力が強化されたことでユーキは驚きを隠せず、またばきをしながら岩を見る。強化の効力や使い方は混沌術を開花させた時に理解したが、どれだけ強化されるかまではユーキも分かっていなかった。
「腕力だけを強化してこんなに強くなるとはな。思っている以上に凄い能力かもしれないから気を付けて使わないと……あと、混沌術を発動している間だけしか能力が発動しないから、そこも忘れないようにしないとな」
能力の使い方や力加減を間違えれば大変なことなるかもしれないと感じ、ユーキは使う際は十分注意して使おうと考えた。
「そう言えば、自分だけじゃなくて他人や物も強化できるんだったな……」
ユーキはチラッと佩してある月下と月影を見てゆっくりと二本を抜いた。無言で月下と月影を見つめるユーキは混沌紋を光らせて混沌術を発動させる。
転がした岩に近づくとユーキは双月の構えを取り、月下と月影で同時に袈裟切りを放つ。すると、月下と月影はまるで豆腐を切るかのように簡単に岩を切ってしまい、その切れ味にユーキは目を軽く見開く。
ユーキは自分の身体能力以外も強化でちゃんと強化できるか確かめるため、月下と月影の切れ味を強化して岩を切ってみたのだ。結果、月下と月影は岩を簡単に切ってしまい、ユーキは強化された切れ味に驚いた。
「す、凄いな、岩が岩とは思えないくらい楽々と切れた。これなら能力の使い方次第で鉄も切れちまうかもな」
切れ味が強化されたことを確認したユーキは月下と月影を軽く振る。これならもし硬度のある物を切らなくてならない状況になっても問題無く切れると感じ、ユーキは無意識に笑みを浮かべた。
「因みに強化を使っていない状態だとどうなるんだ?」
ユーキは混沌術を解除し、切れ味を強化していない月下と月影で岩を切ろうとする。すると、刃が岩に当たった瞬間に高い音を響かせ、同時にユーキの手に軽い痺れが伝わった。
「つ~っ! やっぱ切れねぇか。この二本はそれなりの業物だけど、流石に普通の状態じゃ無理か……」
月下と月影の刃を見ながらユーキは残念そうに呟く。刃には岩に触れた時に付いたと思われる小さな岩の破片や砂のような粒が付着していた。因みに月下と月影の刃はフェスティから与えられた特典のおかげで刃こぼれなどはしていない。
ユーキは強化を使っている状態と使っていない状態の違いを理解すると月下と月影を鞘に納めて軽く息を吐いた。
「確かに混沌術は強力な力だな。こんな強い力を持っていれば普通の人間にはできないこともできるだろうし、難しい依頼を受けさせられることになってもおかしくない。コーリア先生の言うとおりだ」
メルディエズ学園でコーリアに言われたことを思い出し、ユーキは混沌士の宿命を理解する。自分も混沌術という強大な力を持った以上、その宿命に従って依頼を受けないといけないと感じた。
「そう言えば、昨日会ったアイカも混沌士だったけ。彼女はどんな能力が使えるんだ?」
アイカの混沌術がどんな能力が気になり、ユーキは腕を組んで考える。自分の強化がかなり強力で使える能力だったため、アイカの混沌術も優れた能力に違いないと思っていた。
「……別に今考えなくてもいいか。入学した後に彼女に会ったら聞けばいいだけだしな」
今すぐ知っておかなくてはいけないことでもないと感じ、考えるのを止めたユーキは顔を上げる。空は既に暗くなりかかっており、街の方も静かになっていた。
暗くなった空を見たユーキは気付かないうちにかなり時間が経過していたと知って驚く。バウダリーの町には昨日来たばかりで何処に何があるのかまだよく分かっていない。暗くなったら道に迷ってしまう可能性が高かった。
「ヤベッ、早く帰らねぇと迷子になっちまう」
ユーキは日が沈み切る前に虹色亭に戻ろうと走って広場を後にした。
――――――
月に照らされるバウダリーの町、住民たちは自宅や酒場で夕食や酒を楽しんでいる。中には既にベッドに入って休んでいる者もおり、町は静かだった。
メルディエズ学園でも生徒たちは学生寮で静かに過ごしている。生徒たちの中には自分の部屋で勉強や読書などをしたり、友人の部屋に行ってカードなどで遊んでいる生徒もいた。夜は特別な用事や依頼を受けていない限り、生徒が学生寮から出ることは禁じられているが、寮内にある友人の部屋に行くのは許されている。
生徒たちが学生寮で好きなことをしながら過ごしている間、校舎の会議室では学園長のガロデスが数人の教師を集めて話し合いをしている。話の内容は入学試験を合格したユーキのことだった。
会議室にはガロデス以外にユーキの実技試験を見ていたオースト、魔法属性と混沌術の確認を担当したコーリア、それ以外に四人の教師が長方形の机を囲んで座っている。そして、一人の女子生徒が教師たちと共に席についていた。
その女子生徒は身長160cmぐらいで黒いショートボブの髪形に緑色の目を持ち、眼鏡をかけていた。年齢は十八歳ぐらいで服装はとても整っており、落ち着いた雰囲気を出している。そして、彼女の両大腿部には小さなナイフを四本ずつ納めたホルスターのような物が付けており、右手の甲には混沌紋が入っていた。教師たちと一緒にいるところから、普通の生徒ではないようだ。
「そうですか、ユーキ君が混沌士に……」
「ハイ、しかも彼が開花させた強化の能力はかなり強力だと思われます」
コーリアからユーキの混沌術の話を聞かされたガロデスは目を閉じる。ガロデスはユーキが優れた剣士であることは分かっていたが、混沌士になるとは思っていなかったため、心の中では驚いていた。
教師たちが少し驚きながらガロデスとコーリアの話を聞いている中、オーストと眼鏡をかけた女子生徒は落ち着いた様子で二人の話を聞いている。
「と言うことは、ユーキ君は他の混沌士と同じように早めに決められた教育を終わらせ、依頼を受けてもらうことになる訳ですね?」
「ええ、混沌士として学園に通う以上、幼いとは言え仕方のないことです」
コーリアは複雑そうな表情を浮かべながら答え、それを聞いたガロデスや一部の教師も同じような顔をする。
メルディエズ学園に通う生徒には階級のようなもの存在しており、生徒たちはそれぞれ“下級生”、“中級生”、“上級生”と呼ばれている。入学したばかりの生徒は一番下の下級生と呼ばれ、入学してから三ヶ月間は学園内で戦い方を身に付けるための戦闘訓練や知恵を付けるための授業を受けることになっているのだ。
三ヶ月間の訓練と勉強が終わった後、下級生たちはようやく依頼を受けることが許されるようになる。もっとも、受けられるのは薬草採取やドブ掃除と言った危険度の低い依頼だけで、モンスター討伐のような危険な依頼は一定の依頼を完遂させた生徒しか受けられない。そして、下級生が討伐依頼を受ける際は必ず中級生以上の生徒が同行することになっている。
ただ、入学してきた生徒の中に混沌士がいる場合、その生徒は普通の生徒と違って訓練と勉強を受ける期間が一ヶ月となっている。これは優れた混沌士が少しでも早く依頼を受けられるようにするためだ。そして、ガロデスたちはユーキにも早く依頼を受けさせるよう、訓練と勉強の期間を短くしようと考えていた。
「しかし、彼の剣の腕は一流で、混沌術も強力ですから、教育期間が一ヶ月でも優秀な存在となるはずです。そうですよね、オースト先生?」
コーリアはオーストの方を向き、確認するように尋ねると、オーストはコーリアを見ながら真剣な顔で小さく頷く。
「ええ、実技試験の成績は今回の入学試験では最高でした。モンスター討伐の依頼を受けても彼なら十分戦えるでしょう……ただ、学科試験の方は壊滅的でした。実力があっても、知識が無ければ依頼を受ける時に何かしらの問題を起こす可能性もあります」
戦闘能力は問題無いが、知識の方は酷いとオーストは語り、それを聞いたコーリアや他の教師たちは「確かに」と言いたそうな顔をする。彼らもユーキの学科試験の成績が酷かったことは知っていた。勿論、ガロデスもだ。
「それは私も伺っています。しかし、それは彼が幼い故、仕方のないことです」
「確かにそうです。ですが、だからと言ってこのまま放っておく訳にはいきません。ユーキ・ルナパレスには入学後、戦闘訓練よりも、知恵を付けさせるために勉学の授業を重点的に受けさせようと思っています」
「私もその方が良いと思います」
コーリアはオーストの考えに賛同し、他の教師たちもガロデスを見ながら頷く。
確かに幼いとは言え、このまま知識を持たない状態で依頼を受けさせたら報酬や依頼内容の確認なので問題が生じ、大変なことになるかもしれない。ガロデスも依頼の成功率を上げるため、そしてユーキ自身のためにも勉強を優先的にさせた方がいいかもしれないと考える。
「ロギュンさん、貴女はどう思いますか?」
ガロデスは教師たち共に会議に参加してる女子生徒の方を向き、彼女の意見を訊く。ロギュンと呼ばれた女子生徒は眼鏡を直すと視線だけを動かしてガロデスの方を向いた。
「……私はそのユーキ・ルナパレスのことを会長に報告するために同席させていただいただけですから、何とも言えません」
「確かにそうですが、できることなら生徒会副会長である貴女の考えをお聞きしたいのです。聞かせていただけませんか?」
改めてユーキをどう扱うか尋ねてくるガロデスを見て、ロギュンは目を閉じて黙り込み、しばらくすると目を閉じたまま口を動かした。
「私個人の考えですが、オースト先生が仰ったとおり、最低限の知識は覚えさせたほうが良いと思います。ですが、聞いた話ではそのユーキ・ルナパレスは十歳児とは思えないほどの判断力と想像力を持っているそうなので、必要以上に勉学の授業を受けさせなくても、自分で勉強をしたり、学園で生活している間に自然と知恵を付けるのではと思っています」
静かに語るロギュンを見てガロデスは納得したような反応を見せる。オーストやコーリア、他の教師たちもロギュンの意見を聞いて一理あると言いたそうな顔をしながら隣にいる教師と相談した。
「しかし、学科試験の成績が悪かったのは事実ですので、勉学の授業はしっかり受けさせるべきでしょう。ただ、重点的に受けさせるのではなく、戦闘訓練よりも少し回数を多めにするくらいがいいと思っています」
「成る程……」
ロギュンの意見を聞いたガロデスはオーストの方を向き、異論はないかと目で尋ねる。オーストはロギュンの考えに賛成したのか無言で頷く。
ガロデスが他の教師たちの方を向くと、コーリアたちもそれでいいと思っているらしく、オーストと同じように頷いた。
「分かりました。では、ユーキ君の教育方針はロギュンさんの仰ったとおりにしましょう」
入学後のユーキをどのように教育するかが決まり、オーストたちも納得の表情を浮かべる。そんな中、ガロデスたちを見ていたロギュンは小さく俯きながらユーキのことを考えていた。
(僅か十歳でこの学園の試験に合格し、混沌術までも開花させた子供が現れるとは……この学園に何か問題を起こさなければいいのだけど……)
ユーキがメルディエズ学園でとんでもない騒ぎを起こすかもしれない、ロギュンは小さな不安を感じるのと同時にユーキのことを警戒するのだった。