第五十六話 襲撃者が狙うもの
屋敷の一階にある広めのリビングにはヴォルカニックとコクヨを抜いたパーシュとフィランの姿があり、その近くにはジーゴとマディソンが立っている。
アイカから襲撃者が現れたと報告を受けた直後、パーシュはフレードにバイスの警護と襲撃者の迎撃を任せ、アイカにも使用人たちの安全を確認してから襲撃者の下へ向かうよう指示を出した。
パーシュの指示にアイカは素直に従い、フレードも命令するパーシュに不満そうな反応を見せるが不満をぶつけている状況ではないため、素直に指示に従いバイスの警護をしながら襲撃者の下へ向かった。
アイカとフレードに指示を出した後、パーシュはフィランと共にジーゴとマディソンを安全な場所に連れて行こうとするが、移動する直前にマディソンが自分の部屋から騎士槍を持って行きたいと言い出した。
だが、襲撃者が現れた状態で下手に動き回るのは危険なため、マディソンの私室に寄るのは諦めてもらい、そのまま今いるリビングに移動して現在に至る。
「しゅ、襲撃者が今何処にいる? 近くにいるのか?」
ジーゴは何時何処から襲撃者が襲ってくるか分からないことに恐怖してリビングの中を見回す。そんなジーゴを見たパーシュは呆れたような顔をしながら軽く溜め息を付く。
「少し落ち着きなよ? 襲撃者の所にはユーキたちが向かってるんだ。簡単には此処には来れないよ。仮に来たとしてもあたしとフィランが相手をするから大丈夫だ」
パーシュは何とかジーゴを落ち着かせようと大丈夫であることを伝える。だが、ジーゴはそれでも安心できないのか、おどおどしながらリビングの中を見回し続けた。
「これまで警護をしていた冒険者たちも自信満々に君と同じことを言っていたが、結局奴を取り逃がし、使用人たちにも怪我を負わせたのだ。直接奴を倒す姿を見ないと安心などできん」
「貴方、落ち着いて……」
メルディエズ学園の生徒も冒険者と同じで口だけなのではと考えるジーゴをマディソンは宥める。パーシュはジーゴの発言を聞いて気分を悪くしたのか僅かに目を細くした。
しかし、これまでに雇っていた冒険者たちが警護や襲撃者の捕縛に失敗していることからジーゴが不安になるのは仕方がないと感じ、パーシュはジーゴの発言に文句を言ったりはしなかった。
「あたしらをいままでの冒険者たちと一緒にしてもらっちゃ困るね。あたしらは全員が混沌士なんだよ? これまで雇っていた冒険者と同じような失敗はしないよ」
パーシュは自信に満ちた口調で語り、ジーゴはパーシュの話を聞くと少しだけ落ち着きを取り戻す。
確かに今回雇ったメルディエズ学園の生徒は全員が混沌士でその内の三人は神刀剣の使い手であるため、これまで雇っていた冒険者とは明らかに力が違う。ジーゴは今度こそ自分やマディソンたちを護り、襲撃者を捕らえてくれるかもしれないと感じていた。
パーシュがジーゴを落ち着かせていると無表情で周囲を警戒していたフィランが何かに気付いたような反応を見せ、リビングの出入口である扉を見ながらコクヨを構える。それに気付いたパーシュはフィランに視線を向けた。
「どうしたんだい、フィラン?」
「……誰かが近づいて来てる」
扉を見つめながらフィランが呟くとパーシュは目を鋭くする。ジーゴは目を見開きながら後ろに下がり、マディソンも緊迫した表情を浮かべながら静かに一歩下がった。
「ユーキたちかい?」
「……分からない。気配は一つだけ……多分、ユーキたちじゃない」
フィランの言葉を聞いてパーシュは咄嗟にヴォルカニックを中段構えに持って扉を睨む。
現在、屋敷で働く使用人やメイドたちは襲撃者が現れたことで自室などに避難している。そのため、今屋敷の中を移動しているのは襲撃者とその対応をしているユーキたちだけだ。
しかし、近づいて来ているのがユーキたちではないとフィランは語り、パーシュは襲撃者である可能性が高いと警戒心を強くしていた。
パーシュたちが扉に注目していると扉が勢いよく蹴破られる。蹴破られた扉は破壊され、大きな音を立てながら床に倒れた。
扉が破られたことに驚いたジーゴはその場に座り込み、それと同時にリビングに黒いマントを纏った人物が静かに入ってきた。
「しゅ、襲撃者が此処まで来たぞ!? あの少年たちは何をやっているのだ!」
「落ち着きな子爵様。アンタはマディソンさんと一緒にそこでジッとしてな」
パーシュは怯えるジーゴを落ち着かせ、ヴォルカニックを握る手に力を入れる。フィランも足の位置を少し変え、無表情のまま黒マントの人物を見つめた。
これまで得た情報からパーシュとフィランは目の前にいるのが襲撃者で間違い無いと感じていつでも戦える態勢に入る。マディソンも襲撃者を警戒しながら座り込んでいるジーゴの隣まで移動した。
襲撃者もパーシュとフィランがジーゴとマディソンの護衛だと気付いたのかマントの下から短剣を取り出し、右手で逆手に持ちながら構えた。
「フィラン、相手はB級冒険者を倒すほどの実力者だ。油断するんじゃないよ?」
「……分かってる」
フィランは静かに返事をすると床を蹴って襲撃者に向かって跳ぶ。フィランの行動を見たパーシュは目を見開いて驚いた。
「全然分かってないじゃないか! いきなり敵に突っ込むなんて……」
パーシュは真正面から敵に向かって行くというフィランの愚行とも思える行動に思わず力の入った声を出す。マディソンも元冒険者という立場から見てフィランの行動は無謀だと感じていた。
フィランはパーシュとマディソンの意思に気付いていないのか、表情を変えることなく襲撃者との距離を詰める。そして、襲撃者が間合いに入った瞬間にコクヨで袈裟切りを放って攻撃した。
襲撃者はフィランの攻撃を後ろに下がって難なくかわす。そして、攻撃した直後で隙ができているフィランに向かって踏み込み、短剣で横切りを放ち反撃した。
フィランは左から迫ってくる短剣を見ると素早く姿勢を低くして横切りをかわし、体勢を変えずにコクヨを左から右に振って襲撃者の腹部を両断しようとする。だが、襲撃者は素早く後ろに跳んでフィランの横切りをギリギリで回避した。
横切りをかわされたフィランは体勢を直し、距離を取った襲撃者に向かって踏み込み、コクヨで突きを放つ。
コクヨの切っ先は真っすぐ襲撃者の胴体に迫っていく。だが、襲撃者は冷静に短剣でコクヨを払って突きを防ぎ、もう一度後ろに跳んでフィランから距離を取ると短剣を構え直して追撃を警戒する。
フィランは襲撃者を見つめながらコクヨを構え直して再び攻撃を仕掛けようとする。フィランの戦いを見ていたパーシュは流石にこのまま放っておくのはよくないと感じた。
「フィラン、それぐらいにしな!」
パーシュが少し力の入った声を出すとフィランは視線だけを動かしてパーシュを見る。そして、再び襲撃者を見てから後ろに跳んで距離を取り、パーシュたちと合流した。
「さっき油断するなって言ったばかりなのに何一人で突っ込んでるんだい!」
「……敵はこちらがどんな戦い方をするか分かっていない。情報を知られる前に倒してしまおうと思っただけ」
「だからって一人で突っ込むんじゃない! あたしが一緒なんだから二人で戦った方が有利だろう」
「……二人が一緒に攻撃したらロイダス子爵たちを護る人がいなくなる。だから私が攻撃し、貴女に二人の警護をしてもらおうと思った」
二人いるのだからそれぞれ攻撃と警護を担当して戦った方がいいと表情を変えずに語るフィランを見てパーシュは僅かに目元を動かす。何も考えずに一人で突っ込んだように見えて実はちゃんとジーゴとマディソンのことも考えていたと知り、パーシュはすぐに言い返すことができなかった。
しかし、フィランが自分の考えを話さずに一人で襲撃者に突っ込んでいったのも事実であるため、パーシュはフィランの行動の全てが正しいとは思えなかった。
「アンタが子爵様たちをちゃんと考えて戦っていたのは分かった。だけどね、それならちゃんと口で説明しとくれよ」
「……それだと、相手にバレる可能性がある」
「小声で話せばいいじゃないか」
不満そうな顔をしながらパーシュは協力して戦おうと語り、フィランは襲撃者を見つめたまま返事をする。ジーゴとマディソンは敵を前にして普通に口論をしている二人を意外そうな顔で見ていた。
パーシュとフィランが口論をしている中、襲撃者は空いている左手をマントの中に入れ、三本の小さな投げナイフを取り出すとパーシュとフィランに向けて投げる。
投げナイフの内、二本はパーシュ、一本はフィランに向かって飛んで行き、投げナイフに気付いたパーシュは素早くヴォルカニックを振って二本の投げナイフを叩き落す。フィランは最初から襲撃者を見ていたため、コクヨで楽々と叩き落せた。
「……人が喋ってる時に横槍入れるんじゃないよ」
パーシュは襲撃者を睨みながら足元に落ちている投げナイフの一本を左手で拾い上げる。ナイフを拾った直後、パーシュは自身の混沌紋を光らせ、拾った投げナイフを襲撃者に向けて投げた。
ナイフは襲撃者に向かって真っすぐ飛んで行き、襲撃者は短剣でナイフを叩き落そうとする。それを見たパーシュは小さく笑った。
襲撃者がナイフを叩き落そうとした瞬間、ナイフは叩き落される前に襲撃者の目の前で爆発した。至近距離で爆発したことで襲撃者は後ろに飛ばされて壁に叩きつけられ、突然の爆発にジーゴとマディソンは目を見開いて驚いており、パーシュはニッと笑みを浮かべいた。
実はパーシュはナイフを投げる前に自身の混沌術である爆破を発動させ、ナイフに爆発能力を付与していた。そしてそのナイフを投げ、襲撃者がナイフを叩き落そうとした瞬間に爆発させてダメージを与えたのだ。
大ダメージを与えるためにも爆発は大きくした方がいいとパーシュは思っていたが、下手に爆発を大きくしてしまうと屋敷にも被害が出る可能性があった。
屋敷に被害を出さないためにパーシュは威力は抑えて爆発させていたが、そのせいか襲撃者は少し怯んだだけで、動けなくなるほどのダメージは負っていない。
襲撃者は体勢を整えるマントに付いている砂埃を払い、ボロボロになったフードを上げた。すると、フードの下から赤橙色の短髪をした人間の頭部が現れる。ただ、肌の色は普通の人間と比べると灰色の近い。顔にも目の部分だけを隠す赤い二つ目の鉄製の仮面を付けているため、どんな顔をしているのか分からなかった。
「仮面……やっぱりアンタがユーキとフレードが言っていたジャンと名乗った冒険者だったんだね?」
パーシュは襲撃者が仮面を付けているのを見て、目の前にいるのが南西の門からルーマンズの町に入った冒険者ジャンだと確信する。ジーゴも自分の屋敷を襲撃したのが冒険者だと知って驚き、マディソンも表情を鋭くした。
ジャンはパーシュの問いかけに答えず、黙ってパーシュとフィランを見ている。二人もジャンが再び攻撃を仕掛けてきてもすぐに迎撃できるよう警戒心を強くした。
しばらくパーシュとフィランを見た後、ジャンはパーシュたちから見て左側に素早く走り出す。突然動き出したジャンにパーシュは軽く目を見開き、フィランも目でジャンを追う。
ジャンは走りながら再び左手をマントの中に入れ、新しい投げナイフを二本取り出すとパーシュとフィランの後ろにいるジーゴとマディソンに向けてナイフを投げた。
投げられたナイフを見てジーゴとマディソンは驚きの表情を浮かべる。だが、フィランが素早く二人とナイフの間に入ってコクヨでナイフを叩き落としたため、二人にナイフが刺さることはなかった。
「チッ!」
ナイフを防がれたのを見たジャンは小さく舌打ちをしながら立ち止まり、そんなジャンを見たフィランはコクヨを構え直す。
「……もう終わらせる」
ジャンがジーゴとマディソンを直接攻撃した以上、戦いを長引かせるわけにはいかないと感じたフィランは自身の混沌紋を光らせて暗闇を発動させる。すると、フィランを中心に黒い闇がドーム状に広がり、リビングにいた全員を呑み込んだ。
突然周囲が暗くなり、今まで冷静だったジャンも流石に驚いたらしく周囲を見回す。
ジーゴとマディソンも突然何も見えなくなったことでその場から動けなくなってしまう。パーシュは暗闇の効力を知っているため、驚きはしないが若干困ったような顔をしている。
「おい、フィラン! これじゃあ、あたしや子爵様たちが動けないじゃないか!」
「……すぐ終わらせるから問題無い」
フィランはそう言うとコクヨを構え直して周囲を見回すジャンを見つめる。暗闇を発動したフィラン自身はパーシュたちと違い、闇の中でも黒い紙に白いペンで描いたように周囲を見ることができるため、問題無く動くことができた。
コクヨを構えるフィランはジャンを無表情で見つめ、闇の中をジャンに向かって走っていく。ジャンは何処からか聞こえる足音を聞いて反応し、短剣を構えて警戒するがジャンの視界は黒一色となっているため何も見えなかった。
フィランはジャンの左側から近づくとコクヨで袈裟切りを放つ。相手には自分の姿が見えないため、直撃するとフィランは思っていた。
だが、攻撃した直後にジャンは何かの気配を感じ取り、咄嗟に後ろに跳ぶ。ジャンが移動したことで狙いが外れてしまい、コクヨはジャンの胴体ではなく左腕を切り裂いた。
「グオオオォッ!」
腕を斬られた痛みでジャンは声を上げた。闇の中に四十代ぐらいの男性の声が響き、声を聞いたパーシュたちは一斉に反応する。声が聞こえた方を見るが視覚を封じられているため声の主を見ることはできない。
ジャンは痛みに耐えながら短剣を持ったまま右手で左腕の傷口を強く押さえて止血しようとする。フィランは腕を斬られても取り乱さないジャンを気配を消しながら近くで見つめていた。
(……咄嗟に移動して胴体への直撃を避けた。普通の人間ならほぼ不可能なのに……)
闇の中で致命傷を避け、傷を負った後も落ち着いて対処するジャンを見てフィランは心の中で意外に思った。
フィランがジャンを見つめながら考え込んでいるとジャンがフィランがいる方角に向けて短剣を横に振る。フィランは咄嗟に後ろに跳んでジャンの攻撃を回避した。
暗闇はまだ発動しているため、ジャンには周囲が見えていないはずだ。にもかかわらずフィランがいる方を攻撃してきた。フィランは警戒心を強くして距離を取り、コクヨを構えながらジャンを見つめる。
(……情報では彼はレンジャー系の職業を修めているという話だった。きっと攻撃を受けた方角と傷の場所からこっちの位置を調べて攻撃してきた。さっき攻撃をかわせたのも音で私の位置を特定したから……)
フィランはジャンが闇の中でも敵の気配を探れる技術を持っていると知り、予想以上に強い敵かもしれないと感じる。同時にB級冒険者に勝つだけはあると心の中で感心した。
ジャンの動きに警戒しながらコクヨを構え直したフィランは次にどのように攻めるか考える。すると、フィランたちを包み込む闇が突然小さくなり始め、フィランは視線だけを動かして周囲を見回す。
「……時間切れ」
闇の変化に気付いたフィランが呟くと闇は一気に収縮し、リビングがハッキリと見えるようになる。闇が完全に消えるとパーシュたちはハッとしながら周囲を確認した。
暗闇は相手の視覚を封じる強力な能力だが効果の持続時間が短く、短い時間しか相手の視覚を封じることができない。効果範囲が広かろうが狭かろうが時間は変わらず、時間が経てば自動的に能力が解除されてしまう。修業などをすれば持続時間も長くなるが、今のフィランでは三十秒ほどが限界だった。
フィランは暗闇が解除されると軽く後ろに跳んでジャンから距離を取る。能力が解除されたのなら再び発動して視覚を封じればいいのだが、暗闇は一度能力を使用するとしばらく経たないと再び使うことはできない。
効果範囲によって冷却時間が変化し、範囲を広くすれば時間も長くなる。フィランは範囲を狭くしていたが、次に発動するまで三分は時間が必要だった。
「何だよ、すぐ終わらせるって言っといてまだ倒せてないじゃないか?」
パーシュは腕を斬られただけでまだ生きているジャンを見て意外そうな顔をする。
フィランはこれまで暗闇を使って多くの敵を倒しており、パーシュもフィランが暗闇を使えば殆どの敵を瞬殺できると知っている。しかし、目の前にいるジャンは暗闇が発動してもまだ生きていたため、パーシュは内心驚いていた。
「暗闇を使ったのに倒せなかったのかい? アンタにしちゃ珍しいね」
「……闇の中で私の気配を探って攻撃をかわした。思った以上に強い」
「へぇ、アンタが敵を褒めるなんてねぇ……となると、本当に面倒な敵みたいだね」
パーシュは小さく笑みを浮かべながらヴォルカニックを構え直してジャンを見つめる。ジャンも視界が戻ると短剣を構え直して周りにいるパーシュたちを警戒した。
既にフィランに斬られた左腕の出血は止まっており、ジャンは普通に構えることができた。短時間で止血したのを見たフィランはジャンが普通の人間ではないと感じる。
パーシュとフィランがジャンと睨み合っているとリビングにジャンの後を追っていたユーキたちが飛び込むように入ってきた。
「やっぱり此処にいたか!」
ユーキはジャンが予想どおりジーゴとマディソンのところに来ていたのを見て表情を鋭くする。ユーキたちはジャンがフードを下ろして仮面を付けているのを見ると、襲撃者が南西の門で目撃された冒険者だと知る。
フィランはリビングに入って来たユーキたちを視線だけを動かして見つめ、パーシュやジーゴ、マディソンはユーキたちを見て少し驚いたような表情を浮かべた。
リビングに全員が集まるとジャンは小さく舌打ちをする。流石にこの状況では自分の方が不利だと感じているようだ。
ジャンは持っている短剣を右側にある一番近くの窓に向かって投げて窓を破る。窓ガラスが割れると音を聞いてユーキたちは一斉にジャンに視線を向け、窓を破ったことからジャンが逃走しようとしていることに気付く。
「アイツ、逃げる気です!」
「逃がすかよっ!」
フレードはリビングに入るとジャンに向けてリヴァイクスを勢いよく突き出す。同時に混沌紋を光らせて伸縮の能力も発動させ、リヴァイクスの剣身を離れた所にいるジャンに向けて伸ばした。
リヴァイクスは真っすぐジャンに向かって行き、リヴァイクスが迫ってきていることに気付いたジャンは咄嗟に右に移動して回避する。かわした直後、ジャンはリビングに入って来たユーキたちを確認するかのように見回し、最後にジーゴとマディソンの方を見た。
「……仲間たちの苦しみを知れ」
ジャンは低い声でジーゴとマディソンに語り掛け、初めてジャンが喋ったところを見た二人は目を見開いて驚く。後からリビングにやって来たユーキたちもジャンの声を聞いて反応した。
喋った後、ジャンは右手をマントの中に入れて何かを取り出し、それを床に強く叩きつけた。すると、叩きつけた物から濃い灰色の煙が出てきてジャンを包み込んだ。
「煙幕!?」
ユーキは煙で少しずつ姿が見えなくなっていくジャンを見て姿が消える前に捕らえようとジャンに向かって走り出す。だが、ジャンは煙の中から投げナイフをユーキに投げつけ、ユーキは急停止して月下と月影でナイフを叩き落とした。
ジャンはユーキが投げナイフを叩き落している隙に破った窓に向かって走り、そのまま外に跳び出す。外に出るとジャンは近くに生えている木の枝に跳び移り、柵を越えて敷地の外に逃走した。
「や、奴が逃げたぞ? 早く追って捕まえてくれ!」
床に座り込んでいるジーゴはユーキたちにジャンを追跡するよう言うが、ユーキたちは追跡せずに持っている得物を下ろした。
「いや、もう無駄だよ子爵様。アイツはもう屋敷の敷地外に出ちまってる。しかも今は夜なんだ、追いかけても見つけることはできないよ」
「クッ……」
追跡しても無駄と言うパーシュの言葉にジーゴは悔しそうな顔をしながら立ち上がる。
本当は捕まえるか抹殺してほしかったのだ、冒険者たちと同じように逃がしてしまったためジーゴは若干不満に思っている。しかし、使用人やメイドたちに犠牲者は出ておらず、ジャンにも傷を負わせたという冒険者たちにはできなかったことをやったため、文句は言わなかった。
「……まぁ、今回は犠牲者も出てないから良しとしよう。だが、今回で奴の戦い方などは確認できたのだ。次はちゃんと奴を片付けてくれ?」
「ああ、分かってるよ」
パーシュはヴォルカニックを鞘に納めながら笑って返事をする。ユーキたちも得物を納め、ジーゴは「本当に頼むぞ」と言いたそうな顔でユーキたちを見た。
アイカたちはジーゴやマディソンの安否を確認してからジャンが壊した窓の片付け、その後にジーゴたちの警護と屋敷の警備を再開する。一度襲撃し、フィランの攻撃で負傷しているため、再び襲撃してくる可能性は極めて低いがゼロとは言えないため警戒を続けた。
警護中、ユーキはジャンが最後に口にした言葉の意味が気になり、何を意味するのか考えていた。しかし、今の段階では何も分からず、ユーキはとりあえず考えるのを止めて警護に集中する。
結局、それからジャンが再び現れることは無かった。
――――――
翌日、ルーマンズの町に朝が訪れる。街では住民たちがいつもどおりの生活を送っており、ロイダス家の屋敷でも使用人やメイドたちが仕事をしていた。しかし、昨晩襲撃があったため、使用人たちの中には僅かに落ち着かない様子で仕事をしている者もいる。
ユーキたちは落ち着かない使用人やメイドを見て、彼らが安心して仕事ができるよう、早くジャンの一件を片付けようと思っていた。
朝食が済むとユーキたちは今日の警護と警備の予定を決めるために初めてロイダス家の屋敷に来た時に案内された来客室に集まった。昨晩に襲撃があったため、ユーキたちの表情は僅かに鋭くなっている。フィランは相変わらず無表情のままだった。
「……さてと、今日どうするかを決める前に今分かっている襲撃者の情報を確認しておこうかね」
パーシュはユーキたちを見ながら腕を組み、ユーキたちもパーシュに注目する。全員、来客用の長椅子と椅子に座っており、仲間の顔を見ながら会話ができる状態だった。
「昨日の襲撃で襲撃者があたしたちが想像していたよりも身体能力が高く、フィランの暗闇の中でも敵の位置を探ることができるほどの感覚を持っていることが分かった。あと、奴が南西の門からルーマンズの町に入ったジャンとか言う冒険者だってこともね」
「しかも俺らから逃げ切るだけの逃走技術も持ってやがる。B級冒険者どもを蹴散らすだけのことはあるってわけだ」
「フレード先輩、敵に感心してどうするんですか?」
アイカは困ったような顔でフレードに注意し、パーシュも呆れ顔で首を横に振った。フレードはアイカの方を見ると「いいじゃねぇか」と言いたそうに小さな笑みを浮かべた。
「しっかし、あの黒マント野郎、昨日は屋敷にある金や値打ちのある物には一切手を出さなかったな。執事の話じゃ今日まで一度も金目の物は盗まなかったみてぇだし、奴は本当にこの屋敷の財産が目的なのかねぇ?」
フレードはジャンの屋敷を襲撃する動機について考え、ユーキたちも一番気にしていた話題が出て全員がフレードに視線を向ける。
ジーゴはジャンが屋敷を襲撃する動機は財産目当てだと言っているが、今までのジャンの情報や行動からジャンがロイダス家の財産を狙って屋敷を襲撃しているとはユーキたちには思えなかった。ジャンが屋敷を襲う理由は別にあるとこの時のユーキたちは考えている。
「財産目当てなら何度も襲撃したりしませんし、わざわざロイダス子爵たちや屋敷で働く使用人を襲う必要なんてありませんよ。使用人たちが邪魔をしたとしても、奴の身体能力なら殺さなくても突破できるはずですから」
ユーキは腕を組みながらジャンが財産目的でない理由を説明する。アイカたちもジャンが財産目的ではないと確信しており、ユーキの説明に異議を上げたりしなかった。
「財産目当てじゃねぇってんなら、ただ屋敷にいる奴を殺すために襲撃したのか?」
「いいえ、無差別殺人も考え難いです。アイカにも説明したんですけど、もし奴の目的が人殺しなら警戒が厳重な貴族の屋敷を襲うより、狙いやすい街の住民たちを襲うはずですから」
無差別殺人である可能性も低いというユーキの考えを聞いてアイカたちは難しい顔をする。ジャンの目的はいったい何なのか、ユーキたち俯いて考え込んだ。
「そう言えば、ジャンについてロイダス子爵たちは何か言ってましたか? 何処かで聞いたことのある名前だとか?」
ユーキはジーゴたちがジャンのことを何か知っていたかパーシュに尋ねる。声を掛けられたパーシュは顔を上げ、ユーキを見つめながら椅子にもたれた。
「子爵様は何も知らないって言ってたよ。相変わらず財産目当てのコソ泥だって考えてるみたいだ」
「そうですか……」
「ただ、マディソンさんは気になることを言っていたよ」
「え?」
マディソンが何かを知っていると聞いたユーキは反応し、アイカ、フレード、フィランもまだ聞かされていない情報があると知ってパーシュの話に耳を傾けた。
「マディソンさんの話によると、自分が冒険者だった時の仲間の中にジャンって名前の男がいたそうだ」
「それって、二十年前に解散した紅の羽のことですか?」
アイカが確認するとパーシュはアイカの方を向いて頷いた。
「ああ、南西の門を通過した冒険者の名前がジャンだって聞いた時は仲間が帰って来たと思ったそうだけど、ジャンはレンジャー系の職業を修めていないから、名前が同じだけだと思うって言ってたよ」
職業が異なり、冒険者仲間だった男が襲撃者であるはずがないとマディソンが言っていたことをパーシュはユーキたちに説明し、話を聞いたアイカとフレードは昨晩襲ってきたジャンがマディソンの仲間である可能性は低いと考えた。
「確かに、マディソンさんの言うとおり、昨日のジャンは彼女の仲間のジャンではないでしょう。……でも、まったく無関係ではないと思います」
ユーキは難しい顔をしながら呟き、それを聞いたアイカたちは一斉にユーキに注目する。今のユーキの発言からは襲撃者は何らかの形でマディソンと繋がりがあると言っているように聞こえた。
アイカたちが注目する中、ユーキは俯いてこれまで得た情報を思い出し、どのように繋がっているかを考える。そして、しばらくするとユーキはゆっくりと顔を上げて真剣な表情を浮かべた。
「……少しずつですけど分かってきましたよ、ジャンと名乗る襲撃者の動機ってやつが。奴の目的はロイダス家の財産でも無差別殺人でもない。にもかかわらず奴は何度もロイダス家の屋敷を襲撃し、使用人やメイドを襲っている。そして、今までロイダス子爵やマディソンさんは襲わなかったのに、昨晩は二人を殺そうとしていた。きっと奴の目的はロイダス家に関わっている者を襲うことなんだと思います」
「ロイダス家に関わっている人たちを?」
アイカが確認するとユーキはチラッとアイカの方を見た。
「そうだ。でなければ屋敷で働いているだけの執事やメイドが襲われるはずがない。そして、奴がロイダス家に懐いている感情は……」
「……憎悪」
ユーキの後を引き継ぐかのようにフィランが呟き、全員がフィランに視線を向ける。ユーキはフィランの方を見て小さく頷いた。
「ああ、奴は昨晩逃げる直前に『仲間たちの苦しみを知れ』と言い残した。奴がロイダス子爵たちに対して憎しみを抱いているのは間違い無いだろう」
ジャンの狙いがジーゴたちに対する復讐だと知ってアイカたちは表情を僅かに鋭くする。
「だが、奴はこれまでに何度も屋敷を襲撃し、屋敷にいる人たちに必要以上に恐怖を与え、ロイダス子爵たちを殺そうとした。ちっぽけな憎しみだけでそれほどの凶行に走るとは思えない。恐らく奴がロイダス家に懐いている憎しみはロイダス家を滅ぼしてやりたいと思うほど激しいものなんだろう」
「ロイダス家を滅ぼしたいと思うほどの憎悪……」
アイカは恐ろしい話を聞かされたかのような感覚にとらわれ、僅かに表情を歪めて呟く。パーシュとフレードも表情を僅かに鋭くしながらユーキの話を聞いており、フィランも黙ってユーキを見つめていた。
「そして、俺の予想ではジャンがロイダス家を憎む原因はマディソンさんが冒険者をしていた時、つまり二十年前にあるんだと思う」
「二十年前? 何でそう思うんだ?」
フレードが尋ねるとユーキは真剣な表情を浮かべてフレードの方を見る。
「襲撃者の名前はマディソンさんの冒険者仲間と同じ名前をしています。職業は違えど、二十年前に町を出た仲間と同じ名前をした冒険者がマディソンさんが嫁いだロイダス家の屋敷を何度も襲撃したんです。とても偶然とは思えません」
「確かにな……」
ユーキの説明を聞いてフレードは腕を組んで納得する。
「きっと、マディソンさんが冒険者をやっていた時にロイダス家を憎む出来事があったんでしょう。そして、それはマディソンさんにも関係のあることだと俺は思っています」
「あり得ないことじゃないね」
今まではあまり気にならなかったが言われてみれば確かに引っかると感じたパーシュは難しい表情を浮かべ、アイカとフレードも納得したような反応を見せていた。
現状からジャンがロイダス家に対して憎悪を懐いており、二十年前のマディソンと関わりを持っているのは間違い無いとユーキは考えている。だが、どうしてロイダス家を憎んでいるのかはまだ分からなかった。
(ジャンとロイダス家の間に一体何があったんだ? 何があればロイダス家をそこまで憎むことができるんだ?)
ユーキはジャンがロイダス家を憎む理由は何なのか俯いて考える。アイカたちもジャンが何のために今回の襲撃事件を起こしたのか考えていた。すると、フレードが立ち上がって自身の後頭部を右手で掻く。
「こりゃあ、警護の仕事を始める前に子爵様に会いに行く必要がありそうだな。過去に殺されてもおかしくないほど恨まれるようなことをしたのか、しっかり問い詰める必要が……」
フレードが面倒そうな口調で喋っていると何処からか窓が破られる音が聞こえ、ユーキたちは一斉に反応する。
「何だい、今の音は?」
「キャアアアアッ!」
窓が破られた音のすぐ後に若い女性に悲鳴が聞こえ、ユーキたちの顔に緊張が走る。何か良くないことが起きているとユーキたちはすぐに理解した。
「今度は悲鳴!?」
「この真上だ。行くよ、皆!」
パーシュが声を掛けるとユーキたちは一斉に立ち上がり、来客室から飛び出して悲鳴が聞こえた二階へ向かった。
あけましておめでとうございます。
今日から投稿を再開いたします。今までのように一定の間隔で投稿していくつもりです。もしかすると、投稿が遅れることがあるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。




