第四十二話 広場の番人たち
ペスートによって広場の真ん中に瘴気が広げられた光景を見て広場の外で待機していた生徒たちは驚きの反応を見せた。
予想どおりベーゼたちが罠を仕掛けていたことにユーキを含む一部の生徒は面倒そうな表情を浮かべる。中には広場の中の瘴気に驚愕して動揺を見せる生徒も何人かいた。
「まさか、本当にベーゼたちが罠を仕掛けていたとは。しかも瘴気を放つペスートが隠れていたなんて……」
「連中が瘴気をばらまくだけしか取り柄のないベーゼだ。となると、他にもベーゼが隠れている可能性は高いぞ」
ユーキの部隊にいる生徒会の生徒たちはペスートの能力から別のベーゼが広場にいると考え、全員が緊迫した表情を浮かべる。ユーキも目を僅かに鋭くしながら広場を見ており、その後ろに立つミスチアはなぜかワクワクした様子で笑っていた。
「やっぱりベーゼが隠れてましたか。必ず何処かに潜んでいるだろうと思ってましたわ」
「ああ、俺もそう思ってたよ。ペスートたちは屋根の上に隠れてたから、他のベーゼも屋根の上か小屋の中に潜んでるだろうな」
広場を見つめたままユーキは佩してある月下と月影を抜いていつでも戦える態勢に入り、ミスチアは笑ったままウォーアックスの柄の部分で自分の肩をポンポンと軽く叩く。二人は現状から、この後に間違い無くベーゼとの戦闘が始まると考えていた。
生徒会の生徒たちもそれぞれ自分の武器を構えて戦闘態勢を取る。しかし、ユーキたちの後ろで控えている他の生徒たちは知能の低いベーゼが罠を仕掛けていたこと、仲間が瘴気に呑まれたのを目にしてざわついていた。生徒会の男子生徒は動揺を見せる生徒たちを見て小さく舌打ちをする。
「お前たち、しっかりしろ! お前たちはこれまでに何度もベーゼと戦ってきたはずだ。罠や瘴気を目にしたくらいでいちいち動揺するな!」
男子生徒の言葉を聞いた生徒たちはざわつくのを止め、深呼吸などをして落ち着きを取り戻す。生徒たちの中にはベーゼとの戦闘経験が豊富にもかかわらず、つまらないことで動揺してしまった自分を恥ずかしく思う者もいたらしく、そのような生徒たちは小さく俯いて申し訳なさそうな顔をしていた。
生徒たちが落ち着くのを確認した生徒会の生徒たちは広場に視線を向ける。広場では瘴気から逃れたカムネスとトムズが瘴気を見ながら警戒している姿があった。
「……ベーゼが姿を見せましたけど、俺たちは会長たちと合流しなくてもいいんですか?」
ユーキは生徒会の生徒たちを見ながら待機していてよいのか尋ねる。ユーキの質問を聞いた生徒会の男子生徒はチラッとユーキを見てから再び遠くにいるカムメスたちに視線を向けた。
「広場にはまだどれだけのベーゼが隠れているか分からず、他にも罠が仕掛けられている可能性がある。会長も仰っていたが、情報が少ないのに大勢で広場に入るのは危険だ。会長の合図があるまで俺たちはこのまま待機だ」
男子生徒の話を聞いたユーキは納得したような表情を浮かべる。確かにペスートが現れたからと言って罠がそれだけだとは断言できない。他にも罠が仕掛けられている可能性がある上にどれだけのベーゼが広場に隠れているか分からない以上、迂闊に広場に入ることはできなかった。
だが、だからと言ってカムネスたちだけを広場に入れて自分たちだけが広場の外にいるというのも問題ある行動だと言える。仲間が危険な状態であるのなら助けに向かうのが仲間と言うものだ。現に別部隊のアイカやトムズの部隊の生徒たちもカムネスたちを助けに行きたそうな表情を浮かべていた。
それでも情報が少ない状態で広場に入るのは危険だと理性が助けたい気持ちを抑えているのか、アイカたちは広場に入らずに我慢している。何よりも、全体の指揮を執るカムネスから待機しているよう指示されているので動けなかった。
(副会長は随分落ち着いてるな……)
ロギュンの部隊を見ていたユーキは動かずにカムネスをを見守るロギュンの姿を見てその冷静さに感心する。
生徒会の生徒なら自分たちのトップである生徒会長が危険な状況に立たされれば助けに入るものだが、ロギュンを始め、各部隊の生徒会の生徒たちはカムネスの指示に従い待機し続けていた。
ユーキは動かないロギュンたちを見て、生徒会として会長の指示に従って待機しているか、カムネスなら問題無く現状を打開できると思って動かずにいると考え、ロギュンたちはカムネスを強く信頼しているのだと感じていた。
(副会長たちが会長を信じてジッとしているのなら、俺も会長を信じて合図があるのを待つしかないな)
最初に独断行動を取った生徒たちのように勝手な行動を取って不利な状況を作るわけにもいかないと感じたユーキはカムネスが指示したとおり、合図があるまで待つことにした。
(会長とトムズ先輩が自分の部隊と合流してくれるのが一番なんだけど、あの状態じゃ後退することはできないんだろうな……)
自分たちに取って一番都合のいい状況を考えながらユーキは広場の真ん中にいるカムネスたちを見つめた。
ユーキたちが見守る中、カムネスとトムズは構えながらベーゼの瘴気を見つめていた。
最初は濃かった瘴気も少し薄くなってはいるが、薄くなっても瘴気の毒素が弱まるわけではなく、瘴気を完全に消さない限り安心できない。そのため、カムネスとトムズは瘴気の警戒を怠っていなかった。
カムネスとトムズが目を鋭くして瘴気を見ている中、瘴気の中では瘴気に呑まれてしまった三人の男子生徒の姿があり、全員が瘴気を吸ったことで体が徐々に蝕まれていく。胸の苦しさや全身の倦怠感、目まいや咳など様々な症状に襲われ、男子生徒たちは表情を歪めていた。
「会長、このままだとあの三人は瘴気に侵されてベーゼになっちまう!」
「分かっている。まずはあの瘴気を消すのが先だ」
若干興奮しているトムズに対してカムネスは冷静に語り、腰のフウガを素早く抜いた。両手でフウガを強く握り、上段構えを取るとフウガの刀身に風が集まって刀身を包み込んだ。
「烈風壊波!」
カムネスは風を纏ったフウガを勢いよく振り下ろした。すると、刀身を包み込んでいる風は瘴気に向かって放たれて男子生徒たちを呑み込んでいる瘴気を一瞬にして吹き飛ばす。放たれた風はそれほど強くなく、男子生徒たちが吹き飛ばされることなかった。
瘴気が消えたことで男子生徒たちは少しだけ体調が良くなったのか、少し落ち着いた表情を浮かべながら顔を上げる。それを見たカムネスはフウガを外側に向かって軽く振った。
「瘴気を消した。今の内に“瘴壊丸”を飲め」
「ハ、ハイ……」
男子生徒たちは自分のポーチに手を入れると涅色の丸薬を取り出して口に入れ、奥歯でかみ砕いてから飲み込む。嚙み砕いた時に僅かに苦みが口の中に広がるが、男子生徒たちは苦みを気にする余裕は無かった。
呑み込んでから僅か数秒後、男子生徒たちの顔色は良くなり、今まで感じていた不快感も嘘みたいに消えた。体調が戻ったことで男子生徒たちの顔にも余裕が戻り、そんな男子生徒たちに向けてトムズが力の入った声を出す。
「お前たち! いつまでもボケッとしてねぇでこっちに来い!」
『ハ、ハイ!』
トムズの声に驚いた男子生徒たちは声を揃えて返事をし、慌ててカムネスとトムズの方に向かって走り出す。トムズは走ってくる男子生徒たちを呆れ顔で見ていた。
男子生徒たちが飲んだ瘴壊丸は瘴気の毒素を分解することができる丸薬だ。飲むと体内の毒素を分解するだけでなく、三十分の間、新たに吸った瘴気の毒素も瞬時に分解することができる。つまり、服用してから三十分間は瘴気が充満している場所でも普通に活動することができるのだ。
メルディエズ学園の生徒たちはベーゼと戦うことが仕事であるため、ベーゼの瘴気が充満する場所に足を踏み入れることも少なくない。瘴気が充満している場所では戦うことは愚かまともに動くこともできなくなるため、瘴気の影響を受けなくなるように瘴壊丸が開発された。
元々瘴壊丸はベーゼ大戦の時にメルディエズ学園の前身組織であるメルディエズがベーゼの瘴気に無力化するために開発した薬で、メルディエズ学園に変わってからもベーゼと戦うための道具としてメルディエズ学園の生徒が持つようになった。瘴壊丸の作成方法はメルディエズ学園だけでなく、各国の教会や軍にも提供されており、これまで瘴気に侵された者を大勢救っている。
瘴気の毒素が消えたことで男子生徒たちは走ってカムネスとトムズの下へ向かう。しかし、小屋の上にいたペスートがそれを見逃すはずがなかった。
ペスートたちは男子生徒たちが走る姿を見ると再び背負っている籠に手を入れて球体を取り出し、今度はカムネスとトムズがいる方に向かって球体を投げる。それに気付いたカムネスは再びフウガを上段に構え、刀身に風を纏わせて勢いよくフウガを振り下ろし、再び烈風壊波を放った。
フウガから放たれた風はペスートたちが投げた球体を吹き飛ばし、広場の外まで吹き飛ばした。飛ばされた球体を見たペスートたちはカムネスたちの方を向くと屋根の上で地団駄を踏んで悔しがるような素振りを見せる。
カムネスが屋根の上のペスートたちを見ていると男子生徒たちが合流する。全力で走ったせいか男子生徒たちは少し息を切らせており、そんな生徒たちをカムネスはジッと見つめた。
「勝手な行動を取った結果がこれだ。単独行動を取れば仲間だけでなく、自分自身にも被害が出る。今回は助かったが、次も同じようになるとは限らない。それを忘れるな?」
「ハイ……」
「すみません、会長」
自分たちが身勝手な行動を取ったとようやく理解した男子生徒たちは俯いて反省の言葉を口にする。カムネスは表情を変えることなく黙って男子生徒たちを見ていた。
顔にこそ出してはいないが、過ちを理解してくれたのでカムネスは男子生徒たちを許している。そこへ離れた所にいたトムズも合流し、男子生徒たちに視線を向けた。
「まったく、お前らときたら」
「すみません、隊長」
「本来なら今すぐ説教するべきだが、今はベーゼを何とかするのが先だ。ひとまずお前らは部隊まで戻れ」
後退を命じられた男子生徒たちは無言で頷き、自分の部隊がいる出入口へ向かう。トムズは男子生徒たちが後退するのを見送ると杖を構え直した屋根の上にいるペスートたちを睨んだ。
本来ならトムズも待機を命じられているため、男子生徒たちと一緒に戻るべきだが、ベーゼに見つかってしまった以上、カムネスを一人にしておくことはできないので自分だけは残ることにした。同時に自分の部隊の生徒が迷惑をかけた落とし前をつけるためにカムネスと共にベーゼの対処に就くことにしたのだ。
トムズが構える横でカムネスもフウガを中段構えに持つ。カムネスはトムズの考えを悟ったのか、後退しないトムズを見ても何も言わずに構えていた。
「ペスートたちは必ずまた瘴気をまき散らしてくるはずだ。今の内に瘴壊丸を飲んでおけ」
「ああ、そうだな」
カムネスの指示を聞き、トムズは自分のポーチから瘴壊丸を取り出して一つを口に入れ、噛み砕いて呑み込んだ。これでトムズは瘴気を吸っても影響を受けずに戦うことができる。因みにカムネスはトムズが男子生徒たちを見送っている時に飲んだため、既に万全の状態となっていた。
トムズが瘴壊丸を飲んで万全の状態になった直後、広場の周りにある小屋の一つの壁が突然壊れ、カムネスとトムズ、広場の外で待機していたユーキたちは小屋に視線を向ける。すると、小屋の中から大きな何かがゆっくりと出てきた。
小屋から出てきたのは身長3mはある藍鼠色の肌と赤い目を持つ人型のモンスターでゴブリンに似た顔としている。だが、その肉体はゴブリンと比べ物にならないくらい強靭で腕と足は太く、茶色いボロボロの腰巻を付け、手には丸太で出来た棍棒を持っていた。
巨大な人型モンスターは口からヨダレを垂らしながら呻き声を上げるとゆっくりと歩き出し、カムネスとトムズの方へ向かう。カムネスとトムズは出てきたモンスターを見ると目を鋭くした。
「あれはオーガだな。だけど、普通のオーガと肌と目の色が違う。しかも少し凶暴そうに見えるぜ。……あれってまさか」
「ああ、ベーゼ化してるな」
カムネスが静かに呟くと、トムズはカムネスの方を向いて「やっぱり!」と言いたそうな顔をしてから再び歩いて来るオーガの方を向く。同時にトムズは心の中で面倒な敵だと思っていた。
通常のオーガは肌が桑茶色で目も青いのだが、小屋から出てきたオーガはベーゼの瘴気の侵されてベーゼ化したオーガで通常のオーガよりも力が強く凶暴化している。通常のオーガもそれなりに力は強いが、ベーゼ化したことでより強くなり、ベーゼオーガは蝕ベーゼでありながら中位ベーゼに匹敵する強さを得ていた。
カムネスとトムズがベーゼオーガを睨んでいると広場の周りにある小屋の内、更に七つの小屋の壁や玄関が壊れ、小屋の中から新たにベーゼオーガが現れる。他にも大勢のベーゼゴブリンなども現れて次々と広場に出てきた。
広場には五体のベーゼオーガとニ十体以上のベーゼゴブリンが現れ、カムネスとトムズに向かって近づいてくる。小屋の屋根の上では六体のペスートが広場を見ながら愉快そうにはしゃいでいた。
中位ベーゼに匹敵するベーゼオーガが五体もいることで広場にいる敵戦力は南門に配備されていた部隊よりも大きく手強い敵と言える。トムズは僅かに表情を歪ませ、カムネスは落ち着いた様子で視線を動かして敵の位置と数を確認した。
「会長、これはちーとマズイんじゃねぇか? この数じゃいくら上級生と俺とお前でも少し骨が折れる。広場の外で待機している連中を呼んだ方がいいと思うぞ?」
トムズは構えを崩さずにカムネスに救援を呼ぶことを提案する。カムネスはトムズに返事をせずに黙って敵の情報を集め続けている。
「敵がこれだけ出てきたんだ、落とし穴やそっち形の罠が仕掛けられてることはねぇよ。だから皆を呼んで全員で戦おうぜ?」
「……確かにそうだな。負けることは無いが、二人だけだと時間が掛かり過ぎてしまうだろう。短時間で転移門を封印するためにも、ロギュンたちを呼んだ方がいい」
「よし! 急いで合図を送る」
カムネスの許可が出るとトムズは杖を空に掲げ、杖の先から火球を空に向かって放つ。火球は数十mの高さまで上がる静かに消滅した。
広場の外で待機していたユーキたちは空に打ち上げられた火球を見て一斉に反応する。大量のベーゼが現れた直後に火球が空に向かって放たれたのを見て、ユーキは他の生徒たちはカムネスとトムズからの合図だとすぐに分かった。
「会長から合図が出た。広場に突入してベーゼとの戦闘を開始する。全員、戦闘態勢に入れ! あと敵の中には瘴気をまき散らすベーゼもいる。忘れずに瘴壊丸を飲んでおけ」
生徒会の生徒の指示を聞き、生徒たちは一斉に武器を構えたり瘴壊丸を飲んで準備に入る。既にユーキとミスチアは瘴壊丸を飲んで戦闘態勢に入っているため、ベーゼの種類と数を確認する。グラトンもユーキの後ろに座りながらベーゼたちを見つめていた。
「広場にいる敵の殆どが蝕ベーゼだな。しかもベーゼ化したオーガまでいるとは……」
「ベーゼオーガはベーゼゴブリンやインファとは比べ物にならないくらいの力を持っていやがりますわ。戦うのならフェグッターのような中位ベーゼと戦うつもりで挑まないとやられますわよ?」
ミスチアのアドバイスを聞いたユーキはミスチアの方を見ながら「成る程」と言うように軽く頷く。確かに周りのベーゼよりも体が大きく、力もある敵なら今まで戦ってきたベーゼと同じ感覚で挑むのは危険だ。
広場にいるベーゼを一通り確認したユーキは他の部隊の様子を窺う。アイカとロギュンの部隊でも生徒たちが武器の確認や瘴壊丸を飲んでる姿があり、アイカとロギュンも同じように戦いの準備を進めている。
トムズの部隊でもカムネスとトムズに助けられた男子生徒を始め、生徒たちが武器を構えたりしている。フィランは準備を済ませてなのか、コクヨを抜いた状態で待機していた。
ユーキが他の部隊の状態を確認しているとユーキの部隊の生徒たちの準備が整い、生徒会の男子生徒の一人が持っている剣を掲げた。
「これより、我々は会長たちと合流する。合流後は会長の指示に従って行動しろ。敵の中にはベーゼ化したオーガもいる。油断するなよ!?」
男子生徒の言葉を聞いて生徒たちは一斉に声を上げる。生徒たちの士気に問題は無いと感じた男子生徒は広場の方を向いて掲げていた剣の切っ先を遠くにいるベーゼたちに向けた。
「全員、出陣!」
力の入った声を出すのと同時に生徒たちは一斉に広場に突入する。ユーキとミスチア、グラトンもそれに続くように広場に入り、別部隊のアイカたちも一斉に広場に突入した。
各部隊が広場に突入を始めた頃、カムネスとトムズもベーゼたちと戦闘を開始していた。カムネスは前に出て迫ってくるベーゼゴブリンと戦い、トムズは後方から魔法で支援攻撃を行う。魔法は主に厄介な存在であるベーゼオーガやペスートに向けて放たれていた。
トムズの放つ火球をベーゼオーガの体や腕などに命中し、ベーゼオーガにダメージを与える。だが、ベーゼオーガは体力がある上に打たれ強く、火球を受けても殆ど怯まない。屋根の上にいるペスートも素早く姿勢を低くしたり、屋根の陰に隠れて火球をかわすため、なかなか倒せなかった。
「クソォ、鬱陶しい奴らだ。こりゃあ、火球みたいな弱い魔法じゃなく、デカい魔法をぶつけた方がいいかもしれねぇな」
杖を構えながらトムズはベーゼオーガやペスートを不満そうな顔で見つめる。ベーゼオーガやペスートが倒れれば残るは力の弱いベーゼゴブリンだけになるので、トムズとして少しでも早く倒しておきたいと思っていた。
トムズが魔法で攻撃している間、カムネスも近づいてきているベーゼゴブリンの群れと交戦していた。自分の前に集まっている三体のベーゼゴブリンを鋭い目で見つめながらカムネスはフウガを鞘に納める。それを見たベーゼゴブリンたちはカムネスが戦意を失ったと勘違いし、持っている短剣を振り上げながら一斉にカムネスに跳びかかった。
カムネスはベーゼゴブリンたちを見つめ、間合いに入った瞬間にフウガを抜いて素早く三体のベーゼゴブリンを斬る。ベーゼゴブリンたちを斬ると何事も無かったかのようにフウガを鞘に納めた。
その直後、カムネスの前にいた三体のベーゼゴブリンの体に大きな切傷が生まれ、傷口から血が噴き出る。ベーゼゴブリンたちは何が起きたのか理解する間もなく息絶え、黒い靄と化した。
目の前にいたベーゼゴブリンたちを倒したカムネスは構えを直し、再び抜刀できる体勢を取る。そんなカムネスの周りに新たにベーゼゴブリンたちが集まり、前と左右からカムネスを取り囲もうとした。だが、カムネスは動揺などせずに落ち着いて近くにいるベーゼゴブリンの数と位置を確認する。
「取り囲んだくらいで僕を仕留められると思っているのか?」
カムネスは低めの声で呟くと、左右から二体ずつベーゼゴブリンたちが石斧を手にカムネスに襲い掛かる。カムネスはベーゼゴブリンたちが跳びかかってくるとフウガの鯉口を切り、同時に右手の混沌紋を光らせて混沌術を発動させた。
「絶斬の陣」
呟いた瞬間、カムネスはフウガを抜いて右側から迫ってきた二体のベーゼゴブリンを素早く斬り、そのまま上半身だけを動かして左を向き、左側から襲って来たベーゼゴブリンたちを切り捨てる。
ベーゼゴブリンたちを斬ったカムネスは攻撃する前の体勢に戻り、再びフウガを納刀する。そして、左右からカムネスを襲おうとしたベーゼゴブリンたちも靄となって消滅した。
カムネスは左右からベーゼゴブリンたちが襲ってきた時、普通に攻撃しても片方のベーゼゴブリンたちを倒している間に反対側のベーゼゴブリンたちの攻撃を許してしまうかもしれないと感じ、ベーゼゴブリンたちに攻撃の隙を与える前に倒してしまおうと考えた。だが、普通の攻撃では間に合わないため、反応の能力を発動し、常人ではあり得ない速度で動いて四体のベーゼゴブリンを倒したのだ。
左右のベーゼゴブリンを倒したカムネスは前を向き、まだ動いていないベーゼゴブリンたちを睨む。ベーゼゴブリンたちはカムネスの強さに対して恐怖などを感じておらず、ヨダレを垂らしながらカムネスを威嚇する。
強い敵に対して恐怖を感じることのできないベーゼゴブリンたちをカムメスは無言で見つめながら哀れに思った。
「おおぉ、流石は会長だな。あの状況でベーゼ化したゴブリンどもを難なく倒しちまうとは」
後方からカムネスの戦いを見ていたトムズは笑いながら感心する。トムズもカムネスの強さや混沌術の能力を知っているため、大勢の敵に囲まれてもカムネスなら問題無く敵を倒せると思っていた。
「こりゃあ、俺も負けてられねぇな。派手に奴らをぶっ飛ばしてやるか」
そう言ってトムズはベーゼたちを見ながら杖を空に掲げる。すると、杖の先に赤い魔法陣が展開され、そこから八つの火球が出現した。火球が現れたのを確認したトムズはベーゼたちの中にいるベーゼオーガを見つめる。
「追跡する炎弾!」
トムズが叫ぶと八つの火球が一斉にベーゼたちに向かって放たれた。八つの火球はバラバラに飛んで行き、四つはベーゼオーガたち、残りの四つはペスートたちに向かって行く。
ベーゼオーガに放たれた火球は全て命中し、顔面や胴体に当たるとベーゼオーガたちを火だるまにする。炎に包まれて大ダメージを受けたベーゼオーガたちは鳴き声を上げながら崩れるように倒れ、黒い靄と化して消滅した。
屋根の上にいたペスートたちは火球を避けるために屋根から飛び降りたり、陰に隠れたりして火球を凌ごうとする。だが、火球は生き物のように動いて逃げたり隠れたりするペスートの背後や側面に回り込み、逃げすことなくペスートたちに命中した。
ペスートたちも全身を包み込む炎に苦痛の鳴き声を上げながら暴れ回り、最後には黒焦げとなって消滅する。トムズが放った八つの火球は全てベーゼたちに命中し、八体のベーゼを倒した光景にトムズは笑みを浮かべた。
「へっ、やっぱり中級魔法はスゲェぜ。苦労してい覚えた甲斐があったってもんだ」
自分の杖を見つめながらトムズは魔法の威力に感心し、優れた魔法が使えることを心の中で嬉しく思った。
トムズが使った追跡する炎弾はメルディエズ学園の生徒が習得できる魔法の中でもそれなりに強力なもので大勢の敵を一度に攻撃することができる魔法だ。しかし、習得が難しく学園でも習得できた生徒はトムズを含めても十数人しかいない。だが習得が難しい分、頼りになる魔法なので習得した生徒たちからは高く評価されている。
実は東門前の広場でトムズが使おうとしていた魔法が追尾する炎弾だったのだ。しかし攻撃力がある分、消費する魔力が多いため、何度も発動することはできない。ベーゼオーガのような強力な敵と遭遇した時に使うべきだと同行していた生徒たちは考え、広場でトムズが使おうとしていた時に必死に止めていたのだ。
五体いたベーゼオーガは残り一体となり、瘴気をまき散らすペスートも二体となった。面倒なベーゼが一気に消えたことで戦況はカムネスとトムズの有利に傾く。するとそこにユーキたちの部隊が合流し、気付いたカムネスはユーキたちの方を向いた。
「会長、ご無事ですか?」
「ああ、問題無い」
カムネスが無傷であることを確認した生徒会の生徒たちは安心の表情を浮かべる。近くにいたユーキは無傷のカムネスと数が減っているベーゼたちを目にして驚き、改めてカムネスとトムズがかなりの実力者だと感じた。
ユーキたちがカムネスと合流すると、遅れてロギュンの部隊も合流した。ロギュンの部隊の生徒たちはベーゼを警戒しながら自分が持つ武器を構えている。トムズの部隊も合流し、仲間と無事を確認し合う。フィランは仲間と触れ合ったりなどせず、コクヨを構えながらベーゼの動きを警戒していた。
合流したロギュンはカムネスの方を見ると小さく頷いて挨拶をし、カムネスもロギュンと同じように頷いて挨拶を返す。カムネスの反応を見たロギュンはナイフを構えてベーゼの動きを警戒した。
普通なら生徒会長の片腕である副会長が誰よりも生徒会長の安否を心配するものだが、ロギュンはカムネスを心配している様子は見せなかった。冷たいと思われそうな反応だが、ロギュンはカムネスは大丈夫だと信じていたため、カムメスの安否を確認することなくベーゼとの戦いに集中していたのだ。勿論、カムネスもロギュンの意思を知っているため、不満などを見せたりしなかった。
「ユーキ、大丈夫?」
ロギュンの近くにいたアイカはユーキに駆け寄って安否を確認する。ユーキが生徒の中で優れた実力を持っていることは知っているが、もしかしたら怪我をしているのではと不安に思っていたのだ。
「ああ、大丈夫だ。会長やグラトンも一緒だから大怪我なんかもせずに来れたよ」
「そう」
ユーキの返事を聞いて安心したのかアイカは微笑みを浮かべる。ユーキもアイカが怪我をしていないのを確認すると小さく笑いながらアイカの顔を見た。
大人しくユーキの隣に座っていたグラトンもアイカに気付くと立ち上がって顔をアイカに近づける。アイカはグラトンも怪我をせずにエブゲニ砦の中心に来れたのを見て「よし」と笑いながら小さく頷く。
「ですが、まだ安心はできませんわよ」
ユーキとアイカが安否の確認をしていると二人の間にミスチアが割り込み、突然話に参加してきたミスチアにユーキとアイカは驚く。
「まだ転移門が何処にあるのか分かりませんし、広場の奥に主館があると思われる別の広場があります。まだまだ多くのベーゼがいるはずですわ。油断してはいけませんわよ?」
「あ、ああ、勿論……」
困惑したような顔をしながらユーキは頷き、アイカもまばたきをしながらミスチアを見ている。グラトンはミスチアに興味が無いのか、大きく口を開けて欠伸をしていた。
ミスチアは返事をするユーキを見るとニコッと笑いながら姿勢を低くし、自分の顔をユーキの顔に隣に持ってきた。いきなり顔を近づけるミスチアにユーキは軽く目を見開いて驚く。
「でも、安心してください。私がいれば例えどんなベーゼが相手でもあっという間に片付けて差し上げますわ。ユーキ君は安心して戦ってくださっていいですわよ」
「き、君、さっき自分で油断しちゃダメだって言ってたのに、思いっきり油断してるような発言してないか?」
「あら、そうでしたわね。ごめんなさい」
ミスチアは笑いながら謝罪し、ユーキはそんなミスチアの反応を見て軽く溜め息を付く。アイカは相変わらず馴れ馴れしい態度を取るミスチアを見てジト目になっていた。
「それじゃあ改めて……油断せずに全力でベーゼどもを叩き潰しましょう」
姿勢を正したミスチアはウォーアックスを両手で握りながらニヤリと不敵な笑みを浮かべる。ユーキとアイカは先程までと様子が違うミスチアを見て意外そうな顔で彼女を見つめた。
ユーキたちが話していると、広場にいたベーゼたちが鳴き声を上げながら一斉に突撃して来る。数はユーキたちの方が上だが、敵の中にはベーゼオーガがいるため、数で勝っていても油断はできなかった。
生徒たちは自分の得物を構えて向かって来るベーゼたちを睨む。すると、カムネスがフウガの切っ先を向かってくるベーゼたちに向け、目を鋭くしながら口を開いた。
「これより、広場にいるベーゼを殲滅させる。分かっていると思うが一人で挑まず、仲間と固まって戦え!」
カムネスの号令を聞いて生徒たちは声を上げ、その直後に一斉にベーゼたちに向かって走り出す。その中にはフィランとロギュンの姿もあり、ユーキたちも周りの生徒たちに続いて突撃した。
全ての部隊が合流したことでユーキたちの戦力は一気に高まり、広場にいるベーゼと戦うことも、その後にエブゲニ砦の奥へ進軍することができるようになった。既に砦の中心に辿り着いているため、すぐに最深部に辿り着き、転移門を見つけることができると殆どの生徒が考えている。
「広場にいるベーゼを全て倒し、安全を確保したら奥へ進軍する。だが、砦の奥から新たに敵が出現する可能性もゼロではない。一瞬たりとも気を抜くな!」
ベーゼに向かって走っていく生徒たちにカムネスは大きな声で忠告し、カムネスの忠告を聞いた生徒たちは気持ちを強く引き締める。
忠告を終えたカムネスも他の生徒たちと共にベーゼに向かって走り出す。トムズと魔導士の生徒たちは後方から魔法を発動させ、前衛の生徒たちを援護する。
静かだった広場の中に生徒たちの声とベーゼたちの鳴き声が響く。
――――――
エブゲニ砦の最深部にある広場、そこには砦の司令官が使っていたと思われる主館の他に遠くを見張るための監視塔や礼拝堂、将校や上級の兵士が使っていた兵舎が建てられれていた。砦の中心にある広場と比べる狭いが、司令官の上級の兵士が使うだけの場所なら丁度いい広さと言える。
広場の一番奥にある主館の右側に建てれている礼拝堂。中は広いが窓ガラスやステンドグラスなどは割られており、中にある複数の机や椅子、柱などもボロボロになっている。嘗ては神に祈りを捧げる美しい場所だったかもしれないが、今はその面影はほとんど残っていなかった。
静寂に包まれた無人の礼拝殿の中にある一本の柱の近くに一つの人影がある。柱の影に隠れているため姿はハッキリと見えないが、赤茶色の二つ目と前後に伸びた形の頭部をしているため、人間ではないのは明らかだった。
「少しずつだが騒がしくなってきたな」
人影は赤茶色の目を光らせながら四十代ぐらいの男の声を出す。その口調から彼はベーゼで、砦に何が起きているのか理解しているようだ。
「報告を受けた時、最初はすぐに人間どもを八つ裂きにできると思っていたが、まさかここまでやるとはな。まぁ、相手がメルディエズ学園の生徒ならおかしくはないか」
柱の影に身を隠しながらベーゼは腕を組んで納得した様子を見せる。メルディエズ学園の生徒たちがエブゲニ砦に攻め込んで来ているにもかかわらず、ベーゼはとても落ち着いていた。
「しかし、ここまで酷い状態になるとは……まぁ、“あ奴”は力は強いが頭の方が劣っておるから仕方ないか。……このままでは此処の転移門も封印されてしまうな」
ベーゼはそう言って礼拝堂の一番奥を見る。奥には聖卓があり、その前には禍々しいオーラを纏わせる2mぐらいの濃紫色の穴が開いている。その穴こそ、この世界とベーゼの世界を繋ぐ転移門だった。
転移門からは隙間風のような音が微かに聞こえ、ベーゼの瘴気があふれ出ている。転移門からあふれ出る瘴気はとても濃く、何の対策もせずに近づけばあっという間に瘴気の毒素に侵されてしまうほど危険なものだった。
「この転移門には殆ど重要性は無いが、折角開いた転移門が簡単に塞がれるのも面白くない。どうするか……」
ベーゼは腕を組んだまま小さく俯いて考える。すると、何かを思いついたのかゆっくりと顔を上げて再び赤茶色の目を光らせた。
「……そうだ。この前、完成したばかりの実験体を使ってみるか。フフフフフ」
不気味な笑い声を出しながらベーゼは柱の影に溶け込むように消えた。




