第三十八話 悪魔が棲みつく砦
ユーキとカムネスの手合わせが終わった後、生徒たちは急いで自分たちの仕事に戻った。特に夕食作りを任されていた生徒たちは手合わせを見ていたことで時間が遅れてしまい、急いで調理に取り掛かる。
手合わせを見物せずに真面目に仕事を生徒たちは戻ってきた生徒たちに注意し、見物していた生徒たちも反省して仕事に取り掛かる。真面目に仕事をしていた生徒の中にはトムズもおり、仕事を怠けていた生徒たちを見ながら「やれやれ」と言いたそうに苦笑いを浮かべていた。
それからしばらくして夕食が完成し、広場の周囲を見張る生徒を除いてユーキたちは夕食を取る。一部の生徒がユーキとカムネスの手合わせを見ていたことで調理に時間が掛かってしまい、結果、予定していた時間よりもニ十分近くも遅れてしまった。
真面目に仕事をしていた生徒たちは若干不機嫌そうな顔をしながら夕食のスープやライ麦パンを口にしている。見張りには仕事を怠けていた生徒たちが就き、空腹に耐えながら周辺を見張っていた。
手合わせを見物していた生徒の中には夕食作りや見張りを任されていない生徒もおり、その生徒たちは普通に食事をしている。アイカとロギュンもその中に含まれており、手合わせをしていたユーキとカムネスも夕食を取っていた。
「……うん。このスープ、美味いな」
「そうね、いい味付け」
広場の中央付近ではユーキが地面に座りながらスープを飲んでおり、その右側にはアイカが同じように座ってスープを飲んでいる。二人は音を立てることなく静かに木製スプーンでスープを口へ運んだ。
ユーキの後ろではグラトンが座って夕食作りの時に出た余り物の野菜を食べている。夕食を作った生徒たちが余り物を捨てるのは勿体ないと考え、捨てるぐらいならグラトンの食事としようと考えたのだ。
残飯処理を任されているように見えるが、グラトンは不満などは見せずに余った野菜などを食べている。ユーキもグラトンの腹を満たすことができるため文句は言わなかった。
「さっきの勝負は惜しかったわね? もう少しで会長に勝てたのに」
先程の手合わせでユーキがカムネスを追い込んだことを思い出したアイカは食事の手を止めて呟く。アイカはユーキの腕ならもしかするとカムネスに勝てるかもしれないと思っていたため、ユーキが負けたことを少し残念に思っていた。
「でも、あそこまで会長と戦えたのだから、ユーキは会長と同じくらい強いってことが分かったわね」
「いや、会長の方がずっと強いよ」
ユーキはライ麦パンをかじりながら答え、アイカはユーキの答えを聞いて意外そうな顔をする。
「え? でも、ユーキは会長と互角に戦ってたし、最後の会長の攻撃もユーキは防いだじゃない?」
「あれは会長が抜刀術の技術を使わず、普通に刀を振って戦ってたからさ。最初から抜刀術を使って戦ってたらアッサリと負けてたかもしれない。最後の居合斬りも何とか防いだけど、その後の攻撃で俺は月下を弾かれ、会長に切っ先を向けられた。あれが手合わせじゃなくて実戦だったら俺は間違い無くやられてたよ」
口の中のライ麦パンを飲み込んだユーキは自分とカムネスの実力に差があることを伝え、話を聞いていたアイカは目を見開きながら驚く。
異世界の剣術とは言え、免許皆伝しているユーキがここまで言うのだからカムネスは自分が想像していたよりも強く優れた剣士なのだとアイカは感じ、改めてカムネスがメルディエズ学園でも最高の実力者なのだと理解した。
「それにさっきの手合わせでは俺も会長も混沌術を使わなかっただろう? もし混沌術を使っていたら俺は何もできずに完敗してたかもしれない」
「それはユーキが会長の混沌術がどんな能力か知らないからでしょう? どんな能力か知っていれば……」
「知っていたとしても、会長の抜刀術の腕を考えれば、今の俺じゃあ勝つのは無理だと思うよ」
混沌術の情報を得ていても勝てない。アイカはカムネスが優れた剣を使い、それを使いこなすだけの才能を持っているのだと知り、表情を鋭くしながら俯く。
「……そう言えばユーキは会長の使っている剣術がどんなものか知ってたの?」
アイカは顔を上げてカムネスの剣についてユーキに尋ねる。ユーキはスープを一口飲んだ後に小さく頷く。
「ああ、流派は知らないけど、抜刀術だってことは分かった。前の世界にも抜刀術が存在してたからな」
「どんな剣術なの?」
「正確には剣術じゃなくて武術だ。と言ってそれは前の世界の話で、こっちの世界でどう扱われてるかは分からないけどね」
異世界で剣術として扱われているのか分からないユーキは転生前の世界で抜刀術がどのように扱われているのか話し、アイカは真剣にユーキの話を聞く。彼女も剣士であるため、カムネスの使う剣がどんなものか興味があった。
アイカが自分の話に耳を傾けるのを見たユーキはとりあえず自分が知る抜刀術の情報を話すことにした。
「抜刀術は刀を鞘から抜き放つ動作で相手に攻撃したり、攻撃を受け流したりする。そして、その後の一撃で止めを刺す剣だ。勿論、普通に鞘から抜いて戦うこともできるが、鞘に納めた状態で戦うことが多いな」
「じゃあ、最後に会長が見せたフウガを鞘に納めた状態でユーキを迎え撃ったのも……」
「あれは居合斬りと言って敵が間合いに入った瞬間に刀を抜いて攻撃する技だ」
「どうしてわざわざ刀を鞘に納めたりするの? 抜いた状態の方が戦いやすいと思うけど……」
抜刀術のことをよく知らないアイカはどうして納刀するのか分からずに小首を傾げる。異世界では抜刀術は殆ど知られていないため、アイカの反応を見たユーキは理解できないのも無理は無いと感じていた。
「理由は色々あるが、主な理由は相手に間合いを知られないようにするためだな」
「間合いを?」
「間合いが分かれば敵の攻撃をかわしやすく、どこまで敵に近づけるかが分かるから戦いやすくなる。逆に敵に間合いを知られてしまうと攻撃がかわされやすくなり自分が不利になってしまう。居合斬りは刀を鞘に納めているから相手に間合いを知られることは無い。だから間合いが分からない敵は迂闊に近づくことができなくなるんだ」
「相手を近づかせないようにするってことね」
「ああ。そして、もし敵が近づいて来たら自分の間合いに入った瞬間に刀を抜き、そのまま敵を斬ることができる」
話を聞いているうちにアイカは居合斬りと抜刀術の凄さを少しずつ理解する。異世界では知る人が少ない剣が実はとんでもなく優れた剣だと知ってアイカは衝撃を受けた。
今までカムネスが何のために刀を鞘に納めているのか分からなかったが、ユーキの話を聞いてようやくその理由を知ることができ、アイカはこれまで以上に抜刀術が凄い剣だと感じるようになっていた。
「居合斬りは敵が間合いに入った瞬間にもの凄い速さで敵を斬るから素人では回避するのは難しいと言われている。俺の場合はそれなりに特訓をしてたからギリギリで防ぐことができたけどな」
「そう……因みに会長の居合斬りは速かったの?」
「ああ、速くて鋭かった。きっと会長はかなり厳しい特訓をしてたと思うよ」
カムネスは血の滲むような特訓をしていたはず、そう言うとユーキは残っているライ麦パンを口に入れる。アイカも目を軽く見開きながらスープを静かに口に運んだ。
――――――
広場の隅ではカムネスが丸太の上に座りながらスープを飲んでおり、その右隣ではロギュンが座って同じようにスープを飲んでいる。
カムネスとロギュンの近くでは生徒会のメンバーと思われる生徒が地面に座っており、ライ麦パンを食べながら話し合っている。内容はユーキとカムネスの手合わせに関する話で、カムネスの剣の速さやカムネスと激しい戦いを繰り広げたユーキについて話していた。
生徒たちの話にあまり興味が無いのかカムネスは黙ってスープを飲んでいる。一方でロギュンは食事の手を止め、喋りながら食事をする生徒たちを呆れたような顔で見ていた。
「まったく、あんな緊張の無い顔で食事をして。明日はベーゼの転移門を封印するのだからもう少し気を引き締めてもらわないと困るのに……」
「明日封印するからこそ、前日に気を抜いておくべきだと思っているんだろう。今から気を引き締めれば緊張してゆっくり休むことができなくなるかもしれない。食事の時ぐらいは好きにさせてやろう」
「それは、まあ……」
カムネスの言っていることにも一理あると感じたのか、ロギュンは複雑そうな顔をしながらスープを啜る。ロギュンは真面目な性格であるため、前日から気を引き締めるべきだと考えてしまうようだ。
お喋りをする生徒たちを見ながらロギュンは食事を続ける。そんな時、生徒たちがカムネスと勝負していたユーキのことを話し始め、それを聞いたロギュンは食事の手を止めて生徒たちの話に耳を傾けた。
生徒たちの話を聞いているロギュンはユーキのことで何かが気になることがあるのか表情を僅かに鋭くする。
「会長、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「何だ?」
「ユーキ君の実力についてですが、会長はどう思われましたか?」
ロギュンからユーキについて尋ねると、カムネスは食事の手を止めて持っているスプーンを見つめる。しばらく黙り込んだ後、カムネスは静かに口を開いた。
「……正直、彼の実力は僕が予想した以上だった。最初の攻撃はともかく、最後の居合斬りを防いだことには驚いたよ」
「確か殆どの対戦相手が会長のあの一撃を回避できず、斬られる直前に寸止めをされて負けを認めたのでしたよね?」
「ああ、フレードもギリギリで回避するのが精一杯だった。しかし、攻撃そのものを防がれたのは今回が初めてだった」
今まで回避されても防がれたことが無かった居合斬りを防いだユーキにカムネスは驚きを感じながら語り続け、話を聞いていたロギュンも居合斬りが初めて防がれたと聞いて目を見開いている。
「……あの攻撃を防いだのがそんなに凄いことなのですか?」
居合斬りを防いだことがどれほど凄いのか分からないロギュンが尋ねると、カムネスはロギュンを見ながら小さく頷く。
「回避するだけなら手や腕の動きに集中し、抜刀する直前に動けばいい。だが、防御は抜刀してから斬られるまでの僅かな時間に動かなければならないため、反応が遅れれば斬られる可能性が高い。ある意味で回避よりも防御の方が危険だ」
「ユーキ君はその危険で難しいことを成功させたというわけですか……」
ロギュンが驚く中、カムネスは再びスープを飲み始める。カムネスがここまで言うのだからユーキは予想以上の実力と技術を持った生徒だとロギュンは考える。
「居合斬りを防いだんだ。彼はかなりの動体視力と反応速度を持っているだろう」
「……私もユーキ君の実力は認めています。ですが、流石に会長に勝つほどの実力は持っていないと思っています」
目を閉じながらロギュンは語り、カムネスは視線だけを動かしてロギュンを見つめる。
ロギュンはこれまで大勢の優れた力と技術を持った生徒と出会い、戦う姿を目にしてきた。だが、どの生徒もカムネスには届かず、カムネスを超える実力を持った生徒は現れないだろうと心の中で思っていたのだ。
今回の手合わせでユーキが噂どおりの実力を持った剣士であることを認めたが、カムネスに勝つことはできなかったのでカムネスを超えるほどの生徒ではないと思っていた。
「噂のユーキ君も会長には勝てなかった。……やはり、メルディエズ学園には会長を超える力を持った生徒はいないようですね」
「いや、そうとは限らないぞ」
カムネスの言葉を聞いたロギュンは反応し、意外そうな顔でカムネスの方を見た。カムネスは器の中のスープを全て飲むとゆっくり立ち上がって座っているロギュンを見下ろす。
「僕らが気付いていないだけで、メルディエズ学園にはまだ大勢の優秀な生徒がいるはずだ。その中には成長途中の生徒もおり、少しずつ僕やお前に近づいているはずだ」
「勿論、私も会長と同じ気持ちです。ですが……」
「それにさっきのルナパレスとの手合わせも、お互いに混沌術を使わずに戦ったんだ。もし混沌術を使って戦っていたら僕も負けていたかもしれない」
「それでしたら会長も混沌術を使えるわけですし、負けることは……」
「確かに同じ条件なのだから負けるとは限らない。だが、勝てると断言もできない。戦場ではありとあらゆる可能性が存在する。常に様々な可能性を予想しなくてはならない」
あり得る可能性や勝敗の確率などをカムネスは静かに語る。ロギュンはカムネスの言っていることが正しいと感じているのか、反論などせずに黙って聞いていた。
どんな状況、どんな敵が相手でも油断などせず、自分と相手の実力を測り間違えないように戦うのが常識。カムネスからそれを聞かされていたロギュンは自分がその常識を忘れかけていたと気付かされ、心の中で反省した。
「ルナパレスは子供だが、僕らの知らない未知の剣術を使い、優れた身体能力と感覚を持っている。少なくとも、彼にはいつか僕を上回るだけの才能があるかもしれないと思っている。それらを考え、改めて彼の実力を確かめた方がいいと思うぞ?」
「……ハイ」
今後もユーキの実力がどれほどなのか調べるべきと感じたロギュンは小さく頷く。それを見たロギュンはスープの器を片付けるために移動した。
ロギュンはカムネスの背中を黙って見つめ、周りで二人の話を聞いていた他の生徒たちもカムネスを見つめていた。
夕食が終わると生徒たちは明日のエブゲニ砦攻略の流れを簡単に確認し、全ての作業が終わると眠りについた。夜襲に備えて三つの部隊が交代で見張りをし、明日の戦いに備えて体を休める。
依頼に参加している生徒は全員平等に扱われているため、女子生徒や幼いユーキやフィランの見張り時間が普通の男子生徒よりも短いということは無かった。
――――――
日付が変わり、移動時間が訪れるとユーキたちは準備を整え、荷馬車に乗り込むとエブゲニ砦へ向かう。周囲はまだ暗く、生徒たちは松明を持って移動する。ただ、暗いからと言って多くの松明を持つとベーゼに気付かれる可能性があったため、松明の数も最低限にしていた。
眠りについてから出発するまでの間、盗賊やモンスターの襲撃を受けることは無く、生徒たちは無駄な体力を使うことは無かった。
だが、それでも見張りをするために何度も目を覚ましたため、生徒の中にはまだ眠りたいと思ってる者もいる。しかし、これからエブゲニ砦を攻略しなくてはならないため、眠気を押し殺して気持ちを切り替えた。
盗賊やモンスターの襲撃は無かったとはいえ、テントや食料を広場に残していくわけにはいかず、ユーキたちは荷物を全て持ってエブゲニ砦に向かう。荷物と一緒に数人の見張りを広場に残すという手もあるが、戦力を削ることができないため、近づけるギリギリの所まで持って行くことにした。
出発してからしばらく経ち、ユーキたちはエブゲニ砦から南に数百m離れた所にある三又の分かれ道の前にやって来て足を止める。既に空も薄っすらと明るくなりかかっており、ユーキたちは松明を消してあらかじめ決めておいた三つの部隊に分かれた。
三つに分かれるとユーキたちは自分たちが担当するエブゲニ砦の入口へ向かうために三つの道をそれぞれ進む。
カムネスの部隊は真ん中の道を進み、ロギュンの部隊は左の道、トムズの部隊は右の道を選んで移動し、自分たちが担当する入口へ向かう。そして、攻撃する入口の近くまで移動すると各部隊は作戦開始の時間である日の出を待った。
「……護りは予想以上に堅そうですね」
「三つのルートの中で最も敵の数が多いからな。当然入口の護りも厳重にしているんだろう」
エブゲニ砦の南にある入口の正門から300mほど離れた所にある林の入口前でユーキとカムネスが望遠鏡を覗いて南門の様子を窺っている。二人の周りには生徒会の生徒たちもおり、二人と同じように望遠鏡で南門を確認していた。
南門の前や門の上にある見張り台、城壁の上の通路にはインファやモイルダーのような下位ベーゼが大勢おり、エブゲニ砦の南側を護っている。空中には飛行ベーゼであるルフリフたちの姿もあり、地上と空中のベーゼを合わせて三十体以上いた。
エブゲニ砦には三つの入口があり、砦の東、南、西に一つずつ門がある。北には岩山があるため入口は無く、ベーゼたちはその三つの門の護りを固めていた。
「入口を護っているのは下位ベーゼだけだが数が多い。門を突破するには少し時間が掛かるかもしれませんね」
望遠鏡を下ろしたユーキが隣にいるカムネスを見ながら声を掛けると、カムネスも望遠鏡を下ろしてエブゲニ砦を見つめる。
「確かに普通に攻撃したら時間が掛かるかもしれない。だが、こちらには混沌士である君やチア―フル、そしてグラトンがいる。突破するのにそれほど時間は掛からないだろう」
ハッキリとは言わないが自分やグラトンに期待していると語るカムネスを見てユーキは小さく笑みを浮かべる。カムネスの期待に応えるためにもユーキは全力で戦おうと考えた。
「しかし、だからと言ってのんびり戦うこともできない。砦の中にもまだ多くのベーゼがおり、その中には中位ベーゼもいるはずだ。門の突破に時間を掛けていては中位ベーゼがやって来てより突破が困難になる。そうなる前に護りのベーゼを倒して砦に突入する」
戦況が悪くなる前にエブゲニ砦に突入し、南門を制圧するべきと語るカムネスを見てユーキや周りの生徒たちは「それがいい」というような表情を浮かべる。
だが、ベーゼの数はユーキたちよりも多く、夜が明けた直後の奇襲でも不利だと思われるような状況だ。普通なら攻略は不可能と諦めるところだが、ユーキたちの場合は普通とは少し違う。
「僕らの部隊だけでは突破するのに時間が掛かるかもしれないが、僕ら以外にもロギュンとトムズの部隊がおり、彼らもほぼ同時に西門と東門に奇襲を仕掛ける。そうなればベーゼたちは三つの入口からの同時攻撃で混乱し、より突入しやすくなるはずだ」
「そして、砦に突入したらベーゼを倒しながら進軍して砦の転移門を封印するんですね?」
「そうだ。……ルナパレス、あれはちゃんと持っているか?」
カムネスがユーキを見ながら確認すると、ユーキは上着のポケットの中に手を入れて何かを取り出す。それは5cmほどの薄っすらと輝く白いひし形の石のような物だった。
ユーキの手の中の石のような物を見たカムネスは真剣な顔をしながら小さく頷いた。
「うん、持ってるな。その封鎖石は配った時にも言ったが人数分しかない。無くしたりしないようにしろ?」
「ええ、分かってます」
ユーキは返事をすると封鎖石と呼ばれる石を握る。
封鎖石はベーゼの転移門を封印するためのマジックアイテムでメルディエズ学園の教師であるスローネが開発した物だ。一見ただの白い石にしか見えないが、開いているベーゼの転移門に投げ込むと短時間で転移門を封印ことができる。ベーゼの転移門を封印するだけあって封鎖石を開発するための費用と時間はかなりかかるらしい。
スローネが封鎖石を開発すると、大陸に存在する各国の軍や冒険者ギルドもベーゼの転移門を封印できるようメルディエズ学園は開発に必要な情報を無償で提供しようとしたのだが、軍の責任者たちは転移門の封印は専門家であるメルディエズ学園に任せると言って情報の受け取りを拒否した。
冒険者ギルドもベーゼの転移門の封印はメルディエズ学園の仕事だと主張し、更に不仲な学園から技術を提供されることが許せないらしく断った。結果、各国の軍と冒険者ギルドにベーゼの転移門の封印を押し付けられる形となり、メルディエズ学園だけが転移門の封印をすることになってしまったのだ。
普通ならベーゼの転移門の封印を押し付けられたメルディエズ学園には不満を口にする権利があるが、学園側は文句は不満などは一切口にせずに封印を引き受け、その態度に各国の王族や貴族は心を打たれてメルディエズ学園を強く信頼するようになった。
「よし、一度戻って他の生徒たちに砦の状況を伝えよう」
カムネスは自分の部隊と合流するために林の中へ入っていき、ユーキと他の生徒たちもそれに続いて林に入っていく。
しばらく林の中を進んでいくとユーキたちは小さな広場に辿り着く。そこにはカムネスの部隊の生徒たちの姿があった。
生徒たちは自分の武器や支給されたポーションのチェックをしたり、乗ってきた荷馬車に木の枝や草を被せて隠したりしている。そして、その中でグラトンは座りながら自分の腹を掻いており、隣ではミスチアが自分の武器と思われるウォーアックスのチェックをしていた。
カムネスたちが戻ったことに気付いた生徒たちは作業をしている手を止めてカムネスに注目する。カムネスは生徒たちが自分を見ていることを確認すると静かに口を開いた。
「皆、よく聞いてくれ。敵の数はこちらが予想していたよりも多く、護りも堅い。普通に戦っては南門を突破するのに時間が掛かってしまうだろう」
自分たちが攻撃を仕掛ける南門の状況を聞かされて生徒たちは小声でざわつき出す。自分たちの戦力は僅か十二人とグラトン一匹なのにベーゼたちの戦力は未知数なのだから不安を感じてざわつくのも無理は無かった。
ユーキは生徒たちがざわつくことを予想していたのか、生徒たちを見ながら少し困ったような顔をする。するとカムネスが再び口を開いた。
「だが、今回の作戦は僕らだけで戦っているわけではない。ロギュンとトムズの部隊も西門と東門から同時に攻撃を仕掛ける。三つの部隊で同時に奇襲を仕掛ければベーゼたちも混乱して隙ができるはずだ。その隙を突けば短時間で門を突破して砦に突入できる」
カムネスが作戦を説明し、生徒たちはそれを冷静に聞いている。先程までざわついていたのに今では嘘のように静かになっていた。
「何よりも、君たちはメルディエズ学園の優秀な生徒でベーゼとの戦闘経験もある。今更ベーゼに恐れるような存在ではないはずだ。自分の力に自信を持て」
生徒たちを見回しながらカムネスは鼓舞し、それを聞いた生徒たちは気合いの入った表情を浮かべていく。その中でミスチアはウォーアックスを肩に担ぎながらニッと笑っていた。ただ、その笑みがカムネスの鼓舞によりものかどうかは分からない。
「それともう一つ、言っておきたいことがある。……ベーゼを恐れる必要は無い。だが、死ぬことは恐れろ。死を恐れないというのは何の自慢にも強さにもならない。死を恐れなくなったらそれはもう人間ではない。理性の無い獣やベーゼと同じだ」
突然意味深なことを言い出したカムネスに生徒たちは軽く目を見開く。ユーキも同じように目を見開いてカムネスに視線を向けた。
「戦場に出た者にとって最も重要なのは生き延びることだ。危険な場所での単独行動、功績を求めての特攻など、自らを危険にさらすような行動はするな。生きて学園に帰ることを忘れずに戦うんだ」
カムネスが遠回しに生き残れと生徒たちに告げると、それを理解した生徒たちは更に士気が高まり、笑みを浮かべながら自分の武器を強く握る。流石にベーゼたちに気付かれる可能性があったため、大きな声を出すことはできなかった。
ユーキは優れた戦闘能力だけでなく生徒たちを導く強いカリスマ性を持っているカムネスを見て、流石は生徒たちの見本となる生徒会長だと感心する。それと同時に彼が部隊の指揮を執ればどんな逆境も乗り越えられるのではと感じた。
「では早速出撃する。まだ周囲は暗いが音や声は良く響く上にもうすぐ夜が明けだ。ベーゼたちに気付かれぬよう慎重に砦に近づくぞ」
最後に静かに移動するよう忠告をし、カムネスはエブゲニ砦がある方へ歩き出す。生徒会の生徒たちもそれに続き、他の生徒たちも静かに移動し始めた。
ミスチアもウォーアックスを担いだまま移動し、ユーキもグラトンと合流してから林の出口に向かって歩き出した。
――――――
暗い中を移動し、ユーキたちはエブゲニ砦の南門の近くまでやって来る。大きめの茂みや岩の陰に隠れながら、離れた所にいるべーぜたちの様子を窺った。
南門の近くや見張り台、城壁の上には篝火が立っており、薄っすらとだがべーぜたちの姿が確認できる。下位ベーゼたちも周りを明るくしようと考えるくらいの知能はあるようだ。
南門の前には十体のインファが剣を握りながら隊列を組んで立っており、南門の両側の城壁にはモイルダーが五体ずつ鉤爪を城壁の隙間に引っ掛け、壁に張り付く昆虫のように待機している。
見張り台と城壁の上でも弓矢を持つインファとモイルダーが数体配備されており、南門の上空では大量のルフリフが飛び回っている。普通の人間なら絶対に近づこうとは考えないくらいの警戒だった。
「……敵はまだこちらには気付いていないようだ」
「どうしますか、会長?」
岩の陰から様子を窺うカムネスに生徒会の生徒が尋ねる。近くにある別の大きめの岩の陰にはユーキとグラトン、数人の生徒が隠れており、茂みの中にはミスチアと残りの生徒たちが姿勢を低くして身を隠していた。
ベーゼたちはユーキたちに気付いてはいないが、殆どのベーゼがユーキたちがいる方角を向いている。下手に近づけばすぐに気付かれる可能性があった。カムネスは南門の前や城壁の上を見ながらどう攻めるか考え、ユーキたちはカムネスが答えを出すのを待つ。
しばらくすると、カムネスは周りにいる生徒たちを見ながら静かに口を開いた。
「まず、魔導士の生徒たちが魔法で見張り台や城壁の上にいるベーゼたちに攻撃を仕掛ける。ベーゼたちが混乱したら戦士である僕らが突撃し、門の前にいるベーゼたちを排除。他のベーゼを倒しながら砦内の突入して南門を制圧する」
カムネスの説明を周りにいる生徒たちは黙って聞きながら目を鋭くする。砦の奥にいるベーゼたちに勘付かれる前に南門を突破しなくてはと、生徒たちは自分の言い聞かせながら気合いを入れた。
「砦内に突入した後はベーゼと戦いながら進軍してベーゼの転移門を探す。そして転移門を発見したら封鎖石を使って転移門を封印する。いいな?」
『ハイ』
生徒会の生徒たちは声を揃えて返事をし、他の生徒たちも、もしかすると自分がベーゼの転移門を封印するかもしれないため、自分が持っている封鎖石をしっかり確認する。
突入後の流れを簡単に説明したカムメスは生徒たちを見ながら自分の左手を見せる。カムネスの左手首には赤い宝玉が付いた白い腕輪が付いていた。
「もしも別の部隊が先にベーゼの転移門を発見した場合は発見した部隊の隊長がこの伝言の腕輪を使って他の部隊長に連絡を入れることになっている。その時に転移門を発見した部隊から救援や代わりに封印してほしいと要請があった場合は要請を受けた部隊が動くことになっている。忘れないようにしろ?」
カムネスを話を聞いたユーキたちは別部隊から救援が来ることも計算しながら戦った方がいいと考えて目を鋭くする。ミスチアは別部隊よりも先に自分たちが転移門を見つけて封印してやろうと思っているのか、他の部隊を小馬鹿にするような笑みを浮かべていた。
伝言の腕輪は遠くにいる者と会話ができるマジックアイテム。特殊な魔法石を腕輪に埋め込み、そこに魔力を送り込んで同じ腕輪を装備する者と会話することができる。
ユーキが転生前に住んでいた世界と違って異世界には電話のような遠くにいる者と話す手段が無いため、伝言の腕輪はメルディエズ学園だけでなく、軍や冒険者たちの間でもかなり優れたマジックアイテムだと評価されている。ただし、そんな優れたマジックアイテムにも落ち度はあった。
遠くにいる者と会話ができるほど優れたマジックアイテムであるため、生産には膨大な費用と時間が掛かってしまう。そのため、大陸でも伝言の腕輪は貴重なマジックアイテムとされ、所持している者は冒険者は勿論、軍でもとても少ない。メルディエズ学園でも数えるくらいしか所持していなかった。
更に同じ伝言の腕輪を持つ者同士でしか会話ができず、会話できる範囲も500m以内となっているため、距離があり過ぎる会話ができない。メルディエズ学園が使っている伝言の腕輪も500m以内でないと使えない物だ。スローネもより優れた腕輪を開発しようとしているが、未だに開発できずにいる。
今回のベーゼの転移門を封印する依頼では各部隊の指揮を執るカムネス、ロギュン、トムズの三人に伝言の腕輪が渡され、各部隊と連絡を取り合うようになっている。ただ、効果範囲が狭いため、腕輪を持つ者たちが砦の中に入ることで連絡を取り合うことが可能になるのだ。
「日の出が来たらすぐに作戦を開始する。それまでは周囲を警戒しながら待機だ」
作戦開始までまだ時間があるため、生徒たちは気持ちを落ち着かせるために深呼吸をしたり、小声で仲間同士で会話をする。勿論、自分たちの周りにベーゼなどがいないか注意しながら作戦開始時間を待った。
ユーキも軽く深呼吸をしながら腰の月下と月影やポーチの中のポーションなどを確認する。その隣ではグラトンが岩の陰から顔を僅かに出してエブゲニ砦を覗こうとしていた。
「おい、顔を出すと気付かれるから、作戦開始までは大人しくしてろよ?」
顔を出しているグラトンにユーキは小声で注意をすると、グラトンはユーキを見ながら顔を引っ込め、大きく口を開けて欠伸をする。
周りの生徒たちは緊張感の無いグラトンをジト目で見つめる。カムネスは目を閉じて興味の無さそうな顔をしており、ミスチアはクスクスと小さく笑いながらグラトンを見ていた。
周囲の視線が痛いのか、ユーキは小さく俯きながら居心地の悪そうな顔をする。グラトンはそんなユーキのことを気にもせずに自分の出腹をボリボリと掻いていた。
そんなことをしていると、西の方にある山の陰から太陽が僅かに顔を出す。日の出が来たことに気付いたユーキたちは一斉に反応して表情を鋭くする。カムネスも目を開けてユーキたちの方を見た。
「時間だ……作戦開始」
カムネスが僅かに力の入った声を出すとユーキたちは一斉に南門に向かって動き出す。




