第二百五十九話 大帝の策略
アイカはベギアーデから逃れようと腕に力を入れる。だがベギアーデの力は予想以上に強く、掴んでいる手を振り解くことはできない。プラジュとスピキュで攻撃しようとも考えたが、両手首を掴まれている状態では愛剣を振ることすらできなかった。
ベギアーデは暴れるアイカを逃がすまいとアイカの手首を握る手に力を入れる。手首を強く握られたアイカは痛みで僅かに表情を歪ませた。
「ベギアーデ、お前も此処に来てたのか」
ユーキは月下と月影を構えながらアイカを拘束するベギアーデを睨み、同時に先に現れたアトニイも警戒する。
ベーゼ大帝と最上位ベーゼが同時に現れたこととその二体に挟まれると言う現状にユーキは危機感を感じていた。パーシュたちも予想していたよりも早く厄介な相手が出てきたため、緊迫した表情を浮かべながら武器を構える。
しかもアイカがベギアーデに捕まっているため、ユーキたちは非常に不利な状況に立たされていた。
「お前まで出てきたってことは、フェヴァイングと一緒に俺たちを此処で倒すつまりか」
「フハハハ、勘違いするな。私は戦うために此処に来たのではない」
「何?」
予想外の返事にユーキは思わず聞き返し、アイカやパーシュたちもベギアーデが戦闘とは別の目的で現れたと知って意外に思う。
ベギアーデは小馬鹿にするような笑みを浮かべながらユーキを見ると遠くにいるアトニイの方を向いた。
「では大帝陛下、私はこれで……」
「うむ、あまり時間を掛けるな? 外にはまだ人間どもが山ほどいるのだからな」
「御意」
ベギアーデは掴んでいるアイカの腕を引っ張りながら後ろに下がる。
アイカは腕の痛みに表情を歪めながら体を動かして抵抗するがベギアーデはアイカを逃がさないよう彼女の手首を掴む手に力を入れた。
「クウゥ! 放しなさい!」
「やかましい虫けらだ。少し黙っておれ」
ベギアーデは両手に紫色の電気を纏わせると掴んでいる手首からアイカの体に送り込んだ。
電気が流れたことでアイカの体に一瞬痛みが走り、その痛みにアイカは声を漏らしてそのまま意識を失った。
気絶したことでアイカの手から力が抜け、持っていたプラジュとスピキュは足下に落ちた。
「アイカァ!」
両腕を掴まれたまま首を前に倒すアイカを見てユーキは思わず叫ぶ。
ベギアーデは取り乱すユーキを見ると再び不敵な笑みを浮かべた。
「ユーキよ、この小娘は私が預かる。返してほしくば魔導研究施設に一人で来い」
「何?」
「もしも仲間を同行させたり来ることを拒めば、小娘は私の研究材料として利用させてもらう。リスティーヒの瘴気に耐え、半分ベーゼ化しても自我を保てる素体だ。利用すれば素晴らしい蝕ベーゼが造れるだろうからなぁ」
ユーキはアイカを改造しようと考えるベギアーデを険しい顔で睨みつける。今すぐでも切り捨ててやりたいと思っているがアイカが捕まっている状態では下手に動けない。ユーキは怒りを抑えながら必死に冷静さを保った。
「ベギアーデ、お前の狙いは何なんだ?」
「フフフ、お前をこの手で叩きのめしてやりたいだけだ。他の虫けらがいてはお前をじっくりと痛めつけることができないからなぁ。因みに始末した後はこの小娘と一緒に大帝陛下に忠実な蝕ベーゼに作り変えてやる。有難く思え?」
「ふざけるな、お前の思いどおりにさせるか!」
「なら研究施設に来るのだな。私は待つのが嫌いだ、あまり遅いと来る前に小娘を解剖してしまうかもしれんぞ? ハハハハハッ!」
挑発するベギアーデは足下に紫の魔法陣を展開させ、アイカと共にその場から消える。
アイカとベギアーデが立っていた場所にはアイカが落としたプラジュとスピキュだけが残っていた。
「クソォッ!」
ベギアーデに逃げられたこと、アイカを助けられなかったことに悔しさと情けなさを感じながらユーキは声を上げる。
パーシュやフレードも何もできずにアイカが連れ去られたことを悔しく思いながら表情を険しくしており、他の四人は落ち着いた様子で表情を鋭くしていた。
俯くユーキは胸に顔を上げると広場の北東を見る。300mほど先には街道に入るための入口があり、その街道を通ればベギアーデが待つ魔導研究施設へ行くことができる。
ユーキたちの目的は軍の駐屯所と魔導研究施設の情報を集めることなので、ベギアーデの逃げた先が魔導研究施設だったのはある意味で都合がいい。ユーキはアイカを助けるため、そして魔導研究施設にある情報を手に入れるために急いで魔導研究施設へ向かおうと思っていた。
「皆さん……俺、アイカを助けに行ってきます」
「本気か? どう考えても罠だぞ」
「分かっています。だけど、アイカをこのまま放っておくなんて俺にはできません!」
カムネスは真剣な顔で自分の方を向くユーキを無言で見つめた。
ユーキにとってアイカがとても大切な存在であることは知っているため、カムネスもユーキを行かせてやりたいと思っていた。だが今ユーキたちがいるのはベーゼたちの本拠点であるゾルノヴェラ。敵地の中で上位ベーゼが待ち伏せしていると分かっている場所に行くのはあまりにも危険すぎる。
罠だと分かっている場所にユーキを一人で行かせるのは得策ではないとカムネスは思っている。しかし誰かが同行したりユーキが行かなかったりすればアイカは蝕ベーゼに改造されてしまうので無視することもできない。
現状でアイカを助ける唯一の方法はベギアーデの誘いに乗り、ユーキを一人で行かせる以外になかった。
カムネスは残っているアトニイを警戒しなが俯き、しばらくすると顔を上げて口を開いた。
「……分かった。行け」
ユーキを一人で行かせることにしたカムネスを見てパーシュとフレードは小さく笑う。二人もアイカを助けるためにはベギアーデの言うとおりにするしかないと思っていたため、ユーキが一人で助けに行くと言っても反対せず、誰かが反対すればその人物を説得しようとも考えていた。
フィランは無表情のままカムネスを見つめている。だがよく見ると口元はほんの僅かに緩んでおり、小さく笑っているようにも見えた。
どうやらフィランもアイカの救出をユーキに任せることに賛成しているようだ。
ミスチアは若干不服そうな顔をしているが反対したりせずに黙ってユーキを見ている。
自分が気に入っているユーキが危険な場所へ一人で行くことには抵抗はあるが、ユーキの大切な人を助けたいという意思を否定することはできないため、小さな不安と不満を残しながらもミスチアはユーキに任せようと思ったのだ。
「ペーヌさん、僕らはルナパレスにサンロードの救助を任せようと思っています。貴女はどう思われますか?」
ペーヌの考えを聞こうとカムネスは声を掛け、パーシュたちも五聖英雄の意見を聞きたいと思っておりペーヌに注目する。
全員が見つめる中、ペーヌはカムネスたちの方を向き、呆れたような顔で彼らを見つめた
「どうされますかって、そんなの賛成に決まってるじゃない」
「へぇ~、てっきりユーキを一人で行かせることに反対すると思ったんだけどねぇ」
パーシュはペーヌの答えを聞いて意外そうな顔をした。するとパーシュの言葉を聞いたペーヌは呆れ顔のままパーシュの方を向く。
「ユーキは私の特訓を受けて格段に強くなってる。例えベギアーデがどんな罠を張っていようと問題無く対処できるわ。それに……」
呆れた顔をしていたペーヌはゆっくりユーキの方を向き、真剣な表情を浮かべる。
「自分の愛する人すら救えない人間には世界は救えない」
ペーヌと目が合ったユーキは軽く目を見開く。今のペーヌの言葉は自分に向けられたものだと感じ、同時に「絶対にアイカを救え」と目で伝えているように思えた。
驚いたような顔をするユーキを見つめるペーヌは必ずアイカを助けてほしいと思っていた。
三十年前の戦いでペーヌは恋人だった五聖英雄のリーダーを失い、大きな悲しみを体験している。自分と同じ体験をユーキにさせてはいけない、そう思っているペーヌは誰よりもユーキを魔導研究施設へ行かせたいと考えていたのだ。
「ユーキ、フェヴァイングの相手は私たちがするわ。貴方は何があってもアイカを助けなさい。いいわね?」
「……ハイ!」
ペーヌの許可を得たユーキは落ちているプラジュとスピキュを拾うと北東にある街道の入口に向かって走り出す。
その後は振り返ったりせず、強化で自身の脚力を強化しながら全速力で走ってベギアーデが待つ魔導研究施設へ向かった。
ユーキが走り去るのを確認したパーシュたちは自分たちのやるべきことをやるためにアトニイの方を向いた。
アトニイは律義にもパーシュたちが話し合っている最中に攻撃したりせず、腕を組みながら話が終わるのを待っていた。
「ようやく話が終わったか。待ちくたびれたぞ」
「待つのが嫌だったら話している時に攻撃してくればよかったじゃない」
「フッ、そんな姑息な手を使わなくても私はお前たちを捻り潰せる。それに私はそこまで空気の読めない男ではない」
「よく言うわね。空気の読めない奴が平和に暮らす人々の生活を壊してその世界を支配しようとは考えないと思うけど。……まぁ、攻撃しせずに大人しく待っていたのは褒めてあげるわ」
ペーヌはアトニイを睨みながらまた挑発するような言葉を口にし、パーシュたちもアトニイを見つめながら警戒心を強くする。
ベギアーデがいなくなったことで警戒するべき対象がアトニイだけとなったが、目の前にいるのはベーゼたちの大帝であるため、一瞬たりとも気を抜くことができない。
「それにしても、まさかここまで上手くいくとは思わなかったぞ」
「何ですって?」
アトニイの意味深な言葉にペーヌは訊き返し、パーシュたちも反応する。
ユーキとアイカ、ベギアーデがいなくなった直後に発言したことから、アトニイの言葉にはユーキたちが関係していると全員が考えていた。
だが、アトニイが何を言いたいは分からず、パーシュたちはアトニイを見つめながら考える。するとカムネスが何かに気付いたような反応を見せた。
「まさか、ベギアーデがサンロードを連れ去ったのも、ルナパレスに一人で来るよう要求したのもそっちの計画の内だったのか」
「おおぉ、流石は生徒会長。もう気付いたか」
カムネスを見るアトニイは軽く目を見開いて意外そうな口調で語る。しかしアトニイは焦りなどは一切見せず、寧ろカムネスが自分の狙いに気付いたことを楽しんでいるように見えた。
「カムネス、どういうことだい?」
理解できないパーシュがカムネスに詳しい説明を求め、ペーヌたちもカムネスを見つめて説明するのを待つ。
周りが注目する中、カムネスは鋭い目でアトニイを見つめながら口を動かす。
「恐らく、奴らは最初から僕らとルナパレスたちを分断させることが目的だったのだろう。理由は分からないが、奴にとってルナパレスとサンロードがこの場にいるのは都合が悪かった。だからベギアーデにサンロードを攫わせ、ルナパレスに助けに来るよう挑発したんだ」
カムネスが自分の推測を語るとフィランとペーヌ以外の全員が驚いたような顔をする。
「分断って、何のためにそんなことをしやがったんですの?」
「……それは本人に訊くのが一番手っ取り早いだろう」
ミスチアの問いに答える代わりにカムネスは作戦を練ったアトニイを見つめ、ミスチアやパーシュたちもアトニイに注目する。
「本当に勘の鋭い男だ。人間でお前ほど頭の切れる奴は久しぶりに見たぞ」
アトニイはカムネスを見ながら小さく笑って拍手をする。完全でないとは言え自分の作戦に気付いたカムネスをそれなりに評価しており、気付いた褒美として教えてやろうと思っていた。
「確かに先程の状況でユーキ・ルナパレスとアイカ・サンロードが此処にいるのは私にとって少々都合が悪いことだった。だからあの二人をお前たちから引き離すようベギアーデに指示したのだ」
「何のためにそんなことをさせたの?」
ペーヌが問いかけるとアトニイは小さく鼻で笑いながらチラッとペーヌを見る。
「先程の言ったとおり、私は自分の力を試すために此処に来た。三十年前と比べて今の自分だどれ程の力を得たのか、直接戦った確かめる必要があったのだ」
「アンタが力を試しに来たって言うのは聞いたわ。それで何でユーキとアイカを引き離す必要があるのよ?」
「その理由はコイツにある」
そう言ってアトニイは右手を前に出し、手の甲に刻まれている混沌紋を見せた。
「こ、混沌紋!?」
「何でベーゼの親玉の手に混沌紋を入ってんだよ!」
驚くべきものを目にしたパーシュとフレードは驚愕する。手の甲に混沌紋が刻まれていると言うことは混沌術を開花させた証拠であるため、驚くのは当然だった。
普段冷静なカムネスとフィランも流石にこれには驚きの反応を見せており、ペーヌとミスチアも目を大きく見開いている。
上位ベーゼである五凶将が混沌術を開花させたたのだから、他に混沌術を開花させたベーゼがいても不思議ではない。パーシュたちはそう思っていた。
だがベーゼ大帝までもが混沌術を開花させたとは思っていなかったため、驚きを隠せずにいる。
増してやアトニイはメルディエズ学園を去る時には混沌術を開花させていなかったため、短時間で開花させたことを知ったパーシュたちは大きな衝撃を受けた。
「な、何でアイツが混沌術を開花させてやがるんですのぉ!?」
「……分からない」
アトニイが混沌術を使えるようになった理由が分からないミスチアは困惑し、フィランも目を見開いたまま固まっている。
そもそもどうして別世界の侵略者であるベーゼたちが混沌術を開花させることができたのかすら、未だにこの世界の人間たちは分かっていなかった。
パーシュたちが驚いているのを見たアトニイは愉快そうに笑う。敵が理解できない物や状況を目にして混乱している姿を見るのはアトニイにとってとても面白いことだった。
「なぜ私が混沌術を手に入れたのか分からないようだな。……残念だがそこまで教えてやるほど私はお人好しではない。それにお前たちが知りたいのは混沌術とあの二人を分断させたことへの繋がりではなかったのか?」
アトニイの言葉を聞いて驚いていたパーシュたちはハッとした。いつ戦いが始まってもおかしくない状況であることを思い出し、全力で戦えるよう気持ちを落ち着かせる。
平常心を取り戻した一同は武器を構え直してアトニイを見つめ、アトニイもパーシュたちを見て小さく鼻で笑った。
「ユーキとアイカを私たちから引き離した理由が混沌術にある……つまり、アンタの混沌術はあの二人がいる状態では使えない。もしくは本来の力を出せなくなるってことじゃないの?」
「察しがいいな、リャン・ペーヌ。……その通りだ。あの二人がいては私の混沌術の力も少々低下してしまうのでな」
「……それってさぁ、わざわざ教える必要なんてある? 敵に自分や能力の弱点を教えるって馬鹿のやることよ」
なぜ自分の混沌術の秘密を明かしたのか、ペーヌにはアトニイの考えた全く理解できなかった。
パーシュたちもペーヌと同じことを勧化当て織、どうして普通ではやらないことをやったのか分からずにいた。
「そう思うか? 私が混沌術の秘密を教えたのは、例え教えても私に大きな影響は出ないと判断したからだ。弱点を教えたところで私が負けることは無い」
「嘘ね。だったらどうしてユーキとアイカを引き離すようなことをしたの? 負けることが無いのなら分断させる必要なんて無いはずでしょう」
「先程も言ったように、あの二人がいては混沌術の力が低下してしまう。混沌術の力を全て見るためにあの二人をベギアーデに任せたのだ」
「言い訳にしか聞こえないわよ?」
「フッ、信じられないならそれでも構わない」
鼻を鳴らすアトニイをペーヌはジッと睨む。
自分の力を過信し、敗北することは無いと考えるベーゼの支配者。こんな男に愛する人を奪われたと思うとペーヌは腸が煮えくり返るような気分になった。
「……さて、お喋りはこれぐらいにするとしよう。私も早く混沌術の力を試したいのでな」
戦闘開始を告げるかのように語ったアトニイが右手で腰の剣を抜いて構える。
アトニイの剣は片刃の黒い剣身が僅かに反れた形状をしており、メルディエズ学園に潜入していた時に使っていた剣と違って業物の雰囲気を漂わせていた。
パーシュたちもアトニイが構えたのを見て警戒しながら戦闘態勢に入った。
アトニイはメルディエズ学園にいた時から飛び抜けた戦闘能力を発揮し、学園でも多くの生徒や教師から注目されていた。
パーシュたちもアトニイの力がどれ程のものなのか理解しているため、学園でのアトニイの実績を知っているパーシュたちの方が有利だと思われる。
しかし用心深いアトニイは敵地で自分の力を全て見せるとは思えない。自分の全力を周りに知られないようわざと力を抜いていた可能性もある。
つまりメルディエズ学園にいた時のアトニイは本当の力を見せていない可能性があるため、アトニイの活躍を見ていたパーシュたちも有利に戦えるとは限らないということだ。
しかも今のアトニイは混沌術まで使用可能でどんな能力かも分からない。アトニイの力がどれ程なのか分からない以上、いきなり正面から突っ込んだりすることはできなかった。
パーシュたちはアトニイの様子を窺いながらどのように攻めるか考える。
「どうした、来ないのか? まさか今になって怖気づいたんじゃないだろうな?」
「そんなわけねぇだろう! テメェとどんな風に戦うか作戦を練ってんだよ!」
「フッ、慎重なのだな。……そんなに私が恐ろしいのなら、しばらく手を出さずにいてやってもいいぞ?」
「こ、この野郎ぉ!」
フレードは挑発してくるアトニイを睨みながら目くじらを立てる。
簡単に挑発に乗るフレードを見たパーシュやミスチアは「やれやれ」と小さく首を横に振った。
「ペーヌ殿、どうしますか?」
カムネスがどう戦うかベーゼ大帝と戦闘経験のあるペーヌに尋ねた。ペーヌはウォーハンマーを握りながらアトニイの構えや立ち位置などを確認する。
「三十年前のアイツは剣とベーゼの能力を使った戦術で戦っていたわ。今も剣を持っているから昔のように剣で戦うと考えて間違い無いわね。……ただ、アイツは敗北した時と同じ戦い方をするほど馬鹿じゃない。必ずこっちの知らない戦術を隠しているはずよ」
奥の手を隠していると聞かされたカムネスは目を鋭くしながらフウガの鯉口を切り、何か問題が起きたらすぐに反応を発動できるようにしておこうと考えた。
「あと、アイツは今人間の姿をしているけど、いつか必ず本当の姿になるはず。その時がフェヴァイングが本気を出した時だと考えなさい」
「確かに五凶将も僕らと戦った時、最初は人間の姿をしていましたが不利になったと感じたらベーゼの姿になって襲ってきました。フェヴァイングも自分が追い詰められたと考えた時には真の姿を見せるでしょう」
「あるいは戦いに飽きてさっさと終わらせたいと思って本気を出すか……いずれにせよ、フェヴァイングの力の底が分からない以上、警戒して戦うべきね」
最強のベーゼと戦う以上は一瞬の油断も許されない。カムネスとペーヌは得物を握りながら遠くにいるアトニイを見つめた。
アトニイはなかなか動かないパーシュたちを見ながら目を細くする。
戦いが始まらなければ混沌術の力を確かめすこともできない。警戒するパーシュたちを見ながらアトニイは不機嫌そうに小さく鼻を鳴らす。
「……さっきからジッとしてるけど、どう攻めるんだい?」
パーシュはアトニイを見ながら後ろにいるペーヌに声を掛けた。
ペーヌは視線だけを動かして自分たちの周りや広場を確認し、多少派手に動いても問題無いと判断する。
「まずは距離を取りながら魔法や神刀剣に能力で攻撃しましょう。こっちの攻撃がアイツに通用するのか、どんな攻撃が有効なのか、情報を集めながら攻撃を仕掛けていくわ」
「まぁ、それが一番いいだろうね。……それじゃあ、まずはあたしから行かせてもらうよ」
ニッと笑いながらパーシュは空いている左手をアトニイに向け、それと同時に混沌紋を光らせて爆破を発動させた。
「火球!」
左手から放たれた火球はアトニイに向かって勢いよく飛んで行き、アトニイに触れると爆発した。
アトニイが爆炎に呑まれるのを見たパーシュは警戒を強くする。爆破を付与したとはいえ、ベーゼ大帝が火球一発で倒せるなどとはパーシュは勿論、ペーヌたちも思っていない。
パーシュはアトニイが姿を見せ、妙な動きを取った時に再び魔法を撃てるよう左腕は下ろさずにアトニイが立っていた場所に向け続け、フレードたちもアトニイを包み込む煙を見つめている。
「まさか、これほどとはな」
煙の中からアトニイの声が聞こえ、パーシュたちは一斉に身構える。すると煙の中から剣を握るアトニイがゆっくりと姿を現した。
驚いたことに爆破の力が付与された火球の直撃を受けたはずのアトニイは無傷だった。それどころか身につけている鎧や服、マントに焦げ目すらついていない。
「……一撃で倒せるとは思ってなかったけど、まさか服に焦げ目すらついてないとはねぇ」
若干不満そうな顔をしながらパーシュは呟き、フレードたちも無傷のアトニイを見て目を鋭くする。「魔法を受けても無傷かもしれない」とパーシュたちは予想はしていたため、アトニイを見ても驚愕することはなかった。
煙から出てきたアトニイは数歩進むと立ち止まり、挑発的な笑みを浮かべながらパーシュたちを見た。
「どうした? ボーっとしてないでどんどん攻撃して来い。まさか無傷なのを見ただけど戦意を失ったのか?」
「そんなわけないだろう。……と言うか、アンタ何をしたんだい? 無傷って言うのは分かるけど、服が焦げてすらいないっていのはおかしいだろう。……もしかして、それがアンタの混沌術の力なのか?」
パーシュが無傷な理由を尋ねると、アトニイは不敵な笑みを浮かべ、質問に答える代わりに剣を握る右手の甲を見せる。そこには薄っすらと紫色に光っている混沌紋があった。
混沌紋が光っていると言うことはアトニイは今、混沌術を発動させているということになるため、パーシュたちはアトニイが火球の爆発に呑まれても無傷なのは混沌術の力だと確信する。
「混沌術を発動しており、パーシュの火球を受けても無傷……奴の混沌術は防御系の能力か?」
「今の段階では何とも言えないわ。もっと情報を集めないと……」
「なら、アイツの望みどおり、バンバン攻撃して情報を集めればいいだけだ!」
フレードは笑いながら右に走り、一定の距離を空けながらアトニイの左側面に回り込もうとする。
「あの馬鹿! 勝手に動きやがって……」
パーシュは小さな苛立ちと呆れを感じながらフレードを見る。
勝手に行動したとはいえ、このまま放っておけばフレードがアトニイに狙われる可能性が高い。パーシュはアトニイの意識を少しでもフレードから逸らさせようと考え、左に走ってアトニイの右側面に回り込もうとする。
アトニイは目だけを動かして左側に回り込んだフレードを見ている。仲間から離れたフレードは先に始末しようと考えたのか、不敵な笑みを浮かべながらフレードに攻撃を仕掛けようとする。
だがそんな時、パーシュが右側に回り込もうとしているのに気づき、アトニイはパーシュの方を向いた。
パーシュとフレードは左右からアトニイを挟み、パーシュは左手をアトニイに向け、フレードはリヴァイクスの剣身に水を纏わせる。
アトニイは目を鋭くしながらパーシュとフレードを交互に見た。
「フレード、勝手に動くんじゃないよ! 相手はベーゼの大帝なんだ。もっと警戒して戦いな!」
「馬鹿言ってんじゃねぇ! 俺はちゃんと警戒してらぁ。お前が慎重になりすぎてんだよ」
パーシュとフレードはアトニイを挟みながら口喧嘩を始める。ベーゼ大帝を前にしても言い合いをするパーシュとフレードを見ていたカムネスたちは二人には緊張感が無いとかと思っていた。
「後先考えずに突っ込むアンタよりはマシだよ!」
「人を猪みたいに言うんじゃねぇ!」
大きな声を出すパーシュはアトニイに向かって爆破を付与した火球を二発放ち、フレードもリヴァイクスの勢いよく縦に振って剣身に纏われている水を無数の小さな水球にして放った。
アトニイは仲間割れをしているパーシュとフレードが自分に攻撃してきたのを見て少し驚いたような反応を見せる。その直後、二発の火球と無数の水球はアトニイに命中し、火球が爆発したことで煙が上がり、再びアトニイの姿は見えなくなる。
口喧嘩をしながら火球と激流の礫で攻撃するパーシュとフレードを見たカムネスたちは戦闘中であることは忘れておらず、最低限の平常心も保っていると感じて少しだけ二人を見直した。
パーシュとフレードは攻撃が命中したことを知ると口喧嘩を中断し、中央の煙を見つめながらアトニイを警戒する。
やがて煙が薄くなり、少しずつアトニイの姿が見えるようになるとパーシュとフレードは愛剣を構え、カムネスたちも警戒した。
煙が完全に消えるとそこには先程と同じように無傷で混沌紋を光らせるアトニイの姿があった。
アトニイは今度の攻撃でも無傷で服やマントも焦げておらず、傷もついていない。だがアトニイの足元の床は爆発で焦げ、水球で無数の穴が開いている。
「また無傷か……やはり防御系の混沌術なのか? それとも敵の攻撃そのものを無効化するような混沌術……」
「でも、クリディック先輩とディープス先輩の攻撃でアイツの足元は焦げたり傷が付いたりしていますわ。つまり、先輩たちの攻撃はちゃんと当たってるってことになりますわよ?」
「……後者は違う」
相手の攻撃を無効化する能力ではないことを知ってカムネスは難しい顔をする。
まだアトニイの混沌術がどんな能力かは分かっていないが、少なくとも攻撃を無効化する能力ではないと考えた。
カムネスはやはり防御系の混沌術なのかと推測するが情報が足りないため、戦いながらもう少し情報を集めるべきだと考えた。
(これは、思っていた以上に面倒な戦いになりそうね……)
ペーヌはアトニイを見つめながら長い戦いになると予想する。




