第二百五十三話 決戦の地へ
ガルゼム帝国の最北に位置する城塞都市ゾルノヴェラからはベーゼたちの鳴き声や呻き声などが響いていた。
都市の周りでは大量の蝕ベーゼが周囲を警戒するように徘徊しており、上空ではルフリフの群れが飛び回っている。城壁の上では下位ベーゼが遠くを見張っており、その中には指揮を執る中位ベーゼの姿もあった。
当然都市内にも大量のベーゼがおり、街の中を徘徊している。そして都市の中央にある砦の周りには砦を護るベーゼたちが陣を組んでいた。
砦の中ではベーゼの大帝であるアトニイが大広間で腕を組みながら立っており、部屋の中心にある魔法陣を見下ろしていた。
その魔法陣は三十年前にガルゼム帝国の魔導士たちが自分たちの世界とベーゼの世界を繋ぐ転移門を開くために使った魔法陣で今でも砦の中に残っており、魔力を送れば今でも使うことができる。
アトニイはゾルノヴェラにやってきた日からベギアーデに指示して何度も転移門を開かせ、大勢のベーゼをこちらの世界に呼び出していた。
魔法陣を見下ろすアトニイの後ろにはベギアーデが立っており、赤い目で主の後ろ姿を見つめている。
「……五凶将が全滅したか」
「ハイ……」
ベギアーデから最上位ベーゼたちの死を聞かされたアトニイは腕を組んだまま黙り込む。
アトニイの表情からは仲間が殺されたことに対する悲しみや怒りは一切見られない。まるで五凶将が死んだことに何も感じていないようだった。
「ルスレクたちを倒したのは例の小僧の仲間たち、アイカ・サンロードと神刀剣の使い手たちです。部下の報告によると連中は学園で戦った時とは比べ物にならないくらい力を増していたとのことです」
「そうか……まぁ、五凶将を一騎打ちで倒すほどだからな」
最上位ベーゼと互角以上の戦いを繰り広げられる戦士が敵の中にいると知ったにも関わらずアトニイは眉一つ動かさない。五凶将が倒されたことだけでなく、強敵がいることに関しても何も感じていないようだ。
ベギアーデは背を向けたまま語るアトニイをしばらく見つめると小さく笑みを浮かべた。
「全ては大帝陛下の計画通り、ですな?」
「ああ、ユーキ・ルナパレスたちのおかげでこちらの都合の良いように事が運んでいる。奴らは勘違いしているはずだ、五凶将を倒しても自分たちが優勢になっているとな」
アトニイもベギアーデと同じように不敵な笑みを浮かべるとゆっくり振り返ってベギアーデと向き合う。
薄暗い大広間に中にベーゼ大帝と最後の最上位ベーゼの不気味な笑い声が静かに響く。
「奴らが五凶将を全て倒してくれたおかげで私は最強の力を得ることができた。その点についてはユーキ・ルナパレスたちに感謝せねばならないな」
気分を良くするアトニイは自分の右手を顔の前に持ってくると右手の甲を見つめる。
なんとそこには混沌紋が入っていた。そう、アトニイは混沌術を開花させていたのだ。
混沌術は本来この世界の存在だけが開花させられる能力で別世界から来たベーゼが混沌術を手に入れることはできない。
しかし実際、最上位ベーゼである五凶将は全員が混沌術を開花させているため、ベーゼ大帝が開花させてもおかしくなかった。
アトニイがどのようにして混沌術を開花させたのかは分からないが、一つだけ分かっているのはこの世界の人々にとって非常に厄介な状況になっていると言うことだ。
「三十年前は無かった力を私は遂に手に入れた。これで私に敵は無い」
「ハイ、我らベーゼの勝利は確実なものとなったでしょう」
ベギアーデはこの世界がベーゼの物になることに喜びを感じているのか、若干興奮しているような口調でアトニイに語り掛ける。
アトニイもベギアーデを見て小さく笑いながら右手を下ろした。
「……して戦況は?」
「ハッ、五凶将が倒され、各国の首都を襲撃した部隊も壊滅したため、我が軍の戦力は大きく低下しました。ですが、それでもゾルノヴェラにはまだ人間どもと互角に戦えるほどの戦力が残っております」
戦闘に支障は無いと語るベギアーデを見ながらアトニイは小さく鼻で笑う。アトニイもベギアーデと同じで大きな戦力を失っても人間に勝てると言う大きな自信を持っていたため、不利になるとは微塵も思っていなかった。
「既に帝国北部に生息していたモンスターはほぼ全てが蝕ベーゼとなり、寝返った人間どももベーゼに変えて戦力に加わっていますので五凶将を失っても何も問題ありません。万が一戦力が不足したとしても、転移門を開いて向こうの世界から新たにベーゼを呼び出せばいいだけです」
「戦力については問題無しか。……人間どもの動きはどうなっている?」
「先程もお話ししたように五凶将を倒したことで自分たちが優勢だと考えているようです。……愚かにも三大国家の軍とメルディエズ学園とで連合軍を結成し、このゾルノヴェラに攻め込もうとしているようです」
人間たちがゾルノヴェラを目指して進軍していると聞いたアトニイは小さく反応する。
帝国軍がゾルノヴェラから撤退して以降、ゾルノヴェラの周辺には多くのベーゼが徘徊するようになった。そのため、ガルゼム帝国はゾルノヴェラに近づいたり、密偵を送り込むことができなくなり、ゾルノヴェラの情報を手に入れることができなくなったのだ。
つまりガルゼム帝国や周辺国家はゾルノヴェラの現状を殆ど知らないと言うことになる。
「奴らは私たちが此処を手に入れて以降の情報は一切持っていないはずだが?」
「ええ。ただ、帝国軍は撤退する前に都市の地図や使えそうな情報を幾つか持ち帰ったとエアガイツから聞きました。恐らくその持ち帰った情報からゾルノヴェラの現状を予想して攻め込もうとしているのでしょう」
「愚かな考え方だ。帝国軍が撤退してからゾルノヴェラが変わらずに状態を維持し続けていると本気で思っているのか」
ベギアーデの言葉を聞いたアトニイは目を細くして呆れたような表情を浮かべた。
戦争では戦いを有利に進めるために制圧した拠点やその周辺を自分たちの都合の良いように作り変えたりする。
敵が知っている状態のままでは不意を突かれる可能性があるため、拠点やその周辺、戦力を敵の知らない状態にするのは常識だ。
「奴らは手元にある情報だけで有利に戦えると思っているのか……それとも、私たちが気付かない間にゾルノヴェラの情報を手に入れたか?」
「それはあり得ません。ゾルノヴェラの半径5kmには常に蝕ベーゼたちを徘徊させ、近づく人間がいれば容赦なく排除するよう命じてあります。奴らはゾルノヴェラに近づくことすらできません」
情報を手に入れることができない状況だと聞かされたアトニイは考え込む。
しばらく考えた結果、情報を持っていない人間たちはゾルノヴェラに攻め込んだ際、戦いながら情報を集めようとしているのではと予想した。
「……ベギアーデ、ゾルノヴェラ内のベーゼ全てに臨戦態勢に入るよう命じ、外の連中には警戒範囲を広げて人間どもが接近して来ていないか調べさせろ。人間どもがゾルノヴェラに攻め込んでくる可能性が高い」
「このゾルノヴェラに? ……ですが奴らは今のゾルノヴェラの情報を持っておらず、都市の現状も把握しておりません。そんな状態で本当に攻め込んでくるのでしょうか?」
「恐らく攻め込んできた時に戦いながら情報を集めるつもりだろう」
偵察もせずに敵地に攻め込み、戦闘中に情報を集めると言う愚かで危険な行動を人間たちが執ると聞かされたベギアーデは軽く目を見開く。
いくら五凶将を倒してベーゼ側の戦力を削いだとは言え、情報収集もせずに敵の本拠点を攻めるなどと言う愚行は執らないだろうとベギアーデは思っていたため、アトニイの話を聞いて少し驚いていた。
「大帝陛下、いくら虫けらでも大量のベーゼがいるこのゾルノヴェラを下調べなどもせずに襲撃するとは思えないのですが……」
「確かに“ただの人間だけ”で編成された部隊しかないのなら、情報無しで敵地に攻め込むような愚かな真似はしないだろう……」
「ただの人間だけ? ……ッ!」
何かに気付いたベギアーデはハッとし、ベギアーデの反応を見たアトニイは目を僅かに鋭くした。
「そうだ、奴らには五凶将を倒したユーキ・ルナパレスとその仲間たちがいる。五凶将を倒したとなると奴らの戦力は中位ベーゼ数十体分にはなるだろう。それだけ強力な力を持つ者が部隊にいるのなら奴らを使ってこちらの戦力を削りながらゾルノヴェラの情報を得ることは十分可能だ」
「成る程……」
「しかも人間側には五聖英雄もいる。奴らがユーキ・ルナパレスたちと共にゾルノヴェラの襲撃に参加するのであれば、こちらの情報を持っていないとしても押されるかもしれん」
アトニイは厄介な敵がいることを計算して自分たちが苦戦する可能性があると語り、ベギアーデは話を聞いて面倒な事態になるかもしれないと感じながら納得の反応を見せる。
戦いの流れを計算するアトニイとベギアーデは戦闘で押されるかもしれないと思ってはいたが、自分たちが敗北するかもしれないと感じさせるような発言はしなかった。それはアトニイとベギアーデが必ず自分たちが勝つと確信しているからだった。
「我々が勝つと分かっているとしても、脆弱な人間たちに押されると言うのは面白くない。完膚なきまでに叩きのめし、奴らに完全な敗北を味わわせるためにも万全の状態で迎え撃ってやらねばならない」
「……承知しました。直ちに配備に取り掛かります」
ベギアーデは軽く一礼すると足下に紫色の魔法陣を展開させて転移し、アトニイの目の前から消えた。
一人残ったアトニイは小さく俯くと鋭い表情を浮かべながら腕を組む。
「……三十年前と違い、私は強大な力と混沌術を手に入れることができた。この力があれば私が敗北することは無いだろう。……だが、あの二人は少々面倒だ」
アトニイは低い声で呟きながら自分にとって脅威となるかもしれない存在のことを考える。
「奴らがこの短い間にどれほどの力を得たのかは分からんが、今の私の前では並の人間と大差ない。万が一奴らが私の前に立ちはだかるようなことがあれば、この手で葬り去ってやる」
自分の右手をゆっくりと握りながらアトニイは頭の中に浮かぶ二人を始末することを決意するのだった。
――――――
空が明るくなりかかっている早朝、バウダリーの町の正門前の広場には大勢のメルディエズ学園の生徒が整列し、教師たちも集まっている生徒たちの前に並んでいる。
生徒の数は二百人ほどでメルディエズ学園にいる生徒で動ける者全員だった。生徒の中にはユーキやアイカたちの姿もある。
集まっている生徒たちの周りには二十台以上の荷馬車が停まっており、その内の数台は食料や武器、道具などが入った木箱が載っている。
正門前にいる生徒たちはベーゼとの決戦の地であり、ベーゼたちの本拠点である城塞都市ゾルノヴェラへ向かうために集まっているのだ。
ユーキたちがガロデスからゾルノヴェラへの突入を頼まれた日から一週間が経った頃、メルディエズ学園に三大国家の連合軍からの使者が訪れ、決戦の準備が整ったので大至急ゾルノヴェラの南にある駐屯基地まで来てほしいと知らせてきた。
知らせを受けたガロデスは急いで生徒たちに戦いの準備をさせるようオーストたち教師に指示を出す。
オーストたちは言われたとおり学園内にいる生徒で動ける者全員に準備をさせ、生徒たちの準備が整うとガルゼム帝国へ向かうために朝早くバウダリーの町へ移動した。
生徒たちはいよいよベーゼとの決戦が始まること、自分たちが世界の運命を背負ってベーゼと戦うことに緊張しているのか近くにいる友人と緊張をほぐすように会話をしている。
生徒の中には必ずベーゼに勝つと気合いを入れながら友人と話す生徒もいた。ユーキやアイカたちは広場でざわついている生徒たちを黙って見ている。
「全員揃ってるな!?」
整列している生徒たちの前では十人程の教師が並んで立っており、その中にいるオーストが生徒たちに大きな声で呼びかける。
並んでいる教師の中にはスローネやコーリア、ナチルンなど様々な部門の教師がおり、全員が鎧を身につけたり、ローブを着ると言った戦闘時の服装をしていた。
教師たちの後ろでは五聖英雄であるペーヌ、スラヴァ、ハブールが立っており、三人も完全武装をして生徒たちを見ていた。
「これから大切な話をする。こっちに注目しろ!」
オーストの言葉を聞いてざわついていた生徒たちは一斉に黙りオーストに注目する。ユーキたちももうすぐ始まる決戦に関わる話だと察してオーストの言葉に耳を傾けた。
生徒たちが注目していることを確認したオーストは生徒たちを見回してから静かに口を開いた。
「此処にいる全員、集まっている理由は分かっていると思うが確認も兼ねて言わせてもらう。……私たちはこれからベーゼと最後の戦いを行うために帝国北部にあるゾルノヴェラへ向かう」
ゾルノヴェラの名が出てきた瞬間、生徒の一部はどこか緊張したような表情を浮かべる。緊張しているのは全員が実戦経験の浅い下級生たちだった。
今回の戦いに参加する下級生は全員が五聖英雄の特訓を受けて肉体的にも精神的にも強くなった。だがそれでも戦場へ向かうと言われればやはり緊張してしまうようだ。
「ゾルノヴェラは三十年前のベーゼ大戦の始まりの地であり、ベーゼたちの本拠点となっている場所だ。本拠点となれば当然ベーゼの数は多いため、激しい戦いになる。下手をすれば命を落とすかもしれない」
オーストの話を聞いてユーキたちのように実戦の経験が豊富な生徒たちもこれから行われる戦いが重要で危険であると聞き、真剣な表情を浮かべながらオーストを見つめていた。
「そのような危険な戦いをお前たちに任せることはとても心苦しい。……だが、この世界とこの世界に住む人々を護るためにはベーゼと戦わなくてはいけない。この世界を救うため、お前たちや多くの人々が笑った過ごせる世界を作るため、ベーゼとの戦いに勝利しなくてはいけない」
下級生たちはオーストの言葉に重みを感じているのか更に緊張するような表情を浮かべる。自分たちが戦ってベーゼに勝てるのか、生徒たちの中にはそんな不安を感じる者もいた。
生徒たちの反応を見たオーストはチラッと近くにいるスローネたち教師や五聖英雄の方を向き、スローネたちの顔を見るともう一度生徒たちの方を向いた。
「勿論、お前たち若者だけに危険な思いをさせるつもりは無い。私たちも三十年前にベーゼと戦った存在だ。メルディエズの戦士だった者としてお前たちと共に戦う。更に五聖英雄も私たちと共に戦ってくれる。未来を背負うお前たちは私たちが護る」
五聖英雄や教師たちが共に戦ってくれると聞いて不安になっていた下級生たちは安心したのか少しだけ表情を明るくする。
中級生以上の生徒たちは先輩である五聖英雄と教師たちが共に戦ってくれることを心強く思い、小さく笑ったり期待するような目でオーストたちを見つめていた。
ベーゼとの戦いに終止符を打てるのはメルディエズ学園に入学した自分たちだけ、改めてそう感じる生徒たちは大勢の人々の未来を護るために必ずベーゼたちに勝利しようと闘志を強くする。
今まで緊張していた下級生たちも自分たちが家族や大勢の人を護らないといけないんだと思い、怖がったりしてはいけないと自分に言い聞かせて気合いを入れた。
「私たちはこれから帝国北部にあるゾルノヴェラ攻略の駐屯基地へ向かう。そこで先遣していた三大国家の連合軍と合流し、合流した後に連合軍と協力してゾルノヴェラに攻撃を仕掛ける。駐屯基地へ向かうまでの間にベーゼやモンスターと遭遇する可能性もゼロじゃない。決して気を抜かないようにしろ!」
生徒たちは真剣な眼差しでオーストを見つめる。生徒たちの反応を見て士気に問題が無いと感じたオーストは後ろを向いて五聖英雄たちを見た。
オーストと目が合ったハブールは真剣な表情を浮かべて頷き、ハブールの反応を見たオーストはハブールの意思を悟って生徒たちの方を向き直す。
「では出発する。全員荷馬車に乗り込め!」
指示された生徒たちは一斉に近くに停められている荷馬車に駆け寄って一人ずつ荷台や御者席の乗る。荷馬車の数は多いため、二百人以上いる生徒たちは余裕で乗車することができた。
五聖英雄や教師たちも自分たちの荷馬車や馬に乗って出発の準備を進めた。全員が荷馬車や馬に乗ると正門前で待機していた警備兵が正門を開ける。
先頭のハブールはゆっくりと開く正門を見つめ、完全に開門すると馬を走らせてバウダリーの町の外へ向かう。ペーヌとスラヴァもハブールに続いて馬を走らせ、オーストたちも荷馬車を走らせて正門を潜り、生徒たちが乗る荷馬車も次々と町の外へ出て行く。
ユーキたちを乗せた荷馬車は決戦の地、ゾルノヴェラへ向かうため、ガルゼム帝国の北部へ向かった。
――――――
バウダリーの町を出発したユーキたちは真っすぐガルゼム帝国北部へ向かって移動する。
道中モンスターやベーゼに遭遇することも無く順調に移動することができたが、流石に一日で連合軍の駐屯基地に到着するのは無理で帝国中部に着く頃には周囲はすっかり暗くなっていた。
中部にある平原までやって来ると教師たちは暗い中を移動するのは危険だと判断し、平原で野営して明るくなってから移動を再開することにした。
本来ならベーゼとの決戦が始まろうとしている状況なので一秒でも早く駐屯基地へ向かうべきだと思われるのだが闇夜の中を移動し、誤って怪我でもしたら意味が無い。
万全の状態で連合軍と合流するためにも教師たちは焦らず、慎重に移動することにした。
生徒たちは教師たちの指示を受けて野営の準備を始めた。メルディエズ学園から持ち出したテントを張ったり、周囲の警戒、持ってきた荷物の確認、夕食の準備など生徒たちは各々の役割を全うする。
生徒たちが野営の準備をしている間、教師たちは五聖英雄や生徒会長のカムネスを呼び出して夜が明けた時、どの道を通って駐屯基地へ向かうかなどを話し合った。
野営の準備などが済むと生徒たちは交代で食事をとりながら見張りを行う。ゾルノヴェラまではまだ距離はあるが近くにベーゼがいる可能性があるため、襲撃を受けた時にすぐ対処できるよう常に警戒する必要があった。
全員の食事が済むと教師たちは生徒たちを集め、夜が明けた後の行動や移動するルートなどを伝える。生徒たちは問題無く駐屯基地に辿り着けるよう教師たちの説明を聞き漏らさずに頭に入れていく。
説明が終わると教師たちは生徒たちに仮眠と夜襲の警戒をする順番や流れ、時間などを説明する。
先に休むことを許された生徒たちはテントに入ると眠りにつき、見張りをする生徒たちは野営地の中や周囲を移動しながら夜襲の警戒を行う。
勿論、生徒たちだけに見張りをさせるわけにはいかないため、教師や五聖英雄も交代で仮眠と見張りを行うことにした。
「……見張りの交代まであと一時間か」
野営地の隅でユーキが石の上に座りながら懐中時計で時間を確認している。ユーキの後ろではグラトン出腹を掻きながら大きく口を開けた欠伸をしていた。
グラトンもメルディエズ学園では強力な戦力として見られているため、教師たちはグラトンもベーゼとの決戦に参加させることを決めて同行させた。
ユーキもグラトンの実力を認めているため、自分たちに同行させることに反対はしなかった。
しかしユーキにとってグラトンは家族同然の存在。囮や使い捨てなどに使わないでほしいと教師たちに頼み、教師たちもユーキとグラトンの関係を知っているため不満などは口にせずに承諾した。
後ろで自分の腹を掻いているグラトンを見たユーキは前を向き直すと頭上に広がる星空を見上げた。
「もうすぐベーゼとの最後の戦いが始まる……思えば長いことベーゼと戦ってたんだよなぁ」
ユーキは懐かしそうな口調で呟きながらここまでの戦いや自分が歩んできた道を思い出す。
前の世界で交通事故に遭い、今いる世界に転生してからユーキは自身の剣術を活かして数えきれないほどのベーゼと戦った。
最初は目立たず、平凡に生きていこうと思っていたユーキだったがいつの間にかベーゼやモンスターと戦うことに違和感を感じなくなり、気付けばメルディエズ学園やベーゼからも注目される存在となっていた。
「何時からか平凡な生活を送ろうって思わなくって、周りの生徒と同じ道を歩むようになってたんだよなぁ。……もしかしたら俺、自分でも気づかない内に戦いを求めていたのかもしれないな」
「ブオオォ?」
ユーキの独り言の内容が分からないグラトンは目の前で座っているユーキを見下ろしながら小首を傾げる。
「いや、何でもない」
グラトンに話しても仕方が無いと思っているユーキは苦笑いを浮かべながら首を横に振る。
グラトンは自分には関係無いことだと理解したのか再び欠伸をして自身の背中を掻く。そしてそのまま仰向けになっていびきをかき始めた。
「おい、まだ俺たちが見張りをする時間なんだぞ? 自分だけ寝るなよ」
ユーキは先に寝てしまったグラトンを起こそうと体を軽く揺する。しかしグラトンは起きずにいびきをかき続けており、ユーキはそんなグラトンを見て深く溜め息をつく。
呆れ顔でグラトンを見るユーキはもう少し力を入れてグラトンの体を揺すろうとした。だが気持ちよさそうに眠っているグラトンの顔を見たユーキは石に座りながら背を向ける。
「……まぁ、ゾルノヴェラではしっかり戦ってもらうわけだし、今は好きにさせてやるか」
ユーキは眠っているグラトンをそのままにして見張りを続ける。
近くにある篝火の明かりを頼りに見通しの良い平原を見回す。平原の中はとても静かで自分たち以外に生き物の姿は無かった。
「この戦いで俺たちが勝ったら、長かったベーゼとの戦いも終わる。……ベーゼがいなくなったらこの世界はどうなるんだろうなぁ」
「やっぱり気になる?」
静かな平原に女性の声が聞こえ、その直後に鐘が鳴るような音が響いてグラトンや周りの風景が白黒になって停止した。
ユーキは突然の出来事に一瞬驚きの反応を見せるが、以前にも同じ体験をしたことがあるのを思い出し、同時に話しかけて来た声の主にも気付く。
「相変わらず突然現れますね?」
「あら、先に声を掛けてるから突然じゃないわよ?」
再び聞こえてくる女性の声を聞いてユーキは溜め息をついてから左を向く。そこには身長160cmほどで水色の肩出しトップスに薄紫色の長ズボン姿、黒い外ハネのショートヘアで僅かに鋭い赤紫の目をした十代半ばくらいの美女が立っていた。
ユーキの目の前にいたのはユーキを今いる世界に転生させた存在、天命の女神フェスティだった。フェスティは右手を軽く振りながら満面の笑顔でユーキを見ている。
「ハァ~イ♪ ユーキ君、久しぶりね」
「ええ、お久しぶりです。最後に会ったのは何時でしたっけ?」
「さぁ? 忘れたわ。……でもまぁ、半年以上は経ってるんじゃないかしら?」
頬に指を当てながらフェスティはユーキと会った時のことを思い出そうとする。ユーキは相変わらず女神らしくないフェスティを見て軽く息を吐いた。
「……まぁ、昔のことなんてそれほど重要じゃないわ。大切なのは今とその先のことよ」
(思い出せなかったんだな……)
フェスティの発言を聞いてユーキは呆れたような顔をする。女神なのに昔のことを思い出せないと言うのは問題ありなのでは、ユーキはフェスティを見ながらそう思った。
「ユーキ君、貴方はベーゼがいなくなったらこの世界がどうなるか気になってるのよね?」
呆れられていることに気付いていないのかフェスティは微笑みながらユーキの前まで歩いてユーキの方を向く。
ユーキは自分が気にしていたことを指摘するフェスティを見て小さく反応する。
「……ええ、この世界は三十年前の戦いからずっとベーゼと関わりを持っていました。その世界から突然ベーゼがいなくなったら何か大きな変化が生まれるんじゃないかって思ったんです」
「そうねぇ、今まで有ったものが突然無くなれば世界の形も変わるかもしれないわねぇ」
両手を後ろに回すフェスティは大きな変化が出るかもしれないと語り、フェスティの話を聞いたユーキは自分が想像していた以上に世界が変わるかもしれないと聞かされて少し驚いた顔をする。
「因みに、どんな風に変わるんですか?」
ユーキは不安を感じながらフェスティに尋ねる。するとフェスティは再び微笑みを浮かべてユーキの方を向いた。
「別に悪くはならないわ。この世界を侵略しようとしていたベーゼがいなくなるだけなんだから、今までよりもずっと住みやすい世界に変わるわ」
「……そうですか」
フェスティの言葉を聞いてユーキは安心して思わず笑みを浮かべた。
「ただ、貴方たちメルディエズ学園の人たちは少しだけ立場が変わるかもしれないわね」
「俺たちがですか?」
ユーキを見ながらフェスティは小さく頷いた。
「知ってのとおり、メルディエズ学園はベーゼと戦える戦士や魔導士を育てる機関よ。子供たちに技術や知識を身につけさせるって目的はあるけど、ベーゼと戦える存在を育てることに力を入れているわ。だからベーゼがこの世界からいなくなればメルディエズ学園は立場が微妙になってしまうの」
「確かに……」
ベーゼが存在していたからこそメルディエズ学園は必要とされていたが、今回の戦いでベーゼに勝利し、ベーゼがこの世界からいなくなればメルディエズ学園の存在意義が無くなるのではとユーキは感じた。
「でも、子供たちを一人前の戦士や魔導士に育てるって目的もあるわけだし、ベーゼがいなくなっても完全に必要されなくなるってことは無いでしょうね」
ユーキはフェスティの言葉を反応し、戦いに勝った後も自分や他の生徒、教師たちには居場所があると知って静かに息を吐く。
いくらベーゼと言う世界の脅威が消えたとしてもメルディエズ学園が無くなっては大変なことになる。ユーキは自分たちの帰る場所が消えることは無いと知って少し安心した。
「貴方たちがこの戦いに勝った後もメルディエズ学園は教育機関としてこの世界に残り続けるわ。ただ、ベーゼと戦う機関ってことで王国から資金や物資の援助とかを受けてたわけだから、ベーゼがいなくなった後に同じ計らいがあるかは分からないわね」
「でしょうね……だけど、必要とされているのなら例え援助を受けることが無くなっても組織としてやっていけると俺は思います」
フェスティはユーキを見つめながら小さく笑う。例えベーゼがこの世界からいなくなったとしても、ユーキは今までどおり暮らしていけるとフェスティは思っていた。
「ところでフェスティさん、今回は何をしにこっちの世界に来たんですか?」
ユーキは久しぶりに自分の前に現れた理由をフェスティに尋ねる。過去の経験から女神であるフェスティがただ顔を見るためだけに現れたわけではないとユーキは確信していた。
「別に大切な用事があるわけじゃないわ。ユーキ君たちがベーゼと最後の戦いを始めるっていうから、ちょっと良いことを教えてあげようと思って」
「良いこと?」
ユーキが小首を傾げるとフェスティはユーキの目の前まで移動し、上半身を前に倒して顔をユーキに近づけると右手の人差し指をそっとユーキの鼻先に当てた。
「ゾルノヴェラでの決戦ではユーキ君と貴方の彼女が勝利のカギになるわ」
「俺とアイカが? どういうことですか?」
「フフ、その時が来れば分かるわ」
クスクスと笑いながらフェスティは一歩後ろに下がって姿勢を直す。
ユーキは良いことを教えると言っておきながら意味の分からない言葉を口にするフェスティを再び呆れたような顔で見つめる。
「さて、久しぶりにユーキ君と話せたし、私はもう行くわ。ベーゼとの戦い、頑張ってね」
「あっ、フェスティさん!」
「じゃあね~♪」
フェスティは笑顔で手を振りながら別れを告げるとユーキの前から消える。同時に白黒だった周囲は元に戻り、止まっていたグラトンも動き出していびきをかく。
ユーキは周囲を見回して周りが戻ったのを確認すると腕を組みながら小首を傾げる。
「俺とアイカがカギになるって、どういう意味だ?」
静かに風が吹く夜の平原の中でユーキはフェスティが言った言葉の意味を考えた。




