第二百三十七話 第二次ベーゼ大戦
ローフェン東国の首都ぺーギント。東国最大と言われているその都市は東部に位置し、高い城壁に護られている。首都であることから軍の戦力も大きく、冒険者ギルドに所属している冒険者も優れた者ばかりだ。東国最高のS級冒険者チームである霊光鳥も拠点としており、ぺーギントが攻め込まれると言った緊急事態が起きた際には軍と協力して問題を解決することになっている。
ぺーギントには入口である正門が北、南、西にあり、ぺーギントを訪れる人々はその三つの門を通過して首都に入る。東側には岩山があるため、四方から囲まれて攻撃されることもない。首都にふさわしく最高の防衛力を持っていると言える。
しかし、今その護りの堅いと言われているぺーギントが危機的状況に置かれていた。
「弓兵隊を南門へ回せ! 北と西にもできるだけ兵士と冒険者を向かわせるんだ!」
ぺーギントの城下町にある広場ではローフェン東国の中年の騎士が周りにいる他の騎士や東国兵たちに指示を出す。指示された者たちは慌てた様子で走り出したり、広場にある武器やポーションの数を調べて仲間に配ったりしていた。
指示を出した騎士は目の前にある木製の机に広げられたぺーギントの地図を見ながら緊迫した表情を浮かべる。そんな彼の下に一人の東国兵が駆け寄ってきた。
「報告します!北門の防衛部隊が敵の攻撃によって大きな被害を出しています。このままでは北門が突破される可能性が……」
「何ということだ……」
東国兵の知らせを受けた騎士は強く机を叩く。叩かれた衝撃で地図の上に置かれた木製の兵棋が僅かに動いた。
「おのれぇ、汚らわしいベーゼどもめ!」
騎士は顔を上げると遠くにある城壁を睨みながら低い声を出す。現在ぺーギントはベーゼの群れの襲撃を受けており、東国軍は攻めて来たベーゼを迎撃しているのだ。
数時間前、ぺーギントの住民たちはいつものように平和な時間を過ごしていた。ここ最近、ベーゼが頻繁に活動していることで住民たちは若干不安を感じていたが、それでも暗くなったりせずに明るく生活していたのだ。
だが突然、大量のベーゼがぺーギントを襲撃し、住民たちの平和な時間は壊された。住民たちはベーゼたちの襲撃に驚きと恐怖を感じ、慌てて自宅や避難場所に逃げ込んだ。
ベーゼが襲撃して来たことを聞かされたローフェン東国の帝、リー・ショウジュは自分がいる首都が襲撃されたことに驚愕していたが、住民を護るために冷静に貴族や軍に上層部に指示を出してベーゼを迎え撃たせる。
冒険者ギルドにもぺーギントを護るよう命令し、ギルド長は霊光鳥を始め、ぺーギントにいる冒険者たちを動かしてベーゼの迎撃に向かわせた。
更にぺーギントにはローフェン東国に出現したベーゼを討伐するためにやって来たメルディエズ学園の生徒たちもいるため、彼らも襲撃してきたベーゼを迎え撃つために動いている。
メルディエズ学園の生徒がいることでベーゼと戦いやすい状況になったため、軍や冒険者ギルドの士気も少しだけ高まっていた。
現れたベーゼたちはぺーギントに侵入するために北、南、西にある三つの正門を同時に攻撃する。東国軍と冒険者ギルドは戦力を三つに分けて迎撃するが、ベーゼの数はとても多く若干押されている状況だった。
「ベーゼどもの正確は数は分かるか?」
「い、いえ……ただ、最初に奴らを発見した兵士の話では三千は超えていると……」
「三千以上……こちらの現在の戦力は冒険者を含めてどのくらいだ?」
「国中に出現したベーゼの対処をするためにかなりの部隊が首都を離れていますので、千程かと……」
「三分の一しかないのか……クソォ」
圧倒的な戦力差に騎士は奥歯を噛みしめた。周りで騎士と東国兵の会話を聞いていた他の騎士や東国兵も戦力の違いに青ざめる。
「し、しかし、情報では相手の殆どは力と知能の低いベーゼです。脅威と言えるほどの相手では……」
「馬鹿者! 力が弱かろうが頭が悪かろうが戦力はこちらの三倍以上なのだぞ!? しかも三千と言うのは正確な数字ではない。もしかするとその倍以上の数かもしれんのだ。弱いベーゼばかりだからと言って気を抜くな」
「も、申し訳ありません!」
東国兵は深く頭を下げて失言したことを詫びた。騎士は東国兵が謝罪すると地図を見ながらどのように戦うか考え始める。
東国兵の言うとおり敵の殆どは弱い下位ベーゼと蝕ベーゼだろうが、数が多ければ非常に厄介な相手と言える。
しかも軍や冒険者にはベーゼとの戦闘経験はあっても知識は豊富ではない。いくらメルディエズ学園の生徒が共闘してくれているとは言え、ベーゼのことを全て把握しているわけではなかった。
もしも自分たちが知らなかったり戦ったことの無いベーゼと遭遇したら一気に不利になってしまう。騎士は自分たちが非常に危険な状態にあると感じ取っていた。
「しかし、あれほどの数のベーゼがどのようにしてこのぺーギントに接近したのでしょう? あれほどの数で動けば周辺の都市や町の者たちが見つけ、こちらに報告があるはずですが……」
「忘れたのか? ベーゼの中には我が軍の軍師として活動していた者がいたことを?」
騎士が地図を見ながら東国兵に語り掛け、東国兵は騎士の言葉を聞いてハッと顔を上げる。
以前、ローフェン東国には天才軍師と言われたチェン・チャオフーがいた。だがその軍師はベーゼが東国の情報を得るために潜入させた上位ベーゼで東国軍をベーゼの都合のいいように動かしていたのだ。
そして、チャオフーは正体がバレると東国を離れる際、軍上層部の貴族や将軍を大勢殺害して東国軍の機能を低下させた。
そのため、今の東国軍は効率よく動くことができず、上手く統率も取れずにいる。それが原因で現在ベーゼたちにぺーギントを襲撃されて苦戦を強いられているのだと言ってもいい。
「軍師だったチャオフーは軍だけでなく、東国の地形も把握している。恐らくベーゼどもに大群で移動しても他の都市の軍に発見されない道を教えたのだろう」
「だからあんな大群で移動してもぺーギントに接近できたのですね……」
「ああ。……チッ、チャオフーめ、味方だった時は頼もしく思っていたが、敵に回すとここまで厄介だとは」
味方だと思っていた存在が自分たちの国の情報をベーゼに流し、それが原因で自分たちが窮地に立たされている現状に騎士は腹を立てる。もしチャオフーが目の前に現れたらどんなことをしても捕らえてやりたいと騎士は思っていた。
しかし今はチャオフーのことよりも三千以上のベーゼの大群に攻め込まれている状況を何とかしなくてはいけない。騎士は深呼吸をして冷静になり、地図を見ながら今後の動き方を考える。
「おい、もう一度戦況と敵戦力の情報を説明してくれ」
「あっ、ハイ」
近くにいた若い騎士は声を掛けられると返事をしてから机に近づいて地図を見る。
「ベーゼたちは現在、戦力を三つに分け、各正門を同時に攻撃しています。北、南、西の三つの内、最も戦力が集中しているのは西門ですが、被害が一番大きいのは北門です。恐らく西門と比べて強力な力を持ったベーゼが多くいると思われます」
若い騎士は地図に描かれているぺーギントの北側を指差しながら説明し、騎士や近くにいる東国兵たちも同じように地図を見つめる。
「確かにさっきも北門が突破される可能性があると報告を受けたからな。北側の敵戦力が最も強いと考えられる」
「いかがいたしますか? 北門の護りを固めるため、増援を送りますか?」
声を掛けられた騎士は難しい顔をしながら考える。
北門が突破されそうになっているのだから護りを固めるのは当然のことだ。だが、他の二つの正門も突破される可能性があるため、北門に多くの戦力を送るわけにもいかない。騎士は決断を急がずに冷静にどうするか考えた。
「西門と南門の状況はどうなっている?」
「南門を攻めているベーゼの数は北門と同じくらいですが、防衛部隊は押されていないため、突破される可能性は低いと思われます。……ただ、西門は三つの中で最もベーゼの数が多いため、突破される可能性があるかと……」
「厄介な状態だな……因みに西門に配備されているこちらの戦力はどのくらいだ?」
騎士は最も敵の数が多に西門の防衛部隊の戦力がどうなっているか尋ねる。若い騎士は難しい表情を浮かべながら防衛部隊の戦力を思い出す。
「確か、我が軍と共に大勢の冒険者が戦っており、その中にはS級冒険者チームの霊光鳥がいるはずです。あと、メルディエズ学園の生徒も何人かが共闘しているとか……」
「S級冒険者チームとメルディエズ学園の生徒の両方が護りに就いているのか……彼らがいれば西門は今の戦力でも大丈夫だろう」
西門の防衛については北門のように深く心配する必要は無いと考えた騎士は残り二つの門の防衛について考える。周りの騎士や東国兵たちは指揮を執る騎士を見つめながら指示を待つ。
「まずは北門に増援を送って護りを強化しろ。……西門と南門は現状維持だ。戦況を確認しながら増援を送るか判断する」
騎士の指示を聞いて他の騎士や東国兵たちは真剣な表情を浮かべる。彼らも北門の護りを固めることを優先するべきだと思っているようだ。
「それから戦況は常に帝にご報告しろ。万が一、正門が突破されてベーゼたちが皇城に進攻するような事態になった場合、帝をすぐにお守りできるようにしておくのだ」
『ハイッ!』
声を揃えて返事をした騎士と東国兵たちは走って持ち場へ戻る。残った騎士は机の地図を見ながら拳を強く握った。
「ベーゼどもめ、これ以上貴様らの好きにはさせんぞ!」
ベーゼに対する怒りを胸に抱きながら騎士は必ずぺーギントを護り抜いてみせると心から誓うのだった。
――――――
ぺーギントの西門では大勢の東国兵や冒険者たちが集まって攻め込んできたベーゼたちを迎え撃っていた。城壁の上から弓矢や魔法で城壁を登って来たり、空を飛んで来ているベーゼたちを攻撃してぺーギントへの侵入を阻止している。
戦闘が始まってから既に多くのベーゼを倒しているがベーゼの数は一向に減らず、勢いも治まらない。切りの無い戦況に東国兵や冒険者たちの士気は少しずつ低下し始めていた。
「クソォ、何体いやがるんだ、この化け物たちは!?」
「倒しても倒しても全然減らねぇぞ」
西門の近くの城壁の上では弓矢を持つ東国兵たちが城壁の上を飛び回っているルフリフたちに向けて矢を放っている。だが矢はルフリフには当たらず、飛んでいるルフリフたちは攻撃してきた東国兵たちを見下ろしながら鳴き声を上げて威嚇した。
ルフリフに威嚇されたことで東国兵たちは恐怖を感じたのか僅かに表情を歪ませる。
城壁の外側にはまだ大量のベーゼの姿があり、城壁をよじ登ったり長梯子を掛けて城壁の上に上がろうとしている。その数は城壁の上から覗くと地面が見えなくなるほどだった。
ぺーギントに侵入しようとしているベーゼは殆どがインファやモイルダーと言った下位ベーゼやベーゼ化した人間やゴブリンと言った蝕ベーゼだった。だが中にはフェグッターのような中位ベーゼもおり、周りのベーゼたちに指示を出したりしている。
ベーゼたちは西門を外側から破壊するために大きな丸太を数体で持ち上げ、勢いよく正門を丸太で突く。その姿は敵の拠点に突入するために城門を破壊しようとする軍隊そのものだった。
「ベーゼがどうしてこんな軍隊みたいな行動を取ってやがるんだ? 連中は知能が低い奴らが多いんだろう?」
「ベーゼどもの中には知能の高い奴もいるって話だ。きっと奴らが知能の低い奴らに指示を出して動かしてるんだ」
城壁の上でよじ登って来るベーゼを攻撃する東国兵たちがベーゼの行動について話す。ベーゼのことをよく理解していない彼らでも流石に目の前にいるベーゼたちを見れば自分たちと同じような行動を取れることが分かるようだ。
「だったら、その指示を出してるベーゼを倒せばいいんじゃねぇのか?」
「そんなことできると思うか? こんなにいるベーゼの中からどうやって指示を出している奴を見つけ出すんだよ」
そう言って東国兵が城壁の外にいる大量のベーゼを見つめ、もう一人の東国兵もベーゼの数を見て絶対に無理だと悟った。
東国兵たちがぺーギントの外にいるベーゼたちを見ていると、上空を飛んでいるルスレクの一体が東国兵たちに向かって急降下し、足の鋭い爪で切り裂こうとする。
ルスレクの接近に気付いた東国兵たちは驚いて回避しようとするが既に回避も防御もできない距離まで接近を許してしまい、東国兵たちは死を覚悟した。だがその時、東国兵たちから見て右の方から一本の矢が勢いよく飛んで来てルフリフの頭部を射抜く。
ルフリフは鳴き声を上げることなく城壁の上に落下し、そのまま黒い靄となって消滅する。ルフリフが消滅したのを見た東国兵たちは矢が飛んで来た方を向いた。視線の先には紺色のエアリーヘアで茶色の目をした二十代半ばの冒険者が立っており、その手には弓幹に四つの赤い宝玉を付けた濃い黄色の弓が握られている。
東国兵たちは弓を持った冒険者を見て彼が自分たちを助けてくれたのだと知る。二人を助けたのはローフェン東国のS級冒険者チーム、霊光鳥のリーダー、ハク・ウェンコウだった。
「アンタら、大丈夫か?」
ウェンコウは空中にいるベーゼたちを警戒しながら襲われた東国兵たちに駆け寄ると安否を確認した。
「あ、ああ、助かったぜ」
東国兵が礼を言うとウェンコウはニッと小さく笑いながら持っている霊弓アルミースを構えた。
「飛んでる奴らは俺らが弓使いや魔導士が相手をする。アンタらは城壁を上ってくる奴らの相手を頼む」
「分かった、そっちは頼んだぞ」
持っている剣を強く握りながら東国兵たちは城壁の下を覗いて城壁を越えようとするベーゼたちの迎撃をする。
ウェンコウは東国兵たちを見た後に上を向き、飛び回っている数体のルフリフを見つめた。
「チッ、まだあんなに嫌がるのか。今回はレンツイで戦った時よりも明らかに数が多いな」
「それだけ敵も本気ってことよ」
ルフリフを見上げているウェンコウに誰かが声を掛け、ウェンコウは声が聞こえた方を向く。そこには黒いツインテールで袖の長い金茶色の武闘服を着た二十代の女性が駆け寄ってくる姿があった。
ウェンコウに声を掛けたのは彼と同じ霊光鳥のメンバーであるS級冒険者のモンク、フォウ・チェンスィだ。
「チェンスィ、そっちはどうだ?」
「城壁を越えようとするベーゼがウジャウジャいるわ。皆で何とか城壁の下に叩き落としてるけど、一向に数が減らない。このままだと何時か皆の体力に限界が来て戦えなくなるわ」
「そいつはマズいな。ベーゼどもは疲れや恐怖心なんてもんを知らない。こっちが疲れて動けなくなっても奴らは休まずに攻め込んで来るぞ」
向かい合って話すウェンコウとチェンスィは数でも体力でも自分たちの方が不利だと感じ、何とか戦況を変えられないか考える。すると、二人の上空を飛んでいたルフリフの一体、城壁を越えたモイルダーがウェンコウとチェンスィに同時に襲い掛かってきた。
急降下するルフリフと城壁を越えた直後に跳びかかるモイルダー、状況からウェンコウとチェンスィは完全に隙をつかれたと思われた。だがウェンコウとチェンスィは既にベーゼたちの存在に気付いており、ウェンコウは真上のルフリフ、チェンスィは横のモイルダーを睨みながら素早く動く。
ウェンコウはアルミースで矢を放ってルフリフの眉間を射抜き、チェンスィも硬化を発動させて自分の拳を硬化させ、モイルダーの顔面に正拳突きを打ち込んだ。
攻撃を受けたルフリフとモイルダーは靄となって消滅し、ウェンコウとチェンスィは周囲を見回す。
「本当に数が多いわね。これじゃあ、おちおち会話もできやしないわ」
「何とか敵の数を減らして態勢を整える時間を作らないといけないな」
状況確認や仲間たちが休む時間を得るためにもベーゼたちの勢いを何とか止めなければならない、そう思いながらウェンコウとチェンスィは上空や城壁を越えようとするベーゼたちを警戒する。その時、新たにモイルダーが二体に中位ベーゼのユーファルが城壁を越えてウェンコウとチェンスィの前に現れた。
「また上がって来たか。しかも今度は強そうな奴も一緒に越えて来やがった」
「緑色のベーゼは確か中位ベーゼよ。他の奴らより強いから油断しないで」
ウェンコウとチェンスィは構えながらベーゼたちを迎え撃とうとする。だが二人が構えた直後、ユーファルは大きな目をギョロギョロと動かしながら姿を消した。
突然消えた中位ベーゼにウェンコウとチェンスィは驚きの反応を見せる。そんな二人に二体のモイルダーが同時に跳びかかった。
チェンスィは舞うように華麗に動いて自分に跳びかかってきたモイルダーの左側面に回り込み、素早くモイルダーの左側頭部にパンチを打ち込む。勿論硬化で拳を硬化させ、攻撃力を上げた状態で攻撃した。
硬くて重い攻撃を受けたことでモイルダーは大きなダメージを受け、その場に倒れ込む。倒れた直後、モイルダーの体は消滅した。
ウェンコウも迫って来るモイルダーを睨みながら構えている。ただ、弓で応戦するには近すぎるため、まずは距離を取らなければいかなかった。
近づいてくるモイルダーの動きを警戒しながらウェンコウは混沌紋を光らせて加速を発動させ、もの凄い速さでモイルダーの背後に回り込む。そして、自分が立っていた方角へ移動しているモイルダーに向かって矢を放ち、頭部を後ろから射抜く。
頭部を射抜かれたモイルダーを即死し、前に倒れ込むと静かに黒い靄と化す。
襲ってきたモイルダーたちを倒したウェイコウとチェンスィは鋭い表情を浮かべながら周りを見回した。まだ姿を消したユーファルが自分たちを狙っている可能性があるため気を抜くことはできない。
「チェンスィ、気を付けろ? さっき消えたベーゼが何処から襲ってくるか分からないぞ」
「分かってるわ。そっちも油断してると大変なことになるから気を付けなさい」
忠告し合いながら二人はユーファルの襲撃を警戒する。だがその時、チェンスィの背後の風景が僅かに歪み、姿を消していたユーファルが姿を見せた。
ウェンコウはチェンスィの後ろに出現したユーファルに気付き、チェンスィは背後の気配を感じ取って振り返る。ユーファルは大きな目を動かしてチェンスィを見つめていた。
チェンスィは距離を取る時間が無いと直感し、硬化で自身の体を硬化して攻撃を凌ごうとする。だが、チェンスィが体を硬化する前にユーファルは先端の尖った舌を伸ばしてチェンスィの左肩を貫いた。
「うああああぁっ!」
「チェンスィ!」
ウェンコウはチェンスィを助けるためにユーファルに矢を放とうとする。しかしウェンコウがアルミースを構えた時、ユーファルは舌でチェンスィを貫いたまま右手を振り上げ、鋭い爪でチェンスィを切り裂こうとしていた。
ユーファルが止めを刺そうとしていることに気付いたチェンスィは距離を取ろうとするが舌で肩を貫かれているため、離れることができない。
逃げることも防御することもできない状況にチェンスィは死を覚悟し、ウェンコウも思わず目を見開いた。
その時、何者かがユーファルを背後から斬ってユーファルの背中に深い切傷を付けた。
背後から斬られたユーファルは鳴き声を上げながら両膝を付き、黒い靄と化す。ユーファルが消滅したことでチェンスィの肩を貫いていた舌も消滅した。
ユーファルから解放されたチェンスィは貫かれた肩を手で押さえながら痛みに耐え、ウェンコウも傷ついたチェンスィに駆け寄る。
「大丈夫か!?」
「え、ええ、何とか……」
顔を上げたチェンスィは苦笑いを浮かべながら無事なことを伝える。
チェンスィの顔を見たウェンコウは痛みに耐えているのを誤魔化すために無理に笑っていると悟って呆れたような表情を浮かべる。だが心の中ではチェンスィが無事なことに安心していた。
ウェンコウとチェンスィはユーファルが立っていた方を見て自分たちを助けてくれた存在を確認する。そこは金髪のツインテールを揺らし、メルディエズ学園の制服を着て両手に剣を握るアイカの姿があった。
「ウェンコウさん、チェンスィさん、大丈夫ですか?」
「アイカ・サンロード、助かったよ」
自分たちを心配するアイカを見ながらウェンコウは礼を言い、チェンスィも笑いながらアイカを見つめる。
二人が無事なのを見てアイカは安心し、小さく笑みを浮かべた。
「君が此処にいるってことは、ユーキ・ルナパレスも近くに?」
「ええ、彼なら……」
アイカがユーキのことを話そうとしていると、頭上を飛んでいた四体のルフリフがアイカたちを襲おうと急降下してきた。
ルフリフたちに気付いたウェンコウとチェンスィは驚きの表情を浮かべながら上を向き、アイカは落ち着いた様子でルフリフたちを見上げる。その直後、アイカたちから見て右の方から何かの影が空中を移動して降下してくるルフリフたちの中心に入った。
「ルナパレス新陰流、上弦!」
声が聞こえると同時に空中の影がもの凄い速さで動き、周りにいるルフリフたちの体を切り裂く。影の正体は月下と月影を振るユーキだった。
ユーキに斬られたルフリフたちは鳴き声を上げながら空中で消滅した。一瞬で四体のルフリフを倒したユーキの姿を見てウェンコウとチェンスィは驚き、アイカは笑みを浮かべながら頼もしそうに見ている。
アイカたちが見つめなる中、ユーキはアイカたちの中心に着地し、持っている月下と月影を軽く振ってからアイカの方を向いた。
「アイカ、大丈夫か?」
「ええ。ただ、チェンスィさんがユーファルに襲われて怪我をしたの」
ユーキがチェンスィの方を見ると左肩を押さえるチェンスィが目に入り、ユーキはチェンスィに近づくと月下を咥えて空いた右手でチェンスィの左肩に触れる。
触れた直後、ユーキは混沌紋を光らせて強化を発動させた。強化が発動するとチェンスィの左肩の傷から薄っすらと煙が上がり、肩の傷が見る見る塞がっていく。ユーキが強化でチェンスィの治癒力を強化したことで傷が治り始めたのだ。
傷が治り始めてから僅か数秒でチェンスィの傷は完全に塞がり、最初から無かったかのように綺麗になった。塞がった傷を見てチェンスィとウェンコウは軽く目を見開く。
「これで大丈夫、痛みも無いはずですよ」
「あ、ありがとう。凄いわね、貴方の混沌術……」
身体能力だけでなく、治癒力までも強化できるユーキの強化にチェンスィは改めて驚く。ユーキは咥えていた月下を持つとチェンスィを見ながらニッと笑った。
「貴方たちメルディエズ学園のおかげでかなり戦いやすくなってるわ。力を貸してくれてありがとう」
「この世界を護るために当然のことをしてるだけです。礼を言われるようなことじゃないですよ」
ユーキは軽く首を横に振り、そんなユーキを見てチェンスィは微笑みを浮かべる。
今から四日前、ユーキとアイカはメルディエズ学園の周辺にある村や町を襲っていたベーゼの討伐を行っていた。五聖英雄によって力を増した二人は短時間で次々とベーゼを倒すことができた。
そんな中、ユーキとアイカはガロデスに呼び出されて学園長室へ向かった。学園長室にはパーシュたち神刀剣の使い手が全員おり、ユーキとアイカが到着するとガロデスはユーキたちに『三大国家と周辺の国に大量のベーゼが出現したため、ベーゼたちを討伐するためにしばらくの間、各国の首都を拠点にベーゼの討伐を行ってほしい』と頼んだ。
ガロデスは五聖英雄の特訓を受けて以前よりも力を付けたユーキたちが今回の討伐に適していると考え、ユーキたちを呼び出して要請したのだ。
大量のベーゼが現れたと聞かされたユーキたちは一瞬驚きの反応を見せるが、ベーゼから大陸に住む人たちを護るためにもベーゼたちを倒さなくてはいけないと考え、迷わずにガロデスの頼みを聞いた。
ユーキたちが引き受けてくれとガロデスは詳しく情報を伝え、更にベーゼが多いことから長期間他国に留まることになるので、何人か生徒を同行させ、大量の食料と支給品を持っていくことを許可した。
それからユーキたちは誰が何処の国へ行くか話し合い、その結果ユーキとアイカはローフェン東国、パーシュとフレードはガロデス帝国、フィランはドリアンド共和国に行くことになった。カムネスはラステクト王国の担当となり、ベーゼの討伐をするために首都であるフォルリクトへ向かことになったのだ。
全ての説明と話し合いが済むとユーキたちはすぐに出発の準備に取り掛かり、仲間の生徒たちと共に担当する国へ向かった。
ユーキとアイカはローフェン東国の首都ぺーギントにやって来るとぺーギントの管理を任されている貴族に事情を説明し、冒険者や軍と協力し合いながらベーゼの討伐を開始する。
貴族に挨拶をした時にユーキとアイカは霊光鳥のメンバーとも再会していたため、今も何の問題も無く協力し合って戦えているのだ。
チェンスィの傷が治ったのを確認したアイカは西門の外側を確認する。西門の周りや近くの城壁には大量のベーゼの姿があり、アイカはベーゼたちを見下ろしながら僅かに表情を歪めた。
「西門の近くにはまだかなりの数のベーゼがいます。何とかベーゼたちを一掃して反撃する隙を作らないといけません」
「ああ、分かってる。まずは西門を破壊しようとしているベーゼと城壁を越えようとするベーゼを何とかしないといけない」
現状から何を優先するべきか話し合ったアイカとウェンコウは持っている得物を強く握る。ユーキとチェンスィも目を鋭くしながら城壁の外側にいるベーゼの群れを見た。
「とりあえず、城壁を越えようとするベーゼを警戒しながら門の周りにいるベーゼを先に倒した方がいいな」
「ええ、他の生徒たちにも伝言の腕輪で伝えましょう」
ユーキとアイカは自分たちの腕に嵌められている伝言の腕輪に視線を向ける。少しでも早くベーゼたちを倒すためには情報や作戦をしっかり仲間に伝える必要があるため、二人は忘れずに他の生徒たちに伝えようと思っていた。
「俺たちもゴウレンツやミッシェル、軍の連中や他の冒険者たちに伝えておく」
「分かりました、そっちはお願いします」
冒険者たちへの連絡をウェンコウに任せたユーキは他の場所にいるベーゼを倒しに向かい、アイカもユーキの後を追って走る。
ウェイコウとチェンスィもベーゼを警戒しながら近くにいる冒険者や東国兵に西門の近くにいるベーゼを優先して倒すよう伝えた。
西門の真上にある見張り台の上にやって来たユーキは見張り台にいる別のメルディエズ学園の生徒や東国兵たちに西門を攻撃するベーゼを優先して倒すよう伝える。アイカは伝言の腕輪を使って離れた所にいる生徒たちに指示を出した。
ユーキは見張り台の下を覗き込んだ。西門の前ではベーゼたちが持っている丸太で西門を叩き、門を破壊しようとしている。
「チッ、アイツら疲れる様子も見せずに門を攻撃してやがる。このままだと本当に突破されちまう」
「どうするの、ユーキ?」
隣で同じように見張り台の下を覗き込むアイカはユーキに尋ね、ユーキは黙り込んで対処方法を考える。
「……仕方ない、あの技で蹴散らそう」
城壁の下を覗きながらユーキは右腕を左に伸ばし、月下を左から横に振る体勢を取る。そして、真下にいるベーゼたちを睨みながら強化を発動させて月下を強く握った。
「ルナパレス新陰流、湾月!」
ユーキは月下を勢いよく左から横に振った。月下の刀身から月白色の斬撃が放たれ、西門前で丸太を持つベーゼたちに向かって飛んで行く。
斬撃はベーゼたちが持つ丸太を両断すると地面に命中し、大きな音を立てながら周りにいるベーゼたちを吹き飛ばした。
「よし、これでしばらく門は大丈夫かな」
切れた丸太と吹き飛ばされて倒れるベーゼたちを見ながらユーキは呟いた。




